“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

集団的自衛権行使容認の論拠 砂川判決援用

2014年05月07日 12時59分00秒 | 臼蔵の呟き

安倍、自民党中枢幹部の異常な発言、政策提起は、人間としてみても異常であり、正常な意識、常識を持つ人間ではないと断言するほどの傲慢さと、国民愚弄の態度を取り続けています。NHK籾井、長谷川、百田などの発言行動も同じです。また、安倍の側近も異常な思想の持ち主で固められています。そのような異常な政治家の言動、行動を批判し、正すことができないほど自民党、公明党は倫理観のない集団に成り下がっています。

国民の圧倒的な多数とこれだけ乖離した政権、政党は必ず、歴史的な審判を下されることを自覚すべきです。

<あるブログの主張から>
「日本を取り戻す」。もとに戻すのは大変です。本当に安倍晋三の罪は重い。

たった一人の阿呆が、ここまで社会を破壊してしまったことに怒りを禁じ得ないですね。

 ごくごく一部の人たちの露出が目立つようになった。安倍が総理になってから顕著なり。ほんとに厭な時代になりました。

主権在民である以上、この国の最高権力者は我々国民一人一人なのだ、という意識を、今の日本人はもっと強く持つべきだと思う。

<北海道新聞記事>集団的自衛権行使容認の論拠 砂川判決援用に異論噴出

 安倍晋三首相や自民党幹部が集団的自衛権の行使容認の論拠として、1959年の砂川事件の最高裁判決を盛んに強調している。同判決が行使を認めた「必要最小限」の自衛権に、集団的自衛権も含まれるという独自の論理を展開し、行使を認めていない現行の憲法解釈を変更するためだ。だが今の解釈が定まったのは、判決から22年を経た81年。判決を根拠に解釈を変更すれば、歴代の自民党政権の判断を否定することにもなり、党内からも「無理筋だ」との声が漏れる。

 「砂川判決は『自国の平和と安全を維持し、存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得る』と言っている。その措置の中に集団的自衛権があっても、排除されることはあり得ない」。自民党の高村正彦副総裁は3日、NHKの番組で判決を引用し、現憲法下でも限定的な行使は可能だとの認識を強調。「砂川判決は最高裁が(自衛権についての見解を)示した唯一の判決だ。その範囲内であれば、解釈改憲も可能なのは法理的には当たり前だ」と強弁した。

 「憲法の番人」である最高裁が集団的自衛権の行使を認めていると主張することで、「時の政権が憲法解釈を変えるのはおかしい」という世論や野党の批判をかわし、慎重論の強い公明党との妥協点を探る狙いがある。政府も閣議決定に先立って策定する「政府方針」で、判決の一部を援用する方向だ。

 しかし、砂川事件は駐留米軍の合憲性が問われた事件で、集団的自衛権の行使の是非が争われたわけではない一審で裁判官を務めた松本一郎・独協大名誉教授(83)は「当時は自衛権と言えば、個別的自衛権のことだった。あの判決に集団的自衛権の根拠を求めるのは、言いがかりもはなはだしい」と言い切る。

 自民党の派閥領袖(りょうしゅう)も、限定容認論自体は支持しつつ「砂川判決を持ち出すのは無理がある」と本音を漏らす。

 最高裁が昨年9月、結婚していない男女間の子(婚外子)の遺産相続に関する民法の差別規定を違憲と判断した際、自民党の保守系議員は「司法の暴走だ」と猛反発し、最高裁を真っ向から批判した。その自民党が今、最高裁判決を盾に行使容認を急いでいる。(東京報道 小林宏彰)<北海道新聞5月6日朝刊掲載>


ウクライナの事態収拾と打開

2014年05月07日 10時59分22秒 | 臼蔵の呟き

ロシアのクリミア自治共和国編入に伴い、ウクライナ東部の親ロ派の動きが活発化しています。自主投票を要求し、自治権の拡大、その先にはロシア編入を予測した動きとなっています。ウクライナ、ロシア、アメリカ、EUなどによる交渉、合意事項が遵守、実行されないままに、暴力的な衝突が激化しています。このような状況が続けば、ウクライナ自身が、分裂する可能性が出てくることはあきらかです。同時に、武力衝突、ロシア軍による軍事侵攻も懸念される事態となっています。シリアにおける政府軍と反政府軍との武力衝突、難民の激増、イスラエルとパレスチナの軍事衝突、アラブの政治的不安定さなどが続いていますが、それらの紛争、軍事衝突の中止、収拾に中心的な役割を旗実ければならないロシア、アメリア、EU各国がウクラナイ問題で衝突する事態は避けなければならない事案でした。このことで国連が、機能停止、紛争の仲裁に役割を発揮できない事態にもなっています。

国連の安全保障理事会、常任理事国の拒否権などがこのようなこう着状態を改善する上で、マイナスに働いています。国連自身が第二次大戦の戦勝国によって枠組みが作られてきたことの弱点がここで露呈しています。しかし、現時点で、国連が紛争解決の仲裁、調停に主要な役割を果たす以外なのも現実です。

ウクライナへの軍事干渉をやめ、ウクラナイの分裂を防ぎ、問題の話し合いによる改善をすることが最善の策です。関係国の冷静な対応が求められているのだと思います。

<琉球新報社説>混迷ウクライナ 泥沼化回避へ英知傾けよ

 ウクライナ情勢が混迷の度を深めている。南部オデッサ州では2日、親欧米のウクライナ暫定政権支持派と親ロシア派による大規模な衝突が起き、親ロ派が集まっていた建物で火災が発生して46人が死亡、200人以上が負傷した。

 2月の暫定政権発足後、一度の衝突では最多の犠牲者だ。ウクライナや米ロ、欧州連合(EU)の4者は違法な武装集団の武装解除や暴力の自制でいったんは合意していたが、それは事実上破綻した状況だ。
 東部ドネツク州で今月11日に予定されている独立の是非を問う住民投票をめぐり対立が激化することも懸念され、先が見通せない泥沼化の様相も呈している。
 しかし、これ以上の混乱の拡大はウクライナだけでなく、国際社会にも深刻な影響を及ぼす。4者による事態収拾の動きを再起動し加速できるよう、日本も含め国際社会は英知を傾けるときだ。

 親ロ派に影響力を持つロシアには特に冷静な対応が求められる。クリミア編入に続き、ウクライナ東部・南部へ軍事介入する展開は決してあってはならない。
 ロシアは親ロ派へ自重を促し、暫定政権側との対話機運をこそ醸成すべきだ。暫定政権側も強硬策を続けて状況を悪化させ、ロシアに介入の口実を与えることがないよう賢明に対応する必要がある。
 親ロ派住民の間では暫定政権の背後に民族主義勢力や米国の影響力も感じ取り、不信感が高まっているという。国民の間に相互不信と憎悪の悪循環が生まれては、事態を収拾したとしても対立の火種がくすぶり続け、ウクライナの統一維持の障害となろう。
 国の統一と国民の和解を保つために、親ロ派が求める連邦制導入は有効な手段だが、ロシアに有利に働くだけとの指摘も根強い。
 暫定政権側もいったんは導入に理解を示したが、連邦制導入が東南部の分離独立につながるとの危機感がある。実際、親ロ派内は連邦制下で国内にとどまろうという意見がある一方で、クリミア同様にロシア編入を目指す勢力も強いという。
 今月25日には大統領選も予定されているが、連邦制導入を含めウクライナの将来像をどう示せるかが政権側の大きな課題だ。 
 シリアのように泥沼化して市民の犠牲が増えることだけは何としても避けたい。そのためにも国際社会は最大限の努力をすべきだ。


人間らしさとは何か

2014年05月07日 06時26分15秒 | 臼蔵の呟き

歴史の進歩は、長い年月を経て確実に、明るい方向に進歩してゆくことと思います。何もせずに、そのようになると言うことではありませんが。人間が人間らしく生きるためには環境条件に適応し、住居、衣服、食料などを生きるうえでの最低限の条件として整備しながら進歩するのだと思います。そのような条件を破壊し、危機に陥れるような動きには抵抗、改善する方向で人間が集団的に行動することで危機を乗り越えてきたのだと思います。

おろかな政権、政治勢力、軍隊が、核兵器を開発し、戦争を何回となく繰り返すのは長い歴史から見れば、ごくごく短い時代、時間なのかも知れません。科学技術の進歩が戦争、武器開発に利用されることはあってはならないことですが、核兵器、戦闘機、ミサイル、無人飛行機、毒ガス、細菌兵器などが多くの国で研究され、製造、配備されてきました。そうだとしても、人間が人間を大量に殺戮するような行為を正当、正義だと主張するような国、政権が多数にならないのは人間の持つ倫理観、正義観が邪悪な考え方を排除するからに他ならないと思います。また、そのような歴史の歯車を逆転させるような国、政権、政治勢力を批判し、少数派に追い込む平和を望む多くの人間、市民の運動が存在したからだと思います。

<毎日新聞>人間らしさとは何か

 国外へと逃れるシリア難民は200万人以上といわれている。北イラクに脱出した妊婦は、砂漠のキャンプで出産を余儀なくされている。ぼくが代表をしているJIM−NET(ジムネット)では、そうしたシリア難民の妊婦さんと新生児を守る活動を続けてきたが、つい最近、シリアでは毒ガスが使われたのではないかと言われ、さらに混乱している。

 人間はなぜ、こんなことをしてしまうのだろう。

 晩年、平和運動の先頭に立って活動した物理学者のアインシュタインは「人間性について絶望してはいけません。なぜなら、私たちは人間なのですから」と語った。人間らしさとか、人間性とは、いったい何なのだろうか。

 ゴーギャンの作品に「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という大作があるが、この問いかけは多くの人を引きつけてやまない。ぼく自身もこの6年間、この問いを胸に世界各地を訪ねてきた。

 38億年前の生命体の一部と思われる炭素が見つかった北極圏にあるグリーンランド。単細胞の命が、バトンタッチを続けながら進化し、約700万年前には、人類の祖先である猿人が生まれる。その人類のゆりかごとなったアフリカの大地溝帯やサバンナは3度も訪ねた。

 タンザニアでは、約350万年前の地層に残る、家族と思われる3人の足跡を見た。大人の男と思われる大きな足跡のそばに、子どものような小さな足跡、その後ろを大人の女らしい中くらいの大きさの足跡がついている。ぼくたちの祖先は、すでにこのとき、家族という形で行動していたと思われる。

 サルとヒトを分けたものとして、アメリカのオーウェン・ラブジョイ博士は「プレゼント仮説」を唱えている。二足歩行になる前、オスは子孫を残すために、犬歯を鋭くとがらせて、オス同士で戦っていた。しかし、二足歩行により自由になった手で、メスに食べ物をプレゼントしはじめてからは、そういうオスがメスに好かれ、より子孫を残せるようになった。モノを与えることを通して、パートナーシップが生まれ、愛情が生まれてくるのである。

 ヒトの家族を考えるうえでもう一つ興味深いのは、おばあさんの存在だ。

 人類学者のクリスティン・ホークスは狩猟採集民族を研究しながら、なぜ、ヒトには「おばあさん」という存在が生まれてきたのかを研究した。多くの生物が繁殖という大きな目的を遂げるとほぼ同時に、命を終えるのに対して、ヒトのメスは、生殖機能を失っても長生きする。しかも、実に元気に!

 その理由は、生物学的に未熟な状態で生まれた子どもの面倒をみるためだという。経験豊かなおばあさんは、さまざまな知識を備えている。若い世代の子育てを助けることで、ヒトは多くの子どもをもうけることが可能になった。これが「おばあさん仮説」だ。

 集団で生活をはじめた我々の祖先は、食べ物を平等に分け合った。分け合うという利他的な行為は、少ししか獲物をとれないリスクに備えた、現実的な知恵だったようだ。

 ケニアのトゥルカナ湖の周辺では、170万年前の人類の祖先の骨が出土している。ある女性の骨は、障害があり歩けなかった可能性が高いことがわかるが、同時にビタミンA過剰症の痕跡も見られた。ヒトは弱い存在にも、手を差し伸べていたのである。

 社会をつくる動物であるヒトは、同時に社会に染まらない「ヘンテコ」な部分ももっていた。

 アフリカにしかいなかった我々の祖先は、出アフリカを果たし、全世界へと広がっていった。彼らを未知なる土地へと駆り立てたものは何か。ぼくは、ほかの土地へ行けば、もっとおもしろいものがあるという好奇心だったのではないかと思っている。その好奇心は、文化をつくり、科学を発展させる原動力になった。ぼくたちはときどき、こうした人類の進化の足跡から、現代の生活や社会を見直してみる必要があるのではないか。

 人間とは何か、幸せに生きるために必要なものは何か。ぼくなりに考えた結論を、「人間らしくヘンテコでいい」(集英社)にまとめた。ぼくたちホモ・サピエンスは好奇心をもったヘンテコな動物であると同時に、社会という利他的なしくみのなかで生き延びてきた動物でもある。