インドは選挙により、政権党が交代します。その次期政権に就く政党の党首がモデイ氏です。その彼が、アベノミクスと比較されています。インドの政治システムと日本は異なるので、簡単には比較できません。インドは宗教対立が政治に持ち込まれる環境にあり、その点での厳しさがあるようです。異教徒や、少数民族に対する攻撃、排他的な政治主張を利用する手法は国家を分断し、対立をあおる点で避けなければならない課題です。日本における安倍、右翼勢力の急進的な行動は批判し、封じ込めなければならない政治課題です。
<FT記事>インドのモデイ氏「寺よりトイレ」の誓いを貫け
九分通りインドの次期首相になるナレンドラ・モディ氏は、ふざけた言い回しをする。特に印象深い発言の中で、同氏は「寺よりトイレ」を支持すると宣言し、ヒンドゥー禁欲主義との強い関係を覆してみせた。国民会議派のある閣僚が口にした同じ言い回しは、モディ氏が率いるインド人民党(BJP)から激しい怒りを買った。BJPは、その発言は「宗教と信仰の基礎を破壊する」恐れがあると述べた。
だが、BJPの指導部は、党の運命がいわゆる「モディ・ウエーブ」にかかっていることを理解し、自党の首相候補であるモディ氏が自分の言葉としてこのスローガンを使った時、ほとんど反対の声も上げなかった。
モディ氏はどんな首相になるか?
インドは宗教的情熱に費やすお金を減らし、衛生にかけるお金を増やすべきだと言い切るモディ氏は、確かに正しい。
2011年の国勢調査によると、インドの半数近くの世帯はトイレがなく、住民は屋外で排便せざるを得ない。インドでは、家にトイレがある人より、携帯電話を持っている人の方が多い。子供の4割が栄養失調に陥っている最大の原因は、食糧不足ではなく、お粗末な衛生状態だ。
野火のようにインド全土に広がったモディ氏の魅力は、このような悲惨な状況を根絶する成長を生み出し、支持者たちを中流生活への軌道に乗せるという同氏の約束によるところが大きい。
ここに、モディ氏が首相に就任した場合の難問がある。
首相就任は16日に発表される選挙結果でBJPが十分な票を確保できた時に初めて確定するが、彼は果たして、発展を優先し、雇用を与え、官僚主義を打破する指導者なのか? それとも、モディ氏はヒンドゥー民族主義のルーツに回帰し、概ね国民会議派の世俗的な原理原則によって形作られた国に宗派の目標を課すのだろうか?
日本の安倍首相との類似点
モディ氏に問われていることは、経済不振を食い止めるというモディ氏のような選挙公約を掲げて首相の座に駆け上がった日本の国家主義者、安倍晋三氏にまつわる疑問と似ていなくもない。
実際には、安倍氏は保守主義者と改革者の立場を両立させた。就任当初数カ月は、結果がまだ不透明な経済再生計画を導入することに費やした。その後は自身が抱く右派の思考にふけり、厳格な秘密保護法を成立させ、国家主義の神社に参拝することで、ただでさえ不安定な中国との関係を悪化させた。
モディ氏も、近隣諸国、特にパキスタンとの間で潜在的な問題を抱えている。だが、一義的な懸念は国内に関するものだ。つまり、同氏がヒンドゥー至上主義を煽り、インド国内の1億7500万人のイスラム教徒に対する不寛容の環境を生み出す、という懸念である。
信仰心を追求するために妻を捨てた禁欲主義者のモディ氏に関する不安は、2002年にグジャラート州で起きた報復による虐殺だけに基づいているわけではない。当時、モディ氏はグジャラート州首相として、1000人以上(大半がイスラム教徒)が死ぬのをただ傍観したと批判された。
より根本的な問題として、多くのリベラル派のインド人は、ヒンドゥー民族主義の大義に身を捧げる議会会派に根差す集団「民族義勇団」とモディ氏との関係に不安を抱いている。
BJPのマニフェストは、ヒンドゥー教徒には神聖視されているが、一部のイスラム教徒は食べる牛を保護するという公約が盛り込まれている。
また、ウッタル・プラデシュ州のモスク「バーブリー・マスジド」の跡地にヒンズー教のラーマ神を奉る寺院を再建することも目指している。バーブリー・マスジドは1992年に、このモスクは16世紀にムガル帝国の侵略者によって建造されたと考えるヒンドゥー教徒の手によって、大変な流血沙汰のさなかに破壊された。
一方、モディ氏を支持する経済界エリート層の大半が共有する期待は、同氏はより善なる本性に耳を貸すというものだ。よく言われるのは、彼が成熟したということだ。グジャラート州は2002年以降、平和で、次第に繁栄している。もう1つ、よく言われるのは、独立した機構と連邦制度を持つインドは、決して1人の人間に支配されないというものだ。
ある崇拝者の言葉を借りるなら、モディ氏は「たった1人の軍隊」かもしれないし、一部の人が極めて大きな魅力を感じるのは彼の果断な態度だ。だが、ある識者が言うように、「この国に独裁を敷くことはできない」という信頼感がある。
タイのタクシン元首相と似た魅力
安倍氏との比較には、限度がある。モディ氏が持つ有権者への訴求力の2つ目の側面は、やはり扇動家で、政治的、経済的不満の波に乗って権力の座を手にしたタクシン・チナワット氏のそれの方によく似ている。
クーデターで失脚した後、自主亡命しているタクシン氏は、2001年にタイ首相に選出された。同氏の主な支持基盤は、住民がバンコクのエリート層に無視されていると感じていた、比較的貧しい農村地帯の北東部だった。
モディ氏もまた、腐敗し、利己的な都市部エリートに対抗し、社会に取り残された人たちの意見を代弁すると主張している。
同氏は紅茶屋台の店主の息子だという下位中流階級の地位を利用している。これまでのBJPの指導者と異なり、上位カーストのバラモン階級の出身ではない。モディ氏は、国民会議派のラフル・ガンジー氏のことを「シャーザーデ(皇太子の意)」と呼んであざ笑う。
トイレに専念し、寺院のことは僧侶に任せろ
多くの人にとって、モディ氏の勝利はネール・ガンジー王朝の粉砕に当たる。作家のウィリアム・ダリンプル氏は、ネール・ガンジー王朝による独立後のインドの貴族的支配を「性感染民主主義」と呼んでいる。
モディ氏は、インドの経済的な目覚めを遠くから垣間見てきた何百万人もの国民が抱く積もり積もった切望を呼び覚ました。また、狭義のヒンドゥー主義に基づくアイデンティティ政治の誕生を夢見る人たちにも希望を与えた。前者は歓迎すべきことだ。後者は断然、歓迎されない。モディ氏はトイレに専念し、寺院のことは僧侶に任せておくべきだ。