長女は好きなバンドグループがいます。
秋頃から洗濯干しをやってくれるようになったので、お礼もかねて、1ヶ月に1枚CDを買ってあげてました。
でも、だんだん欲しがるCDが値段の高いものになってきたので、半額は自分で出すように交渉しました。
しかし、そうすると、お小遣いで欲しい雑誌も買っているし、CDまでお金が回らないと、長女は言います。
「じゃあ、働けば?」
ということで、再び長女はバイトを探すことに。
夏にバイトの申し込みに行ったスーパーが、一番近くていいのですが、連絡をくれなかったのでそこにはもう行きたくないとのこと。
今回は、乗合バスの終点から他のバスに乗り換えてしばらく行くとある、コンビニのバイトを狙いました。
前回は、自分でなんとかさせなきゃと思い、一切助言などしなかったのですが、今回は、面接は電話で事前に申し込みをすることや、履歴書を持って行くことなどを教えました。
実際バスを乗り継いで行くと、バイト先まで時間とお金がいくらかかるのか、実際にやってるようにも言いました。
長女はじゃあ明日行ってくるといい、その明日がやってきて、私がスーパーで買い物をしていると、長女から電話がかかってきました。
「私、なにをやっても続かないし、バイトも続かない気がするからやっぱり行くのやめる」
「そ、そうなんだ(・_・;)」
おしまい(^-^;
夏前に、学校行かない、学校辞める、とすったもんだした長女。
高校行かないんなら働け。
ということで、長女はバイトを探しに出かけました。
しかし、家は、山間部のド田舎なので、最寄りのスーパーやコンビニでさえ10kmくらい離れてます。
上り下りの激しい道なので、自転車もきつい。
バスはローカルな「乗合バス」的なもので、ハイエースみたいな車が地区内を回っていて、1時間に1本来るか来ないかという感じ。
その乗合バスで、半袖半ズボンというラフな格好で、サイフだけ持って、ふらりとスーパーヘいってレジのバイトを申し込んできたそうです。
そのスーパーで、学校のことを聞かれて、勉強は嫌いだし、学校は辞めつもりだと言ってきたそうです。
スーパーからは、
「こちらで検討してまた連絡します」
と言われたそうですが、結局1週間たっても連絡はありませんでした。
おしまい。
長女&次女のW不登校を脱却して3年。
私達一家はまたまた主人の転勤で、T市から元住んでいたF市へと戻ることになりました。
F市は、主人も私も地元です。
長女は高校1年生、次女は中学1年生、三女は小学3年生になりました。
で、誰が不登校になったかというと、長女が、なんです。
長女、再び不登校orz
色々なことがありまして、高1の夏前から。
現在は休学。
私、そんなとんでもない子育てしてる母親なのかな?
私のせい? 私のせい?
相当悩みました。
以前住んでいた所でできた友達や、地元の友達が話を聞いてくれて、励ましてくれて、ほんと助かりました。
友達って、ありがたい。+゜(*ノ∀`)
最近不登校の子が増えているとはいっても、我が子が2人も学校へ行ってないとなると、心中穏やかではいられないのが親心だと思います。
2009年5月、6年生になった長女が学校へ行きだしてからも次女(当時3年生)は適応指導教室通い。
おまけに次女は、1年生の後半から始まったトイレの回数の激増も相変わらず続いていました。
さらに、適応指導教室では喋らないんです。
先生や他の生徒さんに質問されても、答えない。
首を縦に振るか横に振るかくらいでしか答えられなくなっていました。(家ではよく喋る子なのですが)
それに、クラスメートに会いたくないからと外でも遊ばなくなっていました。
子供が外で遊ばないなんて、体にも良くないので、それも心配のタネでした。
本当にこの子は将来どうなってしまうんだろう…。
小学2年生にして人生終わりだorz
考えても考えても、イヤなことしか想像できませんでした。
そんなとき、ふと長女が5年生の時しばらく通った音楽教室の先生が、
「子供って性格変わるから大丈夫よ」
とおっしゃったことが思い出されました。
よし、そういうことにしよう( ̄。 ̄;)
だいぶ行き詰まっていたんですね(笑)
大丈夫、大丈夫。
とにかく大丈夫。
そう思ってみることにしました。
初めは難しかったです。
ここ1~2年、心屋仁之助さんの魔法の言葉を言ってみるっていうカウンセリングが、TVで放送されたり、本がたくさん出ていますが、それみたいなものです。
はじめは、心底心配なのに、大丈夫なんてとても思えなかったです。
口からだって「大丈夫」なんて出てこないです。
頑張って思ってみても言ってみても、胸のあたりが気持ち悪いんです。
でも1週間くらいで慣れてきて、
「ま、いっか。次女はなんとかなるさ。」
と気楽になれたように思います。
しばらくたつと、大丈夫と思うのも忘れてしまいました(^-^;)
まぁ、もちろんそれだけの結果ではないのですが、3年生の11月に学校へ戻るキッカケが出来まして、不登校を卒業しました。
今にして思えば、「大丈夫」と思ってみることで、悪い方へしか考えられなかった思考にストップをかける効果があったんじゃないかな、と思います。
2008年4月から次女は不登校をはじめました。
三女はちょうど幼稚園に入りました。
5月になると小学5年生になった長女も
「私も学校行きたくない」
と申しまして、長女と次女のW不登校となりました。
もうすでに、子供を学校へ押し出す気力はありませんでした。
かくして、長女は約1年、次女は1年8ヶ月不登校Lifeを送ることなったのです。
2008年は随分悩みましたし、苦しかったです。
小学生が学校行かないなんて、この子達はどうなっちゃうんだろう。
私の子育ては間違っていたのだろうか。
きっと私がダメな母親だから…。
などなど。
そして夜も眠れなくなりました。
精神的にもつらく、夏休みには体もおかしくなって、病院で鬱と診断されました。
その頃子供達は、私ももうあんまり覚えていないのですが(^_^;)秋頃から、適応指導教室というところへ通い出したと思います。
適応指導教室とは、たぶんどこの市町村にもあると思うのですが、不登校になっている義務教育期間中の子供達が集まる教室です。
教室によって色々違いはあると思いますが、うちの子達が行っていた所は、朝9時から昼3時頃まで開いていて、11時までは勉強や読書、それ以降&午後は自由でトランプなどゲームをしたり、外でバドミントンをしたり、近くの公園で遊んだりします。
朝9時から開いてはいますが、自分の好きな時間に行ってよいことになっていて、午後から来る子もいます。
私は、夏にもらった薬が効いたのか、心も体も秋には持ち直してきていて、学校へ行かないならせめてここへ行けと、毎日朝9時から2人を連れて行っていました。
次女は、
「お昼からしか来ない子がたくさんいるから、私も勉強時間終わってから行きたい」
と言いましたけど、小学2年生と言えば、九九も覚えなければいけないし、漢字だって、小学1年生の漢字しか知らなかったら、すでに死活問題だと思い、無理やり連れて行ってましたね。
2008年はそんな風に過ぎていったように思います。