HAPPY BIRTHDAY TO ME ~~~
などと歌ってみても、普段と変わらない昨日の続きだったりする。
ただ、この日は誰に咎められることもなく、を呑んだりを食べたりできる日。
…まぁ、Mの周りでは毎日を呑んでも咎める人はいないが…
一年に一回の自分の誕生日で考えることは…ある。
誕生日に、生んでくれたご両親に感謝を……と言う人がいる。
そう、自分がこの世に誕生するきっかけを作ってくれた人たちに感謝をする日。
Mの亡くなった父は家庭的な人ではなかったが、娘の誕生日や記念日には
マメに写真を残してくれていた。
アルバムの裏表紙に「父より」と、若い頃の父が筆文字の文章を残している。
昔の人って達筆だなぁ…と、その文字を見るたびに思う。
この写真を撮ってアルバムに貼り付けるとき、父は何を考えていたんだろう。
書かれている文章は抽象的で、全くわからない。
今ではこの古いアルバムの写真は殆どが剥されていて、
キャプションしか残っていないものもある。
Mの生まれた背景は複雑なので、誕生日だからといって
両親に素直に感謝することができない。
単純に、この世に生まれたことを感謝するのであれば出来ないこともない。
そういう意味では、毎年誕生日って少し重たい日になる。
自分は精神的に未熟なんだなぁ…とか、
両親に感謝できない自分って片端なんだ…と痛感する日なのだ。
精神内科に行った事はないが、何かの病名はつけられるだろうな
人間は生まれ落ちた瞬間から死にむかって歩いている。
なんだか夢も希望もない一行だと思ったけど、まぁ確かにそうだ。
昨日から「人工呼吸器をはずした…」云々のニュースをやっているが、
「生きている」と「生かされている」では意味が全く違う。
宗教を持っている人はある意味「生かされている」と思っているのかな…。
生きていると思うのは傲慢なのかもしれない…。
ただ、機械につながれて生きているのは、生きているうちに入るんだろうか…
医療の進歩とともに、人間の尊厳も奪われていっている気がする。
Mは呆けてまで長生きしたくない。
自分の事を判断出来なくなった時点で終わりたいな…。
現在の法律では、自分の意思ってどこまで通じるのだろう。
尊厳死が認められないのって、個人の権利を侵してない?
これもまた日本の曖昧な法律が関わってくる。
一番肝心なことは全部玉虫色。
…などと、うだうだ書いていると時間がなくなってきた。
○○年前の今日、祝福されずにMが誕生したところで
現在生きているというのはまぎれもない事実だ。
せっかく生まれたからには悔いのない人生を生きていきたい…。
そう考えて自分の家庭を持ったとき、Mは両親を反面教師にした。
そして誕生日には、毎年こうやってウダウダ・ゴチャゴチャ考える運命にある