NHKがとんでもない迷走を始めた。NHKの番組の中で最も権威があると自他ともに認める『ニュース7』でメイン・アナウンサーが安倍総理の提灯を担ぐアナウンスを数回(たぶん4~5回)行い、しかもテロップの字幕でも同様な説明文字を流したのだ。
実は同じような表現のテロップを、2月5日の『ニュースウォッチ9』で流した時、私はNHKのふれあいセンターに電話をして責任者にクレームを申し入れた。その後、NHKは私のクレームを受け入れて、いったん表現を変えた。ところが2月25日の『ニュース7』で、冒頭に書いたようにとんでもない報道をしたのである。この20日の間に、NHKの政治部に何があったのか。新任の籾井会長は編成や編集に口出しはしないと国会で証言しているから、籾井会長の直接の指示ということは考えにくい。籾井会長が間接的に指示したのか。あるいは籾井会長の取り巻きが「会長の意向だ」と政治部に圧力をかけたのか。いずれにしても、この「事件」が公になれば、政治部長の首は間違いなく飛ぶし、籾井会長もただでは済まないかもしれない。
現在、首相官邸に「安保法制懇」(安全保障の法的整備の再構築に関する懇談会)が設置されている。もともとは第1次安倍内閣(2006年9月~07年8月)の時に安倍総理が設置した私的諮問機関である。その目的は、日本の集団的自衛権の問題と日本国憲法の関係整理及び研究をすることだった。
このとき設置された安保法制懇についてはすべてのメディアが「総理の私的諮問機関」あるいは「総理の私的懇談会」と位置付けていた。そして、安倍総理が健康上の理由で辞任し、福田内閣(07年9月~08年8月)が誕生した。
安倍総理は辞任後「総理在任中に靖国神社に参拝できなかったのは痛恨の極み」と思いを語ったが、福田総理は自分の内閣から数名の閣僚が靖国神社に参拝して中国や韓国の反発を受けて、靖国神社に代わる戦没者追悼のための国立墓地建設を諮問する有識者会議を私的に設置した。
第1次安倍内閣の安保法制懇も、福田内閣の時の国立戦没者墓地建設の私的諮問機関も、ともに首相官邸に設置された。政府が設置した諮問機関(あるいは有識者会議)は、閣議で決定されたうえで通常内閣官房に設置される。そうなると政府が設置した正式な機関ということになるからオフィシャルな機関となり、内閣が代わっても与党に変更がないかぎり存続される。しかし、政府が正式な手続きを踏んで内閣官房に設置することができなかった場合は、総理の私的諮問機関(あるいは有識者会議、懇談会)として首相官邸に設置される。(以降第1次安倍内閣の時に安倍総理が設けた安保法制懇は「第1次法制懇」、第二次安倍内閣時のは「第2次法制懇」と記すことにする)
結論から言えば、第1次法制懇も、福田総理の諮問機関も、総理の退陣とと
もに消滅している。政府のオフィシャルな諮問機関(あるいは有識者会議、懇談会)ではなかったからだ。
第1次法制懇は5回会合を開いたが、肝心の安倍総理が退陣したため立ち消えになった。繰り返すようだが、第1次法制懇が政府のオフィシャルな有識者会議であったら、総理が退陣しても政権与党が変わらない限り継続審議されるのが通例である。だが、いちおう第1次法制懇は柳井俊二座長の名において08年6月に報告書をまとめている。すでに安倍総理は退陣したあとのことで、福田総理の時だ。が、福田総理はこの報告書を握りつぶした。政府のオフィシャルな諮問機関が提出した報告書でなかったからだ。
従来から、憲法9条の解釈について政府は「外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合に、これを排除するために必要最小限の範囲で実力を行使することまでは禁じていない」という解釈を継承してきた。
一方、国連憲章第51条は国連加盟国の「自衛権」について「(外部からの)武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当たって加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章(※国連憲章の全文)に基づく権能及び責任に対しては、いかなる影響を及ぼすものではない」と、自衛権行使の権利と行使した場合の措置について定めている。
日本の法律文書や金融商品(預貯金、クレジット、保険など)の約款もそうだが、誤解や曲解を防ぐためかどうかは分からないが、ことさらに難解な文章の羅列になっている。で、私は1月6日に投稿したブログ『安倍総理の集団的自衛権行使への憲法解釈変更の意欲はどこに…。積極的平和主義への転換か?』で国連憲章をかみ砕いて説明したが、さらに大胆に要約してみる。
まず国連憲章は、国際間のトラブルは話し合いによる平和的な解決(二国間、仲介国を入れた三国以上、国際司法機関、国連などの場で)を義務付けている。が、それでも国際紛争を解決できなかった場合は、国連の安保理があらゆる手段(経済制裁などの非軍事的措置及び武力行使による軍事的措置)を使ってトラブルを解決する権限があることを認めている。が、安保理には拒否権を持つ常任理事国5か国があるため、せっかく与えられた権限を行使できないことも考えられるため――という前提で外部からの攻撃を受けたときには、攻撃された国は「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を行使(武力による防御を意味する)してもかまわない、という意味なのである。
そういうふうに解釈すれば(高校生くらいの読解力があれば、間違いなくそ
う解釈する)、日本の場合、「個別的自衛権」としてはすでに自衛隊を擁しており、「集団的自衛権」としては一応「同盟国」という位置付けをしているアメリカが日米安保条約によって助けに来てくれることになっている。だから、私はこのブログを書いたことを首相官邸のホームページから連絡した。その数日後、首相官邸からメールが届き「関連部署に伝えました」と返事がきた。つまり私の「集団的自衛権」解釈は無視できないと首相官邸は判断したということだ。
もともと政府の集団的自衛権の解釈は「日本と密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、日本への攻撃とみなして日本が武力行使をする権利」とおかしな解釈をしてきた。そういう解釈に立てば、「集団的自衛権は固有の権利として認められているが、我が国の場合、憲法9条の制約によって行使できない」という結論になるのは当然である。
そこで第2次法制懇は、私の主張との整合性を図るため集団的自衛権についての従来の政府解釈を微妙に変えることにしたようだ。
第1次法制懇が08年6月に提出した報告書には集団的自衛権の行使について、こうまとめている。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を『国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』ものであって、個別的自衛権はもとより、集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障への参加を禁ずるものではないと読むのが素直な文理解釈であろう」と。
もし、そう解釈できるなら、憲法9条は何の意味も持たないことになる。福田総理が無視したのはそのためである。
が、第2次安倍内閣の発足によって安保法制懇(第2次法制懇)も再開される。柳井座長をはじめ、懇談会のメンバーも同じ顔ぶれが大半を占めた。最初から結論ありきのはずだったから、昨年夏ころには柳井氏は「憲法解釈の変更で集団的自衛権を行使できるめどがついた。年内には結論を出す」と胸を張っていたのだが、私が8月29日に投稿したブログ『安倍総理は勘違いしている。日本はすでに集団的自衛権を保持している』を投稿し、首相官邸にそのことを通知した。その後柳井座長は第2次法制懇から一時逃げ出している。簡単に第2次法制懇の会合(第2次法制懇のホームページにも「会議」ではなく「会合」と記載されている。マスコミは「会議」と「会合」の言葉の持つ意味の重さの違いも理解できないようだ)での柳井座長の出欠歴を紹介する。
第1回 13年2月8日 出席
第2回 13年9月17日 欠席
第3回 13年10月16日 欠席
第4回 13年11月13日 欠席
第5回 13年12月19日 出席
第6回 14年2月4日 出席
少なくとも柳井俊二氏は第2次法制懇の座長である(第1次法制懇でも座長だったが)。そして夏ころには「年内に憲法解釈の変更が可能との結論を出せる見込みがついた」と豪語していた。
その、安倍総理が最も頼りにしていた人物が、肝心な時に3回も連続して大事な会議をすっぽかしているのである。その間に必死に頭をひねっていたのだろう。第2次法制懇の北岡伸一座長代理21日、日本記者クラブで記者会見して4月に提出する最終報告書の骨子を明らかにした。それによれば、集団的自衛権行使の条件として「密接な関係にある国が攻撃される」「放置すれば日本の安全に大きな影響がある」など5条件を報告書に盛り込む考えを示した。ほかの条件は、「攻撃を受けた国から日本の支援を求める明らかな要請がある」「首相が総合的に判断し、国会の承認を受ける」ことなどとしている。4月にこれらの内容を盛り込んだ上で集団的自衛権を行使できるという報告書を第2次法制懇は出すようだが、この第2次法制懇の位置付けについて依然として不透明なままである。
民放のニュース番組は事実上「ニュースショー」なので、こうしたシリアルな政治問題は報道を避けているようなので(各民放の視聴者センターに確認してはいない)、新聞がどう位置付けているか調べてみた。読売新聞と産経新聞は「政府の有識者会議」と位置付け、朝日新聞は「総理の私的諮問機関」、毎日新聞は「総理の私的懇談会」、日本経済新聞はただの「有識者会議」としている。
どうして新聞各紙の位置づけが異なっているのか。新聞だけではない。自民党には聞くまでもないと思い聞いていないが、野党はもちろん私的諮問機関(あるいは私的懇談会)という位置付けで、与党の公明党すら私が電話で問い合わせた24日の時点では肝心の集団的自衛権問題の担当スタッフも「そういうことは考えたこともありませんでした」といったありさまだった。私が「政府の、ということになると公明党も閣僚を送り込んでいますから、責任を共に負うことになりますよ」と申し上げたら、びっくりしたような様子で「この件は直ちに上にあげます」と約束した。
しつこいようだが、原則は政府が閣議で決定したオフィシャルな諮問機関(あるいは有識者会議)は内閣官房に設置される。少なくとも福田総理が設けた国立戦没者墓地建設を検討するための諮問機関は、自民党内部での反対意見が強くてオフィシャルな諮問機関として閣議決定できずに、私的諮問機関として首相官邸に設置された。もし福田総理が早期退陣せずに、この私的諮問機関が「国立戦没者墓地を建設すべきだ」という報告書を提出していたら、自民党は賛否が二分していたであろうが、与党の公明党をはじめ全野党が支持しただろうから、その時点で靖国参拝問題は解決していたはずだ。
ところが、第2次法制懇についてはメディアの位置付けはすでにバラバラなのだ。一般的には右寄りとされている読売新聞や産経新聞が「政府の」と位置付け、左寄りとされている朝日新聞と毎日新聞が「私的」と位置付け、中間的立場の日本経済新聞は何の位置付けもしていないことはすでに書いた。
そこで問題になったのがNHKである。2月5日(第6回目の第2次法制懇の会合が行われた翌日)の『ニュースウォッチ9』(『ニュース7』だったかもしれない)で「政府の有識者会議」と位置付けたテロップを流した。私は直ちにふれあいセンターの責任者に電話をして公共放送であるNHKがNHKの判断で第2次法制懇をオーソライズするのはまずいのではないかと申し上げた。その時責任者は第2次法制懇についての位置付けが非常に重要な意味を持つことへの理解はできなかったようだが、「お客さまのご意見は伝えさせていただきます」と対応してくれた。
私が再度疑問を感じたのは、21日に第2次法制懇の座長代理の北岡氏が記者会見で、4月に出す予定の報告書の概要を発表したのちである。その日はあいにく外出していてNHKのニュースを見ることができなかったのだが、やはり気になり、24日にまず公明党の事務局と内閣官房国家安全保障局に電話をした。公明党事務局の担当スタッフとのやり取りはすでに書いた。
ついで内閣官房国家安全保障局に電話をした。第2次法制懇の公式ホームページに「連絡先」として内閣官房国家安全保障局が記載されており、所在地や電話番号も載っている。が、安保法制懇の担当者に「メディアによって安保法制懇の扱い方がまったく違うので、本当のところはどうなのか」と尋ねたのだが、担当者は非常に歯切れが悪い。私の質問に答えないのだ。担当者が言ったのは「昨年2月22日に安倍総理から、安保法制懇の事務方は内閣府が担当するように指示がありました。しかし安保法制懇の会合は首相官邸で行われています」という、すでに私が知っていることだけだった。私がさらに「通常、政府のオフィシャルな有識者会議や諮問機関の場合、内閣官房に設置されますね。しかし、総理の私的諮問機関などは通常首相官邸に設置されます。安保法制懇の場合、首相官邸に設置されながら事務方は内閣官房が引き受けるということはどういうことですか」と追及したが「その辺の事情は私にはわかりません。ただ言えることは先ほど述べたように事務方は内閣官房が担当するよう総理から指示があったということだけです」だった。
ちなみに内閣府は2001年1月の中央省庁再編に伴い、内閣(事実上の内閣官房を含む)主導により行われる政府の政策の企画・立案・総合調整(縦割り組織である各省庁間の調整)を補助する目的で設置された。内閣府は、そういう意味では各省庁と横並びの行政機関という位置付けになっているが、内閣府のトップ(省庁の大臣・長官に相当)は総理大臣であり、内閣官房は内閣府に置かれているが官房長官室は首相官邸にある。そのうえ、内閣府の各部門は千代田区の永田町と霞が関に分散しており、永田町にある内閣府の代表電話番号に電話をかけても内線でつなげることができない部署もあるという。
非常にややこしい組織になのだが、2001年に新設されたということもあって、永田町や霞が関に独立したビルを建てるスペースの確保が難しかったのだろう。それはいいとしても、読売新聞や産経新聞が第2次法制懇について「政府の有識者会議」と勝手に位置づけたのは、内閣府のトップは名目上総理大臣であり(縦割り行政の弊害を防ぐことが内閣府の重要な役割であり、そのため各省庁間の調整を行うには内閣府に相当の権限を付与する必要があるため、内閣府の長官職は総理大臣が兼任する形式をとることにしただけのこと)、総理の女房役である官房長官も名目上は内閣官房のトップであるが、官房長官室は首相官邸に置かれているうえ、安保法制懇の会合に総理と官房長官も出席していることで、読売新聞と産経新聞が「政府の有識者会議」と位置付けた理由だと思う(両新聞社に理由を聞いたことがあるが、そういう質問にお答えするところではないと回答を拒否された)。
だが、それなら第1次法制懇のときには両紙とも「私的諮問機関・懇談会」と位置付けたのか。第1次の時も会合には総理と官房長官が出席しており(福田総理の時は不明)、安保法制懇の位置付けについての一貫性がない。また位置付けを変えたことについての説明も紙面でしていない。「言論の自由」を喚き散らしながら、読者に対しては「黙って新聞に書いていることを受け入れろ。文句があるなら読まなければいい」と言わんばかりの、自分たちは何様だと思っているのかと言いたくなるほど傲慢な連中だから、主張を変えても説明責任を果たす必要性などまったく感じないのも当然と言えば当然かもしれない。
が、民間企業の新聞社と違ってNHKは立場が違う。法律で視聴者に視聴料の支払いが義務付けられており(ただし、支払わなくてもイギリスのBBCのように罰金をとられるようなことはない。フランスなど公共放送の受信料を税金で徴収している国もある)、だからNHKは常に公平で公正・政治的中立をたもった放送がやはり法律で義務付けられている公共放送である。だからBPOはNHKと民放各社が共同で設立したが、NHKの出身者の発言力が強く、そのためかえってNHKに対する厳しい目線で放送をチェックしている。
ある意味では、NHKの職員の使命感の高さには私も高く評価している。私がかつて『NHK特集の読み方』(88年11月、光文社から上梓)を書いた時、広報の計らいである番組制作のプロジェクト・チームの取材に完全密着して取
材現場から編集現場。編集後のチェックや修正作業、放送中に視聴者からかか
ってくる電話に対応するため1室に全員が待機する場まで同席させてもらい、彼らの仕事ぶりに心から感動したことがある。
にもかかわらず、私は同書でNHK特集の空前絶後の反響を呼んだ番組『世界の中の日本――アメリカからの警告』について手厳しい批判もして、その個所が様々な方から書評で高く評価されたことがある。この番組はゴールデンウィークが始まる1986年4月26日(土)~28日(月)にかけての3日連続で、それもゴールデンタイムに放送したシリーズ番組で、のちに雑誌スタイルの3冊の本になったほどだった。この成功でメイン・キャスターを務めた磯村尚徳氏は、この番組で一躍名を挙げて都知事選に担ぎ出されたほどだった。
それほどの番組に対して、私は「欠落した重要な視点」(見出し)としてこう指摘した。「日本と海外、特にアメリカとの関係を論じるうえで、きわめて重要な視点が欠落していることも指摘しておかなければならない。それは自動車や電気製品を作っている輸出メーカーは、果たして円高の被害者なのか加害者なのか、という視点である。私は輸出メーカーは三つの点で、円高の加害者であ
ると考えている。一つは日本の消費者に対して、二つめは日本の零細輸出業者に対して、三つめはアメリカの産業界に対して、である。その後、この視点で当時の松下電器産業(現パナソニック社長)の谷井昭雄社長にインタビューして月刊誌に掲載した記事を抜粋転記したのだが、その部分だけでも相当長くなるので要約する。
NHKがこの番組を制作した当時は、その前年に米プラザホテルに先進5か国の財務担当相が集まり、疲弊したアメリカ経済を立て直すために先進国が協力してドル安誘導することを決めた歴史的会合が行われた(通称「プラザ合意」)。その結果1年で円は倍近くに高くなったのだが(※わずか2~3円の為替相場の変動で株価が大きく動く現在では想像もできないことだが)、1年で円が倍になっても輸出大企業はびくともしなかった。そこで日本の大企業のお行儀の悪さにお灸をすえるため松下電器産業をやり玉に挙げたのである(私が月刊誌の編集長に依頼したのは、松下かトヨタのトップにインタビュ―をセットしてほしいということだったので、たまたま雑誌の締め切りの関係もあり谷井氏へのインタビューになっただけで、谷井氏にはお気の毒だったと思っている)。
この急速な円高で、日本の輸出メーカーはまったく苦境に陥らなかった。円がドルに対して倍になれば、アメリカで1ドルで売っていた商品は単純計算でいえば2ドルに値上げしなければならなくなるはずだ。が、日本の大企業は多少値上げはしたが、せいぜい10%か20%に値上げ幅を抑えてしまった。アメリカからの、ダンピングだという非難に対しては「合理化努力の成果だ」と日本企業は反論した。
本当に合理化努力によってコストダウンに成功したのなら、その恩恵に日本
の消費者があずかれないのはなぜか、と私は批判した。それが第1点である。つまり私が言いたかったのは、アメリカへのダンピング輸出によって生じた減益分を日本の消費者から回収しようという大企業のお行儀の悪さにお灸をすえたのである。
第2点めは、国内の消費者に減益分を転嫁できない零細輸出業者に対する加害者に、結果的になったという点である。たとえば、新潟県の燕市は金属製洋食器の産地として世界的に有名だが、輸出価格を円高に比例して値上げするわけにもいかず、かといって大手自動車メーカーや電機メーカーのように国内の消費者を犠牲にすることもできず、金属産業存亡の危機に立たされたことがある(※今は技術革新によって危機を乗り越えたようだ)。この指摘はそれはそれで間違いではないが、もう一つ付け加えるべきだった。それは、いま大企業の中小下請け会社が消費税増税分を納入先に拒否されて困っているのと同様、当時の大企業の「合理化努力」の中身に下請けいじめも含まれていたことを指摘しておくべきだったことである。私のこの番組に対する批判の視点を多くの評者が高く評価してくれただけに、忸怩たる思いをいまでも引きずっている。
第3点目は、アメリカ産業界に対する加害者としての側面である。アメリカが産業の空洞化に苦しんで「助けてよー」と世界の先進国に頭を下げたのは、誇り高きアメリカにとって空前絶後のことだった。自業自得と言ってしまえばそれまでだが、やはり日本が世界第2位の経済大国になったのは(当時。今は中国に抜かれて3位)、やはりアメリカのおかげだった。だから、アメリカ政府が誇りを捨てて頭を下げて頼んだのに対して、世界の先進国は「よっしゃ」とドル安誘導の金融政策をとったのである。日本政府も足並みをそろえて協力した。にもかかわらず日本の大企業は「合理化努力によってコストダウンに成功した」ことを口実に、ダンピング輸出で米産業界に打撃を与え続けた。その後、アメリカ中に、他の先進国に対してではなく日本に対してのみ「ジャパンバッシング」の嵐が吹き荒れることになったことが、番組からすっぽり抜け落ちているというのが私の指摘だった。
少し話が横道にそれたが、第2次法制懇についてNHKは2月5日のニュースで「政府の有識者会議」と位置付ける報道をした。私はすぐにNHKのふれあいセンターに電話して責任者に「メディアによって位置付けが違う第2次法制懇について、読売新聞と産経新聞しか『政府の有識者会議』と位置付けていない状況であることを伝え、NHKが『政府の有識者会議』と位置付けてしまうのはどういうことか」とクレームを付けた。NHKの責任者は「大変重要なご指摘です。政治部に伝えます」と返答した。
そして先に述べたように2月21日に第2次法制懇の北岡座長代理が4月に提出予定の報告書の内容について記者会見で述べたため、私は24日に再びNHKのふれあいセンターに電話をし、責任者に代わってもらって2月5日以降のNHKニュースで第2次法制懇についてどう位置付けているかNHKのデータベースで調べてもらった。結果は大変満足するもので「5日以降は『懇談会』としか言っていません」ということだった。
実は当日、私は第2次法制懇の公式ホームページにある問い合わせ先(内閣府の代表番号)に電話をして国家安全保障局の担当者につないでもらって事情を聴いていた。すでに述べたように、担当者もどう位置付けていいのかわからない感じで、ただ事実として「安倍総理の指示により事務方を内閣府が担当していますが、懇談会の会合は首相官邸で行われています」ということしか言えなかった。また与党であり、政府の一翼を担っている(閣僚を送り込んでいれば、自動的にそういうことになる)公明党ですら「政府の有識者会議」という認識を持っていないことも私は確認していた。で、NHKの責任者にそのことを伝え、今後も冠表現(私的あるいは政府の)を付けずに、ただの「懇談会」という位置付けを続けるように要望した。責任者は分かりましたと私の主張を受けとめてくれた。
ところが、その翌日、25日の『ニュース7』でとんでもないことが生じた。スーパー字幕で「政府の有識者懇談会」と流し、メイン・アナウンサーが数回(少なくとも4~5回)にわたり「政府の有識者懇談会」というアナウンスを連発したのである。
すでに書いてきたように、政府の一翼である公明党の集団的自衛権問題の担当者ですら「政府の有識者会議(NHKは会議を懇談会と言い換えただけ)という認識はしていない」と私に証言している。また、このニュースの中で、公明党の山口代表は記者会見で「報告書が出てから考える」と発言した場面の映像、さらに菅官房長官も「与党(自公両党)と相談のうえ対応を検討していく」と、まだ閣議決定していないことを明らかにする発言の映像も放映している。菅官房長官すら困惑している第2次法制懇の位置づけについて、NHKがメイン・アナウンサーの数回にわたる「政府の…」というアナウンス、さらに同じ字幕を流したということは、もはやNHKは公共放送としての資格も権利も自ら放棄したと言わざるを得ない。
私はNHKのふれあいセンターに再び電話して、責任者に代わってもらったが、偶然前日に私と話をした相手だった。私は前日、私が知り得た第2次法制懇についての情報はその方にすべて伝えており、責任者も「どうしてこうなったのか…」と、頭を抱えてしまった。私は、この件だけは見逃すわけにいかない、BPOにぶちまけると言ってある。このブログ原稿は今日、BPOにFAXする。BPOも完全に政治的中立性を放棄したNHKを無視はしないだろう。そう期待したい。
実はいつもそうだが、ブログ記事の原稿は投稿前日に書き終え、翌朝に推敲して投稿することにしている。このブログ記事も27日の夕方には書き終えていた。夕食を済ませて『ニュース7』を見ていたら、またメイン・アナウンサーが第2次法制懇について「政府の有識者懇談会」とアナウンスした。
菅官房長官さえ、「公明党は誤解している(これは私が公明党の事務局に電話したことで、第2次法制懇の位置づけに関して公明党の漆原国対委員長が安倍総理への不信感を表明したことに対する反論)。内閣法制局の意見も踏まえ与党(※当然公明党も含まれる)と相談のうえ対応を検討していく」と釈明し、公明党を無視して閣議決定などするつもりがないことを明確にしていた(26日)。
この菅長官発言は公式記者会見で行われており、NHKの記者も会見に出席している。「閣議決定に基づいて」第2次法制懇が政府のオフィシャルなものとして設置された事実はないと弁明したのである。この菅官房長官の記者会見での発言により、NHKの25日の『ニュース7』での第2次法制懇についての報道が完全な誤報であったことが明らかになった。
私は怒り心頭に達したため、NHKふれあいセンターの責任者(24日、25日に対応された方とは別人)に怒りをぶつけた。これまでのNHK責任者とのやり取りの経緯や当日の菅官房長官の発言内容も伝えたうえで、「25日の『ニュース7』での報道の間違いが明らかになっているのに今日の『ニュース7』で再び同じ誤報を流した。そうなると、これはもはや単純なケアレス・ミスではすまされない。明らかに意図的な視聴者に対する政治的誘導ニュースと断定せざるを得ない。いつからNHKは安倍総理の私的放送局になったのか」と詰問した。責任者は「お客様のおっしゃることは難しくて、私にはわかりません」と返答した。せめてふれあいセンターの責任者には高卒程度の理解力のある人を配置してほしい。
実は同じような表現のテロップを、2月5日の『ニュースウォッチ9』で流した時、私はNHKのふれあいセンターに電話をして責任者にクレームを申し入れた。その後、NHKは私のクレームを受け入れて、いったん表現を変えた。ところが2月25日の『ニュース7』で、冒頭に書いたようにとんでもない報道をしたのである。この20日の間に、NHKの政治部に何があったのか。新任の籾井会長は編成や編集に口出しはしないと国会で証言しているから、籾井会長の直接の指示ということは考えにくい。籾井会長が間接的に指示したのか。あるいは籾井会長の取り巻きが「会長の意向だ」と政治部に圧力をかけたのか。いずれにしても、この「事件」が公になれば、政治部長の首は間違いなく飛ぶし、籾井会長もただでは済まないかもしれない。
現在、首相官邸に「安保法制懇」(安全保障の法的整備の再構築に関する懇談会)が設置されている。もともとは第1次安倍内閣(2006年9月~07年8月)の時に安倍総理が設置した私的諮問機関である。その目的は、日本の集団的自衛権の問題と日本国憲法の関係整理及び研究をすることだった。
このとき設置された安保法制懇についてはすべてのメディアが「総理の私的諮問機関」あるいは「総理の私的懇談会」と位置付けていた。そして、安倍総理が健康上の理由で辞任し、福田内閣(07年9月~08年8月)が誕生した。
安倍総理は辞任後「総理在任中に靖国神社に参拝できなかったのは痛恨の極み」と思いを語ったが、福田総理は自分の内閣から数名の閣僚が靖国神社に参拝して中国や韓国の反発を受けて、靖国神社に代わる戦没者追悼のための国立墓地建設を諮問する有識者会議を私的に設置した。
第1次安倍内閣の安保法制懇も、福田内閣の時の国立戦没者墓地建設の私的諮問機関も、ともに首相官邸に設置された。政府が設置した諮問機関(あるいは有識者会議)は、閣議で決定されたうえで通常内閣官房に設置される。そうなると政府が設置した正式な機関ということになるからオフィシャルな機関となり、内閣が代わっても与党に変更がないかぎり存続される。しかし、政府が正式な手続きを踏んで内閣官房に設置することができなかった場合は、総理の私的諮問機関(あるいは有識者会議、懇談会)として首相官邸に設置される。(以降第1次安倍内閣の時に安倍総理が設けた安保法制懇は「第1次法制懇」、第二次安倍内閣時のは「第2次法制懇」と記すことにする)
結論から言えば、第1次法制懇も、福田総理の諮問機関も、総理の退陣とと
もに消滅している。政府のオフィシャルな諮問機関(あるいは有識者会議、懇談会)ではなかったからだ。
第1次法制懇は5回会合を開いたが、肝心の安倍総理が退陣したため立ち消えになった。繰り返すようだが、第1次法制懇が政府のオフィシャルな有識者会議であったら、総理が退陣しても政権与党が変わらない限り継続審議されるのが通例である。だが、いちおう第1次法制懇は柳井俊二座長の名において08年6月に報告書をまとめている。すでに安倍総理は退陣したあとのことで、福田総理の時だ。が、福田総理はこの報告書を握りつぶした。政府のオフィシャルな諮問機関が提出した報告書でなかったからだ。
従来から、憲法9条の解釈について政府は「外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合に、これを排除するために必要最小限の範囲で実力を行使することまでは禁じていない」という解釈を継承してきた。
一方、国連憲章第51条は国連加盟国の「自衛権」について「(外部からの)武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当たって加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章(※国連憲章の全文)に基づく権能及び責任に対しては、いかなる影響を及ぼすものではない」と、自衛権行使の権利と行使した場合の措置について定めている。
日本の法律文書や金融商品(預貯金、クレジット、保険など)の約款もそうだが、誤解や曲解を防ぐためかどうかは分からないが、ことさらに難解な文章の羅列になっている。で、私は1月6日に投稿したブログ『安倍総理の集団的自衛権行使への憲法解釈変更の意欲はどこに…。積極的平和主義への転換か?』で国連憲章をかみ砕いて説明したが、さらに大胆に要約してみる。
まず国連憲章は、国際間のトラブルは話し合いによる平和的な解決(二国間、仲介国を入れた三国以上、国際司法機関、国連などの場で)を義務付けている。が、それでも国際紛争を解決できなかった場合は、国連の安保理があらゆる手段(経済制裁などの非軍事的措置及び武力行使による軍事的措置)を使ってトラブルを解決する権限があることを認めている。が、安保理には拒否権を持つ常任理事国5か国があるため、せっかく与えられた権限を行使できないことも考えられるため――という前提で外部からの攻撃を受けたときには、攻撃された国は「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を行使(武力による防御を意味する)してもかまわない、という意味なのである。
そういうふうに解釈すれば(高校生くらいの読解力があれば、間違いなくそ
う解釈する)、日本の場合、「個別的自衛権」としてはすでに自衛隊を擁しており、「集団的自衛権」としては一応「同盟国」という位置付けをしているアメリカが日米安保条約によって助けに来てくれることになっている。だから、私はこのブログを書いたことを首相官邸のホームページから連絡した。その数日後、首相官邸からメールが届き「関連部署に伝えました」と返事がきた。つまり私の「集団的自衛権」解釈は無視できないと首相官邸は判断したということだ。
もともと政府の集団的自衛権の解釈は「日本と密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、日本への攻撃とみなして日本が武力行使をする権利」とおかしな解釈をしてきた。そういう解釈に立てば、「集団的自衛権は固有の権利として認められているが、我が国の場合、憲法9条の制約によって行使できない」という結論になるのは当然である。
そこで第2次法制懇は、私の主張との整合性を図るため集団的自衛権についての従来の政府解釈を微妙に変えることにしたようだ。
第1次法制懇が08年6月に提出した報告書には集団的自衛権の行使について、こうまとめている。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を『国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』ものであって、個別的自衛権はもとより、集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障への参加を禁ずるものではないと読むのが素直な文理解釈であろう」と。
もし、そう解釈できるなら、憲法9条は何の意味も持たないことになる。福田総理が無視したのはそのためである。
が、第2次安倍内閣の発足によって安保法制懇(第2次法制懇)も再開される。柳井座長をはじめ、懇談会のメンバーも同じ顔ぶれが大半を占めた。最初から結論ありきのはずだったから、昨年夏ころには柳井氏は「憲法解釈の変更で集団的自衛権を行使できるめどがついた。年内には結論を出す」と胸を張っていたのだが、私が8月29日に投稿したブログ『安倍総理は勘違いしている。日本はすでに集団的自衛権を保持している』を投稿し、首相官邸にそのことを通知した。その後柳井座長は第2次法制懇から一時逃げ出している。簡単に第2次法制懇の会合(第2次法制懇のホームページにも「会議」ではなく「会合」と記載されている。マスコミは「会議」と「会合」の言葉の持つ意味の重さの違いも理解できないようだ)での柳井座長の出欠歴を紹介する。
第1回 13年2月8日 出席
第2回 13年9月17日 欠席
第3回 13年10月16日 欠席
第4回 13年11月13日 欠席
第5回 13年12月19日 出席
第6回 14年2月4日 出席
少なくとも柳井俊二氏は第2次法制懇の座長である(第1次法制懇でも座長だったが)。そして夏ころには「年内に憲法解釈の変更が可能との結論を出せる見込みがついた」と豪語していた。
その、安倍総理が最も頼りにしていた人物が、肝心な時に3回も連続して大事な会議をすっぽかしているのである。その間に必死に頭をひねっていたのだろう。第2次法制懇の北岡伸一座長代理21日、日本記者クラブで記者会見して4月に提出する最終報告書の骨子を明らかにした。それによれば、集団的自衛権行使の条件として「密接な関係にある国が攻撃される」「放置すれば日本の安全に大きな影響がある」など5条件を報告書に盛り込む考えを示した。ほかの条件は、「攻撃を受けた国から日本の支援を求める明らかな要請がある」「首相が総合的に判断し、国会の承認を受ける」ことなどとしている。4月にこれらの内容を盛り込んだ上で集団的自衛権を行使できるという報告書を第2次法制懇は出すようだが、この第2次法制懇の位置付けについて依然として不透明なままである。
民放のニュース番組は事実上「ニュースショー」なので、こうしたシリアルな政治問題は報道を避けているようなので(各民放の視聴者センターに確認してはいない)、新聞がどう位置付けているか調べてみた。読売新聞と産経新聞は「政府の有識者会議」と位置付け、朝日新聞は「総理の私的諮問機関」、毎日新聞は「総理の私的懇談会」、日本経済新聞はただの「有識者会議」としている。
どうして新聞各紙の位置づけが異なっているのか。新聞だけではない。自民党には聞くまでもないと思い聞いていないが、野党はもちろん私的諮問機関(あるいは私的懇談会)という位置付けで、与党の公明党すら私が電話で問い合わせた24日の時点では肝心の集団的自衛権問題の担当スタッフも「そういうことは考えたこともありませんでした」といったありさまだった。私が「政府の、ということになると公明党も閣僚を送り込んでいますから、責任を共に負うことになりますよ」と申し上げたら、びっくりしたような様子で「この件は直ちに上にあげます」と約束した。
しつこいようだが、原則は政府が閣議で決定したオフィシャルな諮問機関(あるいは有識者会議)は内閣官房に設置される。少なくとも福田総理が設けた国立戦没者墓地建設を検討するための諮問機関は、自民党内部での反対意見が強くてオフィシャルな諮問機関として閣議決定できずに、私的諮問機関として首相官邸に設置された。もし福田総理が早期退陣せずに、この私的諮問機関が「国立戦没者墓地を建設すべきだ」という報告書を提出していたら、自民党は賛否が二分していたであろうが、与党の公明党をはじめ全野党が支持しただろうから、その時点で靖国参拝問題は解決していたはずだ。
ところが、第2次法制懇についてはメディアの位置付けはすでにバラバラなのだ。一般的には右寄りとされている読売新聞や産経新聞が「政府の」と位置付け、左寄りとされている朝日新聞と毎日新聞が「私的」と位置付け、中間的立場の日本経済新聞は何の位置付けもしていないことはすでに書いた。
そこで問題になったのがNHKである。2月5日(第6回目の第2次法制懇の会合が行われた翌日)の『ニュースウォッチ9』(『ニュース7』だったかもしれない)で「政府の有識者会議」と位置付けたテロップを流した。私は直ちにふれあいセンターの責任者に電話をして公共放送であるNHKがNHKの判断で第2次法制懇をオーソライズするのはまずいのではないかと申し上げた。その時責任者は第2次法制懇についての位置付けが非常に重要な意味を持つことへの理解はできなかったようだが、「お客さまのご意見は伝えさせていただきます」と対応してくれた。
私が再度疑問を感じたのは、21日に第2次法制懇の座長代理の北岡氏が記者会見で、4月に出す予定の報告書の概要を発表したのちである。その日はあいにく外出していてNHKのニュースを見ることができなかったのだが、やはり気になり、24日にまず公明党の事務局と内閣官房国家安全保障局に電話をした。公明党事務局の担当スタッフとのやり取りはすでに書いた。
ついで内閣官房国家安全保障局に電話をした。第2次法制懇の公式ホームページに「連絡先」として内閣官房国家安全保障局が記載されており、所在地や電話番号も載っている。が、安保法制懇の担当者に「メディアによって安保法制懇の扱い方がまったく違うので、本当のところはどうなのか」と尋ねたのだが、担当者は非常に歯切れが悪い。私の質問に答えないのだ。担当者が言ったのは「昨年2月22日に安倍総理から、安保法制懇の事務方は内閣府が担当するように指示がありました。しかし安保法制懇の会合は首相官邸で行われています」という、すでに私が知っていることだけだった。私がさらに「通常、政府のオフィシャルな有識者会議や諮問機関の場合、内閣官房に設置されますね。しかし、総理の私的諮問機関などは通常首相官邸に設置されます。安保法制懇の場合、首相官邸に設置されながら事務方は内閣官房が引き受けるということはどういうことですか」と追及したが「その辺の事情は私にはわかりません。ただ言えることは先ほど述べたように事務方は内閣官房が担当するよう総理から指示があったということだけです」だった。
ちなみに内閣府は2001年1月の中央省庁再編に伴い、内閣(事実上の内閣官房を含む)主導により行われる政府の政策の企画・立案・総合調整(縦割り組織である各省庁間の調整)を補助する目的で設置された。内閣府は、そういう意味では各省庁と横並びの行政機関という位置付けになっているが、内閣府のトップ(省庁の大臣・長官に相当)は総理大臣であり、内閣官房は内閣府に置かれているが官房長官室は首相官邸にある。そのうえ、内閣府の各部門は千代田区の永田町と霞が関に分散しており、永田町にある内閣府の代表電話番号に電話をかけても内線でつなげることができない部署もあるという。
非常にややこしい組織になのだが、2001年に新設されたということもあって、永田町や霞が関に独立したビルを建てるスペースの確保が難しかったのだろう。それはいいとしても、読売新聞や産経新聞が第2次法制懇について「政府の有識者会議」と勝手に位置づけたのは、内閣府のトップは名目上総理大臣であり(縦割り行政の弊害を防ぐことが内閣府の重要な役割であり、そのため各省庁間の調整を行うには内閣府に相当の権限を付与する必要があるため、内閣府の長官職は総理大臣が兼任する形式をとることにしただけのこと)、総理の女房役である官房長官も名目上は内閣官房のトップであるが、官房長官室は首相官邸に置かれているうえ、安保法制懇の会合に総理と官房長官も出席していることで、読売新聞と産経新聞が「政府の有識者会議」と位置付けた理由だと思う(両新聞社に理由を聞いたことがあるが、そういう質問にお答えするところではないと回答を拒否された)。
だが、それなら第1次法制懇のときには両紙とも「私的諮問機関・懇談会」と位置付けたのか。第1次の時も会合には総理と官房長官が出席しており(福田総理の時は不明)、安保法制懇の位置付けについての一貫性がない。また位置付けを変えたことについての説明も紙面でしていない。「言論の自由」を喚き散らしながら、読者に対しては「黙って新聞に書いていることを受け入れろ。文句があるなら読まなければいい」と言わんばかりの、自分たちは何様だと思っているのかと言いたくなるほど傲慢な連中だから、主張を変えても説明責任を果たす必要性などまったく感じないのも当然と言えば当然かもしれない。
が、民間企業の新聞社と違ってNHKは立場が違う。法律で視聴者に視聴料の支払いが義務付けられており(ただし、支払わなくてもイギリスのBBCのように罰金をとられるようなことはない。フランスなど公共放送の受信料を税金で徴収している国もある)、だからNHKは常に公平で公正・政治的中立をたもった放送がやはり法律で義務付けられている公共放送である。だからBPOはNHKと民放各社が共同で設立したが、NHKの出身者の発言力が強く、そのためかえってNHKに対する厳しい目線で放送をチェックしている。
ある意味では、NHKの職員の使命感の高さには私も高く評価している。私がかつて『NHK特集の読み方』(88年11月、光文社から上梓)を書いた時、広報の計らいである番組制作のプロジェクト・チームの取材に完全密着して取
材現場から編集現場。編集後のチェックや修正作業、放送中に視聴者からかか
ってくる電話に対応するため1室に全員が待機する場まで同席させてもらい、彼らの仕事ぶりに心から感動したことがある。
にもかかわらず、私は同書でNHK特集の空前絶後の反響を呼んだ番組『世界の中の日本――アメリカからの警告』について手厳しい批判もして、その個所が様々な方から書評で高く評価されたことがある。この番組はゴールデンウィークが始まる1986年4月26日(土)~28日(月)にかけての3日連続で、それもゴールデンタイムに放送したシリーズ番組で、のちに雑誌スタイルの3冊の本になったほどだった。この成功でメイン・キャスターを務めた磯村尚徳氏は、この番組で一躍名を挙げて都知事選に担ぎ出されたほどだった。
それほどの番組に対して、私は「欠落した重要な視点」(見出し)としてこう指摘した。「日本と海外、特にアメリカとの関係を論じるうえで、きわめて重要な視点が欠落していることも指摘しておかなければならない。それは自動車や電気製品を作っている輸出メーカーは、果たして円高の被害者なのか加害者なのか、という視点である。私は輸出メーカーは三つの点で、円高の加害者であ
ると考えている。一つは日本の消費者に対して、二つめは日本の零細輸出業者に対して、三つめはアメリカの産業界に対して、である。その後、この視点で当時の松下電器産業(現パナソニック社長)の谷井昭雄社長にインタビューして月刊誌に掲載した記事を抜粋転記したのだが、その部分だけでも相当長くなるので要約する。
NHKがこの番組を制作した当時は、その前年に米プラザホテルに先進5か国の財務担当相が集まり、疲弊したアメリカ経済を立て直すために先進国が協力してドル安誘導することを決めた歴史的会合が行われた(通称「プラザ合意」)。その結果1年で円は倍近くに高くなったのだが(※わずか2~3円の為替相場の変動で株価が大きく動く現在では想像もできないことだが)、1年で円が倍になっても輸出大企業はびくともしなかった。そこで日本の大企業のお行儀の悪さにお灸をすえるため松下電器産業をやり玉に挙げたのである(私が月刊誌の編集長に依頼したのは、松下かトヨタのトップにインタビュ―をセットしてほしいということだったので、たまたま雑誌の締め切りの関係もあり谷井氏へのインタビューになっただけで、谷井氏にはお気の毒だったと思っている)。
この急速な円高で、日本の輸出メーカーはまったく苦境に陥らなかった。円がドルに対して倍になれば、アメリカで1ドルで売っていた商品は単純計算でいえば2ドルに値上げしなければならなくなるはずだ。が、日本の大企業は多少値上げはしたが、せいぜい10%か20%に値上げ幅を抑えてしまった。アメリカからの、ダンピングだという非難に対しては「合理化努力の成果だ」と日本企業は反論した。
本当に合理化努力によってコストダウンに成功したのなら、その恩恵に日本
の消費者があずかれないのはなぜか、と私は批判した。それが第1点である。つまり私が言いたかったのは、アメリカへのダンピング輸出によって生じた減益分を日本の消費者から回収しようという大企業のお行儀の悪さにお灸をすえたのである。
第2点めは、国内の消費者に減益分を転嫁できない零細輸出業者に対する加害者に、結果的になったという点である。たとえば、新潟県の燕市は金属製洋食器の産地として世界的に有名だが、輸出価格を円高に比例して値上げするわけにもいかず、かといって大手自動車メーカーや電機メーカーのように国内の消費者を犠牲にすることもできず、金属産業存亡の危機に立たされたことがある(※今は技術革新によって危機を乗り越えたようだ)。この指摘はそれはそれで間違いではないが、もう一つ付け加えるべきだった。それは、いま大企業の中小下請け会社が消費税増税分を納入先に拒否されて困っているのと同様、当時の大企業の「合理化努力」の中身に下請けいじめも含まれていたことを指摘しておくべきだったことである。私のこの番組に対する批判の視点を多くの評者が高く評価してくれただけに、忸怩たる思いをいまでも引きずっている。
第3点目は、アメリカ産業界に対する加害者としての側面である。アメリカが産業の空洞化に苦しんで「助けてよー」と世界の先進国に頭を下げたのは、誇り高きアメリカにとって空前絶後のことだった。自業自得と言ってしまえばそれまでだが、やはり日本が世界第2位の経済大国になったのは(当時。今は中国に抜かれて3位)、やはりアメリカのおかげだった。だから、アメリカ政府が誇りを捨てて頭を下げて頼んだのに対して、世界の先進国は「よっしゃ」とドル安誘導の金融政策をとったのである。日本政府も足並みをそろえて協力した。にもかかわらず日本の大企業は「合理化努力によってコストダウンに成功した」ことを口実に、ダンピング輸出で米産業界に打撃を与え続けた。その後、アメリカ中に、他の先進国に対してではなく日本に対してのみ「ジャパンバッシング」の嵐が吹き荒れることになったことが、番組からすっぽり抜け落ちているというのが私の指摘だった。
少し話が横道にそれたが、第2次法制懇についてNHKは2月5日のニュースで「政府の有識者会議」と位置付ける報道をした。私はすぐにNHKのふれあいセンターに電話して責任者に「メディアによって位置付けが違う第2次法制懇について、読売新聞と産経新聞しか『政府の有識者会議』と位置付けていない状況であることを伝え、NHKが『政府の有識者会議』と位置付けてしまうのはどういうことか」とクレームを付けた。NHKの責任者は「大変重要なご指摘です。政治部に伝えます」と返答した。
そして先に述べたように2月21日に第2次法制懇の北岡座長代理が4月に提出予定の報告書の内容について記者会見で述べたため、私は24日に再びNHKのふれあいセンターに電話をし、責任者に代わってもらって2月5日以降のNHKニュースで第2次法制懇についてどう位置付けているかNHKのデータベースで調べてもらった。結果は大変満足するもので「5日以降は『懇談会』としか言っていません」ということだった。
実は当日、私は第2次法制懇の公式ホームページにある問い合わせ先(内閣府の代表番号)に電話をして国家安全保障局の担当者につないでもらって事情を聴いていた。すでに述べたように、担当者もどう位置付けていいのかわからない感じで、ただ事実として「安倍総理の指示により事務方を内閣府が担当していますが、懇談会の会合は首相官邸で行われています」ということしか言えなかった。また与党であり、政府の一翼を担っている(閣僚を送り込んでいれば、自動的にそういうことになる)公明党ですら「政府の有識者会議」という認識を持っていないことも私は確認していた。で、NHKの責任者にそのことを伝え、今後も冠表現(私的あるいは政府の)を付けずに、ただの「懇談会」という位置付けを続けるように要望した。責任者は分かりましたと私の主張を受けとめてくれた。
ところが、その翌日、25日の『ニュース7』でとんでもないことが生じた。スーパー字幕で「政府の有識者懇談会」と流し、メイン・アナウンサーが数回(少なくとも4~5回)にわたり「政府の有識者懇談会」というアナウンスを連発したのである。
すでに書いてきたように、政府の一翼である公明党の集団的自衛権問題の担当者ですら「政府の有識者会議(NHKは会議を懇談会と言い換えただけ)という認識はしていない」と私に証言している。また、このニュースの中で、公明党の山口代表は記者会見で「報告書が出てから考える」と発言した場面の映像、さらに菅官房長官も「与党(自公両党)と相談のうえ対応を検討していく」と、まだ閣議決定していないことを明らかにする発言の映像も放映している。菅官房長官すら困惑している第2次法制懇の位置づけについて、NHKがメイン・アナウンサーの数回にわたる「政府の…」というアナウンス、さらに同じ字幕を流したということは、もはやNHKは公共放送としての資格も権利も自ら放棄したと言わざるを得ない。
私はNHKのふれあいセンターに再び電話して、責任者に代わってもらったが、偶然前日に私と話をした相手だった。私は前日、私が知り得た第2次法制懇についての情報はその方にすべて伝えており、責任者も「どうしてこうなったのか…」と、頭を抱えてしまった。私は、この件だけは見逃すわけにいかない、BPOにぶちまけると言ってある。このブログ原稿は今日、BPOにFAXする。BPOも完全に政治的中立性を放棄したNHKを無視はしないだろう。そう期待したい。
実はいつもそうだが、ブログ記事の原稿は投稿前日に書き終え、翌朝に推敲して投稿することにしている。このブログ記事も27日の夕方には書き終えていた。夕食を済ませて『ニュース7』を見ていたら、またメイン・アナウンサーが第2次法制懇について「政府の有識者懇談会」とアナウンスした。
菅官房長官さえ、「公明党は誤解している(これは私が公明党の事務局に電話したことで、第2次法制懇の位置づけに関して公明党の漆原国対委員長が安倍総理への不信感を表明したことに対する反論)。内閣法制局の意見も踏まえ与党(※当然公明党も含まれる)と相談のうえ対応を検討していく」と釈明し、公明党を無視して閣議決定などするつもりがないことを明確にしていた(26日)。
この菅長官発言は公式記者会見で行われており、NHKの記者も会見に出席している。「閣議決定に基づいて」第2次法制懇が政府のオフィシャルなものとして設置された事実はないと弁明したのである。この菅官房長官の記者会見での発言により、NHKの25日の『ニュース7』での第2次法制懇についての報道が完全な誤報であったことが明らかになった。
私は怒り心頭に達したため、NHKふれあいセンターの責任者(24日、25日に対応された方とは別人)に怒りをぶつけた。これまでのNHK責任者とのやり取りの経緯や当日の菅官房長官の発言内容も伝えたうえで、「25日の『ニュース7』での報道の間違いが明らかになっているのに今日の『ニュース7』で再び同じ誤報を流した。そうなると、これはもはや単純なケアレス・ミスではすまされない。明らかに意図的な視聴者に対する政治的誘導ニュースと断定せざるを得ない。いつからNHKは安倍総理の私的放送局になったのか」と詰問した。責任者は「お客様のおっしゃることは難しくて、私にはわかりません」と返答した。せめてふれあいセンターの責任者には高卒程度の理解力のある人を配置してほしい。