関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた21日の福井地裁の判決要旨は次の通り。
【主文】
大飯原発3、4号機を運転してはならない。
【福島原発事故】
原子力委員会委員長は福島第1原発から250キロ圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討し、チェルノブイリ事故でも同様の規模に及んだ。250キロは緊急時に想定された数字だが過大と判断できない。
【求められる安全性】
原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範に奪われる事態を招く可能性があるのは原発事故以外に想定しにくい。具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然だ。
【原発の特性】
原子力発電技術で発生するエネルギーは極めて膨大で、運転停止後も電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならない。その間、何時間か電源が失われるだけで事故につながり、事故は時の経過に従って拡大する。これは原子力発電に内在する本質的な危険である。
施設の損傷に結びつく地震が起きた場合、止める、冷やす、閉じ込めるという三つの要請がそろって初めて原発の安全性が保たれる。福島原発事故では冷やすことができず放射性物質が外部に放出された。
【大飯原発の欠陥】
地震の際の冷やす機能と閉じ込める構造に欠陥がある。1260ガルを超える地震では冷却システムが崩壊し、メルトダウンに結びつくことは被告も認めている。わが国の地震学会は大規模な地震の発生を一度も予知できていない。頼るべき過去のデータは限られ、大飯原発に1260ガルを超える地震が来ないとの科学的な根拠に基づく想定は本来的に不可能だ。
被告は、700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震への対応策があり、大事故に至らないと主張する。しかし事態が深刻であるほど、混乱と焦燥の中で従業員に適切、迅速な措置を取ることは求めることができない。地震は従業員が少なくなる夜も昼と同じ確率で起き、人員の数や指揮命令系統の中心の所長がいるかいないかが大きな意味を持つことは明白だ。
また対応策を取るには、どんな事態が起きているか把握することが前提だが、その把握は困難だ。福島原発事故でも地震がどんな損傷をもたらしたかの確定には至っていない。現場に立ち入ることができず、原因は確定できない可能性が高い。
仮にいかなる事態が起きているか把握できたとしても、全交流電源喪失から炉心損傷開始までは5時間余りで、そこからメルトダウン開始まで2時間もないなど残された時間は限られている。
地震で複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり、故障したりすることも当然考えられ、防御設備が複数あることは安全性を大きく高めるものではない。
原発に通ずる道路は限られ、施設外部からの支援も期待できない。
【冷却機能の維持】
被告は周辺の活断層の状況から、700ガルを超える地震が到来することは考えられないと主張するが、2005年以降、全国の四つの原発で5回にわたり想定の地震動を超える地震が到来している事実を重視すべきだ。
過去に原発が基準地震動を超える地震に耐えられたとの事実があっても、今後大飯原発の施設が損傷しないことを根拠づけるものではない。基準地震動の700ガルを下回る地震でも外部電源が断たれたり、ポンプ破損で主給水が断たれたりする恐れがある。その場合、実際には取るのが難しい手段が功を奏さない限り大事故になる。
地震大国日本で、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しだ。それに満たない地震でも冷却機能喪失による重大な事故が生じうるなら、危険性は現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設の在り方は、原発が有する本質的な危険性についてあまりに楽観的だ。
【使用済み核燃料】
使用済み核燃料は原子炉格納容器の外の建屋内にある使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれている。本数は千本を超えるが、プールから放射性物質が漏れた時、敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。
福島原発事故で、4号機のプールに納められた使用済み核燃料が危機的状態に陥り、この危険性ゆえ避難計画が検討された。原子力委員会委員長の被害想定で、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのはプールからの放射能汚染だ。使用済み核燃料は外部からの不測の事態に対し、堅固に防御を固めて初めて万全の措置といえる。
大飯原発では、全交流電源喪失から3日たたずしてプールの冠水状態を維持できなくなる危機的状況に陥る。国民の安全が優先されるべきであるとの見識に立たず、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しで対応が成り立っている。
人格権を放射性物質の危険から守るとの観点からみると、安全技術と設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しの下に初めて成り立つ脆弱(ぜいじゃく)なものと認めざるを得ない。
【国富の損失】
被告は原発稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり、議論の当否を判断すること自体、法的には許されない。原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の損失だ。
被告は、原発稼働がCO2(二酸化炭素)排出削減に資すると主張するが、福島原発事故はわが国始まって以来最大の環境汚染であり、原発の運転継続の根拠とすることは甚だしく筋違いだ。
司法が政権の判断、原子力エネルギー政策を批判し、差し止める司法判断を下しました。11年福島第一原発事故を受けての司法判断として重要な意味を持つ判断です。
この司法判断は、脱原発、原子力発電所の稼動反対の運動を見ての判断となっている点で、重要な判断です。司法は憲法、関連法案に沿った司法判断を行うことが当然です。しかし、時代の変化、流れというーー国情の変化、国民感情、社会的常識を意識して判断を行うことは妥当性を持った司法判断ということが出来ると思います。
第二は、三権分立が理念的にあっても有名無実化している中で、政治権力の行動を議会、司法が別の角度から機能することは民主主義国家にとっては非常に重要性をもつことを改めて示したのだと考えます。立地自治体の首長が許可すれば、再稼動できるとする現在の行政手続きがもつ制約と限界もしてきているのだと思います。
第三に、原発の経済性についても重要な判断を行ったことは安倍、自民党政権、電力会社にとって痛烈な批判となりました。原子力発電、電力が安い、経済的だとの宣伝に対しての司法判断は、国民の思い、常識とも合致する点で妥当性のある判断と思います。さらに、原発が環境対策に有効なエネルギー政策であるとの主張も退けている点も、重要な判断です。原子力発電所の存在こそが、環境破壊であると認定した点でも重要です。
<毎日新聞社説>大飯原発差し止め なし崩し再稼動への警告
福井県にある大飯原発3、4号機の運転差し止めを住民が求めた訴訟で、福井地裁は、関西電力に対し再稼働を認めない判決を出した。判決の考え方に沿えば、国内の大半の原発再稼働は困難になる。判決は、再稼働に前のめりな安倍政権の方針への重い警告である。
2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、差し止め訴訟で初めての判決だ。住民の生命や生活を守る人格権が憲法上最高の価値を持つと述べ、「大災害や戦争以外で人格権を広範に奪う可能性は原発事故のほか想定しがたい。原発の存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然」と結論付けた。
住民の安全を最優先した司法判断として画期的だ。福島第1原発事故で、250キロ圏内の住民に対する避難勧告が検討されたことから、大飯原発でもその圏内の住民に人格権侵害の恐れがあり、原告になれるという判断も示した。
関電側は控訴する方針で、上級審が改めて判断する。この地裁判決が確定しない限り、原子力規制委員会の安全審査に適合すれば運転再開は可能だ。だが、司法判断を無視し、政府が再稼働を認めれば世論の反発を招くだろう。
東日本大震災は、地震大国・日本に想定外の地震はないという現実を突きつけた。判決はそれを踏まえて、大飯原発3、4号機について、地震の際の冷却機能と放射性物質を閉じ込める構造に欠陥があると認めた。原発の持つ本質的な危険性に楽観的すぎ、安全技術や設備は脆弱(ぜいじゃく)だという判断だ。
訴訟で関電側は、再稼働が電力供給を安定させ、コスト低減につながると主張した。これに対し判決は「運転停止で多額の貿易赤字が出たとしても国富の流出や喪失というべきではない。豊かな国土とそこに根を下ろした国民の生活を取り戻せなくなることが国富の喪失だ」と退けた。
いったん原発事故が起これば、多数の住民の生命を脅かす。判決が「万が一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置を取らなければならない」と電力事業者側に強く求めたことも納得できる。
判決は「福島第1原発事故は最大の公害、環境汚染。環境問題を運転継続の根拠とすることは筋違いだ」とも断じ、原発の稼働を温暖化対策に結びつける主張を一蹴した。共感する被災者も多いのではないか。
安倍政権は、安全審査に適合した原発の再稼働を進める方針を示している。だが、震災を忘れたかのように、なし崩し的に運転再開しないよう慎重な判断をすべきだ。
<東京新聞社説> 大飯原発・差し止め訴訟 国民の命を守る判決だ
大飯原発の運転再開は認めません。昨日の福井地裁判決は、言い換えるなら、国民の命を守る判決ということだ。原発に頼らない国への歩みにしたい。
判決はまず、津波対策に比べて軽視されがちな地震の揺れの強さに着目し、「想定外」は許されないと言っている。
世界有数の地震国日本では、どんな大地震に大飯原発が襲われるか分からない。原発を冷やすシステムが破壊されない保証もない。一方、想定より弱い地震でも重大事故は起こり得るものだという。
要するに、「想定外」を恐れている。
◆いくつもの神話の否定
使用済み核燃料に関しても、放射性物質が漏れ出さないように閉じ込めることが可能な保管設備は存在しない、とも考える。さらに、大飯原発の安全技術と設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立つ脆弱(ぜいじゃく)なものだと断じている。
裁判官の前では関西電力の方に説得力がなかったわけである。
安全神話の完全な否定である。
原発の稼働が発電コストの低減になるという関電側の主張も退ける。極めて多数の人々の生存そのものにかかわる権利と、電気代が高い低いの問題とを並べて論じること自体、許されないと、怒りさえにじませているようだ。
経済神話の否定である。
そして、原発の稼働が地球温暖化の原因になる温室効果ガスの削減に寄与するという被告側の主張に対しては、福島原発事故はわが国始まって以来の環境汚染、甚だしい筋違いとまで言い切って、
環境神話も否定した。
3・11後もまだ残る原発神話を払いのけ、その素顔を国民の前にさらして見せたとすら、言えるだろう。
原発再稼働に走る政府はどう受け止めるのか。
国内の原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の設置許可を無効とした二〇〇三年の名古屋高裁金沢支部判決と、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた〇六年の金沢地裁判決だけだった。
福井、岐阜両県と近畿の住民が同じ3、4号機の差し止めを求めた仮処分裁判の抗告審で、大阪高裁は今月九日、「現時点では判断できない」と、訴えを退けた。
今回の判決は、福島の事故直後に当時の近藤駿介・原子力委員長が示した見解を踏まえ、原発から二百五十キロ圏内の住民は事故の被害を受ける恐れが強く、差し止めを求める権利があると、かなり広く認めている。
◆国民が普通に思うこと
3・11後、原発の停止や建設中止を求める訴訟が各地で起こされているが、司法の流れは本当に変わるのか。
関電はきっと控訴するだろう。差し止めの結論はもちろん、判決内容にも多々不服があるだろう。国は、これでは日本の経済が成り立たない、というかもしれない。
しかしよく考えてみてほしい。今回の地裁の判決理由は、普通の国民が普通に考えて思い至ることばかりではないか。
その考えの基底には、あの東日本大震災・大津波で引き起こされた福島原発の惨状、放射能汚染の怖さ、また安全神話と今は称される、事故の蓋然(がいぜん)性に固く目を閉ざしていたこと、などへの痛切な悔悟と反省とがある。
事故のあと、日本の原発行政は揺れに揺れた。当時の民主党政権下では、原発ゼロへの計画をいったんは決めながら、自民党への政権交代によって揺り返した。
先月、政府は原発をできるだけ減らすと言いながら、その実、原発をベースロード電源と位置づけ、事実上、原発頼みへとかじを切り直した。
原発に頼らないという道筋は、立地自治体などには経済活動の停滞や雇用の不安を生じさせる。それはもちろん理解せねばならない。そして、日本全体で考えるべきことだ。そういった不安を除きつつ、同時に原発政策を見直し、国民の生命・安全を守りぬこうとすることこそが、政治なのではないか。
◆福島の反省に立って
判決は、あらためて、福島の反省に立て、と言っているかのようである。
司法は、行政が行うことについて、もし基本的人権を危うくするようなら異議を唱えるものだ。その意味で、今回の判決は、当然というべきであり、画期的などと評されてはならないのだ。
経済性より国民の安全が優先されるというのは、これまで私たちが何度も唱えてきたことであり、未来への願いでもある。
それは大方の国民の思いと同じはずである。