憲法を解釈により、内容を空文化することは許されない。これは、独裁者が該当国の憲法を無視して、独裁政治、侵略戦争に進むときに用いる手法であることは過去において指摘されてきました。ドイツのナチスヒトラーが行った事例、ワイマール憲法を機能停止にし、非常大権を使って、政治弾圧と、戒厳令を引き、侵略戦争に進んだことを見ればあきらかです。その手法を安倍、彼の私的諮問機関メンバーも良く知っているのだと思います。彼らの姑息さはこの社説が示すとおりです。多くの学者、憲法学者が違憲だ、違法性があると指摘しているにも関わらず、その忠告、指摘を無視してこのような答申を「出来レース」で出したことは彼らが正式の法的手続きを行い、彼らが狙う9条の改定は国民的理解が得られないことを良く知っているからだと考えられます。
胡散臭い答申書、政権の忠実な僕などがしたり顔で、国家の最重要課題についての見解を出したこと。その答申が正当性を持ち、憲法を越えるような真実、真理であるかのような扱いをするところに安倍、自民党政権の姑息さ、反国民性があります。
軍事力の強化により、平和が維持、守られるかの安倍、自民党政権の政治姿勢は、歴史の事実とは全く相反する見解です。第一次大戦、第二次大戦は多くの国家の社会基盤を破壊し、多くの人間、非戦闘員を死に追いやりました。このことを見ただけでも彼らが言う積極的平和主義なるものが欺瞞に満ちた宣伝であることはあきらかです。
このような安倍、自民党が政権を担当する政治が如何に危険であるかはあきらかであり、このような政権は打倒する必要があり、総選挙により国民の信を問うべきです。
<東京新聞社説>集団的自衛権報告書 行使ありきの危うさ
「出来レース」の誹(そし)りは免れまい。安倍晋三首相に提出された報告書を「錦の御旗」に、集団的自衛権の行使容認に踏みきることなど断じて許されない。
報告書を提出したのは“有識者”らでつくる「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」だ。第一次安倍内閣で設けられ、第二次内閣でも再開された安倍首相の私的諮問機関である。
報告書では、政府が憲法違反としてきた「集団的自衛権の行使」を認めるよう、憲法解釈の変更を求めた。集団的自衛権の行使も「自衛のための必要最小限度」の枠内という理屈だ。
◆大国の介入を正当化
集団的自衛権とは例えば、米国に対する攻撃を、日本が直接攻撃されていなくても反撃する権利である。政府は国際法上、権利を有しているが、その行使は憲法九条で許される実力行使の範囲を超える、との立場を堅持してきた。
この権利は、報告書が指摘するように、一九四五年の国際連合憲章起草の際、中南米諸国の求めで盛り込まれた経緯がある。安全保障理事会の常任理事国に拒否権が与えられ、発動されれば国連の安全保障措置が機能しない懸念があるとして、中小国が集団で防衛し合う権利を認めさせたのだ。
しかし、国連に報告された行使の事例をみると、米国などのベトナム戦争、旧ソ連のハンガリー動乱やプラハの春への介入など、大国による軍事介入を正当化するものがほとんどだ。このような「戦争する」権利の行使を今、認める必要性がどこにあるのか。
中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発が現実的な脅威だとしても、外交力を駆使して解決するのが筋ではないのか。軍事的な選択肢を増やしたとしても、軍拡競争に拍車を掛ける「安全保障のジレンマ」に陥るのが落ちだ。
◆正統性なき私的機関
戦争放棄と戦力不保持の憲法九条は、第二次世界大戦での三百十万人に上る尊い犠牲の上に成り立つことを忘れてはなるまい。
その九条に基づいて集団的自衛権の行使を認めないのは、戦後日本の「国のかたち」でもある。
一九八一年に確立したこの憲法解釈を堅持してきたのは、ほとんどの期間政権に就いていた自民党中心の歴代内閣にほかならない。憲法解釈自体は内閣法制局が担ってきたが、国民に選挙で選ばれた国会議員と政府が一体で三十年以上積み上げ、国会での長年の議論を経て「風雪に耐えた」解釈でもある。それを一内閣の判断で変えてしまっていいはずがない。
もし、集団的自衛権を行使しなければ、国民の命と暮らしを守れない状況が現実に迫りつつあるというのであれば、衆参両院での三分の二以上の賛成による改正案発議と国民投票での過半数の賛成という九六条の手続きに従い、憲法を改正するのが筋である。
そうした正規の手続きを経ない「解釈改憲」が許されるのなら、憲法は法的安定性を失い、憲法が権力を縛るという立憲主義は形骸化する。それでは法の支配という民主主義国家共通の価値観を、共有しているとは言えない。
安保法制懇のメンバー十四人は外務、防衛両省の元事務次官、国際政治学者ら外交・安全保障の専門家がほとんどだ。憲法という国の最高法規への畏敬の念と見識を欠いていたのではないか。その上、集団的自衛権の行使容認を目指す安倍首相への同調者ばかりである。バランスのとれた議論などできるわけがない。そもそも、この“有識者”懇談会の設置に法的根拠はない。
首相は記者会見で、今後実現を検討すべき具体例として、邦人輸送中の米艦船防護や、国連平和維持活動(PKO)の他国部隊が武装勢力に襲われた際の自衛隊による「駆け付け警護」を挙げた。
国民の命と暮らしを守る方策を検討するのは当然だ。しかし、現行憲法の枠内でも可能とされるこれらの事例と、憲法解釈の変更を前提とする報告書の事例とは、あまりにも懸け離れている。
混然一体とした例示で、集団的自衛権の行使容認の必要性を印象づけようとするのは姑息(こそく)だ。
◆守るべきは平和主義
首相は会見で「憲法の平和主義を守り抜く」「自衛隊が湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」とも述べた。これ自体は評価したい。ぜひ実践してほしい。
しかし、公明党や自民党の一部など与党内でも、解釈改憲という安倍内閣の政治手法に対する危機感が高まっているのも事実だ。
カギを握るのは公明党である。戦後日本の「専守防衛」政策を根底から変えようとする安倍内閣に、政権内部からどう歯止めをかけるのか、日本の命運を左右する正念場と心得るべきである。
<毎日新聞社説>根拠なき憲法の破滅
憲法9条の解釈を変えて集団的自衛権の行使を可能にし、他国を守るために自衛隊が海外で武力行使できるようにする。安倍政権は日本をこんな国に作り替えようとしている。
安倍晋三首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が、集団的自衛権の行使容認などを求める報告書を提出した。法制懇の委員14人は、外交・安全保障の専門家が大半で、憲法学者は1人だけだ。全員が行使容認派で、結論ありきといえる。
歴代政府は、憲法9条を次のように解釈してきた。
◇9条解釈の180度転換だ
9条は戦争放棄や戦力不保持を定めているが、自衛権までは否定していない。しかし、自衛権行使は必要最小限度の範囲にとどまるべきだ。個別的自衛権は必要最小限度の範囲内だが、自国が攻撃されていないのに、他国への武力攻撃に反撃できる集団的自衛権の行使は、その範囲を超えるため憲法上許されない。
つまり個別的自衛権と集団的自衛権を必要最小限度で線引きし、集団的自衛権行使を認めてこなかった。
報告書はこの解釈を180度変更し、必要最小限度の中に集団的自衛権の行使も含まれると解釈することによって行使を認めるよう求めた。
これは従来の憲法解釈の否定であり、戦後の安全保障政策の大転換だ。それなのに、なぜ解釈を変えられるのか肝心の根拠は薄弱だ。
報告書は根拠材料として、9条の政府解釈は戦後一貫していたわけでなく、憲法制定当時は個別的自衛権の行使さえ否定していたのが、自衛隊が創設された年に認めると解釈を大きく変えたことを指摘している。
現在の憲法解釈は歴代政府が30年以上積み上げ、国民に定着したものだ。戦後の憲法解釈が定まっていない時代に変遷を遂げた経緯があるから、変えてもいいというのは理屈が通らない。その時々の内閣が憲法解釈を自由に変えられるなら、憲法への信頼は揺らぐ。憲法が権力を縛る立憲主義にも反する。
それでも行使できるようにしたいというのなら、国会の3分の2の賛同と国民投票という手続きを伴う憲法9条改正を国民に問うのが筋だ。
何のために行使を認めるのか、現実に必要があるのかも明確でない。
報告書は、中国や北朝鮮情勢など厳しさを増す安全保障環境を指摘し、「安全保障環境の大きな変化にかかわらず、憲法論の下で安全保障政策が硬直化するようでは、憲法論のゆえに国民の安全が害されることになりかねない」と警告した。
憲法の平和主義が果たしてきた役割への言及は極端に少なく、まるで憲法を守って国を滅ぼしてはならないと脅しているようだ。そして検討の具体的事例として「公海上の米艦防護」「米国向け弾道ミサイルの迎撃」「シーレーン(海上交通路)の機雷除去」などを挙げた。
安倍首相も記者会見で二つの事例をパネルにして説明し、現在の憲法解釈のままでは自衛隊がそれらの活動を行うことができないと訴えた。 しかし、首相が挙げた一つ目の事例の、朝鮮半島有事を念頭に避難邦人を輸送する米艦船が攻撃された場合の防護は、集団的自衛権を認めなくても、個別的自衛権などで十分に対応できるという指摘も多い。
二つ目の、国連平和維持活動(PKO)に参加している他国軍の部隊などが襲われた場合の駆けつけ警護は、そもそも集団的自衛権とは関係がないPKOの武器使用の問題だ。
◇本質そらす首相の会見
集団的自衛権問題の本質からそれた国民に理解されやすい事例をあえて選び、首相自ら「命を守るべき責任を負っている私や日本政府は、本当に何もできないということでいいのか」と情緒的に訴えることで、集団的自衛権の行使容認に向けた空気を醸成する狙いがにじむ。
報告書は、実際の行使にあたっては「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある」などの要件を満たした場合、政府が総合的に判断して必要最小限度の行使をするか否かを決めるよう提言している。いわゆる限定容認論といわれる考え方だ。
裏返せば、政府が日本の安全に重大な影響を及ぼすと判断すれば何でもできるということだ。実質は全面容認と変わらない。報告書は、地理的限定は不適切とも言っている。
首相は記者会見で、法整備により「抑止力が高まり、紛争が回避され、戦争に巻き込まれなくなる」と強調した。だが歴史を顧みれば、自衛の名のもとに多くの侵略戦争が行われてきた。集団的自衛権が戦争への道をひらく面があることを忘れてはならない。
報告書は、国連の集団安全保障への参加、PKOでの武器使用の見直し、グレーゾーン事態と呼ばれる武力攻撃に至らない侵害への対応なども検討するよう求めた。
このうち湾岸戦争やイラク戦争のような集団安全保障の戦闘参加について、首相は提言を採用しない考えを示した。与党協議では、日本の安全や国益に必要なことは何か、憲法解釈変更でなければ実現できないのか、近隣諸国との関係にどんな影響が出るのかなど、現実を踏まえた具体的で冷静な議論を求める。