設計した若いご家族のためのお住い、
大黒柱のいえが竣工しました。
玄関を入るとすぐに吹抜けのあるリビングです。
アイランドキッチンの角にズッシリと太い大黒柱があります。
キッチンの収納もたっぷり。
小さな吹抜けでも、広がりが感じられます。
洗面台はこだわりの造作で製作しました。お化粧時に使いたいティッシュ。収納場所に困りますよね。ミラーキャビネットの中にしまったまま、底面からティッシュが取り出せる仕掛けです。
吹抜けに面して作ったファミリーコーナー。今はまだ赤ちゃんのお子さまが大きくなったら、子供部屋に仕切れます。
階段下を利用して玄関に作ったシューズインクローク。ベビーカーがしまえます。コートや傘をかけておけるバーも。
健幸工房 シムラさんの施工です。
HOUSECOさんのアイディアコンペに参加して、東京CULTURE×CULTUREで行われたおもろ不動産ナイトに出演し、プレゼンして参りました~
当日の様子はUst(1時間半すぎごろに登場!)でも流れていて、めちゃくちゃ緊張しました。
来ている方は若い方がほとんど。他のメニューはありえない間取りとか、屋上建築(山岡物件というらしい)や高架下建築などのおもしろネタ。
↑ホームズ君の着ぐるみも来てて可愛かったです。
HOUSECOのコンペだけがちょっとまじめすぎてて浮いていましたが、3人でプレゼンをして人気投票。ほとんど同数でしたが、女性ひとりだったせいか、私が優勝?ということになりました。
なんだか文化祭みたいなノリで楽しかったデス♪
あとでちょっと思ったこと…はやぶさハウスってネーミングの方がウケたかな?ww
11/11 住居の会の見学会で、URのひばりが丘団地ルネッサンス計画1を見学して参りました。
これは昭和40年代に建てられた公団団地を再生しようと言う研究です。
私は子どもの頃、昭和40年頃建った府中の日鋼団地というところに住んでいたので、公団の団地のオリジナルの姿は懐かしいものがありました。日鋼団地は3DKだったので、光が丘よりも若干広かったのですが、基本的な形は同じようなものだったと記憶しています。そういえば先日のブラタモリ日本の住宅でも光が丘団地が取り上げられていて、「団地への招待」が流れていました。「団地への招待」は大学時代に講義で見た記憶があります。今見るとコントのようで笑ってしまいますが。兎小屋と呼ばれる小さな団地が当時は憧れの対象だったことがわかります。
オリジナルの写真をみてお気づきかもしれませんが、当時の日本人は体が小さかったのか?畳の生活だったせいか?天井高さ及び鴨居の高さがとても低いのがおわかりいただけると思います。それを現在に活かすとなると、問題は壁梁。光が丘は壁式RC造で壁梁の成が大きいため、大変目障りです。それを腹筋梁に付け替えてみたり、さらには上の写真のようにスラブを2枚撤去して3層から1.5層×2に変更したりしています。天井高さが高いとこんなにも開放感が出るのですね。写真の住まいは一人暮らしの若者を想定したロフト付き住宅です。
こちらは更に大型の家族向けメゾネット住宅。吹き抜けが気持ちよい。
他にもベランダに壁柱を設置することで強度を保障し、隣との界壁を撤去して2戸1や4戸1といった大型の住戸にしたり、妻側の壁をふかして開口を取り、緑豊かな立地条件を室内に取り込んだり、エレベータと開放廊下を新たに設置してバリアフリー化するなど、様々な試みが行われています。
これは既存の壁梁の鉄筋と、新たに付け替えて梁幅を大きく、梁成を小さくした梁との比較写真です。この、細く頼りない丸鋼がまばらにしか入っていない梁を見ると、他の耐力壁やスラブも同様であることが伺われ、はたして再利用して安全なのか、不安になりました。
また、大きな問題はコストで、なんと新築の80-90%の費用がかかるとのこと。再利用することで廃材が減りエコなのかもしれませんが、実際に経済的に採算が合わなければ困難なのではないでしょうか。
その他住居の会HPにも報告を書いているので、よろしかったらごらんください。
国際フォーラムで公開審査をするので見に来て下さいと新建築社のツイッターでお誘いがあったので、先輩たちと後学のために、見学してきました。
今回の審査委員長は山本理顕さん。委員は岡本賢、櫻井潔、芦原太郎、内藤廣、隈研吾、高橋邦人。(敬称略)
お題は都市環境に寄与する集合住宅。
国際コンペなので、23の国から500点を超える応募がありました。
1次審査で残った7点について13:30から17:00まで審査が行われ、最優秀は中国の天秋(ティエン・チョウ)さん。優秀は香港のツイ・チュン・シンさんと芝浦工大と乃村工藝社の4人組(池田、木曽川、中出、吉田)。
全体的に、香港と韓国の二人は高層と低層を組み合わせた具体的な建築の提案。中国の方は建築というには微妙だけれど、領域の意識をテクスチャーで表現して住む人の環境への意識を改革しようと言う、心理学的アプローチ。芝浦工大は月島のもんじゃ焼き通りの裏の木造密集地域を、路地的なものを再生して再構築する案。理科大と京都工芸繊維大と九州大は、いずれも住宅を室ごとにバラバラに分解して、それを因数分解して集合住宅にするというような案。このタイプが500の応募の約10%を占めていたらしい。今の若者の「気分」なのだろうか?理顕さんがこれに対して激しく拒絶反応を示し、「リアリティーがない」とぼろくそに言っていた。
そもそもアイディアコンペにリアリティーは必要なのか?
法規的なリアリティーや、経済的なリアリティー(月島に低層住宅を誰が建てるのか?ペイするのか?というような)は考慮する必要はないのではないか?実施コンペじゃないのだから。理顕さんがいうリアリティーというのはおそらく、経済的に見合わないとしても低層にするべき月島が持つ独自性、敷地をそこに選定した理由付をはっきりと言って欲しい、という意味なのかな?
審査委員が全員50歳以上の男性だけだったので、日本の若者の、家族はすでに崩壊した。コミュニティーは幻想だ。という前提に立ったような提案に拒否反応がでたのかもしれない。もし、藤本壮介さんとか、若い世代が審査委員だったら、また違っていたのかも?
私が感じたのは、どの案も建築から形が抜け落ちて行っているという感覚。もはや建築というのは物質的な形ではなく、概念になっているのだろうか。
圧倒的なマッスの力で訴えるいわゆる建築は安藤忠雄で終わったのか。
その後伊東豊男や妹島和世が追い求めた限りなく薄くて透明な世界は、いかに建築の存在感をなくしていくかという作業だった。
それとは別に隈研吾や石井和紘が取り組んだのはカモフラージュすることによって存在感を消す方法。
いずれにしてもいかに建築のマッスの力を消去していくかに腐心していたと思う。
そして、その後の世代は、それすら拒否して、形は単純な四角でいい、行為をダイアグラムすることこそが建築であるというような。まさにバーチャルな感覚に移行しているようだ。
九州大の作品は凡庸な戸建て住宅を拡大して行って、という一見アイロニカルな作品。内藤廣さんが「これはアイロニーなの?マジなの?」という助け舟を出したのに「マジです」と答えたために、評価が落ちてしまったのだが、この人たちに至ってはすでに形をデザインすることには何も意味がないので放棄した、というように受け止められる。おそらく無意識の中でそうなっていったのかもしれないが。
そういう、失われていく形、失われていく家族、失われていくコミュニティに対して、50代、60代の大先生方は拒絶反応があるのだろう。
今の若者の雰囲気を感じ、また、先生方の反応を間近に見れて、大変面白かった。