集団的自衛権行使容認派の主張の特徴は、憲法の立憲主義に関する見解をほとんどが触れないことです。憲法は権力者、時の権力がその都度、改変し、国の構造、行く末を混乱に貶めないことを定め、縛る考え方です。ではなぜ、立憲主義なるものが歴史の発展の中から出てきたのか?それは、ドイツ、日本などの政治指導部が自らの野望を達成するために、法律を勝手に解釈、無視、都合のよい法律を作ることによって、他国の侵略、自国国民を弾圧し、批判を封殺したことに対する教訓からです。
第二に、北朝鮮の核開発、軍事的な挑発、中国の尖閣列島などでの対応、アフリカでの日本企業への襲撃などを題材として、領土の保全、日本企業の保護のためには軍事力が必要だと訴えている点です。領土問題は国家間の争いになり、軍事衝突を招くような重大な課題です。しかし、尖閣列島の問題は、対最近発生した問題ではありません。何十年も前から存在していた問題であり、自衛隊を国軍化し、戦争を出来る国でなければ対応ができない問題ではありませんでした。北朝鮮の問題は、中国、アメリカ、韓国なども含めて話し合いが継続的にされる問題であり、日本だけが単独で軍備増強、戦争に訴えるような緊急性も、その必要性もあるような問題ではありません。また、北朝鮮は内部でも国民の食糧不足、政治体制への批判があり、脱国者が相次いでいる国です。このような国家が、日本のような国にとって脅威になるはずがありません。2つの事例は、安倍、自民党、維新の会、右翼勢力が日本を軍国主義化、自衛隊を国軍として、海外派兵、戦争できる軍隊と国家にしただけの口実に過ぎないことが分かります。
第三は、憲法に欠陥、問題があると言うのであれば、憲法の改正条項に基づく、改定議論と手続きがあることに触れていない点です。解釈改憲で、既成事実を積み上げ、国民の政治意識を麻痺させて、なし崩し的に憲法の空文化を進めることが都合よいからにほかなりません。また、彼らの多くは国民主権を認めていない、主権者である国民が憲法の改定を望んでいるとは考えていないからでもあります。簡単に言えば、改定の手続きを行っても、明文改憲は困難であると考えているからです。この点は、自民党の担当部署である船田氏自らが姑息な方法と発言していることからも分かります。
第四は、安倍、自民党、右翼勢力の最大の問題は、時代の変化を受け入れて、紛争を武力で解決しない。紛争は話し合いで解決する。そのことを理解でないことです。国連の果たす役割を理解し、より国際社会において日本が主体的に役割を果たすことは戦争できる国になり、自衛隊が武器を使用し、派兵すること。そのことを海外の多くの国が支持することなどはありません。周辺国が日本の軍国主義化、軍事大国化することを懸念していることを見てもあきらかです。また、世界最大の軍事力を誇るアメリカでさえもイラク戦争、アフガン戦争から撤退、紛争解決において紛争解決はおろか、投入した軍隊の徹底(終息)すら出来ないでいることを見てもあきらかです。また、テロとの闘いと称して軍事攻撃を強めたことで逆にテロ事件が増加、テロに巻き込まれる国が増加していること、宗教対立を激化させているだけです。
<信濃毎日新聞社説>安保をただす 集団的自衛権 情緒論に流されまい
安全保障をめぐる法整備について与党協議や政府の検討が本格化する。今後の議論を見ていく上で二つの点に気を付けたい。
一つは、検討課題となる事例の中に集団的自衛権とは関係のないものが含まれていること。二つ目は、「国民を救えなくていいのか」といった情緒的な訴えが前面に出る危うさだ。
国連平和維持活動(PKO)に参加中の自衛隊は、武装集団に襲撃された日本の非政府組織(NGO)関係者らから救援を求められても、現状では駆け付けて助けることができない―。そう聞かされ、「集団的自衛権は必要だ」と思った人がいるかもしれない。記者会見で安倍晋三首相がパネルを使って説明した「駆け付け警護」といわれる事例だ。
安倍政権による安保政策見直しには、さまざまなテーマが混在している。大きく分けると、(1)集団的自衛権(2)集団安全保障(3)グレーゾーン対処―の三つになる。
(1)は、米国などが攻撃を受けたときに日本が反撃することだ。(2)は、他国を侵略した国に対して国連加盟国が団結して制裁を加えることをいう。(3)は、武装集団による離島占拠への対応など日本の防衛に関わるものだ。
駆け付け警護は、国連の活動という点で(2)に関わる。PKO協力法の武器使用基準の問題だ。慎重な議論が必要なのは当然だが、これまでの政府の憲法解釈をひっくり返す集団的自衛権の行使容認とは関係ない。
テレビで見て勘違いした人たちがいてもおかしくない。集団的自衛権が会見の最大の関心事だったからだ。首相から、別問題だという丁寧な説明はなかった。
首相のもう1枚のパネルは、紛争が起きた国から日本人を輸送する米艦船が攻撃されても今は守れないと説明していた。幼い子を抱く女性などが描かれた。国民を守るための集団的自衛権だと印象付けたかったのだろう。こうした事態がどの程度、現実に起こり得るのか、吟味する必要がある。あったとしても、日本人が乗っていることから日本への攻撃とみなして個別的自衛権で対応できるとの見方もある。
「会見をご覧になっている皆さんのお子さんやお孫さんがこうした立場になるかもしれない」。首相は、そう呼び掛けた。非現実的な想定や情に訴える説明に乗せられないよう、冷静に見極めたい。
<毎日新聞:時代の風>憲法解釈の変更 中西寛
決断をすべきとき
集団的自衛権や国連平和維持活動(PKO)での自衛隊の活動範囲に関する憲法解釈の変更が政治の焦点となっている。確かにこれは重要な問題であり、大いに議論されてしかるべきであろう。自衛隊の活動範囲の拡大はリスクの増加につながりうるが、他方で他国からの支援も強化してリスクの低減にもつながりうる。重要なことは、この問題を法的視点からだけでなく、政治外交的視点からも理解し、判断することである。
そもそも日本国憲法が第二次世界大戦が終わった直後の1946年に制定されたのが問題の始まりであった。当時は、創設されたばかりの国連の下で国連軍が設置され、集団安全保障が十分に機能するとまだ信じられていたのである。加えて、敗戦国日本に再軍備が許される見込みはなく、国民もそれを望まなかった。憲法9条で非武装規定する一方で、憲法前文では、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するとしたのはこのためである。
しかし同時に、前文には、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」とある。国連に加入したあかつきには、日本が集団安全保障に積極的に関与すべきことを説いた趣旨と考えられる。
周知のように、国連軍は設置されず、期待されたような集団安全保障は実現しなかった。それが今日に至るまでの「現実」である。日本はその現実と憲法の理念の懸隔を曖昧にしながら生きてきた。この点が同じ敗戦国だったドイツとの違いである。冷戦で東西に分裂したドイツは、その現実の中で憲法ないし基本法を制定し、50年代に東西ドイツはそれぞれ再軍備を行ったが、それは北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構の一員としてであった。いわばドイツは、個別的自衛権の行使を放棄し、集団的自衛権の行使のみを前提としていた。
冷戦終結後、日本と同じように湾岸戦争で役割を果たせなかったと感じたドイツは、PKOへの参加を開始し、更にNATOの枠組みでの域外派遣を議論するようになった。94年には憲法裁判所の決定によって域外派遣を合憲とする判断を下し、ドイツ軍はNATOの枠組みでコソボ空爆やアフガニスタンでの活動に参加した。
歴史はドイツにとっても厳しい選択を幾度となく迫ってきたが、少なくとも現実と法が歩みをそろえて国民的な決断をしてきた。対して日本では、理想と現実の乖離(かいり)を意識する前に制定された憲法を変えないまま今日に至っている。また、ドイツのような憲法裁判所はなく、憲法解釈の最終的権威は最高裁判所である。
しかし、外交安保問題で最高裁は政治の裁量を広く認めて、法的判断を抑制してきた。これも一つの見識だが、解釈の変更で対応すべきか、改正が必要なのかが問われる時には困ってしまう。59年の砂川事件に関する最高裁判決は「古証文」とされるが、そこまでさかのぼらないと参考にすべき最高裁の判断がない以上、この判決に言及するのはむしろ当然だ。
理想的すぎる憲法の文言からも、国連憲章を含めた国際法からも、現代の安全保障の課題に対する完全な答えは引き出せず、慣行の積み重ねと判断力によるほかない部分がある。集団的自衛権不行使の法理も、政府が明言するようになったのは70年代以降であり、それ以前には留保がついていた。「自国のことのみに専念してはならない」という憲法前文からしても、日本周辺での日米共同行動や平和維持活動での他国との協力などを憲法が排除しているとは考えられない。
かたくなな反対論は、「鎖国は祖法」として攘夷(じょうい)を説いた幕末のことを思い出させる。実は鎖国という言い方そのものがその頃に広まったもので、祖法ではなく、そう思い込みたかっただけの事である。
不安定な北朝鮮や軍事的に台頭する中国に対して、国際協力を強化するための決断をすべき時だと私は考える。