“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

原子力発電には未来がない!

2012年06月28日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き

①核分裂を人間がコントロールして、安全に稼動させることは不可能だからです。アメリカスリーマイル島での事故、チェルノブイリ事故、福島第一原発事故は人間が統制できないことを示しました。アメリカ、ロシアともに、核保有国であり、その点では、高度な製造技術を持ち、熟知していた技術者がいても事故が防げませんでした。

②国土の狭い国で、原子力事故がおきれば、居住地が極端に狭められて、安全に生活できないからです。福島県の避難地域、避難者数をみれば、明らかです。また、日本のように地震、津波が周期的に、必ず発生する国では原子力発電所は物理的に無理です。

③核廃棄物の処理方法が確立されていない。このことは、日本だけの問題ではなく、あらゆる国で問題となっています。しかも、再処理すれば、核兵器の原料となります。核兵器保有国でなければ、核兵器保持の誘惑を招くだけです。また、再処理には、莫大なコストが必要になり、原子力発電はまったく安くない電力となります。

④化石燃料、ウランともに有限であり、無限に使用し依拠することは不可能です。したがって、大量生産、大量消費、多エネルギー消費社会、産業は見直しが迫られるからです。
また、再生可能エネルギーの利用と活用で、化石燃料、ウラン燃料の購入費用(輸入)が削減され、経常収支の大幅な改善が出来ます。要は、黒字化の可能性が拡大します。実際に、ドイツの経常収支の黒字は再生可能エネルギー比率が高くなることと連動しています。

⑤再生可能エネルギーに移行することで、エネルギーコストが引き下げられます。また、そのことで新規の産業分野、新規雇用が生み出されます。このことは非常に重要です。日本、先進各国が高失業率、青年の雇用が確保できないでいるときには、新規産業、新規雇用の創出は歴史的に大きな価値があります。


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生活保護へのバッシング

2012年06月28日 06時00分12秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。お笑いタレントが、自分の母親が受給した生活保護費について役所から求められた額の全額を返納したと報道されています。また、東大阪市では職員の二親等以内で生活保護を受けている人たちが十名以上居るなどともニュースで伝えられています。

親、子供、兄弟といっても、自分の家族の生活で精一杯なら援助なんか、したくてもできない複雑な状況を許さない「共助」の強制に他なりません。身内による扶養への自治体の要求強化は、生活保護受給がより出来なくなることを意味しています。

社会保障は、社会が個人の生活を保障することを言うのです。現在の流れは、社会がやるべきことを個人に押し付ける政治です。

餓死者が増えるでしょう。消費税率が上がれば、なおさらです。社会保障と一体改革の消費税率アップという言い訳が、ウソだということがすぐにわかります。

先に出された、反貧困ネットワークの声明に全く同感です。声明の全文を掲載します。


バッシングを利用した生活保護制度の改悪を許さない声明 2012年6月11日

反貧困ネットワーク
(代表 宇都宮健児)

タレントの家族が生活保護を受給していたことに端を発して、全般的な扶養義務の強化など生活保護制度の改悪の動きが広がっている。現在の社会情勢や市民の生活実態が無視され、一時のムードで将来に禍根を残すような改悪が進められようとしている。

しかし、扶養義務の強化はこれまでの世界的な流れに逆行する。近代的国家においては、たとえ成人した親子間でも扶養義務を課さないのが通例である。すなわち、扶養できるだけの能力のある人は、その分、税金をたくさん納めることで責任を果たし、政府が所得の再分配を行って市民の生活を支えることになっている。

いまの日本では、生活保護を受けられるはずの人が利用できず、実際に保護を受けている人の割合はせいぜい20%台と言われている。扶養義務が強化されると、ますます生活保護が利用できなくなり、餓死や孤立死が増えることは火を見るより明らかである。

扶養義務の強化によるしわ寄せは中・低所得者世帯に集中し、これまでかろうじて貧困に陥らずにいた世帯まで貧困化することになる。とくに、少子高齢化のもとで扶養義務を負うのは若い世代である。政府は子育てを応援すると言うが、子どもの教育費などでギリギリの生活をしている世帯が親の扶養まで強いられることになり、貧困の連鎖がさらに加速することになる。

生活保護を利用せざるを得ない人たちは家庭環境も複雑な場合も多い。扶養の強要によってこれまで以上に家族関係がこじれ、いっそう孤立させることになる。それだけでなく、DV被害者や虐待を受けてきた人たちが加害者の扶養を強要されることになったり、加害者の影に怯える彼ら彼女らに生活保護の申請を諦めさせたりすることになる。

「美しい家族主義」は幻想にすぎない。家族が互いにいたわり合うためにこそ、生活保護をはじめとする社会保障の充実によって市民の生活を支えることがさらに重要になっている。

今回の一連の騒動で、生活保護を現に受けている人たちも不安な日々を送っている。今こそ「声なき声」に耳を傾けて欲しい。生活に困窮し、生存を脅かされている人たち、社会から孤立させられている人たちがたくさんいる。生活保護の役割を大きく評価し、さらに使いやすい制度にして、この人たちに憲法25条で保障されている生存権という人権を行き渡らせることこそ、いま求められている。

私たちは、誰もが人間らしい生活ができる社会を目指す皆さんと手をつなぎ、生活保護に対するバッシングを許さず、生活保護制度を改悪させないために行動する決意である。


生活保護バッシングが許せないと思う方はクリックをお願いします。

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いやなものはいやと「意思表示」をしっかりしよう!

2012年06月27日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
いやなものはいやと「意思表示」をしっかりしよう!

原発再稼動に反対の人は、はっきり「反対」の意思を表明しましょう。原発に反対する市民が多数、7割を超える地区があるのに、野田、藤村、枝野、細野、仙石は、安全だから稼動をさせます。責任は私(野田)がとりますと明言しました。言葉の軽さと、どう責任を取るのか、取れるのかには本当に、怒り心頭です。東京電力の経営者、会長を見れば分かります。彼らの反社会的な行動と意識は事故後1年半を過ぎてもまったく変わっていません。

東京電力の勝俣恒久会長(72)が福島第1原発事故後、一度も福島県に入らないまま27日の株主総会で退任する。社長時代は原発再稼働の地元同意を取り付けるため、何度も福島県庁や原発立地地域を訪れた。「地域との共生」を強調しながら、事故後は一転して現地入りしない態度は、避難生活や風評被害で苦労する福島県民にどう映るのだろうか。

 勝俣氏が事故後、記者会見に応じたのは昨年の3、4月の2回だけ。東電は、勝俣氏が表に出ない理由を「多忙」と説明してきた。数少ない公の場の発言で「逃げの姿勢」が追及されたことがあった。
 福島第1原発事故を検証する国会の事故調査委員会で「津波は想定外だった」と強調。「業務執行の責任は社長、現場対応の権限は発電所長にある」と述べた。
 委員の一人で福島県大熊町商工会会長の蜂須賀礼子さんが「勝俣さんは『僕には関係ない、責任がない』と言うばかりだ。どうして僕が責任者ですと言えないのか。どこの会社の会長なのか」と詰め寄った。勝俣氏は「権限的な問題を申し上げた」と受け流した。

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大飯原発のオフサイトセンターは海の家

2012年06月27日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
大飯原発の周辺写真を見て「びっくり」したことがあります。事故のときに、事故対応を集中的に行う「オフサイトセンター」が日本海水面とすれすれの位置で、護岸から70mしか離れていません。海抜は2メートル???です。南三陸町の防災会館を見た方は分かると思いますが、地面と海水面(防災会館の前まで海水が川を通じてきています)がほぼ同じです。防災会館は3階建てですが、屋上まで津波は来ました。海からは数百メートルある距離ですが。常識的、東日本大震災の津波被害を体験した人であれば、このオフサイトセンターがこの場所で機能すると考えることは100%ないことがわかります。この写真を見て「大飯町長、福井県知事は頭がおかしい」か無知、関西電力は本当に無責任、野田、経済産業省の無責任さと、でたらめさにはびっくりです。

以下の文書は、内橋克人さんが書いた本の内容を要約した文書です。

「過去のおいて開かれた、2日間開かれた島根原発2号炉を増設するときの公開ヒアリングを全て取材した。忘れられないのは、予定地のすぐ近くに住み2人の子どもを抱えた主婦の悲痛な質問だった。「もし原発に事故があったら、私たちはどうやって逃げれろと言うのですか? 宍道湖を泳いで逃げろと言うのですか? なぜそんな大切なことが安全審査の対象にならないのですか?」。しかしこの悲鳴といえるような質問に対し、当時の原子力安全委員会は何の答えもせずに、こういってはねつけた。「本日は安全委員会としては、皆様のご意見を伺うために参っておりますので、安全委員会としての意見を表明することはご容赦願います」。
住民の不満の声で会場が騒然とする中、そうした声を一切無視して、どんどん議事を進めてしまうといった具合だ。住民と意見を戦わせて議論する場ではなく、住民の意見を聞くだけが目的だということを会場に徹底させる、これが原子力委員会の役割であることがはじめからはっきりしていた。こういうことに一役買ったのが研究者・学者と呼ばれる人たちで、反対する住民や原発に警鐘を鳴らす者は「科学の国のドン・キホーテだ」と、時代遅れの素人、という扱い。原発安全神話が崩れた今、このような形で進められた原発大国だから、その故に、これからのエネルギー選択のあり方をめぐって、そしてこれからの前途をめぐって、これまでのやり方は一層厳しくなってくるということを考えて欲しい。」
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ベン・シャーン

2012年06月27日 06時00分12秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。「社会保障と税の一体改革関連法案」が衆院で可決されました。ひとことだけ言っておきます。社会保障のため消費税率をアップするなどという姑息なインチキは言わないでください。正々堂々と、「自民党と公明党と民主党が作った悪政による大赤字を消費税率アップで穴埋めさせて欲しい」と素直に訴えた方が国民に支持されたのではないですか?

政治の話はこれくらいにして、今日は、アメリカの芸術家の話です。

「明日、ベン・シャーンを見に行くんだ」と言ったら、そこに居た人は誰も知りませんでした。ベン・シャーンの本格的な展示は日本では20年ぶりです。7月16日まで、福島県立美術館で開催されています。なんと600円と格安で、高校生以下は無料です。


とても可愛い駅です。



この展覧会のコンセプトは次の通りです。
人間愛に満ち、深く静かに、心に届く作品を残した、ベン・シャーン(1898-1969)の国内においては約20年ぶりの大規模な回顧展となります。社会の不正義に対して声を挙げる作品で世に出たベン・シャーンでしたが、日々を生きる一人ひとりの、ごく普通の生活に対しても愛情あふれる眼差しを向け、その慈しみの眼差しは終生変わることがありませんでした。怒りや哀しみへの共感、喜びや痛みを、時にユーモアも含めて表現し続けたシャーンの作品は、声高な叫びとは異なる力強さをもって、見る人の心にそっと手を差し伸べる温かさを持っています。


ベン・シャーンは、20世紀という揺れ動いた時代をアメリカという場所から見つめ続けた画家です。特に、20世紀は人間が人間を殺し、奪い続けた世紀だとの認識をしています。

ベン・シャーンは、ヨーロッパの現在のリトアニアの生まれです。リトアニアはドイツとロシアの真ん中くらいの位置にあります。ユダヤ人の大工の息子として生まれたため、ナチスドイツによる迫害を逃れてアメリカに移住しました。

ベン・シャーンの「ラッキードラゴン」は1960年に書かれましたが、福島県立美術館の所有です。ラッキーは「福」、ドラゴンは「竜」もうわかった方も居るでしょう。「福竜」、第五福竜丸です。ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験による「死の灰」を浴びて亡くなった久保山愛吉さんを描いています。そして、「ラッキードラゴン シリーズ」として多くの作品を残していますが、科学技術が躍進する一方で人間の尊厳が危機に瀕していると警告し続けている作品です。


パンフレットを写しました。


たいへん興味深い特別展ですので、是非とも行ってみてください。

福島県立美術館には、世界中からの励ましの手紙やタペストリーも展示されています。

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