“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

厚木基地判決は司法責任の放棄

2014年05月24日 12時59分00秒 | 臼蔵の呟き

大飯原発の差し止めを求める司法判断での福井地裁判決との質的な違いを際立たせる判決です。司法の役割、三権分立に対する裁判官の姿勢、責務への自覚のなさはいかんともしがたいレベルです。

アメリカ、アメリカ軍であろうとなかろうと違法なものは違法と判断すべきものです。そもそも、司法とは社会的な常識を基礎として構成されるべきものであり、時代の変化に応じて、司法判断が変化することは当然のことです。最高裁判断も含めて、現行法規にない性格の訴訟に対して、裁判官が判断し、その判例が法律の隙間、弱点を補強する役割を果たしてきたことは歴史的に事実です。権力者は、自らの政治判断、政権にとって有利な判決、判断を求めることは自明のことです。しかし、このような基地被害、騒音被害は国家の安全保障に関する事項であり、司法判断にはなじまないかの判断を回避するかの態度は、司法の役割を自覚しない判断と談じられても仕方がない。

政権が、住民の生活圏、騒音公害を無くすためにあらゆる行動をとることこそが求められているのだと。そのことを行わない政権は、正当性を持った政権とはいえないのだ。

<東京新聞社説>厚木基地判決 米軍に白旗で良いのか

 自衛隊機の夜間飛行を差し止める-。神奈川県の厚木基地の騒音訴訟で、司法が初判断をした。だが、米軍機には“白旗”だった。住民の被害軽減のため、国は米国側と本腰で協議するときだ。

 滑走路を中心とした厚木基地の周辺には、びっしりと住宅街が広がっている。ここに海上自衛隊と米海軍の飛行機が日々、離着陸を繰り返している。

 基地から一キロ離れた住宅街でも、年間約二万三千回も騒音が響く。七〇デシベルの騒音が五秒継続する回数で、最高で一二〇デシベルの爆音だ。電車のガード下でほぼ一〇〇デシベルだから、騒音被害の大きさは理解されよう。睡眠は妨害されるし、会話も電話も、テレビを見るにも影響が出る。読書や子どもの学習にも…。あらゆる生活の妨げだ。健康被害も生むし、精神的にも苦痛を受ける。我慢する限度を超えている。

 だから、一九七〇年代から始まった訴訟では、騒音被害を認め、損害賠償を命じてきた。問題は騒音がいつまでたっても解消されないことだ。今回は民事訴訟と同時に、行政庁の処分に不服を言う行政訴訟で争った。

 横浜地裁はまず米軍機の差し止めは無理だとした。米国に対し、飛行をやめさせる根拠となる法令や仕組みがないためだ。だが、自衛隊機については、防衛相の権限がある。だから「午後十時から翌午前六時まで、航空機を運航させてはならない」などと断じた。

 行政訴訟で飛行差し止めをかち得た意義は大きい。他の基地での騒音訴訟に影響を与えよう。でも、この判決で厚木基地の騒音が軽減されるわけではない。

 関係自治体によると、米空母の艦載機が年間二百日程度、基地に離着陸する。戦闘攻撃機で最大一二〇デシベルの爆音を出す。海自はプロペラの哨戒機が中心で、最大九〇デシベルの騒音という。つまり、海自の飛行を差し止めても、もっとひどい米軍機の爆音はなくならない。もともと海自では騒音対策のため、夜間から早朝の飛行を自主規制している。判決は根本的な解決にならないわけだ。

 米軍機については、まともな審理さえしていないだろう。司法は日米安保条約について判断から逃げ回ってきたからだ。

 日米間の安全保障体制は重要だが、基地周辺に限らず、約二百万人が影響を受ける深刻な騒音問題である。政府は国民の健康と生活のために、真っ先に米国側と交渉すべきテーマである。


大飯原発再稼動差し止め訴訟判決への日経反応

2014年05月24日 10時58分34秒 | 臼蔵の呟き

日経新聞の社説を見ると、安倍、自民党政権、電力会社の思い伝わってくる内容となっています。立場が違えば、同じ判決であっても、このくらい違うのかと思えるような主張になっているので、その点では興味深い社説、主張と言うことができます。

まず、日経新聞は、憲法に掲げられた基本的人権、人格権、生存権には全く触れていません。この点では、彼らの思想には生身の人間、原発周辺の自治体住民は想定されていないことがよく分かります。原発事故で故郷を追われた住民がどのような思いを抱き、悔しさと、悲しさの中で逃げ惑う姿は想像できないのだと考えられます。安倍でさえも福島県民、立地自治体住民に触れた演説をしますが、日経新聞は、そのレベルのことであっても触れることすらしない異常さが際立っています。

また、憲法が規定する基本的な人権、生存権を無視する一方で電力会社の経営、利益、電力の安定供給には触れています。彼らは企業が利益を上げるためにどうしたらよいかを考える組織であり、生活者である国民がそのことでどうなるかを想像することができないでいます。

安倍、自民党政権、規制委員会が事故を前提とした管理、設備の補強をしていることを肯定しています。その点でも、非常に違和感のある社説となっています。原発事故は放射能汚染を撒き散らし、長期的、広範囲に、何百年もの期間にわたり、その汚染による被害を継続させ、あってはならない事故であることとの認識がまたく欠如しています。この点では日経の幹部、論説委員の倫理観は驚くべき認識です。また、福島第一原発事故の教訓などは無視しているとしか、言いようのない認識であることを示しています。利益至上主義、企業利益第一主義がどのような意識、倫理観なのかを示す良い事例と言うことができます。このような認識、姿勢のマスコミは国民多数の支持、信頼を売ることができないでしょう。

 <日経新聞社説>

 関西電力大飯原子力発電所3、4号機について、福井地裁が運転再開の差し止めを命じた。東京電力福島第1原発の事故後、同様の差し止め訴訟が相次いでいるなかで初めての判決だ。

 裁判では、関電が想定する地震の揺れの強さが妥当か、事故時に原子炉を冷やす機能を維持できるのかなどが争点になった。判決は「(関電の対策は)確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに成り立つ脆弱なもの」と断じた。

 疑問の多い判決である。

 とくに想定すべき地震や冷却機能の維持などの科学的判断について、過去の判例から大きく踏み込み、独自の判断を示した点だ。

 判決は関電の想定を下回る揺れでも電源や給水が断たれ、重大事故が生じうるとした。地震国日本では、どんなに大きな地震を想定しても「それを超える地震が来ない根拠はない」とも指摘した。

 これは原発に100%の安全性を求め、絶対安全という根拠がなければ運転は認められないと主張しているのに等しい。

 国の原子力規制委員会が昨年定めた新たな規制基準は、事故が起こりうることを前提に、それを食い止めるため何段階もの対策を義務づけた。「多重防護」と呼ばれ、電源や水が断たれても別系統で補い、重大事故を防ぐとした。

 判決はこれらを十分考慮したのか。大飯原発は規制委が新基準に照らし、安全審査を進めている。その結論を待たずに差し止め判決を下したのには違和感がある。

 関電は判決を不服として控訴した。原発の安全性をめぐる科学的判断に司法はどこまで踏み込むのか、電力の安定供給についてどう考えるのか。上級審ではそれらを考慮した審理を求めたい。

 一方で、判決が住民の安全を最優先したことなど、国や電力会社が受け止めるべき点もある。安全審査が進むなか、住民の避難計画づくりが遅れている。安全な避難は多重防護の重要な柱だ。自治体の計画づくりを国が支援し、電力会社も説明を尽くすべきだ。


豊かさ、基本的人権、人格権

2014年05月24日 06時07分01秒 | 臼蔵の呟き

大飯地裁判決が示した倫理的、法的な影響力は、安倍、自民党政権、電力会社がどのよう弁明、策動しても、打ち消すことができない価値をもたらしました。安倍、自民党政権、原子力規制委員会、電力会社などが意識的に無視しようとしていることを見ても、その判断、判例の影響力の大きさは計り知れない価値を持っています。今後想定される原発再稼動に反対する世論、訴訟は、この福井地裁の判決を無視して、判決を出すことは出来なくなりました。必ず、今後出される判決は、福井地裁判決と比較検証されることになります。

福井地裁の判決は、憲法が示す基本的人権、人格権を論じており、その点で時空を超えた価値を持つものと思います。経済性、効率性などを前面にした安倍、自民党政権、電力会社の主張は倫理観、基本的人権、生存権などの点において次元が違うくらいレベルの相違を際立たせたのだと思います。彼らが恥ずかしくなるくらいの差があります。この判決は、圧倒的多くの国民の感情、意識を正当であるとし、社会的な常識を容認している点でも重要な判決でした。

<信濃毎日新聞:斜面>

豊かさとは何か。そんな問いを投げかける福井地裁の判決だった。大飯原発の再稼働を認めなかった理由の中で独自の「国富論」を掲げた。「原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても」に続き、こう述べる

   ◆
豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失だ―。「再稼働しないと年間3兆円の国富が流出する」とする経済界への反論である。原発事故による被害への深い認識がうかがえる

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福島の被災地は土とその恵みを失った。土壌を汚染した放射性セシウムは、キノコなどの菌類が吸収し、樹木も汚染する。長きにわたり汚染の循環が続く。森の除染は手が付かない。キノコや山菜は食卓から消え、田植えが終わっているはずの水田には、外来植物が生い茂っている

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作家の住井すゑさん(1902~97年)は著書「いのちに始まる」に書いている。日本には金で売買する土地はあるが「土」を失っている。それに外国人記者の指摘で気付いた―と。お金に換算できない価値を捨て、目先の利益のみを追う社会への警鐘だ

   ◆
原発事故は見直しを私たちに迫った。だが現実は経済至上主義に巻き戻しが進みつつある。関電はきのう高裁に控訴した。土の喪失を嘆く住井さんが掛け軸や色紙に好んで書いた言葉をかみしめたい。〈土 もののいのち ここに創(はじ)まる〉

 <琉球新報社説>大飯原発差し止め 命を最重視した判決だ

関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを訴えた訴訟で、福井地裁は関西電力に再稼働を認めない判決を言い渡した。
 安全を軽視し再稼働を優先させた政府と関電の判断を厳しく批判し、原発の安全神話を否定した。原発は「人格権より劣位に置かれるべきだ」と踏み込んだ。生命を最重視する歴史的な判決といえるだろう。

最大の争点は、耐震設計の目安となる地震の揺れ(基準地震動)を超える地震が起きた際、重要施設に影響が出るかどうかだった。
 判決は原発の安全性について司法が独自に判断する姿勢を打ち出し、個人の生命や身体、精神などの人格権を重視する方向性を明確に示した。その上で、基準地震動を超える地震が来ないという関電の主張を、国民の安全を優先せず「確たる根拠のない楽観的な見通し」と断じている。

原発の電力供給の安定性、経済性を主張する関電に対し、「多数の人の生存にかかわる権利と電気代の高い低いという問題を並べることは法的に許されない」と批判した。原発停止で多額の貿易赤字が増え国富喪失につながるという主張は、「豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富」だとして退けている。

福島原発事故を「わが国最大の環境汚染」と認定し、原発はCO2(二酸化炭素)排出削減につながるとする関電の主張を「甚だしく筋違い」と一蹴した。

説得力のある論理構成で関電の主張を全面的に否定した。重く受け止めるべき関電は判決を欠席した。不誠実ではないか。今回の判決は「想定を超える地震が来ないとは限らない」と全国の原発に共通する危険性を指摘している。係争中の裁判に影響を与えるだろう。現在、電力9社の11原発18基が原子力規制委員会の審査中だ。判決に耳を傾け、原発にしがみつく経営と決別すべきだ。
 今回の判決は、原発再稼働と輸出に前のめりな安倍政権に対する警告である。安倍晋三首相は真摯(しんし)に向き合い、原子力政策を見直すべきだ。原子力規制委員会の第三者機関としての存在意義も問われている。
 原発事故から3年が過ぎても、約13万人が避難生活を余儀なくされている。判決で指針とされた人格権が侵害され続けていることを忘れてはならない。原発のない社会の実現こそ福島の教訓だ。