北海道大学山口二郎教授の考察です。なかなか、面白い話です。山口教授は民主党政権支持、政権交替有益論で民主党を積極的に支持してきた政治学者です。山口教授は、率直に今の民主党を評価して、自らの反省も行っています。その点では、主張するだけで、無責任な学者でもないように思います。原子力村の学者のような無責任な「いんちき学者」とは性格をことにします。
<山口教授の考察>
野田首相と小沢元代表の会談も決裂し、首相は内閣改造に踏み切った。自民党との妥協で消費税率引き上げ法案の成立を図るという路線が明確になった。また、大飯原発についても、首相が近いうちに再稼働の決断を下すという流れである。重大な政策に関して次々と結論が出ることで、民主党の変質は明らかになった。
自民党よりも左側の選択肢として民主党を位置づけるという、私のような戦略から見れば、こんなものはもはや民主党ではないということになる。非自民の若手政治家が権力をとるための方便として民主党を規定すれば、これこそ民主党の面目躍如ということになる。いずれにしてもはっきりしているのは、3年前の政権交代を選択した民意は裏切られていることである。
野田首相の最大の問題は、決断の自家中毒(アディクション)である。決められない政治を脱却することは必要である。そもそも政治における決定にとって、獲得あるいは到達すべき目標を具体的に設定し、そのための適切な手段を選ぶことを意味する。野田氏は大目標を見失い、手段の部分で自分が断を下すと息巻いている。ねじれ国会における野党の抵抗、民主党内における小沢グループの反対など、決定に対する物理的障害が大きいために、余計に決定に取りつかれている。
消費税率引き上げは社会保障財源の確保のための手段である。したがって、どのようなレベルの社会保障を実現するためにどのような手段を動員するかを明らかにしなければ、払う側は納得しない。財政の非常事態を乗り切るためにはともかく自民党と妥協してでも消費税率を引き上げることが重要だという主張もある。東北、上越新幹線のたとえを使って、目的地は青森、新潟と異なっても、とりあえず大宮までは一緒に行こうと首相は呼び掛けている。自民党は次期総選挙に向けた政権公約で生活保護費の削減など小さな政府路線を明確にしたうえで、消費税10%を主張している。民主党の目的地はどこなのだろう。
原発はエネルギー供給の手段の1つである。そして、事故の補償や廃炉の費用を計算に入れると、この手段が極めて高コストであることが明らかとなっている。関西の自治体首長に対する政府の説得の仕方を見ていると、原発の再開それ自体が目標で、安全対策に対するまともな疑問をすべて無視しているように思える。
今後十、二十年という時間軸の中で原発をどのように縮小していくのか、代替電源をどのように拡大していくのかという展望を全く示さないまま再稼働を認めれば、またずるずると原子力発電が再開され、エネルギー政策も維持されるだろう。あまつさえ、原子力政策大綱の策定過程で、推進派の委員だけに情報を伝え、お手盛りの議論をしていたことも露呈した。現状は、戦争犯罪人に敗戦後の安全保障政策を決めさせているようなものである。肝心の政府、民主党からはこのような事態に対する怒りが伝わってこない。
今更言うまでもないことだが、政権交代を選択した人々は、「国民生活が第一」というスローガンを実現してもらうために、また政官業の癒着構造を打破して、利権を排除するとともに国民環視の下で公正な政策決定を行う政治システムを作るために、民主党に政権を預けたのである。
政権交代によって実際に改善されたことはいくつもある。東京大学の大沢真理教授の調査によれば、子ども手当や高校無償化によって年収7百万円以下の世帯において負担率は低下し、とくに夫婦と中学生、高校生を持つ年収3百万円以下の家庭においてネットの税負担はマイナス、すなわち政策的受益の方が税負担よりも大きくなっている。今日給与所得の分布をみると全体の6割は年収4百万円以下であり、民主党が打ち出した中間層の家計を支援するという政策は奏効しているのである(大沢、「税・社会保障の逆機能と打開の道」『生活経済政策』2012年5月号)。
また、同氏は、自民党政権下の構造改革路線が現実にはトリクルダウン効果を持たず、所得税の累進性の緩和や資産課税の減税、社会保険料負担の増加によって、全体として税・社会保障が貧者から奪い、富裕層に配分する逆機能を持っていたことも明らかにしている。
日本国債の信用を維持するために今消費税率を引き上げるという議論は理解できる。しかし、その緊急避難の先に野田政権、あるいは民主党が何を目指すのか、何の議論もないように見える。主要閣僚が各地でタウンミーティングを開いて理念を伝えているつもりかもしれない。しかし、財務省流の帳尻合わせ至上主義でもなく、自民党流のトリクルダウンでもない、どのような社会のモデルを目指すのか、明確な言葉はない。民主党が着手した中下層の家計支援を持続可能にするための税制改革だと言えばよいはずだが、今の民主党主流派にはそのような理念がないのだろう。
今肝心なのは、決めること自体ではない。何のために決めるのかという目標を明確にすることである。目標なしに手段だけ決めても、政治の課題は解決されない。自民党の言いなりになって修正協議を進めるのは、民主党の自殺である。消費税率の部分だけ切り離して妥協するという曲芸もあるのかもしれない。しかし、自民党が極めて保守的な政権公約を打ち出した以上、民主党はこれに対抗する福祉社会のビジョンを示す責務がある。
困ったことに、民主党の中堅から若手の優秀な政治家と話していると、原発にしても、消費税にしても、どこかで誰かが決めるのだろうという諦めを感じる。シニシズムは民主主義の大敵である。日本の命運を左右する重要な政策課題について、党内での議論を積み上げることによってのみ、理念を再確立できるはずである。
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<山口教授の考察>
野田首相と小沢元代表の会談も決裂し、首相は内閣改造に踏み切った。自民党との妥協で消費税率引き上げ法案の成立を図るという路線が明確になった。また、大飯原発についても、首相が近いうちに再稼働の決断を下すという流れである。重大な政策に関して次々と結論が出ることで、民主党の変質は明らかになった。
自民党よりも左側の選択肢として民主党を位置づけるという、私のような戦略から見れば、こんなものはもはや民主党ではないということになる。非自民の若手政治家が権力をとるための方便として民主党を規定すれば、これこそ民主党の面目躍如ということになる。いずれにしてもはっきりしているのは、3年前の政権交代を選択した民意は裏切られていることである。
野田首相の最大の問題は、決断の自家中毒(アディクション)である。決められない政治を脱却することは必要である。そもそも政治における決定にとって、獲得あるいは到達すべき目標を具体的に設定し、そのための適切な手段を選ぶことを意味する。野田氏は大目標を見失い、手段の部分で自分が断を下すと息巻いている。ねじれ国会における野党の抵抗、民主党内における小沢グループの反対など、決定に対する物理的障害が大きいために、余計に決定に取りつかれている。
消費税率引き上げは社会保障財源の確保のための手段である。したがって、どのようなレベルの社会保障を実現するためにどのような手段を動員するかを明らかにしなければ、払う側は納得しない。財政の非常事態を乗り切るためにはともかく自民党と妥協してでも消費税率を引き上げることが重要だという主張もある。東北、上越新幹線のたとえを使って、目的地は青森、新潟と異なっても、とりあえず大宮までは一緒に行こうと首相は呼び掛けている。自民党は次期総選挙に向けた政権公約で生活保護費の削減など小さな政府路線を明確にしたうえで、消費税10%を主張している。民主党の目的地はどこなのだろう。
原発はエネルギー供給の手段の1つである。そして、事故の補償や廃炉の費用を計算に入れると、この手段が極めて高コストであることが明らかとなっている。関西の自治体首長に対する政府の説得の仕方を見ていると、原発の再開それ自体が目標で、安全対策に対するまともな疑問をすべて無視しているように思える。
今後十、二十年という時間軸の中で原発をどのように縮小していくのか、代替電源をどのように拡大していくのかという展望を全く示さないまま再稼働を認めれば、またずるずると原子力発電が再開され、エネルギー政策も維持されるだろう。あまつさえ、原子力政策大綱の策定過程で、推進派の委員だけに情報を伝え、お手盛りの議論をしていたことも露呈した。現状は、戦争犯罪人に敗戦後の安全保障政策を決めさせているようなものである。肝心の政府、民主党からはこのような事態に対する怒りが伝わってこない。
今更言うまでもないことだが、政権交代を選択した人々は、「国民生活が第一」というスローガンを実現してもらうために、また政官業の癒着構造を打破して、利権を排除するとともに国民環視の下で公正な政策決定を行う政治システムを作るために、民主党に政権を預けたのである。
政権交代によって実際に改善されたことはいくつもある。東京大学の大沢真理教授の調査によれば、子ども手当や高校無償化によって年収7百万円以下の世帯において負担率は低下し、とくに夫婦と中学生、高校生を持つ年収3百万円以下の家庭においてネットの税負担はマイナス、すなわち政策的受益の方が税負担よりも大きくなっている。今日給与所得の分布をみると全体の6割は年収4百万円以下であり、民主党が打ち出した中間層の家計を支援するという政策は奏効しているのである(大沢、「税・社会保障の逆機能と打開の道」『生活経済政策』2012年5月号)。
また、同氏は、自民党政権下の構造改革路線が現実にはトリクルダウン効果を持たず、所得税の累進性の緩和や資産課税の減税、社会保険料負担の増加によって、全体として税・社会保障が貧者から奪い、富裕層に配分する逆機能を持っていたことも明らかにしている。
日本国債の信用を維持するために今消費税率を引き上げるという議論は理解できる。しかし、その緊急避難の先に野田政権、あるいは民主党が何を目指すのか、何の議論もないように見える。主要閣僚が各地でタウンミーティングを開いて理念を伝えているつもりかもしれない。しかし、財務省流の帳尻合わせ至上主義でもなく、自民党流のトリクルダウンでもない、どのような社会のモデルを目指すのか、明確な言葉はない。民主党が着手した中下層の家計支援を持続可能にするための税制改革だと言えばよいはずだが、今の民主党主流派にはそのような理念がないのだろう。
今肝心なのは、決めること自体ではない。何のために決めるのかという目標を明確にすることである。目標なしに手段だけ決めても、政治の課題は解決されない。自民党の言いなりになって修正協議を進めるのは、民主党の自殺である。消費税率の部分だけ切り離して妥協するという曲芸もあるのかもしれない。しかし、自民党が極めて保守的な政権公約を打ち出した以上、民主党はこれに対抗する福祉社会のビジョンを示す責務がある。
困ったことに、民主党の中堅から若手の優秀な政治家と話していると、原発にしても、消費税にしても、どこかで誰かが決めるのだろうという諦めを感じる。シニシズムは民主主義の大敵である。日本の命運を左右する重要な政策課題について、党内での議論を積み上げることによってのみ、理念を再確立できるはずである。
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