大飯原発の差し止めを求める司法判断での福井地裁判決との質的な違いを際立たせる判決です。司法の役割、三権分立に対する裁判官の姿勢、責務への自覚のなさはいかんともしがたいレベルです。
アメリカ、アメリカ軍であろうとなかろうと違法なものは違法と判断すべきものです。そもそも、司法とは社会的な常識を基礎として構成されるべきものであり、時代の変化に応じて、司法判断が変化することは当然のことです。最高裁判断も含めて、現行法規にない性格の訴訟に対して、裁判官が判断し、その判例が法律の隙間、弱点を補強する役割を果たしてきたことは歴史的に事実です。権力者は、自らの政治判断、政権にとって有利な判決、判断を求めることは自明のことです。しかし、このような基地被害、騒音被害は国家の安全保障に関する事項であり、司法判断にはなじまないかの判断を回避するかの態度は、司法の役割を自覚しない判断と談じられても仕方がない。
政権が、住民の生活圏、騒音公害を無くすためにあらゆる行動をとることこそが求められているのだと。そのことを行わない政権は、正当性を持った政権とはいえないのだ。
<東京新聞社説>厚木基地判決 米軍に白旗で良いのか
自衛隊機の夜間飛行を差し止める-。神奈川県の厚木基地の騒音訴訟で、司法が初判断をした。だが、米軍機には“白旗”だった。住民の被害軽減のため、国は米国側と本腰で協議するときだ。
滑走路を中心とした厚木基地の周辺には、びっしりと住宅街が広がっている。ここに海上自衛隊と米海軍の飛行機が日々、離着陸を繰り返している。
基地から一キロ離れた住宅街でも、年間約二万三千回も騒音が響く。七〇デシベルの騒音が五秒継続する回数で、最高で一二〇デシベルの爆音だ。電車のガード下でほぼ一〇〇デシベルだから、騒音被害の大きさは理解されよう。睡眠は妨害されるし、会話も電話も、テレビを見るにも影響が出る。読書や子どもの学習にも…。あらゆる生活の妨げだ。健康被害も生むし、精神的にも苦痛を受ける。我慢する限度を超えている。
だから、一九七〇年代から始まった訴訟では、騒音被害を認め、損害賠償を命じてきた。問題は騒音がいつまでたっても解消されないことだ。今回は民事訴訟と同時に、行政庁の処分に不服を言う行政訴訟で争った。
横浜地裁はまず米軍機の差し止めは無理だとした。米国に対し、飛行をやめさせる根拠となる法令や仕組みがないためだ。だが、自衛隊機については、防衛相の権限がある。だから「午後十時から翌午前六時まで、航空機を運航させてはならない」などと断じた。
行政訴訟で飛行差し止めをかち得た意義は大きい。他の基地での騒音訴訟に影響を与えよう。でも、この判決で厚木基地の騒音が軽減されるわけではない。
関係自治体によると、米空母の艦載機が年間二百日程度、基地に離着陸する。戦闘攻撃機で最大一二〇デシベルの爆音を出す。海自はプロペラの哨戒機が中心で、最大九〇デシベルの騒音という。つまり、海自の飛行を差し止めても、もっとひどい米軍機の爆音はなくならない。もともと海自では騒音対策のため、夜間から早朝の飛行を自主規制している。判決は根本的な解決にならないわけだ。
米軍機については、まともな審理さえしていないだろう。司法は日米安保条約について判断から逃げ回ってきたからだ。
日米間の安全保障体制は重要だが、基地周辺に限らず、約二百万人が影響を受ける深刻な騒音問題である。政府は国民の健康と生活のために、真っ先に米国側と交渉すべきテーマである。