小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

阿部政権は亡霊化した農民票にしがみつくのをやめて直ちにTPP交渉に参加せよ

2013-02-08 08:03:23 | Weblog
 安倍内閣が揺れている。
 TPP(環太平洋経済連携協定)交渉に参加するか否かを巡って、肝心の安倍総理が党内をまとめることができないからだ。
 もともと自民党は農業団体や農業従事者を最大の支持母体としてきた。その支持母体を強固なものにするため自民党政権は代々農業保護に力を注いできた。一方戦争直後は「安かろう、悪かろう」と海外から酷評されてきた第2次産業分野(工業製品)に対しては、海外から近代的生産技術を積極的に導入し、工業製品の品質向上を図ると同時に、先進的技術開発にも官民挙げて取り組んできた。
 その結果、日本は豊かになり、GNP(国民総生産)もアメリカに次ぐ世界2位の経済大国に生まれ変わった(現在は中国に抜かれ世界3位)。その過程で日本人の食生活も大きく変化し、日本の総人口は伸び続けたが(昨年、戦後初めて減少に転じた)、主食のコメの消費量は減少の一途をたどり続けた。
 このブログ読者の皆さんはひっくり返るほどびっくりされるかもしれないが、日本のコメの生産性(平年作)は、アメリカの穀倉地帯であるカリフォルニアと比べ1978年までは高かったのである。が、この年を境に日米のコメの生産性は逆転し、その後大きく差をつけられる一方となった。なぜか。
 実はこの年が農業革命の年で、それまで人力に頼っていた稲作をはじめ農作業の機械化が一気に進みだしたのである。
 農業の最適条件は、農作物によって異なるが、とりあえずコメについて言えば大きく分けて三つある。
 一つは土壌の豊かさ(つまり土壌がどのくらい稲作に必要な栄養分を含んでいるか、また栄養分の再生産が容易か否か)である。稲作の場合、最も重要なのは水田の水質である。日本の水質は軟水で、稲作に最も適している。カリフォルニアも軟水でやはり稲作に適している。ビジネスマンを除けばカリフォルニアに行く観光客はそう多くないと思うが、日本の観光客が最も多く訪れるハワイで口にするコメは(日本食店も含め)ほとんどカリフォルニア米である。日本で食べるコメとの違和感を感じた方はどのくらいおられるだろうか。ほとんどいないはずである。当たり前の話で、カリフォルニア米のほとんどは日本から輸入した種モミがもとになっているからである。かなり昔から生産されているカリフォルニア米の大半はコシヒカリである。新潟産のコシヒカリと比べると食味は落ちるかもしれないが、宮崎産や千葉産のコシヒカリよりおいしいと、私や私の家族、友人たちは口をそろえる。ハワイだけではない。ニューヨークやサンフランシスコなど、日本企業が進出したり、日本人が移住したりしている都市の日本食店(とくに寿司屋)はすべてカリフォルニア産のコシヒカリを使っていると言ってもいいだろう。
 次に重要なのは環境整備である。この場合の環境とは稲が育つ時期の雨量や灌漑用水のインフラが整備されているかどうか、また植え付けから刈取りまでの平均気温である。カリフォルニア産のコシヒカリが宮崎産や千葉産よりうまいといわれるのは、コシヒカリにとっての最適条件がカリフォルニアのほうが宮崎や千葉より優れているからである。
 最後に、これが日米の生産性の差を決定づけた要因となった、機械化に適した土地か否かである。そして平地が少ない日本の場合、どんなに機械化を図ってもカリフォルニアに太刀打ちできないのはそのためである。日本の場合、水田に苗を植え付けて稲を育てる。手作業の植え付け作業は今ではほとんど見られなくなったが(植え付け機で植えるため)、稲作の基本的方法は昔から変わらない。一方カリフォルニアでは軽飛行機やヘリコプターで空からある程度湿らせた稲作地に種モミを蒔き、芽が吹いてある程度育ってから灌漑用水を入れて水田にする。その後の農薬も、日本のように手作業でするのではなく(日本では稲が生育過程にある段階では田植え機のようなものを水田に入れることはできない)、カリフォルニアではやはり軽飛行機やヘリコブターで空から農薬を散布する。稲が実り、刈り取る段階になると、日本でもコンバインを使用する農家が増えたが、カリフォルニアで使用されているコンバインとでは、大きさにたとえれば軽飛行機とジャンボ機くらいの差がある。
 これだけの差があったら、日本の稲作がカリフォルニア米に勝てるわけがない。しかし、仮に「聖域なき自由化」に日本が踏み切ったとしても、日本のコメ消費量の4割は国産米が生き残れるという試算もある。たとえばコシヒカリではないが、あきたこまちや、寒冷地に適したコメ開発に成功した北海道のきららなどは十分生き残れるというのだ。

 安倍自民党は昨年末の総選挙で「聖域なきTPP交渉には参加しない」と公約を掲げていた。実は前政権の野田総理はTPP交渉への参加に前向きな姿勢を明らかにしていた。しかし、選挙直前になって地方出身の議員や立候補者から「TPP交渉参加をうたうと選挙に勝てない」という悲鳴が上がり、急きょ民主党のマニフェストからTPP交渉参加問題を外したという経緯があった。
 一方、「聖域なきTPP交渉には参加しない」と公約していた安倍自民党総裁は、総選挙で自民党が大勝を収めるや否や、TPP問題に対するスタンスを180°転換し、TPP交渉に前向きな姿勢を打ち出し始めた。これで怒りを爆発させたのが地方出身の当選者たち。
 選挙戦で「TPP交渉参加は絶対阻止する」と叫び続けてきた我々の立場はどうなるんだ、というわけだ。この自民内部の反発で再び安倍総理は態度を豹変した。選挙前の公約に戻り、「聖域なきTPP交渉には参加しない」とスタンスを180°転換してしまったのである。一体安倍総理の本音はどこにあるのか、不信感をつのらせたのは私だけではないはずだ。
 
 奴隷解放の英雄という伝説が定着している米リンカーン大統領の歴史的演説に、「人民の、人民による、人民のための政治」というのがある。リンカーンやケネディ大統領の伝説の裏に隠された実像はすでにブログで書いたことがあるが、自民党の選挙対策は一貫して「農民の、農民による、農民のための政治」だった。もちろん自民党の選挙対策は、あくまで選挙に勝つための戦略に過ぎず、必ずしも農民だけを優遇する政治を行ってきたわけではない。しかし、ある程度は農民優遇政治を行わなければ、スローガン倒れになり、農民や農業団体の支持を失うことはわかりきった話である。そのためこれまではかなりの力を入れて農業保護政策を行ってきた。
 しかし、そうも言っていられない状況が目前に迫っている。TPP交渉に日本が参加するか否かという決断をしなければならない時期が目前に迫ってきたからである。これまでのように自由貿易の世界的流れに竿をさし続けるわけにはいかない状況に直面しているのだ。
 障壁なき自由貿易実現の理念は昨日今日生まれたわけではない。そもそも第二次世界大戦の原因の大きな一つは、貿易での先進国間のエゴの張り合いにあった。つまり自由勝手に為替を自国産業に有利なように変えたり、国際競争力に乏しい産業分野についてはべらぼうな関税を課したり、輸入量を勝手に制限したり、といったエゴがまかり通っていたのである。
 その反省から生まれたのがIMF(国際通貨基金)とGATT(ガット。貿易と関税に関する一般協定)という国際機関であった。とくにGATTは自由貿易を促進するために1948年に発足され、同年に第1回目の国際会議ジュネーブ・ラウンド(参加国23)を皮切りに8回の国際会議が開かれてきた。日本がGATTに加盟したのは55年で、73~79年にかけては日本で東京ラウンドが開かれている。最後のラウンドとなったのは86年から94年まで10年近くに及ぶロングランのウルグアイ・ラウンドであった。
 ウルグアイ・ラウンドは日本にとって歴史的な意義を持つラウンドとなったのだが、このラウンドで最大の焦点になったのは南北対立であった。南北対立の南は農業を中心的な産業とする発展途上国を意味し農産物の完全自由化を求めたのに対し、北の先進工業国は自国の農業を保護するため貿易障壁を高くしており、双方の対立は激しく妥協点が作れないままで終わり、障壁なき自由貿易の世界を目指してきたGATTはその使命を果たせぬまま幕を閉じ、新たな国際機関として95年1月、WTO(世界貿易機関)が発足し、今日に至っている。
 ウルグアイ・ラウンドが日本にとって歴史的な意義を持ったと書いたのは、この会議で、それまで日本人の主食であるコメは一粒たりとも入れないという農業政策の見直しを余儀なくされ、最低輸入量(ミニマム・アクセスという)を義務付けられ、さらに99年には自由化された。
 では、千葉産や宮崎産のコシヒカリよりおいしく安いカリフォルニア米が私たちの食卓にのるか、といえば絶対にのらない。スーパーの店頭に並ぶと、魚沼産のコシヒカリより高価なコメになるからだ。その理由は輸入米にかかる関税が実質778%という高率になっているからである(「実質」と書いたのは、輸入米の場合関税計算が複雑で、その計算方法をこのブログで説明しても意味がなく、関税率に換算すると、という意味である)。またミニマムアクセス米は建前として関税はかからないことになっているが、政府が国内の流通ルートに乗せる場合にはやはり778%を乗じた価格で売り渡すことになっている。当然、不作になった93年を除き、ミニマムアクセス米は全量海外への食糧援助に回されてきた。
 なぜこのようなべらぼうな関税障壁が継続されてきたのか。
 実は日本の農業就業人口は236万人(2009年、兼業農家を含む)で、全産業の3.7%を占めている。たった3.7%というなかれ。この人口は純粋に農業を営む人たちの数である。農業関連のすそ野は広く、農業機械、農薬、農産物流通など幅は全国に広がっている。これらの関連産業も含め、農家の首根っこを一手に握っているのが悪名高い全農(全国農業協同連合会。JA)である。はっきり言えば日本最大のカルテル組織がJAなのだ。ではJAはいったいどんな事業を行っているのか、またどのような組織構成になっているのか。JAのホームページから抜粋してみよう。(ママ。原文には段落がない。枠で囲ったのは筆者。これほど事業範囲が広い事業体は日本にJAしかない。JAは信用事業により、農家の全生活を事実上拘束している)

JAは、組合員の参加と結集を基本に事業活動を行う組織です。農業協同組合法にもとづき、農業生産に必要な資材を共同で購入したり、農産物を共同で販売します。また、日常的な生活物資の提供や貯金、貸出などの信用事業、生命・建物・自動車などの共済事業等、幅広い事業を展開しています。
このような単位JA(総合JA)の事業を。より効率的に行うため、都道府県単位での連合会・中央会があり、全国段階での全国連があります。単位JA-JA都道府県連合会・JA中央会―JA全国連の3段階の組織全体をJAグループと呼んでいます。
経済事業においては、連合会の組織整備により、都道府県のJA連合会とJA全農との統合が進められ、現在では全国に35の都府県本部があります。

 このようなカルテル組織は当然のことだが、独占禁止法に抵触する。ではどうしてこのようなカルテル組織が公然と存在しているのか。その理由はコメの生産と流通についての日本独自のシステムが背景にあった。
 封建時代にまでさかのぼれば、侍(大名以下下級武士に至るまで)の収入はコメを単位にしていた。何万石という石高はコメの収穫量が単位であり、農家だけがコメの収穫量に応じて物納で納税していた。そうした事情もあって、徳川幕府の時代に士農工商という身分制度が確立され、小作農家の元締めともいうべき庄屋は武士と同様、名字帯刀が認められていた。だから貧乏な零細小作農家でも、社会的地位は高かったのである。そうした農家に対する特別扱いが戦後も継続されてきたことにコメ問題の歴史的背景があった。
 とくに徳川幕府にとっては、鎖国体制を維持するためには、日本人の主食であるコメ(麦・粟なども、この場合含んで説明している)の自給自足は政治の安定のために欠くべからざる基本的政策だった。だから飢饉で農民一揆がおこっても、幕府の一揆の首謀者に対する処罰は比較的甘かったのである(幕府の目が届かない地方では過酷な刑罰が科せられていたが、そういう実態が幕府の知るところとなるとお家取り潰しになったり所領替えさせられたりした。だから飢饉になるたびに「直訴」が免税を願う手段として公然と行われていたのである)。
 戦後もかなりの期間、農地が荒れ放題になったせいもあり、コメ不足は深刻で、そのため一時は配給米制度が設けられたほどだった。政府の配給だけでは足りず、ヤミ米が流行したのも戦後風景の一つであった。
 こうした経緯を経て農家に対する過保護体質が戦後日本の政治の基本姿勢になっていった。また、それを可能にしたのが選挙制度でもあった。本来有権者の一票の重みは同じ、というのが民主政治の大原則だが、選挙区という制度のもとで議員を選ぼうとすれば、どの国でも完全に一票の重みを同じにすることは不可能である。あえて一票の重みを同じにしようとするには選挙区を設けず、全国の全有権者の投票を比例配分して各政党に議員数を割当てるしかない。
 そして日本の場合、最高裁が違憲状態という判決を出したほど一票の格差が大きく、一般的には都市部の有権者の一票と地方の有権者の一票の重みには数倍の格差がある。自民党が地方票、はっきり言えば農業関連票を重要視するのはそのせいである。だから、民主党が、野田総理がTPP交渉参加の意向を明らかにした途端、地方議員から猛反発の声が上がり、マニフェストではTPP問題に一切触れなかったのもそのせいであった。それに対して安倍自民党は「聖域なきTPP交渉には参加しない」と公約して農業関連有権者の票を大量に獲得したのが、自民党大勝の最大の要因だったのである。
 解散に先立ち、野田総理は「消費税増税は選挙のことを考えると得策ではないが、将来の日本を担う子供や孫たちに付けを回さないためには、いま社会保障制度を確実なものにしておくことが政治家としての使命だ」と、自らの政治信条を切々と訴えたが、消費税増税が国民から大方の支持を得られたのは日本で初めてだった。民主党が地方で大敗したのは消費税問題ではなく、TPP交渉参加に反対する農業関連票がすべて自民党に流れた結果である。
 ところが、自民が大勝した途端、安倍総理は舌の根が乾かないうちにTPP交渉参加への強い意欲を示した。自民党内部の地方出身議員がこれに猛反発して、安倍総理は再び「聖域なきTPP交渉には参加しない」と、君子豹変してしまった。
 だが、これまで何度もブログで書いてきたように、TPP交渉に参加するか否かは、日本という国の在り方を決める待ったなしの課題である。いま日本がTPP交渉にそっぽを向けば、日本は環太平洋地域で孤立化する危険性がかなり高くなる。そもそも農業の国内総生産(GDP)は2009年度で5兆3490億円にすぎず、全産業の1.13%を占めているだけである。しかもこの総生産額には国の手厚い保護費が上乗せされての数字だから、正味で計算すると2分の1に減ってしまうのだ。
 その農業関連票を失うことを恐れて日本の将来を危うくしているのが政権政党である自民党のあからさまな実態なのだ。
 しかし、よーく考えてみよう。安倍自民党がTPP交渉に参加したとして、農業関連票はどこに流れるというのか。既に民主党は地方選挙区で惨敗しており、今後おそらく都市型政党に変貌するだろう。また第三極の柱となった維新はもともと都市型政党としてTPP交渉参加を表明しているし、躍進著しいみんなもTPPには前向きの姿勢を打ち出している。今TPP交渉参加に正面から反対しているのは社民党と共産党だけである。安倍内閣がTPP交渉への参加を決めた場合、農業関連有権者の多くは失望するかもしれないが、彼らは次の選挙でTPP交渉参加に反対した社民党や共産党に一票を投じるだろうか。
 もう農業関連票は、自民党が心配するほどの、政局を左右する力を失っていることにそろそろ気づくべきだ。そして778%もの高率関税を課さなくても国際競争に勝てる農業政策に転換すべき時に来ているのである。
 そもそも農業保護費は農業総生産の半分を占めている。そのうちの半分を農業競争力強化対策に使い、残り半分は零細専業農家に対する生活保護費に充ててしまえという考え方を前提に農業政策を転換すれば、おそらく従来の保護費は激減するだろうし、日本が自ら血を流しても自由競争の前進に向けて大きな一歩を踏み出せば、日本の国際的発言力が倍増することは間違いない。政権政党がいつまでも亡霊化した農業関連票にしがみつこうとすればするほど、日本の将来は危うくなる。