今朝、朝日新聞の社説は27年前の、あのおぞましい事件を思い出させてくれた。朝日新聞の神戸支局を散弾銃を持った目出し帽の男が襲撃し、2階の編集室に侵入して発砲、29歳の前途ある記者が尊い命を失った。1987年5月3日、憲法記念日の午後8時15分だった。
小尻知博(こじりともひろ)氏が、その被害者である。心から哀悼する。
犯行声明を朝日新聞社に送り付けた「赤報隊」と名乗る犯人は「反日朝日は50年前にかえれ」と朝日新聞の報道姿勢に抗議したという。
この事件は、マスコミ界だけでなく、多少大げさに言えば日本社会全体に大きな衝撃を与えた。「民主主義」への挑戦と、日本社会全体が受け止めた。
事件直後、朝日新聞は社説で「多様な価値を認め合う民主主義社会を守り、言論の自由を貫く」と誓った。日本新聞協会も「決意を新たにして民主主義と自由を守り、言論・報道機関としての使命遂行に立ち向かう」とする声明を出した。
事件は2002年5月3日午前0時に公訴時効を迎えたが、「言論の自由への挑戦」「民主主義に対する暴力的破壊行為」として、二度とこうした事件を起こさせないようにしたいと、心から思う。
今朝の朝日新聞社は「かつて朝日新聞を攻撃するキーワードだった『反日』のレッテルはすっかり一般化してしまった」と主張したが、それは違う。確かに全国紙5紙に対する一般的な見方は右(右翼的の意)から左(左翼的の意)を順番に並べると「産経新聞→読売新聞→日本経済新聞→朝日新聞→毎日新聞」であろう。だからと言って、読者は自分の価値観と購読紙を一致させているわけではない。
現に私の父は長く祝日には日章旗を玄関に掲げるほどの「左嫌い」だったが、私がもの心を抱くようになったころには朝日新聞を購読しており、死の病に倒れて入院するまで購読紙を変えることはなかった。また朝日新聞の論調に批判じみた意見を言うこともなかった。私が学生運動に没頭した当時も、「体には気を付けろよ」と言ってくれたくらいだった。
確かに朝日新聞は毎日新聞とともに左寄りとは見られているが、「反日」と断じているのは「赤報隊」のような右翼団体に属している人たちに限られており、この表現は「被害妄想」とのレッテルを貼られてもやむをえまい。
いまでこそ新聞の発行部数は読売新聞に抜かれたが、朝日新聞は戦後新聞界の盟主として言論界に君臨してきた。読売新聞は「巨人人気」に便乗して売り上げを伸ばしたと一般的に思われているようだが、巨人人気が停滞するようになってからも読売新聞は発行部数において朝日新聞をリードしている。が、朝日新聞の誇りは、読売新聞の読者層より知的レベルの高い層に読まれているという点にあり、実際有名大学のマスコミ志望者の就職希望先は、放送界ではNHKが、活字分野では朝日新聞がトップの座を譲っていないようだ。
朝日新聞は今朝の社説でこう主張した。
「事件以降、多くの読者から叱咤(しった)激励をいただいた。その声にも支えられ、私たちは自由な言論を守ろうと努力してきた。
特に、戦争に協力した戦前への痛切な反省から、権力が自由を制約する動きには、全力で立ち向かってきたつもりである。特定秘密保護法案の審議のときもそうだった」
最近、朝日新聞は私の指摘を受け入れたのか「平和憲法」という表記から「憲法の平和主義」に変えている。
なぜ私が「平和憲法」という表記は間違っていると指摘したかを説明しておく。「憲法9条を守ろう」と声高に主張する市民団体は「憲法9条があったから、戦後の日本は平和を守ることができた」という認識に立っている。
また護憲派政党も憲法9条を重要視しているが、さすがに非論理的な市民団体の主張とは異なり、「憲法9条が日本の平和を守った」などと非論理的な主張はしていない。憲法解釈によって軍事力を高めてきた自民党政府の政策に対する重要な歯止めとして憲法9条の堅持を主張している。だから集団的自衛権の行使についても、自民と連立を組む公明党も「絶対に譲れない一線」として抵抗を続け、朝日新聞はそうした公明党に社説でエールまで贈った。
私自身は現行憲法の平和主義は尊重維持すべきだとの立場に立ちつつ、現行憲法は占領下において制定されたものであり(GHQにいちいちお伺いを立てて条文を書いたとか日本の自主性も盛り込まれているとかいったくだらない議論には私は関与しない)、日本がサンフランシスコ講和条約によって独立を回復して主権国家としての地位を国際社会から認められた時点で、いったん無効になったはずだと考えている。
その時点で日本が独立主権国家としての尊厳と、国際社会の一員として果たすべき責任と、果たすことを国際社会に約束した責任に応じた権利を明確に規定した新憲法を制定すべきだった、というのが私の主張である。だから私は「改憲論」ではなく「現行憲法無効論」であることをこれまでもブログで何度も書いてきた。
そういう視点で、現行憲法を検証すると、現行憲法が制定された当時の日本の国際的地位と、今日とでは天と地ほどの差が生じている。そのこと自体は、いくら護憲派でも否定はできないだろう。私たちは浦島太郎の世界で生きているのではないのだから。
私がいまゴールデンウィークのために中断しているブログ『日米のきしみの本当の理由は何か?――単眼思考では分からない』も8日投稿予定の7回目で終える。最終回で、新聞なら1面トップを飾るようなスクープ情報を明らかにする。すでにそのことはゴールデンウィークに入る直前の4月25日の5回目で予告しておいた。
いま安倍総理周辺で固まりつつある「集団的自衛権行使の限定容認」論のまやかしを完全に粉砕する内容だ。私は電話一本で、その重要な情報を入手できた。おそらく、このブログで「集団的自衛権」は霧のように消えるはずだ。このブログを投稿した日に公明党に伝えるからだ。公明党が政府から離反したら、自民政権は再び崩壊する。公明党は支持母体に創価学会を擁しているという負の「資産」に支えられているため、そのリベラルな主張がフェアに受け止められず、勢力の拡大に足踏みを余儀なくされている。が、安倍内閣の支持率の高さは考えようによっては、公明党がブレーキ役を果たしていることによる可能性が高い。もし集団的自衛権行使問題で、公明党が決定的にソッポを向いて政権から離脱するような事態になったら、自民党内部で安倍総理の責任論が大きく浮上することはほぼ間違いない。今年の自民党総裁選まで、安倍氏は総裁の座を維持できなくなるかもしれない。
安倍=石破=高村ラインが強行突破を図ろうとすればするほど、自民党は自滅への道を突き進むことになる。朝日新聞が、「特に、戦争に協力した戦前への痛切な反省」を心の底からしているのなら、その反省の原点は先の大戦での「誤った報道姿勢」はいつから始まっていたのかの検証をきちんとすべきだろう。
少なくとも、日本の軍国主義への急傾斜は海外の軍事政権にみられるようなクーデターによって実現されたものではない。軍部が共産主義者を根こそぎ弾圧したり、言論統制を始めたのは、合法的に権力を握り、その権力が揺るぎないものになって以降である。なぜ軍部が合法的に権力を握ることができたのか、そして軍部の権力が揺るぎないものに過大化したのか、その過程で朝日新聞に限ったことではないが、新聞(当時のメディアは新聞だけだった)が果たした役割を検証して初めて「反省」が本物になる。
言っておくが、その過程において言論の自由は保証されていた。自由が責任を伴うことは、言うまでもない。
小尻知博(こじりともひろ)氏が、その被害者である。心から哀悼する。
犯行声明を朝日新聞社に送り付けた「赤報隊」と名乗る犯人は「反日朝日は50年前にかえれ」と朝日新聞の報道姿勢に抗議したという。
この事件は、マスコミ界だけでなく、多少大げさに言えば日本社会全体に大きな衝撃を与えた。「民主主義」への挑戦と、日本社会全体が受け止めた。
事件直後、朝日新聞は社説で「多様な価値を認め合う民主主義社会を守り、言論の自由を貫く」と誓った。日本新聞協会も「決意を新たにして民主主義と自由を守り、言論・報道機関としての使命遂行に立ち向かう」とする声明を出した。
事件は2002年5月3日午前0時に公訴時効を迎えたが、「言論の自由への挑戦」「民主主義に対する暴力的破壊行為」として、二度とこうした事件を起こさせないようにしたいと、心から思う。
今朝の朝日新聞社は「かつて朝日新聞を攻撃するキーワードだった『反日』のレッテルはすっかり一般化してしまった」と主張したが、それは違う。確かに全国紙5紙に対する一般的な見方は右(右翼的の意)から左(左翼的の意)を順番に並べると「産経新聞→読売新聞→日本経済新聞→朝日新聞→毎日新聞」であろう。だからと言って、読者は自分の価値観と購読紙を一致させているわけではない。
現に私の父は長く祝日には日章旗を玄関に掲げるほどの「左嫌い」だったが、私がもの心を抱くようになったころには朝日新聞を購読しており、死の病に倒れて入院するまで購読紙を変えることはなかった。また朝日新聞の論調に批判じみた意見を言うこともなかった。私が学生運動に没頭した当時も、「体には気を付けろよ」と言ってくれたくらいだった。
確かに朝日新聞は毎日新聞とともに左寄りとは見られているが、「反日」と断じているのは「赤報隊」のような右翼団体に属している人たちに限られており、この表現は「被害妄想」とのレッテルを貼られてもやむをえまい。
いまでこそ新聞の発行部数は読売新聞に抜かれたが、朝日新聞は戦後新聞界の盟主として言論界に君臨してきた。読売新聞は「巨人人気」に便乗して売り上げを伸ばしたと一般的に思われているようだが、巨人人気が停滞するようになってからも読売新聞は発行部数において朝日新聞をリードしている。が、朝日新聞の誇りは、読売新聞の読者層より知的レベルの高い層に読まれているという点にあり、実際有名大学のマスコミ志望者の就職希望先は、放送界ではNHKが、活字分野では朝日新聞がトップの座を譲っていないようだ。
朝日新聞は今朝の社説でこう主張した。
「事件以降、多くの読者から叱咤(しった)激励をいただいた。その声にも支えられ、私たちは自由な言論を守ろうと努力してきた。
特に、戦争に協力した戦前への痛切な反省から、権力が自由を制約する動きには、全力で立ち向かってきたつもりである。特定秘密保護法案の審議のときもそうだった」
最近、朝日新聞は私の指摘を受け入れたのか「平和憲法」という表記から「憲法の平和主義」に変えている。
なぜ私が「平和憲法」という表記は間違っていると指摘したかを説明しておく。「憲法9条を守ろう」と声高に主張する市民団体は「憲法9条があったから、戦後の日本は平和を守ることができた」という認識に立っている。
また護憲派政党も憲法9条を重要視しているが、さすがに非論理的な市民団体の主張とは異なり、「憲法9条が日本の平和を守った」などと非論理的な主張はしていない。憲法解釈によって軍事力を高めてきた自民党政府の政策に対する重要な歯止めとして憲法9条の堅持を主張している。だから集団的自衛権の行使についても、自民と連立を組む公明党も「絶対に譲れない一線」として抵抗を続け、朝日新聞はそうした公明党に社説でエールまで贈った。
私自身は現行憲法の平和主義は尊重維持すべきだとの立場に立ちつつ、現行憲法は占領下において制定されたものであり(GHQにいちいちお伺いを立てて条文を書いたとか日本の自主性も盛り込まれているとかいったくだらない議論には私は関与しない)、日本がサンフランシスコ講和条約によって独立を回復して主権国家としての地位を国際社会から認められた時点で、いったん無効になったはずだと考えている。
その時点で日本が独立主権国家としての尊厳と、国際社会の一員として果たすべき責任と、果たすことを国際社会に約束した責任に応じた権利を明確に規定した新憲法を制定すべきだった、というのが私の主張である。だから私は「改憲論」ではなく「現行憲法無効論」であることをこれまでもブログで何度も書いてきた。
そういう視点で、現行憲法を検証すると、現行憲法が制定された当時の日本の国際的地位と、今日とでは天と地ほどの差が生じている。そのこと自体は、いくら護憲派でも否定はできないだろう。私たちは浦島太郎の世界で生きているのではないのだから。
私がいまゴールデンウィークのために中断しているブログ『日米のきしみの本当の理由は何か?――単眼思考では分からない』も8日投稿予定の7回目で終える。最終回で、新聞なら1面トップを飾るようなスクープ情報を明らかにする。すでにそのことはゴールデンウィークに入る直前の4月25日の5回目で予告しておいた。
いま安倍総理周辺で固まりつつある「集団的自衛権行使の限定容認」論のまやかしを完全に粉砕する内容だ。私は電話一本で、その重要な情報を入手できた。おそらく、このブログで「集団的自衛権」は霧のように消えるはずだ。このブログを投稿した日に公明党に伝えるからだ。公明党が政府から離反したら、自民政権は再び崩壊する。公明党は支持母体に創価学会を擁しているという負の「資産」に支えられているため、そのリベラルな主張がフェアに受け止められず、勢力の拡大に足踏みを余儀なくされている。が、安倍内閣の支持率の高さは考えようによっては、公明党がブレーキ役を果たしていることによる可能性が高い。もし集団的自衛権行使問題で、公明党が決定的にソッポを向いて政権から離脱するような事態になったら、自民党内部で安倍総理の責任論が大きく浮上することはほぼ間違いない。今年の自民党総裁選まで、安倍氏は総裁の座を維持できなくなるかもしれない。
安倍=石破=高村ラインが強行突破を図ろうとすればするほど、自民党は自滅への道を突き進むことになる。朝日新聞が、「特に、戦争に協力した戦前への痛切な反省」を心の底からしているのなら、その反省の原点は先の大戦での「誤った報道姿勢」はいつから始まっていたのかの検証をきちんとすべきだろう。
少なくとも、日本の軍国主義への急傾斜は海外の軍事政権にみられるようなクーデターによって実現されたものではない。軍部が共産主義者を根こそぎ弾圧したり、言論統制を始めたのは、合法的に権力を握り、その権力が揺るぎないものになって以降である。なぜ軍部が合法的に権力を握ることができたのか、そして軍部の権力が揺るぎないものに過大化したのか、その過程で朝日新聞に限ったことではないが、新聞(当時のメディアは新聞だけだった)が果たした役割を検証して初めて「反省」が本物になる。
言っておくが、その過程において言論の自由は保証されていた。自由が責任を伴うことは、言うまでもない。