2017年4月に消費税を現在の8%から10%へ2%増税するに際して、公明党が選挙のたびに公約として掲げてきた「軽減税率」についての財務省案が与党で検討されている。が、公明党が財務省案に猛反発しており、反故になる可能性が高くなってきた。
財務省案とは、酒類を除く飲食料品については購入時にいったん新消費税(10%)を支払うが、後から増税分の2%を上限(一人年4000円が目安)として還付するという方式だ。公明党が掲げていた軽減税率導入はヨーロッパで実施されている付加価値税における軽減税率方式だったが、これは必ずしも公平とは言えず、富裕層には有利になるが、低所得層との税格差(逆進性)はかえって拡大するという致命的欠陥を抱えていることは周知の事実のはずだが…。
ヨーロッパ方式は国によって運用が多少違うが、基本的には食料品は一律減税するというものだ。たとえば日本で言えば国産銘柄牛のひれ肉もオージービーフの切り落としも同じ税率にしてしまうという乱暴なやり方で、付加価値税導入時にはIT技術など生まれてもいなかった時代だから、一律減税にせざるを得なかったという事情もあった。
例えばヨーロッパで最も早く付加価値税を導入したフランス(1954年導入)では標準課税は20%だが、食料品は5.5%と軽減している(外食は10%)。また英国では標準税率は20%だが、その代わり食料品は一律非課税だ(ただし、外食や温めたテイクアウト、菓子などは標準課税)。ドイツでも標準税率は19%だが、食料品は7%に軽減している(ただし外食は軽減対象外)。いまヨーロッパでも、こうした軽減税率方式について、かえって不公平ではないかという問題が指摘されだしているが、長年にわたって定着してきた方式だけに、理屈だけでは簡単に変えられないという問題も抱えている。
が、公明党は選挙公約で「消費税増税の際には食料品など生活必需品は軽減税率を導入する」と主張してきたため、「軽減税率」という言葉にあくまでこだわっているようだ。財務省案のポイントによる増税分の還付方式は「軽減税率ではなく、支持者の理解が得られない」という党利党略に基づく主張をしているとしか思えない。確かに消費者が買い物をするときに、その場で増税分を課税しないというヨーロッパ方式のほうが、消費者にとっては分かりやすいかもしれないが、間接税(消費税や付加価値税)の持つ致命的な欠陥である逆進性は解消されない。そういう意味では、財務省案はIT技術をベースにして逆進性を解消する方法としては軽減税率方式より、はるかにすぐれてはいる。が、財務省案は事実上導入が困難と思われる。その理由は後で書くが、財務省が狙っているのは単なる逆進性の解消ではなく、財務省案の狙いの本丸は消費者から預かった消費税をネコババしている零細小売業者をあぶりだし、いわゆる「消費税の益税化」を解消することだ。そのことに、公明党をはじめ政治家やどの
メディアもまだ気づいていない。
日本で消費税が導入されたのはヨーロッパ諸国よりはるかに遅く、1989年に3%、97年に5%に増税、そして昨年8%に増税されたばかりだ。このとき、今年10月には10%に再増税されることになっていたが、8%増税による消費の落ち込みがなかなか回復せず、増税時期が17年4月に延期されたという経緯があった。ただしこのときには軽減税率は検討課題になっていただけで、ましてマイナンバー制度の導入など与党の政策として浮上さえしていなかった。
消費税は、すでに述べたように逆進性という側面がある(国民が払う税金の場合。企業が払う消費税は商品の販売時に上乗せするから別)。税金は大きく分ければ直接税と間接税ということになるが、直接税は所得(収入から必要経費やいろいろな控除額を減じた金額)に対してかかる税金で、間接税は物品やサービスの購入(支出した金額)にかかる税金である。
そして直接税は税率が所得額に応じて変わる。日本の場合、かつては世界に類を見ないほど「社会主義的な累進課税制度」が採用されていた。たとえば長者番付で常に上位を占めていた松下幸之助氏(パンソニックの創業者)などは所得の80%を税金で持って行かれていた。高額所得者に対する、このような過酷な累進課税制度は「能力があり、高所得を得ている人たちのやる気を損なう」という自民党政府の屁理屈で累進課税制度の見直しが行われた。高額所得層の課税率を引き下げれば、当然国や地方の税収が減少する。その減少分を補う目的で、竹下内閣が戦後初めて導入したのが3%の消費税だった。
つまり直接税(所得税や住民税)は所得に応じて低所得者が優遇されているが、間接税は所得に関わらず税率が一律である。とくに低所得層を狙い撃ちにするわけではないが、所得が変わらないのに消費にかかる税金が増えるために「逆進税制」と言われているのである。
では、いまなぜ消費税増税が問題化したのか、ということを考えてみたい。97年に橋下内閣が消費税を5%に増税したのは、バブルが崩壊して企業からの税収も国民が納める直接税も激減したためだった。なのに橋本内閣は直接税の累進性をさらに緩和し(高所得層の可処分所得を増やし、景気回復につなげたいというはかない希望があったためと思われるが)、減収分を補うために消費税を増税するという政策をとったのである。「失われた20年」について、この時期の消費税増税が意味した結果について分析している経済学者は皆無だと思う。
ついでのことに、自慢話を一つさせて頂くが、私は2013年の夏からブログで「集団的自衛権は自国防衛のために親密な関係にある国(あるいは同盟国)に対して武力支援を要請できる権利」と定義し(国連憲章51条は間違いなく、そういう意味で集団的自衛を固有の権利として国連加盟国に認めている)、だから「日本は日米安保条約によって日本が他国から攻撃された場合、米軍が自衛隊と共同で日本を防衛する義務を持っており、すでに日本は集団的自衛の権利をいつでも行使できる」と主張してきた。つまり「集団的自衛権は自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する権利」、という従来の内閣法制局の解釈そのものが間違っているという指摘をこの2年間で数10回にわたってしてきたが、つい先日ネットで憲法学者として権威のある浦部法穂氏(神戸大副学長、名古屋大法科大学院教授などを経て現神戸大名誉教授)が、集団的自衛権について今年6月、私の主張を裏付けてくれた。なお、以下に一部を引用させていただくが、浦部氏の論文の書き方から、この解釈自体が氏にとってごく最近のものと考えられる。なお以下の引用文を含む論文の全文は、ネットで検索できる。
「集団的自衛権」というのは、国連憲章51条で初めて認められたものだといわれる。国連憲章51条は、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利(the inherent right of collective self-defense)を害するものではない。」と規定する。
ここでいう「集団的自衛(collective self-defense)とは、言葉の本来の意味からいえば、武力攻撃を受けた国が自分だけで反撃するのではなく、同盟国に助けを求めて同盟国と共同で反撃することを言っていると解される。
それは、攻撃を受けた国にすればまさに「自衛」である。「自衛」の手段として、自国だけで戦うのではなく、他の同盟国にも助けを求めて戦う。それが、国連憲章51条のいう「集団的自衛」ということの本来の意味だとみるべきであろう。
この場合、攻撃を受けた国に加勢して闘う国は、自らは攻撃を受けていないのだから、その国にとっては「自衛」ではない。けれども、攻撃を受けた国の「自衛」を助けるのだから、その限りでは攻撃を受けていない国による武力行使も違法ではないとされる(※浦部氏が言う「違法ではない」とは国連憲章違反ではないという意味で、日本国憲法上合憲であるとは主張されていない)。これが、国連憲章51条の本来の意味だと、私は思う。
実は浦部氏はこの説を述べるに先立って「そこのところをきちんと切り分けた議論が、政治の場ではもちろん、マスコミでも、学会においてすら、どうもほとんどなされていないように思われる」と述べている。が、私は少なくとも2年前の夏にはまったく同じ解釈をして以降、数10回にわたり内閣法制局の従来の解釈に基づいた「集団的自衛権を行使する」ことは憲法解釈の変更では不可能だと主張してきた。メディアも政治家もかなり私のブログを注目しているにもかかわらず、私の主張を無視し続けてきた。私の論理には納得しても、私は権威ある憲法学者ではないから無視してきたのだろうが、浦部氏が私の主張を結果的に完全に裏付けてくれたことは間違いない事実である。
私の自慢話はこの辺でやめるが、いまだ疑問を持っていることがある。憲法学者や弁護士の大多数が安保法制は「違憲法案だ」と主張し、どういう形になるにせよ代表民主主義(この表現もおかしい。選挙で選ばれた議員が多数決で決めるから「代表」としているのだろうが、ではその反意語は何かと問われれば、無い。私は議会制民主主義あるいは間接民主主義と表現すべきで、そうすれば反意語は明らかに直接民主主義ということになり、最近では橋下大阪市長が大阪都構想に対する大阪市民の住民投票を行ったのが直接民主主義の代表例である)の国会では、安保法制が成立するのは間違いない。
そうなれば、その後は「違憲か合憲か」を巡っての法廷闘争になるが(全国8高裁→最高裁)、村社会の司法の世界で、憲法学者の大多数や元最高裁長官、元内閣法制局長まで「違憲」としている安保法制を、「合憲」と判断できる裁判官はまずいない。強権体制を確立して党内の批判派を力で抑え込み、1枚岩体制を築いた安倍総理だが、最高裁で「違憲」と判決されることは必至で、そうなれば内閣総辞職に追い込まれることも間違いない(解散はありえない)。
それにしても、私が疑問に思っているのは、憲法学者や弁護士はそれなりに法的根拠に基づいて「違憲」主張をしているが(市民団体などの「戦争法案」主張は、まだ感情論の域を脱していない。私が学生時代に経験した60年安保闘争もそうだったが、もう少し成熟した議論をしてほしいと思う)、なぜ国際法を専門とする学者たちが国連憲章解釈について沈黙を守っているのか、それが解せない。私はもちろん学者ではないし、浦部氏も憲法学者で日本国憲法の専門家でしかない。本来、「集団的自衛権」についての従来の政府解釈について、国際法を専門とする学者が「解釈の間違い」を指摘していれば、安保法制そのものが最初から法的根拠を失っていたことが明らかになっていたのに、なぜ国際法の専門学者たちが沈黙しているのか、私には理解できない。
消費税問題に戻る。政策はつねに結果で検証されなければならない。橋本内閣の消費税増税政策は、すでに書いたように高額所得者の直接税の減税によって、高額所得者が可処分所得を消費に回して景気回復の機関車的役割を果たしてくれると考えたのではないかと思う(政治家も官僚も政策立案や目的の本音は言わない。とりあえず政策を成立させるために国民が納得しやすい口実を並べるだけだ)。
が、高額所得層は、欲しいものはすでに持っており、増えた可処分所得を消費には回してくれなかった。現に、竹下内閣時に行った高額所得層の減税政策は、消費の拡大より資産のさらなる増加を目的にしたマネー・ゲームに回ってしまった。そのうえ日銀も現在の黒田総裁と同様、極端な金融緩和政策をとり、金融機関に金がだぶついた。金融機関はそのカネを資産(主に不動産)の持ち主に積極的にばらまいた。そのうえ、だれが流したかは結局分からなかったが(少なくとも長谷川慶太郎氏が積極的に噂を広めた)、「東京にはオフィスが少ない」という噂(実際には空室が相当あったことが後に分かったが)が広まり、都心の土地買いあさりが始まり、地価の高騰によってさらに資産家のカネ余りが増大し、株やゴルフ会員権などの高騰も始まった。つまり、バブル景気の原因はこのときの消費税導入と抱き合わせで行われた累進課税制度の緩和政策にあったのだ。
なお、この時期雨後の竹の子のように生まれたのが抵当証券会社だった。高騰する土地の価格を有価証券にして、不動産資産家に金を提供して土地バブルをさらに拡大させたこともあったが(抵当証券会社はすべてバブル崩壊によって破産した)、このときの日本の派生的バブル金融商品である抵当証券(不動産の金融商品化)をその後、アメリカで有価証券としてばらまいたのがリーマン・ブラザーズであり、日本の金融機関(主に銀行)がその金融商品を買いまくり、リーマン・ブラザーズの倒産によって生じたリーマン・ショックで大痛手を被ったのは、そう遠くない過去である。政府の政策も企業のビジネスも、過去の論理的検証をしなかったことによる当然と言えば当然すぎるツケを払っただけのことだ。日本もアメリカも、「懲りない」あるいは「のど元過ぎれば熱さ忘れる」国なのか、ひょっとしたら政府も金融機関も、日米ともに健忘症症候群に罹っているのだろうか。そういう意味では両国のメディアも同じだ。
また、この時期すでに少子高齢化が進行しつつあった。少子高齢化は日本だけでなく、すべての先進国に共通した現象だったが、単一民族の日本では顕著にその傾向が現れた。欧米先進国はとっくに多民族化しており、優位な地位を占めていた白人たちの間で急速に進んだ少子高齢化を、低所得層の異民族の出生率が低下しなかったことによって明るみに出るのが遅かっただけである。その原因はその分野の専門家に分析してもらいたいが、日本の場合でいえば大家族から核家族化への移行が急速に進んだこと、女性の高学歴化や男女雇用均等化により女性の社会進出が進み、晩婚化も生じたこと。またそうした社会的背景の中で女性の生きがいや価値観も多様化していったことなどが考えられる。
一方医療の分野でも技術革新が急速に進み、先進国の中で日本人の平均寿命が突出して伸び出したことが高齢化の原因であろう。このケースでも、日本は他の先進国に比べて単一民族であることが大きく作用したと考えられる。おそらく欧米先進国でも、白人社会だけを見ると日本並みに少子高齢化が進んでいるのではないだろうか。欧米先進国でも、国内の白人と黒人やアラブ系、ヒスパニック系など異民族の割合によって平均寿命や少子高齢化現象の現れ方に差が生じていると思う。そういう視点で少子高齢化対策も考えないと、ただ目先子育て環境を整えるという目的で保育園をやたらと作っても、税金の無駄遣いになりかねない。
私は書きながら論理的思考を展開していくタイプなので、たびたび話が横道にそれてしまう。読者には申し訳ないが、これが私の手法なので勘弁願うしかない。とくに今回は、先週から今週にかけて安保法制だけでなく、消費税増税や新派遣法など重要法案が一気に浮上したため、私の思考もあちこちに飛びながらブログを書くはめになり、今回は横道にそれるケースが多くなってしまった。とりあえず再び話を本筋に戻す。
実はこのブログは11日から書き始めたのだが、その日から財務省案について自公の協議が始まり、公明がすでに述べたように「還付方式は軽減税率方式ではない」と猛反発し、自民党内にも「零細小売業には負担業務が大きすぎる」「マイナンバー・カードを自分の個人情報を知られたくないという理由で受け取らない国民が多いという世論調査もある」といった批判が続出してポイントによる還付方式の採用は難しくなってきた。いまこのブログを書いているのは12日だが、やはり財務省案の検証はしておく必要があると思うので続ける。
まず消費税をなぜ増税する必要があるのか、という基本的問題から思考を始める。そうしないと目的と手段がごっちゃになり、「目的のためにはいかなる手段も正当化される」という日本特有(日本だけではないが)の国民性から、いつの間にか「手段」が「目的化」しかねないからだ。
最初に明らかにしておくべきは、竹下内閣の消費税導入、橋下内閣の増税とは、先の8%への増税、17年4月からの10%への増税は目的が明らかに違うということを、明確に認識していただきたい。先の2回の消費税は他の先進国並みに累進課税制度を緩和すること、また直接税と間接税の歳入割合をやはり欧米先進国並みにすることが目的だった。その結果、バブル景気の爆発と、その後の「失われた20年」が生じた。
この「失われた20年」により日本の国家財政が困窮化し、財政健全化のために行うことにしたのが先の8%への増税と、いま問題になっている10%への増税問題である。この違いをご理解いただかないと、まともな議論ができない。
従って、財政再建のためにはどういう方法が日本の現在の国情にとって、最も合理的か、という観点から消費税議論も行う必要がある。現在は、明らかに「まず、消費税増税ありき」から議論が出発しており、財政健全化という目的に代わって、手段であるはずの消費税増税が目的化してしまっている。私は消費税を17年4月に増税すれば、どういう結果が生じるかの可能性から検証して
みたい。もちろん財政健全化のためには歳入(税収)を増やす政策をとる必要は否定しない。安倍政権が誕生した12年末の12月30日のブログ『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』で、私はこう書いた。
まず新政権の最大の課題は、国民の新政権に寄せる期待が最も大きかった経済再建だが、妙手ははっきり言ってない。安倍内閣が経済再建の手法として打ち出しているのは①金融緩和によるデフレ克服②公共事業による経済効果の2点である。金融緩和だが、果たしてデフレ克服につながるか、私はかなり疑問に思わざるを得ない。(中略・・・理由も述べているが長文になるので省略する。理由を知りたい人は私のブログをさかのぼって読んでほしい)
とにかく市場に金が回るようにしなければ、景気は回復しないのは資本主義経済の大原則だ。そのための具体的政策としては、税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本的方針にすべきだ。つまり相続税を大幅にアップし、逆に贈与税を大幅に軽減することだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯めこんでいる金が子供や孫に贈与され、市場に出回ることになる。当然内需が拡大し、需要が増えればメーカーは増産体制に入り、若者層だけでなく定年制を65歳まで拡大し、年金受給までの5年間を解消できる。ただし、このような税制改革を実現するには二つの条件がある。一つは相続税増税・贈与税減税を消費税増税の2段階(※8%増税時期と10%増税時期のこと)に合わせて、やはり2段階に分け消費税増税と同時に行う必要がある。その理由は当然考えられることだが、消費税増税前の需要の急拡大と、増税後の需要の急激な冷え込みを防ぐためである。
その場合、贈与税の考え方そのものを一変させる必要がある。相続税は相続人にかかるが、贈与税は贈与人にかかる仕組みになっている。その基本的考え方を変えなければならない。相続税は相続人が支払うのは当然だが(相続者はすでに死亡しているから課税できない)、贈与税に関しては贈与人が贈与税(※大幅な軽減化が前提)を支払うだけでなく、被贈与人は収入として確定申告を義務付けることである。(中略)またこのシステムを導入することと同時に現在の非課税贈与制度を廃止し、消費税のように完全に一律課税(※もちろん贈与税のこと)にすることも大きなポイントになることだけ付け加えておく。
また所得税制度も改革の必要がある。(中略)少なくとも4人家族の標準所得世帯の場合は所得税は非課税にする必要がある。その一方年収1000万円超の層は累進的に課税を重くし、年収2000万円以上の高額所得層の所得税率は現在の40%から50%に引き上げる必要がある。
私は消費税増税はやむを得ないと考えている。ただ食料品などの生活必需品を非課税あるいは軽減課税にするのではなく、「聖域なき」一律課税にして、低所得層には生活保護対策として所得に応じて所得税を軽減する必要がある(※この時点では、私は低所得層に対する給付金制度は考えていなかった。政府は8%増税時に低所得層に対して給付金制度を導入したが、この政策は評価している)。なぜ生活必需品を非課税あるいは軽減課税にすべきではないかというと、国産ブランド牛とオージービーフの切り落としが同じ生活必需品として非課税あるいは軽減税率の対象になることに、国民が納得できるかという問題があるからだ。
私自身は、野合政党であり、連合と旧小沢チルドレンをバックにした輿石幹事長に足を引っ張られながら、最後の土壇場で自公の協力を取り付けて、少子高齢化に歯止めがかからない日本の将来のための布石を何とか打った野田前総理を政治家として高く評価している。野田前総理は、選挙で農民票を失うことを覚悟でTPP交渉参加の方針を打ち出していた。「民意」と言えば体裁はいいが、「民意」はそれぞれの職業や生活環境、時代背景によって異なる。(中略)
確かに選挙には勝たなければならないが、日本の将来を危うくするような公約(マニフェスト)を並べ立てて票の獲得を目指すような政治家に、日本の将来を任せるわけにはいかない。その最たるものが日本の農業保護政策だ。資本主義社会の基本原則は自由競争である。もちろん今すぐ何でもかんでも自由競争にしろなどとは言わない。自由競争で勝ち残れるような手段を構築する必要はある。(中略)はっきり言う。日本は直ちに「聖域なきTPP交渉」への参加を表明すべきだ。TPP交渉に参加したからと言って、今すぐ直ちにすべての関税をゼロにしなければならないというわけではない。(以下要約)認められた猶予期間の間に競争社会で生き残れる農業政策を進めるべきだ。それでも競争に勝てない農家は気の毒だが、資産を処分して生活保護受給者になっていただく。
日本が、自らそういう血を流す覚悟を世界に向けて発信すれば、国際社会における日本の発言力は格段の重みを持つようになる。
かなり、長文の転載になったが、いま安倍内閣は農業政策やTPP交渉などについては、野田前総理からバトンを受け取った政治課題にそれなりに取り組んでいる。不十分だが、相続税と贈与税の見直しにも取り組んでいる。私は安倍内閣の政策のすべてに反対しているわけではない。だが、中途半端で頓挫しているケースが多い。消費税増税対策もそうだ。
私が12年末の提案した高額所得者への課税強化も、中途半端だが実現した。
高額給与所得層に対しては給与所得控除を大幅に引き下げた。実質的な高給取りに対する課税強化である。私は高額所得者の所得税率の上限の10%程度引き
上げも実施した方がいいと思っているが…。
いずれにせよ、消費税増税の目的が財政再建にあるとすれば、消費税増税によって消費が冷え込んだのでは、元も子もない。かえって歳入は減少しかねない。財務省は、8%に増税後の消費の冷え込みによるマイナスと、増税によるプラスを国民に分かるようにデータとして正確に明らかにしてほしい。少なくとも8%増税時に行った低所得層への給付金方式が失敗だったのでなければ、10%増税時にも給付金方式により給付額を増額すれば、低所得層が受けるダメージは回避できるはずで、結果的には消費が減少したことの原因をきちんと検証しなければ、10%への増税対策はまた失敗する。
理論上は財務省の対策案は、IT技術の急速な進歩によって可能になったことは間違いないし、また「益税」解消策としても評価は出来る。また財務省はすべての国民がポイントで上限と目されている4000円の還付を受けたとしても、還付金総額は5000億円程度に収まるようだし(全食料品を対象に2%減税した場合の税収減は1兆3200億円になると想定されている)、高所得層はたかだか4000円の還付を受けるためにいちいちマイナンバー・カードにポイントをためるなどということはしないだろうから、実際の還付金総額は4000億円前後で収まるのではないかと思う。「官僚らしい発想法だな」と、皮肉をこめて感心したが、私はどういう方法をとったところで消費税増税による消費のさらなる減少には歯止めはかけられないと思う。
少なくとも、事実として検証済みなのは消費税導入・増税直前の耐久消費財(電気製品など)や長期間使用に耐える消耗品(化粧品など)は駆け込み需要が増大し、増税後は一気に需要が減少することは10%増税時にも当然考えられる。食料品は冷凍食品以外の生鮮食品は賞味期限が短いので、財務省や政府は消費の減少に直結しないだろうと考えているが、実際には消費額は減少している。確かに食品量を減らすわけにはいかないのだが、消費者は1ランク下の食品の購入に走り、消費の量は減少しなくても消費額が減少するという事態は免れ得ない。食品の消費額が減少したうえ、食料品を対象に軽減税率を導入したり、ポイント制で増税分を還付したりしたら、かえって税収は減りかねない。
ポイント制による還付金制度を導入するためには、そのための特殊な機器類の普及や小売業者の準備態勢を整えるための期間が必要なために現時点で案を与党に提示したのだろうが、増税時期はまだ1年半以上先だ。景気動向によっては直前になって法改正もありうる。わが国GDPに占める消費は6割に達しているが、それをどうにか支えてくれているのは外国人とくに中国人による「爆買」だ。中国経済の先行き懸念が大きくなりつつある現在、この「爆買」がい
つまで日本の消費経済を支えてくれるのかは全く不透明と言える。
どうやっても消費活動に与えるマイナス影響が避けられないとすれば、一番
簡易でコストもかからない、低所得層への給付金制度の継続しかないだろう、というのが現時点での私の結論である。
最後に、昨日NHKは『日曜討論』で集団的自衛権と安保法制について学者を中心に討論を放送した。自民政治家のように、いたずらに「日本を取り巻く安全保障環境が激変した」などという空理空論はほとんど出ず、集団的自衛権についての72年の政府見解(内閣法制局作成)に対する疑問点も、安保法制賛成派の学者からも出た。「戦争法案」といった感情的議論はまったく出なかったのはよかったが、やはり仮定の事態についての集団的自衛権行使のケースについてのやり取りに終始してしまったのは残念だった。
なお、この討論会で安保法制懇の委員を務めた細谷雄一・慶大法学部教授が「集団的自衛権についてはいろいろな解釈があり、72年の政府見解はもっとも広義の解釈を元に憲法上行使できないとしたが、いまの政府見解は新三要件という事実上ありえないきわめて狭義な解釈に基づき行使できるとしているので合憲だ」という旨の主張をしたが、先に述べたように浦部氏が「集団的自衛権というのは、国連憲章51条で初めて認められたものだといわれる」と述べている。私も2年以上前からネット検索でいろいろ調べているが、国際法上、国連憲章51条以外の定義はまったくないと思う。浦部氏も「といわれる」と断定的解釈は回避したが、少なくとも国際政治学者でもある細谷氏が「いろいろな解釈がある」という以上、国際法上正式に定義づけられた解釈を明確にすべきだ。このような主張の仕方を「ためにする議論」という(レトリックの1種)。
細谷氏のような主張を認めるなら、「民主主義」という概念は国際法上の定義はないが、いちおう言葉としては世界共通の普遍的政治システムと解される(たとえば北朝鮮ですら正式な国名を「朝鮮民主主義人民共和国」とし、民主主義国であると標榜している)。日本は戦後、アメリカ型民主主義の考え方を取り入れたとされているが、アメリカでは議会(国会)の投票で議員に党議拘束をかけておらず、実際オバマ大統領は民主党出身でありながら、TPP交渉の権限拡大について肝心の民主党からの支持が得られず、共和党の支持によって議会で権限を得ている。日本は間接民主主義であるが、有権者は小選挙区では特定の候補者に票を投じており、政党はその有権者の了解を得ずして所属議員に党議拘束をかけている。これは明らかにいびつな「日本型民主主義」であって、事実上戦後政治をけん引してきた保守派が慣習的に定着させてきたものであり、そのような党議拘束が憲法上認められるのかという議論があってもしかるべきだろう。
なお日本人や日本大使館が戦後、不法に選挙されたケースが2回ある。湾岸戦争のきっかけになったイラク・フセイン政権が、クウェート侵攻に際して日本を含むすべての外国人を国家権力が人質にした事件がひとつ。もう一つはテロリスト集団によって日本のペルー大使館が武力攻撃を受けて占拠された事件。
過去、実際に生じたケースを俎上にして、安保法制が成立した場合、日本の自衛隊は人質にされた日本人救出のために何ができることになるのか。以前から私は仮定の「存立基盤」などの「事実上ありえないケース」(『日曜討論』での賛成派の一致した主張)で議論せず、日本が何もできなかった、現に過去に生じた事態をケースについて、今後はどういうことが出来るようになるのかといった現実的な議論をしてほしい。
湾岸戦争時にフセイン政権によって日本人141人が人質にされたとき、私は『日本が危ない』(コスモの本より上梓)のまえがきでこう書いた。
このとき日本政府は主体的な解決努力を放棄し、ひたすら国連頼み、アメリカ頼みに終始した。独立国家としての誇りと尊厳をかけて、人質にされた同胞の救出と安全に責任を持とうとするのではなく、アメリカやイギリスの尻馬にのってイラクへの経済封鎖と周辺諸国への医療・経済援助、さらに多国籍軍への資金カンパに応じただけであった。
私は、自衛隊を直ちに中東に派遣すべきだった、などと言いたいのではない。現行憲法や自衛隊法の制約のもとでは、海外派兵が難しいことは百も承知だ。
「もし人質にされた日本人のたった一人にでも万一のことが生じたときは、日本政府は重大な決意をもって事態に対処する」
海部首相が内外にそう宣言していれば、日本の誇りと尊厳はかすかに保つことが出来たし、人質にされた同胞とその家族の日本政府への信頼も揺るがなかったに違いない。
私がこのとき書いた意図は、低下しつつあるアメリカの「警察力」の補完役を果たせという意味ではない(そういう説明は、自民・谷垣幹事長が講演会で「集団的自衛権行使容認の必要性」について行っている)。
財務省案とは、酒類を除く飲食料品については購入時にいったん新消費税(10%)を支払うが、後から増税分の2%を上限(一人年4000円が目安)として還付するという方式だ。公明党が掲げていた軽減税率導入はヨーロッパで実施されている付加価値税における軽減税率方式だったが、これは必ずしも公平とは言えず、富裕層には有利になるが、低所得層との税格差(逆進性)はかえって拡大するという致命的欠陥を抱えていることは周知の事実のはずだが…。
ヨーロッパ方式は国によって運用が多少違うが、基本的には食料品は一律減税するというものだ。たとえば日本で言えば国産銘柄牛のひれ肉もオージービーフの切り落としも同じ税率にしてしまうという乱暴なやり方で、付加価値税導入時にはIT技術など生まれてもいなかった時代だから、一律減税にせざるを得なかったという事情もあった。
例えばヨーロッパで最も早く付加価値税を導入したフランス(1954年導入)では標準課税は20%だが、食料品は5.5%と軽減している(外食は10%)。また英国では標準税率は20%だが、その代わり食料品は一律非課税だ(ただし、外食や温めたテイクアウト、菓子などは標準課税)。ドイツでも標準税率は19%だが、食料品は7%に軽減している(ただし外食は軽減対象外)。いまヨーロッパでも、こうした軽減税率方式について、かえって不公平ではないかという問題が指摘されだしているが、長年にわたって定着してきた方式だけに、理屈だけでは簡単に変えられないという問題も抱えている。
が、公明党は選挙公約で「消費税増税の際には食料品など生活必需品は軽減税率を導入する」と主張してきたため、「軽減税率」という言葉にあくまでこだわっているようだ。財務省案のポイントによる増税分の還付方式は「軽減税率ではなく、支持者の理解が得られない」という党利党略に基づく主張をしているとしか思えない。確かに消費者が買い物をするときに、その場で増税分を課税しないというヨーロッパ方式のほうが、消費者にとっては分かりやすいかもしれないが、間接税(消費税や付加価値税)の持つ致命的な欠陥である逆進性は解消されない。そういう意味では、財務省案はIT技術をベースにして逆進性を解消する方法としては軽減税率方式より、はるかにすぐれてはいる。が、財務省案は事実上導入が困難と思われる。その理由は後で書くが、財務省が狙っているのは単なる逆進性の解消ではなく、財務省案の狙いの本丸は消費者から預かった消費税をネコババしている零細小売業者をあぶりだし、いわゆる「消費税の益税化」を解消することだ。そのことに、公明党をはじめ政治家やどの
メディアもまだ気づいていない。
日本で消費税が導入されたのはヨーロッパ諸国よりはるかに遅く、1989年に3%、97年に5%に増税、そして昨年8%に増税されたばかりだ。このとき、今年10月には10%に再増税されることになっていたが、8%増税による消費の落ち込みがなかなか回復せず、増税時期が17年4月に延期されたという経緯があった。ただしこのときには軽減税率は検討課題になっていただけで、ましてマイナンバー制度の導入など与党の政策として浮上さえしていなかった。
消費税は、すでに述べたように逆進性という側面がある(国民が払う税金の場合。企業が払う消費税は商品の販売時に上乗せするから別)。税金は大きく分ければ直接税と間接税ということになるが、直接税は所得(収入から必要経費やいろいろな控除額を減じた金額)に対してかかる税金で、間接税は物品やサービスの購入(支出した金額)にかかる税金である。
そして直接税は税率が所得額に応じて変わる。日本の場合、かつては世界に類を見ないほど「社会主義的な累進課税制度」が採用されていた。たとえば長者番付で常に上位を占めていた松下幸之助氏(パンソニックの創業者)などは所得の80%を税金で持って行かれていた。高額所得者に対する、このような過酷な累進課税制度は「能力があり、高所得を得ている人たちのやる気を損なう」という自民党政府の屁理屈で累進課税制度の見直しが行われた。高額所得層の課税率を引き下げれば、当然国や地方の税収が減少する。その減少分を補う目的で、竹下内閣が戦後初めて導入したのが3%の消費税だった。
つまり直接税(所得税や住民税)は所得に応じて低所得者が優遇されているが、間接税は所得に関わらず税率が一律である。とくに低所得層を狙い撃ちにするわけではないが、所得が変わらないのに消費にかかる税金が増えるために「逆進税制」と言われているのである。
では、いまなぜ消費税増税が問題化したのか、ということを考えてみたい。97年に橋下内閣が消費税を5%に増税したのは、バブルが崩壊して企業からの税収も国民が納める直接税も激減したためだった。なのに橋本内閣は直接税の累進性をさらに緩和し(高所得層の可処分所得を増やし、景気回復につなげたいというはかない希望があったためと思われるが)、減収分を補うために消費税を増税するという政策をとったのである。「失われた20年」について、この時期の消費税増税が意味した結果について分析している経済学者は皆無だと思う。
ついでのことに、自慢話を一つさせて頂くが、私は2013年の夏からブログで「集団的自衛権は自国防衛のために親密な関係にある国(あるいは同盟国)に対して武力支援を要請できる権利」と定義し(国連憲章51条は間違いなく、そういう意味で集団的自衛を固有の権利として国連加盟国に認めている)、だから「日本は日米安保条約によって日本が他国から攻撃された場合、米軍が自衛隊と共同で日本を防衛する義務を持っており、すでに日本は集団的自衛の権利をいつでも行使できる」と主張してきた。つまり「集団的自衛権は自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する権利」、という従来の内閣法制局の解釈そのものが間違っているという指摘をこの2年間で数10回にわたってしてきたが、つい先日ネットで憲法学者として権威のある浦部法穂氏(神戸大副学長、名古屋大法科大学院教授などを経て現神戸大名誉教授)が、集団的自衛権について今年6月、私の主張を裏付けてくれた。なお、以下に一部を引用させていただくが、浦部氏の論文の書き方から、この解釈自体が氏にとってごく最近のものと考えられる。なお以下の引用文を含む論文の全文は、ネットで検索できる。
「集団的自衛権」というのは、国連憲章51条で初めて認められたものだといわれる。国連憲章51条は、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利(the inherent right of collective self-defense)を害するものではない。」と規定する。
ここでいう「集団的自衛(collective self-defense)とは、言葉の本来の意味からいえば、武力攻撃を受けた国が自分だけで反撃するのではなく、同盟国に助けを求めて同盟国と共同で反撃することを言っていると解される。
それは、攻撃を受けた国にすればまさに「自衛」である。「自衛」の手段として、自国だけで戦うのではなく、他の同盟国にも助けを求めて戦う。それが、国連憲章51条のいう「集団的自衛」ということの本来の意味だとみるべきであろう。
この場合、攻撃を受けた国に加勢して闘う国は、自らは攻撃を受けていないのだから、その国にとっては「自衛」ではない。けれども、攻撃を受けた国の「自衛」を助けるのだから、その限りでは攻撃を受けていない国による武力行使も違法ではないとされる(※浦部氏が言う「違法ではない」とは国連憲章違反ではないという意味で、日本国憲法上合憲であるとは主張されていない)。これが、国連憲章51条の本来の意味だと、私は思う。
実は浦部氏はこの説を述べるに先立って「そこのところをきちんと切り分けた議論が、政治の場ではもちろん、マスコミでも、学会においてすら、どうもほとんどなされていないように思われる」と述べている。が、私は少なくとも2年前の夏にはまったく同じ解釈をして以降、数10回にわたり内閣法制局の従来の解釈に基づいた「集団的自衛権を行使する」ことは憲法解釈の変更では不可能だと主張してきた。メディアも政治家もかなり私のブログを注目しているにもかかわらず、私の主張を無視し続けてきた。私の論理には納得しても、私は権威ある憲法学者ではないから無視してきたのだろうが、浦部氏が私の主張を結果的に完全に裏付けてくれたことは間違いない事実である。
私の自慢話はこの辺でやめるが、いまだ疑問を持っていることがある。憲法学者や弁護士の大多数が安保法制は「違憲法案だ」と主張し、どういう形になるにせよ代表民主主義(この表現もおかしい。選挙で選ばれた議員が多数決で決めるから「代表」としているのだろうが、ではその反意語は何かと問われれば、無い。私は議会制民主主義あるいは間接民主主義と表現すべきで、そうすれば反意語は明らかに直接民主主義ということになり、最近では橋下大阪市長が大阪都構想に対する大阪市民の住民投票を行ったのが直接民主主義の代表例である)の国会では、安保法制が成立するのは間違いない。
そうなれば、その後は「違憲か合憲か」を巡っての法廷闘争になるが(全国8高裁→最高裁)、村社会の司法の世界で、憲法学者の大多数や元最高裁長官、元内閣法制局長まで「違憲」としている安保法制を、「合憲」と判断できる裁判官はまずいない。強権体制を確立して党内の批判派を力で抑え込み、1枚岩体制を築いた安倍総理だが、最高裁で「違憲」と判決されることは必至で、そうなれば内閣総辞職に追い込まれることも間違いない(解散はありえない)。
それにしても、私が疑問に思っているのは、憲法学者や弁護士はそれなりに法的根拠に基づいて「違憲」主張をしているが(市民団体などの「戦争法案」主張は、まだ感情論の域を脱していない。私が学生時代に経験した60年安保闘争もそうだったが、もう少し成熟した議論をしてほしいと思う)、なぜ国際法を専門とする学者たちが国連憲章解釈について沈黙を守っているのか、それが解せない。私はもちろん学者ではないし、浦部氏も憲法学者で日本国憲法の専門家でしかない。本来、「集団的自衛権」についての従来の政府解釈について、国際法を専門とする学者が「解釈の間違い」を指摘していれば、安保法制そのものが最初から法的根拠を失っていたことが明らかになっていたのに、なぜ国際法の専門学者たちが沈黙しているのか、私には理解できない。
消費税問題に戻る。政策はつねに結果で検証されなければならない。橋本内閣の消費税増税政策は、すでに書いたように高額所得者の直接税の減税によって、高額所得者が可処分所得を消費に回して景気回復の機関車的役割を果たしてくれると考えたのではないかと思う(政治家も官僚も政策立案や目的の本音は言わない。とりあえず政策を成立させるために国民が納得しやすい口実を並べるだけだ)。
が、高額所得層は、欲しいものはすでに持っており、増えた可処分所得を消費には回してくれなかった。現に、竹下内閣時に行った高額所得層の減税政策は、消費の拡大より資産のさらなる増加を目的にしたマネー・ゲームに回ってしまった。そのうえ日銀も現在の黒田総裁と同様、極端な金融緩和政策をとり、金融機関に金がだぶついた。金融機関はそのカネを資産(主に不動産)の持ち主に積極的にばらまいた。そのうえ、だれが流したかは結局分からなかったが(少なくとも長谷川慶太郎氏が積極的に噂を広めた)、「東京にはオフィスが少ない」という噂(実際には空室が相当あったことが後に分かったが)が広まり、都心の土地買いあさりが始まり、地価の高騰によってさらに資産家のカネ余りが増大し、株やゴルフ会員権などの高騰も始まった。つまり、バブル景気の原因はこのときの消費税導入と抱き合わせで行われた累進課税制度の緩和政策にあったのだ。
なお、この時期雨後の竹の子のように生まれたのが抵当証券会社だった。高騰する土地の価格を有価証券にして、不動産資産家に金を提供して土地バブルをさらに拡大させたこともあったが(抵当証券会社はすべてバブル崩壊によって破産した)、このときの日本の派生的バブル金融商品である抵当証券(不動産の金融商品化)をその後、アメリカで有価証券としてばらまいたのがリーマン・ブラザーズであり、日本の金融機関(主に銀行)がその金融商品を買いまくり、リーマン・ブラザーズの倒産によって生じたリーマン・ショックで大痛手を被ったのは、そう遠くない過去である。政府の政策も企業のビジネスも、過去の論理的検証をしなかったことによる当然と言えば当然すぎるツケを払っただけのことだ。日本もアメリカも、「懲りない」あるいは「のど元過ぎれば熱さ忘れる」国なのか、ひょっとしたら政府も金融機関も、日米ともに健忘症症候群に罹っているのだろうか。そういう意味では両国のメディアも同じだ。
また、この時期すでに少子高齢化が進行しつつあった。少子高齢化は日本だけでなく、すべての先進国に共通した現象だったが、単一民族の日本では顕著にその傾向が現れた。欧米先進国はとっくに多民族化しており、優位な地位を占めていた白人たちの間で急速に進んだ少子高齢化を、低所得層の異民族の出生率が低下しなかったことによって明るみに出るのが遅かっただけである。その原因はその分野の専門家に分析してもらいたいが、日本の場合でいえば大家族から核家族化への移行が急速に進んだこと、女性の高学歴化や男女雇用均等化により女性の社会進出が進み、晩婚化も生じたこと。またそうした社会的背景の中で女性の生きがいや価値観も多様化していったことなどが考えられる。
一方医療の分野でも技術革新が急速に進み、先進国の中で日本人の平均寿命が突出して伸び出したことが高齢化の原因であろう。このケースでも、日本は他の先進国に比べて単一民族であることが大きく作用したと考えられる。おそらく欧米先進国でも、白人社会だけを見ると日本並みに少子高齢化が進んでいるのではないだろうか。欧米先進国でも、国内の白人と黒人やアラブ系、ヒスパニック系など異民族の割合によって平均寿命や少子高齢化現象の現れ方に差が生じていると思う。そういう視点で少子高齢化対策も考えないと、ただ目先子育て環境を整えるという目的で保育園をやたらと作っても、税金の無駄遣いになりかねない。
私は書きながら論理的思考を展開していくタイプなので、たびたび話が横道にそれてしまう。読者には申し訳ないが、これが私の手法なので勘弁願うしかない。とくに今回は、先週から今週にかけて安保法制だけでなく、消費税増税や新派遣法など重要法案が一気に浮上したため、私の思考もあちこちに飛びながらブログを書くはめになり、今回は横道にそれるケースが多くなってしまった。とりあえず再び話を本筋に戻す。
実はこのブログは11日から書き始めたのだが、その日から財務省案について自公の協議が始まり、公明がすでに述べたように「還付方式は軽減税率方式ではない」と猛反発し、自民党内にも「零細小売業には負担業務が大きすぎる」「マイナンバー・カードを自分の個人情報を知られたくないという理由で受け取らない国民が多いという世論調査もある」といった批判が続出してポイントによる還付方式の採用は難しくなってきた。いまこのブログを書いているのは12日だが、やはり財務省案の検証はしておく必要があると思うので続ける。
まず消費税をなぜ増税する必要があるのか、という基本的問題から思考を始める。そうしないと目的と手段がごっちゃになり、「目的のためにはいかなる手段も正当化される」という日本特有(日本だけではないが)の国民性から、いつの間にか「手段」が「目的化」しかねないからだ。
最初に明らかにしておくべきは、竹下内閣の消費税導入、橋下内閣の増税とは、先の8%への増税、17年4月からの10%への増税は目的が明らかに違うということを、明確に認識していただきたい。先の2回の消費税は他の先進国並みに累進課税制度を緩和すること、また直接税と間接税の歳入割合をやはり欧米先進国並みにすることが目的だった。その結果、バブル景気の爆発と、その後の「失われた20年」が生じた。
この「失われた20年」により日本の国家財政が困窮化し、財政健全化のために行うことにしたのが先の8%への増税と、いま問題になっている10%への増税問題である。この違いをご理解いただかないと、まともな議論ができない。
従って、財政再建のためにはどういう方法が日本の現在の国情にとって、最も合理的か、という観点から消費税議論も行う必要がある。現在は、明らかに「まず、消費税増税ありき」から議論が出発しており、財政健全化という目的に代わって、手段であるはずの消費税増税が目的化してしまっている。私は消費税を17年4月に増税すれば、どういう結果が生じるかの可能性から検証して
みたい。もちろん財政健全化のためには歳入(税収)を増やす政策をとる必要は否定しない。安倍政権が誕生した12年末の12月30日のブログ『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』で、私はこう書いた。
まず新政権の最大の課題は、国民の新政権に寄せる期待が最も大きかった経済再建だが、妙手ははっきり言ってない。安倍内閣が経済再建の手法として打ち出しているのは①金融緩和によるデフレ克服②公共事業による経済効果の2点である。金融緩和だが、果たしてデフレ克服につながるか、私はかなり疑問に思わざるを得ない。(中略・・・理由も述べているが長文になるので省略する。理由を知りたい人は私のブログをさかのぼって読んでほしい)
とにかく市場に金が回るようにしなければ、景気は回復しないのは資本主義経済の大原則だ。そのための具体的政策としては、税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本的方針にすべきだ。つまり相続税を大幅にアップし、逆に贈与税を大幅に軽減することだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯めこんでいる金が子供や孫に贈与され、市場に出回ることになる。当然内需が拡大し、需要が増えればメーカーは増産体制に入り、若者層だけでなく定年制を65歳まで拡大し、年金受給までの5年間を解消できる。ただし、このような税制改革を実現するには二つの条件がある。一つは相続税増税・贈与税減税を消費税増税の2段階(※8%増税時期と10%増税時期のこと)に合わせて、やはり2段階に分け消費税増税と同時に行う必要がある。その理由は当然考えられることだが、消費税増税前の需要の急拡大と、増税後の需要の急激な冷え込みを防ぐためである。
その場合、贈与税の考え方そのものを一変させる必要がある。相続税は相続人にかかるが、贈与税は贈与人にかかる仕組みになっている。その基本的考え方を変えなければならない。相続税は相続人が支払うのは当然だが(相続者はすでに死亡しているから課税できない)、贈与税に関しては贈与人が贈与税(※大幅な軽減化が前提)を支払うだけでなく、被贈与人は収入として確定申告を義務付けることである。(中略)またこのシステムを導入することと同時に現在の非課税贈与制度を廃止し、消費税のように完全に一律課税(※もちろん贈与税のこと)にすることも大きなポイントになることだけ付け加えておく。
また所得税制度も改革の必要がある。(中略)少なくとも4人家族の標準所得世帯の場合は所得税は非課税にする必要がある。その一方年収1000万円超の層は累進的に課税を重くし、年収2000万円以上の高額所得層の所得税率は現在の40%から50%に引き上げる必要がある。
私は消費税増税はやむを得ないと考えている。ただ食料品などの生活必需品を非課税あるいは軽減課税にするのではなく、「聖域なき」一律課税にして、低所得層には生活保護対策として所得に応じて所得税を軽減する必要がある(※この時点では、私は低所得層に対する給付金制度は考えていなかった。政府は8%増税時に低所得層に対して給付金制度を導入したが、この政策は評価している)。なぜ生活必需品を非課税あるいは軽減課税にすべきではないかというと、国産ブランド牛とオージービーフの切り落としが同じ生活必需品として非課税あるいは軽減税率の対象になることに、国民が納得できるかという問題があるからだ。
私自身は、野合政党であり、連合と旧小沢チルドレンをバックにした輿石幹事長に足を引っ張られながら、最後の土壇場で自公の協力を取り付けて、少子高齢化に歯止めがかからない日本の将来のための布石を何とか打った野田前総理を政治家として高く評価している。野田前総理は、選挙で農民票を失うことを覚悟でTPP交渉参加の方針を打ち出していた。「民意」と言えば体裁はいいが、「民意」はそれぞれの職業や生活環境、時代背景によって異なる。(中略)
確かに選挙には勝たなければならないが、日本の将来を危うくするような公約(マニフェスト)を並べ立てて票の獲得を目指すような政治家に、日本の将来を任せるわけにはいかない。その最たるものが日本の農業保護政策だ。資本主義社会の基本原則は自由競争である。もちろん今すぐ何でもかんでも自由競争にしろなどとは言わない。自由競争で勝ち残れるような手段を構築する必要はある。(中略)はっきり言う。日本は直ちに「聖域なきTPP交渉」への参加を表明すべきだ。TPP交渉に参加したからと言って、今すぐ直ちにすべての関税をゼロにしなければならないというわけではない。(以下要約)認められた猶予期間の間に競争社会で生き残れる農業政策を進めるべきだ。それでも競争に勝てない農家は気の毒だが、資産を処分して生活保護受給者になっていただく。
日本が、自らそういう血を流す覚悟を世界に向けて発信すれば、国際社会における日本の発言力は格段の重みを持つようになる。
かなり、長文の転載になったが、いま安倍内閣は農業政策やTPP交渉などについては、野田前総理からバトンを受け取った政治課題にそれなりに取り組んでいる。不十分だが、相続税と贈与税の見直しにも取り組んでいる。私は安倍内閣の政策のすべてに反対しているわけではない。だが、中途半端で頓挫しているケースが多い。消費税増税対策もそうだ。
私が12年末の提案した高額所得者への課税強化も、中途半端だが実現した。
高額給与所得層に対しては給与所得控除を大幅に引き下げた。実質的な高給取りに対する課税強化である。私は高額所得者の所得税率の上限の10%程度引き
上げも実施した方がいいと思っているが…。
いずれにせよ、消費税増税の目的が財政再建にあるとすれば、消費税増税によって消費が冷え込んだのでは、元も子もない。かえって歳入は減少しかねない。財務省は、8%に増税後の消費の冷え込みによるマイナスと、増税によるプラスを国民に分かるようにデータとして正確に明らかにしてほしい。少なくとも8%増税時に行った低所得層への給付金方式が失敗だったのでなければ、10%増税時にも給付金方式により給付額を増額すれば、低所得層が受けるダメージは回避できるはずで、結果的には消費が減少したことの原因をきちんと検証しなければ、10%への増税対策はまた失敗する。
理論上は財務省の対策案は、IT技術の急速な進歩によって可能になったことは間違いないし、また「益税」解消策としても評価は出来る。また財務省はすべての国民がポイントで上限と目されている4000円の還付を受けたとしても、還付金総額は5000億円程度に収まるようだし(全食料品を対象に2%減税した場合の税収減は1兆3200億円になると想定されている)、高所得層はたかだか4000円の還付を受けるためにいちいちマイナンバー・カードにポイントをためるなどということはしないだろうから、実際の還付金総額は4000億円前後で収まるのではないかと思う。「官僚らしい発想法だな」と、皮肉をこめて感心したが、私はどういう方法をとったところで消費税増税による消費のさらなる減少には歯止めはかけられないと思う。
少なくとも、事実として検証済みなのは消費税導入・増税直前の耐久消費財(電気製品など)や長期間使用に耐える消耗品(化粧品など)は駆け込み需要が増大し、増税後は一気に需要が減少することは10%増税時にも当然考えられる。食料品は冷凍食品以外の生鮮食品は賞味期限が短いので、財務省や政府は消費の減少に直結しないだろうと考えているが、実際には消費額は減少している。確かに食品量を減らすわけにはいかないのだが、消費者は1ランク下の食品の購入に走り、消費の量は減少しなくても消費額が減少するという事態は免れ得ない。食品の消費額が減少したうえ、食料品を対象に軽減税率を導入したり、ポイント制で増税分を還付したりしたら、かえって税収は減りかねない。
ポイント制による還付金制度を導入するためには、そのための特殊な機器類の普及や小売業者の準備態勢を整えるための期間が必要なために現時点で案を与党に提示したのだろうが、増税時期はまだ1年半以上先だ。景気動向によっては直前になって法改正もありうる。わが国GDPに占める消費は6割に達しているが、それをどうにか支えてくれているのは外国人とくに中国人による「爆買」だ。中国経済の先行き懸念が大きくなりつつある現在、この「爆買」がい
つまで日本の消費経済を支えてくれるのかは全く不透明と言える。
どうやっても消費活動に与えるマイナス影響が避けられないとすれば、一番
簡易でコストもかからない、低所得層への給付金制度の継続しかないだろう、というのが現時点での私の結論である。
最後に、昨日NHKは『日曜討論』で集団的自衛権と安保法制について学者を中心に討論を放送した。自民政治家のように、いたずらに「日本を取り巻く安全保障環境が激変した」などという空理空論はほとんど出ず、集団的自衛権についての72年の政府見解(内閣法制局作成)に対する疑問点も、安保法制賛成派の学者からも出た。「戦争法案」といった感情的議論はまったく出なかったのはよかったが、やはり仮定の事態についての集団的自衛権行使のケースについてのやり取りに終始してしまったのは残念だった。
なお、この討論会で安保法制懇の委員を務めた細谷雄一・慶大法学部教授が「集団的自衛権についてはいろいろな解釈があり、72年の政府見解はもっとも広義の解釈を元に憲法上行使できないとしたが、いまの政府見解は新三要件という事実上ありえないきわめて狭義な解釈に基づき行使できるとしているので合憲だ」という旨の主張をしたが、先に述べたように浦部氏が「集団的自衛権というのは、国連憲章51条で初めて認められたものだといわれる」と述べている。私も2年以上前からネット検索でいろいろ調べているが、国際法上、国連憲章51条以外の定義はまったくないと思う。浦部氏も「といわれる」と断定的解釈は回避したが、少なくとも国際政治学者でもある細谷氏が「いろいろな解釈がある」という以上、国際法上正式に定義づけられた解釈を明確にすべきだ。このような主張の仕方を「ためにする議論」という(レトリックの1種)。
細谷氏のような主張を認めるなら、「民主主義」という概念は国際法上の定義はないが、いちおう言葉としては世界共通の普遍的政治システムと解される(たとえば北朝鮮ですら正式な国名を「朝鮮民主主義人民共和国」とし、民主主義国であると標榜している)。日本は戦後、アメリカ型民主主義の考え方を取り入れたとされているが、アメリカでは議会(国会)の投票で議員に党議拘束をかけておらず、実際オバマ大統領は民主党出身でありながら、TPP交渉の権限拡大について肝心の民主党からの支持が得られず、共和党の支持によって議会で権限を得ている。日本は間接民主主義であるが、有権者は小選挙区では特定の候補者に票を投じており、政党はその有権者の了解を得ずして所属議員に党議拘束をかけている。これは明らかにいびつな「日本型民主主義」であって、事実上戦後政治をけん引してきた保守派が慣習的に定着させてきたものであり、そのような党議拘束が憲法上認められるのかという議論があってもしかるべきだろう。
なお日本人や日本大使館が戦後、不法に選挙されたケースが2回ある。湾岸戦争のきっかけになったイラク・フセイン政権が、クウェート侵攻に際して日本を含むすべての外国人を国家権力が人質にした事件がひとつ。もう一つはテロリスト集団によって日本のペルー大使館が武力攻撃を受けて占拠された事件。
過去、実際に生じたケースを俎上にして、安保法制が成立した場合、日本の自衛隊は人質にされた日本人救出のために何ができることになるのか。以前から私は仮定の「存立基盤」などの「事実上ありえないケース」(『日曜討論』での賛成派の一致した主張)で議論せず、日本が何もできなかった、現に過去に生じた事態をケースについて、今後はどういうことが出来るようになるのかといった現実的な議論をしてほしい。
湾岸戦争時にフセイン政権によって日本人141人が人質にされたとき、私は『日本が危ない』(コスモの本より上梓)のまえがきでこう書いた。
このとき日本政府は主体的な解決努力を放棄し、ひたすら国連頼み、アメリカ頼みに終始した。独立国家としての誇りと尊厳をかけて、人質にされた同胞の救出と安全に責任を持とうとするのではなく、アメリカやイギリスの尻馬にのってイラクへの経済封鎖と周辺諸国への医療・経済援助、さらに多国籍軍への資金カンパに応じただけであった。
私は、自衛隊を直ちに中東に派遣すべきだった、などと言いたいのではない。現行憲法や自衛隊法の制約のもとでは、海外派兵が難しいことは百も承知だ。
「もし人質にされた日本人のたった一人にでも万一のことが生じたときは、日本政府は重大な決意をもって事態に対処する」
海部首相が内外にそう宣言していれば、日本の誇りと尊厳はかすかに保つことが出来たし、人質にされた同胞とその家族の日本政府への信頼も揺るがなかったに違いない。
私がこのとき書いた意図は、低下しつつあるアメリカの「警察力」の補完役を果たせという意味ではない(そういう説明は、自民・谷垣幹事長が講演会で「集団的自衛権行使容認の必要性」について行っている)。
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