小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

国益と民主主義は両立しえないのか――TPP交渉は結局経済大国のエゴで合意に至らない可能性も…。

2014-02-26 12:24:30 | Weblog
 民主主義が崩壊の危機に瀕している。民主主義の危機を招いたのはアメリカ政府と日本政府である。二つの経済大国の政府がともに「国益を守る」という口実で民主主義のもろさをむき出しにしてしまった。
 私は、これまでも民主主義はまだまだ未熟で欠陥だらけだと書いてきた。欠陥だらけで未成熟ではあっても、人類は一歩一歩民主主義という政治システムを育ててきた。人類が、多くの血を流して構築してきた民主主義を育ててきた歩みが、いま頓挫しようとしている。にもかかわらず、メディアは沈黙している。気が付いていないのか、気が付いていても、そのことを明らかにするのはまずいというトップの強い意志が働いているためか。
 言わずと知れたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉のことである。昨日(25日)、シンガポールで開かれていたTPP交渉の閣僚会議で、経済大国間(日米)の交渉が難航し、新興国(日米を除く10か国)との対立が解消できず、目標としてきた大筋合意が見送られたのである。この交渉を始めたのはシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国で、2006年5月に交渉がスタートした。その交渉の重要な目的は「小国同士の戦略的提携によってマーケットにおけるプレゼンスを上げること」であった。その目的を達成するため加盟国間のすべての関税の90%を撤廃し、2015年までにすべての関税をゼロにすることが加盟国間で合意されていた。
 が、この4か国だけでは実際問題として環太平洋の主要国を自由貿易のレールに乗せることができないため、2010年3月から拡大交渉会議が始まり、アメリカ、オーストラリア、ベトナム、ペルーが交渉に参加し、同年10月にはマレーシアも加わった。さらに12年11月にはカナダとメキシコも加わった。
 その間、日本はどうしていたのか。まったく動かなかった。動けなかったのかもしれない。自民党政府の票田が農業団体や医師会だったからかもしれない。その日本が動き出したのは、政権が民主党に変わり、管直人氏が総理の座についてからである。管総理は10年10月にTPP交渉への参加を検討すると表明、経団連は支持を表明した。が、民主党は自民党を離党した保守グループと連合を支持母体とする旧社会党系グループを寄せ集めた野合政党だった(なお細川内閣は野合政権)。当然、管総理の意向で簡単に党内がまとまるわけがない。また農業団体や医師会も参加反対を表明し、管政権は動きが取れなくなった。
 が、管総理のあとを継いだ野田佳彦総理が11年11月に「交渉参加に向けて関係国と協議に入る」と表明し、一気に日本の方針が決まったかに見えた。が、事は野田総理の思惑どうりにはいかなかった。肝心の既加盟国側から、日本のスタンスが明確でないと参加を拒否されてしまった。そして政権が民主党から自公連立に移って以降、日本側の足元がようやく固まった。13年3月には安
倍晋三総理がTPP交渉への参加を表明し、加盟国との個別交渉に入った。そしてまずアメリカが翌4月に日本の参加を承認し、他の加盟国の承認も取り付けて7月から交渉のテーブルにようやく着くことになった。が、日本にとって交渉のハードルは高かった。
 自民党は前の参院選で農業団体の票を固めるため「聖域なき関税撤廃は前提にしない」と公約していた。この表現はきわめてあいまいで、自民党は「前提にはしないが、事と次第によっては」という含みを持たせたつもりだったのだろうが、いったん言葉になると、その言葉に含めた意味とは別の意味にとられて独り歩きを始めることがしばしばある。農業団体は「農産物にかけている関税は守ってくれる」と勝手に解釈してしまった。困ったのは安倍総理だ。あわてて「重要5品目は国益として守る」と表現を変えた。重要5品目とは、米・麦・牛豚肉・乳製品・砂糖(※後述するがもう一つの重要品目は無視された)。
 が、アメリカは日本に対して農産物の関税撤廃を要求して一歩も引かない。日本側はアメリカに対して「だったら、自動車の関税も撤廃しろ」といちおう反発してはいるが、あまり意味がない。すでに小型車はアメリカの自動車メーカーはとっくにお手上げしており、何が何でもトラックだけはという米自動車業界の圧力にオバマ大統領もソッポを向くわけにはいかないうえ、日本でも自動車業界からトラックも自由化してくれという要求は出ていないからだ。
 アメリカの映画を見るとよくわかるが、とにかく何でもでかい。ハイウェイを走る馬鹿でかいトラック。あんなもの日本で作ってもどうやってアメリカまで運ぶのか。それに乗用車とトラックの混血児のようなピックアップ。アメリカのクルマ文化を象徴しているようなクルマだが、古くは農作業用として使われていたため、州によっては自動車税が無税か低率に抑えられ、所得が少ない若者たちの人気を集めるようになっていき、爆発的にヒットするようになった。とくに中西部や南部では一種のステータス・シンボルになるほどで、日本の自動車メーカーもトヨタ、日産、ホンダが現地生産している。
 現地生産である以上、当然アメリカでも国産車扱いになるから高率関税の対象にはならないし、仮にアメリカがピックアップの関税率を下げても、日本の自動車メーカーが国内での需要が見込めないのにアメリカへの輸出目的でピックアップを国内生産したりはしない。だから、日本としてもアメリカに「農産物の自由化と引き換えにトラックも自由化を」と迫って、万一実現したら虻蜂取らずの結果に陥ることは目に見えており、そのため攻め手にあぐんでいるというのが実情である。
 もともと先の大戦の原因の一つとして保護貿易国に対して自由貿易を推進したいという国との経済戦争という側面もあった。そのため1947年10月、ジュネーブでGATT(ガット。関税及び貿易に関する一般協定)が発足し、86年9月のウルグアイ・ラウンドまで8回にわたる多国間交渉が行われ、その間に平均関税率は10分の1以下の4%にまで低下した。ウルグアイ・ラウンドは発展的に解消し、現在はWTO(世界貿易機関)となっている。
 余談だが、実は私はいつもデータとして利用している数字について疑問を持っている。主要なメディアは毎月、内閣支持率や政党支持率、いろいろな政策に対する支持率が発表されるたびに思うのだが、アンケート調査の対象はコンピュータが無差別に選んでいると言われるだけで、宝くじ方式の無差別なのか(その場合は単純平均)、それとも加重平均で選んでいるのかがわからないから、正確さについての疑問を持たざるを得ない。加重平均でコンピュータが選んでいたら、かなり正確になるが、その加重平均も都道府県の人口比例での加重平均なのか、あるいは年代層別に加重平均しているのか、その調査方法によって結果に対する分析は大きく異なるはずなのだが、その調査方法が「コンピュータが無差別に選んだ」としか発表していないので、本当に民意を反映しているのか疑わしい感じが否めない。
 例えば今年4月から実施される消費税増税についても、世界でも異例な増税支持が反対を上回るという世論調査の結果が各メディアから発表されたが、消費税増税によって年金など社会補償を受ける高齢者はおそらく大多数が賛成したであろうが、低所得で自分たちが高齢になった時のことを不安に思っている若者層がどれだけ増税を支持したのか疑問を抱かざるを得ない。同様に8回にわたるGATTのラウンドで平均関税率が10分の1以下の4%まで下がったと言われても、単純平均(すべての関税率を平均化したもの)なのか、それともそれぞれの輸入品の輸入総額の中に占める割合を考慮に入れた加重平均をしているのか、その辺が、ネット検索で数字を丸呑みして書いていながら、正直疑問に思わざるを得ないのだ。
 それにしても、TPP交渉に参加している加盟国のGDP(国内総生産)総計のうち91%を日米の2か国が占めており、当初4か国でスタートし最終的に関税ゼロを目指すというGATTの理想を継承したTPP交渉は事実上日米のFTA(自由貿易協定)になってしまったという見方が強まっている。つまり、もともとは経済小国の4か国が国民生活を豊かにすることを目的として関税のない自由貿易圏を作ろうというのがTPPの目的だったはずなのだが。
 それが「国益」に名を借りた日米のエゴ丸出しのせめぎ合いで、日米経済大国の草刈り場になりつつあるのがTPP交渉の現状である。実際、ウィキリークス(情報提供者を絶対に秘匿する体制を整えて政府や企業、宗教などに関する機密情報を集めて公開しているウェブサイトの一つ)が「TPPの草案」(TPP交渉で配布された極秘資料)のうち知的財産分野の条文草案をニュースして公表した。その内容についてオーストラリアの日刊紙、シドニー・モーニング・
ヘラルド(1831年創刊)はこう指摘して警鐘を鳴らしている。
「これは消費者の権利および利益を大きく度外視していると同時に、アメリカ政府が企業の利益を優先した内容であり、製薬業界、大手IT産業、ハリウッド、音楽業界に有利な内容で、まるで大企業へのクリスマスプレゼントだ」と。
 私はそれに大規模農家や医療関係業界(製薬業界だけではない)も加えたい。
 私は1940年(昭和15年)の生まれだ。日本が終わったのは5歳の時。外地(中国の天津)に疎開していた私は、戦争終結直前に現地で召集された父を残し、兄とともに母が必至の思いで日本に連れ帰ってくれた。当時の思い出はほとんど記憶にとどめていないが、帰国の旅に出るとき、兄と私はオブラートでくるんだ小さな包みを母から渡されたことだけが、なぜか脳裏の片隅に残っている。その包みの中は、数年たったのち、母が教えてくれた。青酸カリだった。致死量をはるかに超える量だったという。「お母さんがのみなさい、と言ったらのむんだよ」と言って渡したということだった。
 もちろん私が小学校に入ったのは戦後である。私は戦中派の最後の世代であり、戦後民主主義の最初の申し子でもあった。小学生の時から「民主主義」というものを教えられて育った。
「何でも多数決で決める」――それが小学生の時教わった民主主義の概念だった。「正しいか、間違っているか、は数で決めていいのか」と5年生だったか6年生だったかの時、先生に食って掛かったことがある。当時、私のクラスではなんでもクラスルームで決めていた。教室の壁には「いい者グラフ」「悪い者グラフ」が貼ってあり、週に1回のクラスルームでクラスのみんなが「いいことをした人」「悪いことをした人」を名指しでいう。自ら「私は(僕は)こんないいことをしました」と名乗りを上げる生徒もいる。その都度多数決をとり、数が多い方のグラフのマス目が一つずつ塗りつぶされるようになっていた。棒グラフのようなものをイメージして貰えばいい。だいたいはある生徒が手を挙げるのを見てから一斉に手が挙がっていた。その生徒は頭もよく、人にも親切で、クラスの信望が厚かった。だけどお山の大将といったタイプではなかった。母親の教育がよかったのだろう。「俺が、俺が」とでしゃばるタイプでもなかった。だから私も多くの場合、彼が手を挙げた方に手を挙げていた。が、意見が衝突したことがあった。相当激しく論争した挙句、先生が多数決をとった。私が僅差で負けた。「何でも多数決で多数を占めた方が正しいのか」と先生に食って掛かったことはその時だった。先生は答えることができなかった。翌週、「いい者グラフ」「悪い者グラフ」は教室から撤去された。
 私が民主主義とは恐ろしい制度だと思うようになったきっかけだったと思う。もちろん小学生の時にそのような成熟した疑問を抱いたわけではない。ジャーナリストになった時、改めて民主主義というものと向き合わざるをえなくなり、小学生の時のちょっとしたエピソードを思い出したというだけの話だ。
 今回のブログの冒頭に書いたように、いま「民主主義」が崩壊の危機に瀕している。日本に戦後民主主義を持ち込み(戦前・戦中も日本は形式的には民主主義の制度を採用していたし、北朝鮮ですら正式な国名は朝鮮民主主義共和国である)、日本を「いい子」に育て日本型民主主義のモデルとなったアメリカが、それもリベラル主義の政党とされている民主党のオバマ大統領が、選挙のためなら表の顔をひっくり返さざるを得ないのが民主主義の実態であることを、TPP交渉はもろにさらけ出してしまった。今年アメリカでは中間選挙があり。すでにオバマ氏は2期目に入っているため次の大統領選挙には出馬できない。それでも民主党政権のためには、これまでオバマ氏がしてきたことのすべてをひっくり返すようなTPP交渉の方針を打ち出すとは…。
 オバマ大統領の最大の功績は、不完全とはいえ曲がりなりにも国民皆保険制度の導入を実現したことだった。民主党の大統領候補の座をオバマ氏と争ったヒラリー・クリントンが、クリントン政権時代に政治生命をかけて取り組んだにもかかわらず実現できなかった国民皆保険制度の導入に成功したことは、オバマ大統領の最大の功績として高く評価されていた。それほど気高い信念で社会的弱者のために「何でも自己責任」を口実に国民皆保険制度の導入に反対してきた共和党をねじ伏せた力量は、歴代大統領の中でも高く評価されていいと私は思っていた。が、中間選挙という壁を超えるためだったら、自らの信念であり政治信条としてきたリベラル主義を捨ててまで、アメリカの「国益なるもの」を環太平洋の経済小国に押し付けても許されるのか。
 日本もそうだ。これまで日本はアジアの新興国(旧「発展途上国」、旧旧「後進国」)を育てることで日本自身も発展してきたという側面もある。結果論、と言ってしまえば結果論だが、日本がアジアの新興国に産業進出したことで、新興国が大きく成長し、日本の先端産業界のライバルにまで育ってきた。そのことによって弱体化した産業もあるが、ロシアや中国はいぜんとして日本の技術力に頼らざるを得ない状況にある。
 いまの日本を取り巻く国際状況を見れば、なぜ韓国の朴大統領が国民の反日感情をあおり続け、一方ロシアのプーチン大統領が今秋来日してまで日本との経済関係を密にしようとしているのか(プーチン大統領は、おそらく自分が政権の座にある間に日本との領土問題を解決したいと考えている)、また尖閣諸島をめぐって領土問題にしようと画策している中国の習近平国家主席が、中国人の反日感情を必死になって抑え込もうとしているのか。そういった、日本にとって重要な隣国の対日姿勢の裏(つまり本音)が透けて見えてくるはずなのだ。
 そういう要素も含めて考えるとき、日本は再びあの悪夢の時代に戻ろうとしているのかという危惧すら覚える。
 いったい「国益」とはなんなのか。誰が決めるのか。
 零細農家の生活を支えるために税金をじゃぶじゃぶ使え、と日本人の大多数が主張しているのか。私は昨年1月11日、発足直後の安倍政権に対する提言をブログで投稿した。記事のタイトルは『安倍政権は公約に反しても「聖域なきTPP交渉」に参加すべきだ』である。その中でこう書いた。

(高石早苗政調会長がテレビでTPP交渉に参加する意向を表明したことに関して)民主は野田前総理が早くからTPP交渉参加への意欲を公言していた。総選挙のマニフェストには、党内の「TPP交渉参加をうたうと、地方では戦えない」という主張に妥協して盛り込まなかった。
 一方、自民は「聖域なきTPP交渉には参加しない」と公約していた。「聖域」とは農業分野であることは自明である。結果、地方で自民はほぼことごとく勝利を収めた。
「ふざけるな!!」
 民主・野田前総理はいま歯ぎしりしているだろう。
「そんなの、ありか!」
 そう思っているかもしれない。
 総選挙における公約(マニフェスト)とはそんなに軽いものなのか。選挙に勝つためなら、どんなウソをついてもいいのか。政党や立候補者が選挙に勝つことだけを最優先してポピュリズムに走るから、政治に対する国民の不信感は募るのだ。(中略)
(自公政権が)自由貿易を目指すなら当然「聖域なき自由貿易」を目指すべきだと私は考えている。たとえば、自動車と言えば、アメリカにとってはかつては産業のシンボルだった。だから戦後一貫して保護政策をとってきた日本に対し、最初に自由化を迫ったのは自動車だった。(中略)
 かなり自由化が進んだ今日でも高い関税で保護されている国産品は少なくない。たとえば革靴(すべてではなくても一部に皮が使われていれば適用される)は30%もしくは一足当たり4300円というべらぼうな関税障壁がある。日本の歴史で最大の汚点と言っていい差別を受けてきた人たちが革靴の職人に多いという理由からだ。差別を受けてきた人たちの苦しみは今も消えていない。差別視する日本人が日本から一人もいなくなるまで、彼らの苦しみに正面から向かい、救済するのは政治の大きな課題ではある。だが、高い関税で外国製品を排
除することが彼らへの償いになるのか、私は疑問を禁じ得ない。第一、そんな
障壁理由を海外に説明できるか。(※政府が関税障壁を守ろうとしている重要5
品目には「革靴」は入っていない。この時期は私はブログの元原稿を読売新聞
と朝日新聞にはFAXしていたから、この重要な情報を彼らは無視したのだろう。何らかの政治的配慮によって…)(中略:この後転記することはTPP交渉とは無関係だが、非常に重要なことなのであえて転記する)
 明治の時代になって日本の通貨は一本化され紙幣と硬貨が原則となり、単位は円と銭の2種類になった。現在通貨としての銭は発行されていないが、単位の呼称としての銭は今も使用されている。当初政府は通貨の兌換性(一定の比率で通過を金と交換すること)を保証していたが、1931年にイギリスが金本位制を停止したのに伴って日本も金本位制から離脱し、通貨の金への兌換を停止した。その結果、日本の通貨に対する国際的信用が下落し、急激な円安に陥った。当時の為替は固定相場制ではなかったのである。
 だが、この急激な円安はまだ離陸したばかりの日本の近代産業にとっては神風となった。輸出が急増し、輸出先の国にとっては国産品が日本製品との競争できわめて不利になる要因となった。世界各国から日本に対し「ダンピング輸出だ」と言われのない非難が浴びせられ(※この記事を書いた時、ネットで検索したことをそのまま信用してこう書いたが、当時の日本企業が「ダンピング輸出」をしていたのか否かの検証はしていなかった。申し訳ない)、日本は輸出先を欧米先進国からアジアへと転換を余儀なくされた。そのアジアはすでにヨーロッパ諸国によって分割支配されていた。日本がヨーロッパ諸国と経済的利害を巡って激突したのは当然の帰結であった。ヨーロッパ諸国はアジアの支配権を防衛するため、アメリカを誘い入れて日本を孤立化する戦略に出た。それが具体化したのがABCD包囲網で、日本の産業力を殺ぐべく石油の日本への輸出をストップする手段に出た。これが日本を一気にアジア支配のための軍事行動に駆り立てた経済的要因である。(※当時世界主要国は貿易に関しては保護貿易政策をとっており、自国の産業競争力を強化するために自国通貨の切り上げ・切り下げを自由気ままに行っていた。それが貿易摩擦を劇化し、世界大戦を惹起した経済的要因の一つになったという反省から、第二次世界大戦の末期の1944年に米ニューハンプシャー州ブレトンウッズで国際的に安定した為替レートを決めて自由貿易を促進することになり、戦後日本の円は1ドル=360円という固定相場制の下で経済力の奇跡的な復活を成し遂げたという経緯があったため、TPP交渉においては日米の経済大国が大国エゴを振りかざしていてはまとまる話もまとまらなくなることの補足説明として加えた)(中略)
 86年から95年にかけてIMF(※国際通貨基金。ブレトンウッズ体制下で自
由貿易を推進するために設けられた)体制下での最長のロングラン通商交渉となったウルグアイ・ラウンドでは、先進国の農業保護政策の見直しが最大のテーマとなった。アメリカは「アメリカも農業保護をやめるから他の先進国も農
業保護をやめないか」と主張したが、農業保護をやめると政権がつぶれること
だけしか考えない他の先進国(もちろんその中に日本も含まれる)の猛反対により、10年かけた長期交渉でも農業分野の自由化は実現しなかった。以来世界規模での自由化の交渉は途絶し、地域単位の自由化を進めながら、それが実現した将来、再び世界的規模での貿易自由化の仕組みの構築について話し合おうという流れになった。そういう流れの中で地域貿易の自由化圏構築を目的にした試みの一つがTPPなのである。
「聖域なきTPP」交渉に参加して日本が自ら血を流しても発展途上国(※1年前にはまだこの呼称が一般的には使われていた。現在は「新興国」という呼称が一般的である)のために農業保護をやめると宣言すれば、他国にとって「脅威となる軍事力」を持たなくても日本の国際的発言力は飛躍的に高まる。(それ以外の方法で、農業保護を続けながら)かつ世界の孤児にならずにすむ方法が会ったら、その方法を具体的に示していただきたい。いま日本がTPPに参加することを国民が支持するか否かに、日本人の民度が問われている。
 TPP交渉はもう最終段階に差し掛かっている。待ったなしの状況の中で、安倍政権は、このブログの冒頭に書いたことと相反する主張に見えるかもしれないが、 「聖域なきTPP交渉」への参加を決意すべでだ。たとえ、公約が軽い、と国民の政治不信を増大することになってもだ。

 この転記したブログ記事は、安倍政権が正式にTPP交渉に参加することを表明する2か月前に投稿したものである。すでに日本がTPP交渉のテーブルで相当の発言力を行使している現在の視点で読むと多少の違和感をお持ちになると思うが、TPP発足時点の「自由貿易圏の構築」という理想は日米のエゴの衝突でどこかへ吹き飛んでしまった感がある。
 TPP交渉に参加している国はすべて民主主義を標榜している。だったら争点が出尽くしている今、さっさと民主主義の大原則に従って、多数決で関税撤廃への段取りを決めたらどうか。TPP交渉参加国の中で経済大国はアメリカと日本だけだ。新興国が圧倒的多数を占めている。
 本当の意味での「国益」とは何かの国民的議論もせずに、勝手に「国益」を決め、実のところは政権・政党のための「党益」をちゃっかり「国益」にすり替えているのがアメリカと日本ではないのか。
 TPP問題については、また改めて書く。