“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

インド政権の変化と日本政治の比較

2014年05月17日 12時59分50秒 | 臼蔵の呟き

インドは選挙により、政権党が交代します。その次期政権に就く政党の党首がモデイ氏です。その彼が、アベノミクスと比較されています。インドの政治システムと日本は異なるので、簡単には比較できません。インドは宗教対立が政治に持ち込まれる環境にあり、その点での厳しさがあるようです。異教徒や、少数民族に対する攻撃、排他的な政治主張を利用する手法は国家を分断し、対立をあおる点で避けなければならない課題です。日本における安倍、右翼勢力の急進的な行動は批判し、封じ込めなければならない政治課題です。

<FT記事>インドのモデイ氏「寺よりトイレ」の誓いを貫け

九分通りインドの次期首相になるナレンドラ・モディ氏は、ふざけた言い回しをする。特に印象深い発言の中で、同氏は「寺よりトイレ」を支持すると宣言し、ヒンドゥー禁欲主義との強い関係を覆してみせた。国民会議派のある閣僚が口にした同じ言い回しは、モディ氏が率いるインド人民党(BJP)から激しい怒りを買った。BJPは、その発言は「宗教と信仰の基礎を破壊する」恐れがあると述べた。

 だが、BJPの指導部は、党の運命がいわゆる「モディ・ウエーブ」にかかっていることを理解し、自党の首相候補であるモディ氏が自分の言葉としてこのスローガンを使った時、ほとんど反対の声も上げなかった。

モディ氏はどんな首相になるか?

 インドは宗教的情熱に費やすお金を減らし、衛生にかけるお金を増やすべきだと言い切るモディ氏は、確かに正しい。

 2011年の国勢調査によると、インドの半数近くの世帯はトイレがなく、住民は屋外で排便せざるを得ない。インドでは、家にトイレがある人より、携帯電話を持っている人の方が多い。子供の4割が栄養失調に陥っている最大の原因は、食糧不足ではなく、お粗末な衛生状態だ。

 野火のようにインド全土に広がったモディ氏の魅力は、このような悲惨な状況を根絶する成長を生み出し、支持者たちを中流生活への軌道に乗せるという同氏の約束によるところが大きい

 ここに、モディ氏が首相に就任した場合の難問がある。

 首相就任は16日に発表される選挙結果でBJPが十分な票を確保できた時に初めて確定するが、彼は果たして、発展を優先し、雇用を与え、官僚主義を打破する指導者なのか? それとも、モディ氏はヒンドゥー民族主義のルーツに回帰し、概ね国民会議派の世俗的な原理原則によって形作られた国に宗派の目標を課すのだろうか?

日本の安倍首相との類似点

 モディ氏に問われていることは、経済不振を食い止めるというモディ氏のような選挙公約を掲げて首相の座に駆け上がった日本の国家主義者、安倍晋三氏にまつわる疑問と似ていなくもない。

 実際には、安倍氏は保守主義者と改革者の立場を両立させた。就任当初数カ月は、結果がまだ不透明な経済再生計画を導入することに費やした。その後は自身が抱く右派の思考にふけり、厳格な秘密保護法を成立させ、国家主義の神社に参拝することで、ただでさえ不安定な中国との関係を悪化させた。

モディ氏も、近隣諸国、特にパキスタンとの間で潜在的な問題を抱えている。だが、一義的な懸念は国内に関するものだ。つまり、同氏がヒンドゥー至上主義を煽り、インド国内の1億7500万人のイスラム教徒に対する不寛容の環境を生み出す、という懸念である。

 信仰心を追求するために妻を捨てた禁欲主義者のモディ氏に関する不安は、2002年にグジャラート州で起きた報復による虐殺だけに基づいているわけではない。当時、モディ氏はグジャラート州首相として、1000人以上(大半がイスラム教徒)が死ぬのをただ傍観したと批判された。

 より根本的な問題として、多くのリベラル派のインド人は、ヒンドゥー民族主義の大義に身を捧げる議会会派に根差す集団「民族義勇団」とモディ氏との関係に不安を抱いている。

 BJPのマニフェストは、ヒンドゥー教徒には神聖視されているが、一部のイスラム教徒は食べる牛を保護するという公約が盛り込まれている。

 また、ウッタル・プラデシュ州のモスク「バーブリー・マスジド」の跡地にヒンズー教のラーマ神を奉る寺院を再建することも目指している。バーブリー・マスジドは1992年に、このモスクは16世紀にムガル帝国の侵略者によって建造されたと考えるヒンドゥー教徒の手によって、大変な流血沙汰のさなかに破壊された。

 一方、モディ氏を支持する経済界エリート層の大半が共有する期待は、同氏はより善なる本性に耳を貸すというものだ。よく言われるのは、彼が成熟したということだ。グジャラート州は2002年以降、平和で、次第に繁栄している。もう1つ、よく言われるのは、独立した機構と連邦制度を持つインドは、決して1人の人間に支配されないというものだ。

 ある崇拝者の言葉を借りるなら、モディ氏は「たった1人の軍隊」かもしれないし、一部の人が極めて大きな魅力を感じるのは彼の果断な態度だ。だが、ある識者が言うように、「この国に独裁を敷くことはできない」という信頼感がある。

タイのタクシン元首相と似た魅力

 安倍氏との比較には、限度がある。モディ氏が持つ有権者への訴求力の2つ目の側面は、やはり扇動家で、政治的、経済的不満の波に乗って権力の座を手にしたタクシン・チナワット氏のそれの方によく似ている。

 クーデターで失脚した後、自主亡命しているタクシン氏は、2001年にタイ首相に選出された。同氏の主な支持基盤は、住民がバンコクのエリート層に無視されていると感じていた、比較的貧しい農村地帯の北東部だった。

モディ氏もまた、腐敗し、利己的な都市部エリートに対抗し、社会に取り残された人たちの意見を代弁すると主張している。

 同氏は紅茶屋台の店主の息子だという下位中流階級の地位を利用している。これまでのBJPの指導者と異なり、上位カーストのバラモン階級の出身ではない。モディ氏は、国民会議派のラフル・ガンジー氏のことを「シャーザーデ(皇太子の意)」と呼んであざ笑う。

トイレに専念し、寺院のことは僧侶に任せろ

 多くの人にとって、モディ氏の勝利はネール・ガンジー王朝の粉砕に当たる。作家のウィリアム・ダリンプル氏は、ネール・ガンジー王朝による独立後のインドの貴族的支配を「性感染民主主義」と呼んでいる。

 モディ氏は、インドの経済的な目覚めを遠くから垣間見てきた何百万人もの国民が抱く積もり積もった切望を呼び覚ました。また、狭義のヒンドゥー主義に基づくアイデンティティ政治の誕生を夢見る人たちにも希望を与えた。前者は歓迎すべきことだ。後者は断然、歓迎されない。モディ氏はトイレに専念し、寺院のことは僧侶に任せておくべきだ。


解散にらみの真剣勝負を

2014年05月17日 10時58分59秒 | 臼蔵の呟き

社説で、公然と解散総選挙を論じた社説です。その点では、価値のある主張、勇気ある社説であると思います。12年末の総選挙で自民党が政権に返り咲いたのは、自らが認めたように、民主党政権が公約違反を繰り返し、激しい国民からの糾弾の結果もたらされたものです。しかも、その結果は、小選挙区制度という選挙制度の欠陥から、過半数の得票を得なくても、相対的一位政党、政党候補が当選すると言う制度によって掠め取った議席です。はなはだしい場合は20%前後の得票率でも当選できることがあります。

このような民主党政権のでたらめな政権運営と、小選挙区制によって実現した安倍、自民党政権が全面的な国民からの信任を得たなどと豪語するのは思い上がりと、無知と無理解のなせる業です。だからこそ、多くの自民党新人議員は安倍、自民党中枢の政策提起、政権運営に何も抵抗できない、または、何が問題になっているのかすら、分からないのだと思います。日本の将来がこのことでどうなるかを考えること自身も彼らの頭脳には想像できないのかも知れません。

社説でいう野党も1くくりに出来るものでないことはあきらかです。国会の場では多数派、多数の議席が形式上の権限を有します。しかし、正義、将来における必要な政治経済の構造は、多数派である自民党の政策的、綱領であるとは限りません。そもそも、自民党は自らが保守と自認しているようにこの現時点での社会、新自由主義・市場万能論、大手企業優遇の政治経済構造を肯定しているのであり、変えたくないと考える代表的な政治集団です。したがって、このような保守勢力、政党から、日本の明るい未来、社会は郊あるべきであるとの展望、方向性が提起できるはずはないのだと思います。彼らは、歴史の歯車を逆転させ、明治憲法、明治・大正・昭和天皇の政治支配・軍国主義を是とする復古主義者たちです。その自民党から分離しているのが、維新の会、みんなの党、民主党であり、政権に参加していないだけで、政治理念は自民党と本質は同じなのでしょう。この関係が分かったのが、民主党政権の公約違反、民主党への国民的な批判でした。彼らに期待したところで何も閉塞感は、改善されるはずはありません。

憲法を改悪するような政権の策動は、それ自体で国民の信を問うことがぜったに必要な政治課題なのだとーーーこのことは正当性を持つ主張だと考えます。

<信濃毎日社説>解散にらみの真剣勝負を

 事実上の9条改憲とも言える安全保障政策の転換である。本来なら衆院を解散し、国民に信を問うことを考えていい場面だ。

 15日の首相記者会見では実際、解散するつもりはないかと問う質問が出た。 首相の答えは「前回の衆院選、また参院選でも、私は国民の生命、財産、領土、領海は守り抜くと申し上げてきた。国民との約束を実行に移していく」。国民の信認は既に得ている、との意味と受け取れる。

 自民党は確かに、選挙公約に集団的自衛権の行使容認を掲げてはいた。しかし有権者が選ぶことができるのは一塊になった政策の全体だ。公約の一つにしたことをもって国民の理解は得られていると主張するのは無理がある。

 自民党と公明党との与党協議が20日から始まる。協議を終えた上で行使容認を閣議決定し、秋の臨時国会に自衛隊法改正案、周辺事態法改正案など一連の法案を提出する―。政府が目指すスケジュールだ。

 この問題で問われているのは、事実上の改憲に道を開くかどうかの重大な政策判断だ。国の在り方を大きく変えるテーマである。行使容認の是非をめぐる本筋の議論は与党内で済ませ、国会には個別の法案の審議を求めても、実のある議論にはならない。国民の理解は得られないだろう。

 以上を踏まえた上で各党に注文する。まず公明党だ。

 創設以来掲げてきた「平和の党」の看板の真価がいま、問われている。政権に参加するときの連立合意に集団的自衛権の行使容認は含まれていなかったことも忘れてはならない。党の存在意義が懸かる場面と心得て、政権と向き合ってもらいたい。

 次に自民党である。歴代政権は9条と安全保障政策の折り合いを付けるのに苦労してきた。多様な党内意見の発露を許容し、最終的に包み込むことで長期政権を維持してきた党でもある。首相の独走をチェックできるか、党の懐深さも問われている。

 野党に目を向けると何とも頼りない光景が見えてくる。8党の姿勢はばらばらだ。中でも民主党は党内さえまとめきれていない。

 行使容認に対する国民の不安や懸念を丁寧にすくい上げ国会審議に反映させることを、野党は考えるべきだ。安倍政権の足元も必ずしも盤石とは言えない。秋の沖縄県知事選、来春の統一地方選など節目を的確にとらえ、世論を喚起する論戦を挑んでもらいたい。

集団的自衛権の行使容認に批判と評価 新聞各紙社説 論調に差

 安倍晋三首相が与党に検討を求めた集団的自衛権の行使容認とそのための憲法解釈変更について、16日の朝刊各紙の社説は論調が分かれた。

 北海道新聞は「日本の安全を危うくする」との見出しで「改憲するに等しく、憲法で権力に縛りをかける立憲主義を無視している」と指摘した。

 朝日新聞は「法治国家の看板を下ろさなければいけなくなる」と批判。「限定容認論」についても「戦争に必要最小限はない」と実効性を疑問視した。毎日新聞は「行使できるようにしたいというなら、憲法9条改正を国民に問うのが筋だ」と論じた。

 東京新聞は「『戦争する』権利の行使を今、認める必要性がどこにあるのか」と強調。沖縄県の琉球新報は、集団的自衛権を行使して米国の軍事行動と連携した場合、米軍基地が集中する沖縄が攻撃対象となる危険性が高まると指摘した。

 一方、明確に賛成したのは読売新聞と産経新聞。読売新聞は、北朝鮮の核実験など日本を取り巻く安全保障環境が変化していることを挙げ、「方向性を支持したい」と表明。産経新聞は「行使容認によって抑止力が向上する効果を生む」と評価した。<北海道新聞5月17日朝刊掲載>


対談 安倍政権と「保守」

2014年05月17日 06時00分52秒 | 臼蔵の呟き

わけの分からないような対談ですが、長谷川三千子がどのような主張、思想の持ち主かが少しは見ることができる対談です。彼女は、右翼団体が精神的な支柱とする人物の一人です。安倍の全面的バックアップを行う人物です。靖国神社問題の見解、発言などを見るとよく分かります。

この議論で分かることは、日本軍が起こした侵略戦争、中国、朝鮮への侵略戦争を善としている考え方からすべての点が出発していることが伺えます。また、自らの起こした侵略戦争を敗戦国という立場で論じ、戦勝国が一方的に裁判、断じている点を受け入れることができないとする安倍、自民党、右翼勢力、維新の会、みんなの党などの主張と重なっています。彼女が彼らの精神的支柱であるから当然のことですが。このような考え方は国際的に受け入れられることはないのだと。英語で話し、説明するかどうかの問題ではありません。彼らのごまかしと論理のすり替えには辟易します。日本、ドイツが起こした戦争、侵略戦争が間違っていた。そのことは日本から見ても、日本以外から見ても、連合国から見ても間違っているのです。

<毎日新聞論点>対談 安倍政権と「保守」

 安倍晋三内閣は本格政権の道を歩んでいる。しかし、「戦後レジームからの脱却」を掲げる政治路線には、国内の保守勢力からも批判が出る。安倍政権と「保守」の関係は。従軍慰安婦問題の解決を目指し設立されたアジア女性基金の呼びかけ人・理事を務めた大沼保昭・明治大特任教授と安倍首相の助言者である長谷川三千子・埼玉大名誉教授に対談してもらった。

 ◇公正な戦後システムを−−長谷川三千子・埼玉大名誉教授

 ◇失われた「知恵」取り戻せ−−大沼保昭・明治大特任教授

 −−10年前、大沼先生の従軍慰安婦問題のゼミに、長谷川先生ほか「左右」の論客や政策当事者たちを招きました。立場の違う人が正対して議論することは非常に重要です。お互いの印象と、この対談の意義をどう考えますか。

 長谷川 大沼先生は、欧州に行くと名前表記を「ヤスアキ・オオヌマ」と書かれてしまうことに抗議し、「オオヌマ・ヤスアキ」と書くよう孤軍奮闘で主張していました。とても新鮮かつ理にかなった主張で、ここに日本の侍あり、と思いました。

 大沼 国民の多くは右対左という単純な図式に収まらないのに、メディアや一部の知識人がその図式で説明するのはおかしい。安倍政権に近いとされる長谷川さんと対談するとどうなるか興味があります。

 −−最近の日中関係をどう分析しますか。

 大沼 保守主義の知恵がどんどん失われ、危うい状況です。日本と中国が相互に別次元で被害者意識を募らせ、相手が悪いと思い込んでいる。

 長谷川 それはちょっとナイーブ過ぎるのでは。中華人民共和国は、宣伝戦が大きな力になると知っていて、ことあるごとに「日本は戦争犯罪をした国だ」と宣伝しています。感情的な反日ではなく、日本が悪者に位置づけられていれば、多少の国際法違反をしても世界を納得させられる、という冷徹な戦略があります。

 大沼 以前の中国の宣伝は、共産主義によるレベルの低いものでした。しかし19世紀までは巨大な文明大国で、高度なソフトパワーを操る潜在的能力がある。そうした隣国の「富国強兵」路線がしばらく続くことを覚悟しなければなりません。

 長谷川 だからこそ、彼らが何を狙いどう仕掛けてくるのか専門家が分析し、布石を打つことが大切です。

 −−戦前の日本も攻撃的な側面がありました。どう違いますか。

 長谷川 明治以来の日本の富国強兵は、新しいものを取り入れていく知識欲、好奇心と一緒になったものでした。このままでは植民地にされるという危機感とともに、自助努力で経済力もつけないといけないという認識が根本にありました。

 大沼 日本が勃興してくると欧米列強は警戒し、排日運動も激化しました。日本では有色人種と軽蔑されることへの憤激が生じる一方、欧米列強は日本を追い詰め、日本国内の国際協調派の立場を弱めてしまった。今日の中国に対する諸国の姿勢にも通じる歴史の教訓です。

 長谷川 20世紀終わりから一国の経済を政府がコントロールすることが難しくなっていますが、一党独裁の国では比較的簡単です。中国が経済力をつけたのは、共産主義と資本主義が結びついた、一党独裁なるが故の成功とも言えます。

 大沼 中国は、揺り戻しはあっても長期的には経済超大国化するでしょう。共産党権力と中国型資本主義とは今はうまくいってますが、長期的には豊かな生活と自由を求める民衆の力に政治体制は抗し得ない。

 −−靖国参拝が中韓の反発を受けた。安倍政権の姿勢をどう見ますか。

 長谷川 一番注目しているのは第1次政権の時から掲げていた「戦後レジームからの脱却」です。私自身は、これは世界の「戦後レジーム」を問い直すことから始めるべきだと思っています。第一次大戦後も第二次大戦後も、必ず敗者が戦争責任を問われ、戦勝国は一切罪に問われない。果たしてこれが平和を実現するシステムと言えるのでしょうか。

 大沼 第二次大戦後、原爆投下やソ連の戦争犯罪行為を裁かなかったのは、正義・公平の観点から不当ではある。他方、第一次大戦後のドイツに対する戦争責任の追及があまりにも厳しかったため、ナチスが権力を握るという反動を生みました。連合国は第二次大戦後、その教訓から日独の責任を厳しく追及しなかった。日本が中国や東南アジアでやったことに比べれば、随分寛大な講和でした。

 長谷川 そう感じるのが大多数の良識的な日本人なので、いろんなところで謝っています。そうして謝ること自体が「勝てば官軍」の世界システムを補強してしまいます。

 大沼 戦勝国が責任を追及したのは一部の軍国主義的指導者であって、日本が犯罪国家とされたわけではない。日本国民の立場から見ても、彼らは310万の国民を死なせてしまった指導者です。

 長谷川 「指導者責任観」の考えですね。しかし、戦争は何人かの頭脳だけで起こるものではありません。

 大沼 だからこそ、日本国民が総体として戦ったという自覚を、日本国民は引き受けるべきです。

 長谷川 引き受けると、日本人は美しい心から、謝罪の言葉が抵抗なく出てきます。しかし、負けた国だから謝罪は当然だとされる構造そのものに目を向ける必要があります。

 大沼 戦争は法的には講和でおしまいですが、殺された側には恨みの感情が残ります。なのに日本は、1980年代までその自覚がなかった。憲法第9条は、その代わりに日本のやった戦争は誤りでした、戦後は平和を守りますというメッセージを出してきました。ところで、安倍首相の靖国参拝に米国が「失望した」と表明し、首相周辺の政治家が「失望したと言ったこと自体に失望した」と返したことをどう思いますか。

 長谷川 私だったら逆に謝りますね。靖国神社の本質について、日本は世界に伝える努力をほとんどしてこなかった。神社は清めの領域であり、A級戦犯を崇拝して戦争の誓いを立てる領域ではない。それをきちんと伝えてこなかったから「失望」という言葉が出る。そのことを大反省しています、というおわびです。

 大沼 そもそも主要戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社が過ちを認めるべきです。合祀後は分祀できないという解釈を掲げて国民全体に大きな迷惑を掛け続けています。

 −−学者の果たすべき役割は。

 大沼 学者は世間の常識を揺さぶるもの。それが基本。ただ、政策に関わる場合は学問を踏まえた「知恵」が大事になってくる。

 長谷川 私もわざと違うことを言おうとしているわけではなく、理屈にかなったプロセスで考えを進め、気付くと世間の常識とは違うところに来ている、ということです。

 大沼 私は一般に「左」とされてきましたが、保守主義の知恵は一貫して高く評価してきました。社会党や進歩的文化人は、実は経済大国=軍事小国路線の自民党とともに戦後体制を支える「保守」だったのです。他方、保守主義の知恵が自民党からも保守的なメディアからも失われつつあります。これは深刻な問題です。中国との過度の対立から対米依存が深まらざるを得ない状況になっています。

 長谷川 そこは今も変わりません。しかし、とにかく自己を見失ってしまった「保守主義者」というものは、悪い冗談でしかありません。

 大沼 私は国際社会で、日本を理解してもらうため発言を続けてきました。捕鯨の問題にしても、日本は欧米中心の文化ではなく多様な文化を尊重するという観点から、発信し続けるべきでした。内弁慶外みその態度では世界に通じない。

 長谷川 本当に同感です。そのためにも、発信する気持ちと語学力が一体になった人間を育成しないといけないと痛感します。また、海外に発信する時には、意見も国籍も違う人たちに心を開き、前向きに明るく議論する心構えも大事です。

 −−若い人は戦時中のことを謝れと言われ、ヘイトスピーチが不満のはけ口になっています。若い世代に歴史問題をどう伝えるべきですか。

 長谷川 まず何よりも、歴史的事実に自信を持って探求することが大切です。自信がないからヘイトスピーチが生まれます。安倍首相はヘイトスピーチ的なものの対極に位置し、韓国の人とも繁栄を分け合いたいという「和」の精神で貫かれている。首相自身の発するメッセージに若い人も耳を傾けてもらいたい。

 大沼 自分への反省でもあるのですが、日本の侵略戦争を反省すべきことだと、自明のように言っている部分を丁寧に説明しないと、若い世代には届かない。マスコミへの不信感も強く、マスコミの徹底した自己批判が特に重要だと思います。

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 ◇「戦後レジームからの脱却」 

 安倍首相は06年9月に第1次政権を発足させた当時から「戦後レジームからの脱却」を掲げる。戦後に作られた体制(レジーム)のうち、時代に合わなくなったものを改革することを指し、首相は憲法改正が柱と明言。現在、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認を目指している。

 ■人物略歴

 ◇はせがわ・みちこ

1946年生まれ。東京大大学院人文科学研究科修士課程修了。哲学、日本文化論専攻。NHK経営委員。著書に「からごころ」「民主主義とは何なのか」。

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 ■人物略歴

 ◇おおぬま・やすあき

1946年生まれ。国際法専攻。東京大教授を経て09年から現職。著書に「『慰安婦』問題とは何だったのか」「東京裁判・戦争責任・戦後責任」「戦後責任」。