東京オリンピック2020にまつわる様々な疑惑が噴出している。
2013年3月の国際オリンピック総会で、東京への招致活動のアンバサダー(親善大使)として滝川クリステル氏が、日本のオリンピック取組の精神を「おもてなし」と表明し、東京招致が決定した瞬間、日本中が喜びに沸き、「おもてなし」はその年の流行語大賞にも選ばれた。
が、いまやその喜びは失われ、日本人は東京オリンピック招致にしらけきっていると言っても過言ではないだろう。
そうなったそもそもの発端は、新国立競技場建設をめぐるごたごたに端を発した。オリンピック招致の計画を進めていた文科省のスポーツ・青少年局が新国立競技場の建設計画の中心になっていたこと自体に問題があった。オリンピック招致計画の推進はスポーツ・青少年局が担当してもいいのだが、国立競技場の建設となると明らかに専門外の分野である。本来は箱もの公共工事建設の専門家が多い国土交通省が担当すべきだった。結局、建築物に対しては素人集団が新国立競技場の建設計画を推し進めたことに大混乱の原因があった。官僚の縄張り意識、縦割り行政の欠陥がモロに現れた結果と言えよう。
が、当時のスポーツ・青少年局長の久保公人氏が、定年まで1年半を残して引責辞職することで文科省は幕引きを図ったが、肝心の下村文科相は「通常の人事だ」と自らの責任は回避したままだ。「通常の人事」であれば、久保氏は辞職する必要はなく、異動なり天下りなりの処置になるが、辞職つまり文科省を辞めるというのは「通常の人事」ではありえない。永田町では通用する論理ではあっても、一般国民には通用しない論理だ。「永田町の常識は一般社会の非常識」と言われる所以であろう。
また競技場の設計コンペもおかしかった。当初の予算は1300億円で、そのことはデザイン応募者にも伝えられていた。結果的にはコンペへの応募は46作品にとどまったが、選考委員会の委員長は現代日本の建築家として屈指の評価を得ている安藤忠雄氏がなぜ予算を大きくオーバーするような作品を選んだのか。英国在住の設計デザイン者であるザハ・ハディド氏の名はおそらく選考過程では伏せられていたと思うが、ハディド氏が設計した流線型の開閉式屋根のデザインを採用したら、工事費が1300億円の予算に収まらないのではないかという疑問が、選考委員の誰からも出なかったということも常識的には考えられない。選考過程で委員の誰かからそういう疑問が出され、決定デザインを公表する前に、国交省の専門家に1300億円で施工できるかどうかの調査をしてもらっていれば、その時点でハディド氏のデザインはボツになっていたはずだ。
実際には施工業者に決定後試算させたら予算額の2.6倍以上の3462億円に上ることが13年7月には分かっていたにもかかわらず、この予算オーバーの件は今年になるまで秘匿されていた。その段階でようやく東京オリンピック組織委
員会は東京都の舛添都知事に東京都への分担金の要請をした。が、都知事から
「都民の税金を説明できない建設計画に使うことはできない」と突っぱねられ、すったもんだの挙句今年7月17日に安倍総理の「鶴の一声」で白紙からゼロベースで建設計画を作り直すことになったが、そもそも13年7月に出された施工業者の試算自体がおかしかった。
この試算は文科省が競技場本体の施工は大成建設に、また開閉式屋根は竹中工務店への発注を決めており、その理由について「これほどの高度な工事は2社しか不可能」と勝手に判断していたようだ。日本では総合建設会社をゼネコンと総称しているが、なかでも売上高約1兆円に達するスーパーゼネコンは清水建設、竹中工務店、鹿島建設、大成建設、大林組(売上高順)の5社があり、なぜ大成と竹中に最初から絞ったのか、文科省にそれほどスーパーゼネコンの技術力に対する見極め能力があったのか、第三者委員会はそこまで検証して国民への説明責任を果たすべきだろう。
なお、東京オリンピック大会組織委員会はJOCと東京都が東京での開催決定後の1014年1月に一般法人として設立され、今年1月に正式に公益財団法人に格上げされている。会長は森喜朗元総理が就任したが、過去日本で開催された3回のオリンピック組織委員会の会長はいずれも財界出身者であり、政治家が組織委員会の会長に就いたのは森氏が初めてだ。また組織委員会の専務理事(事務総長)には大蔵省事務次官から日銀副総裁を経て大和総研理事長の地位に就いている武藤敏郎氏が就任し、常務理事は布村幸彦(元文科省スポーツ・青少年局長=久保氏の前任)、河野博文(JOC副会長)、佐藤広(元東京都副知事)の3氏である。「猫の首に鈴をつけるネズミはいない」と言われるが、森元総理の首に鈴をつけられる人がいなかったのかもしれない。
この新国立競技場建設問題が紛糾していたとき、またしても組織委員会のずさんさが発覚した。エンブレムの問題だ。
組織委員会はエンブレムのデザイン公募に際して、応募者を世界的なグラフィックデザインの賞を2回以上受賞したデザイナーに限定した。このときも審査委員を務めた8人の著名なグラフィックデザイナーには作品だけが明らかにされ、デザイナーの名前は伏せられた。選考委員会は最終的に4作品に絞り、その中から佐野研二郎氏のデザインを選定した。ここまではいい。
組織委員会は佐野氏のデザインをIOCに提出した。が、IOCから「類似したデザインが多数ある」と修正を求められたという。だが、だれの、どのデザインとの類似性がIOCから指摘されたのかは、いまだに明らかではない。
こうしたケースの場合、組織委員会は佐野氏のデザインの扱いについて審査委員会に差し戻し、原案のオリジナリティを損なわない範囲で微細な修正で他
のデザインとの類似性を解消できるのか、もしそれが不可能だと判断したら、最終選考に残った残りの3点から選び直すべきであった。
が、組織委員会は、そういう手続きをとらなかった。組織委員会は原案の修正が必要だということだけを審査委員会の代表者の永井一正氏に伝えたが、修正作業は組織委員会と佐野氏の間で行うことにした。組織委員会は、なぜ修正作業を審査委員会に差し戻さなかったのか。
組織委員会は、佐野氏のデザインが選ばれた時点でデザインの著作権は組織委員会に移ったとしたうえで、「外部に流出する恐れがあるため、きわめて高い秘匿性の中で修正を行う必要があった」として修正作業から審査委員会を排除した理由を正当化している。つまり、審査委員会のメンバーは情報の秘匿について信用されていなかったということだ。それなら、そんな連中をなぜ組織委員会は審査委員に選んだのかという疑問が生じる。
永井氏はNHKの単独インタビューに応じ、「修正の過程については見せて相談して欲しかったが、原案を決めた時点から審査委員会から離れていたし、どうするかは組織委員会の判断になる」と説明したが、その口調や表情からは不快感がありありだった。
結局、組織委員会は佐野氏に対して2度修正を求め、最終デザインを決定した後、審査委員会に伝えたという。永井氏が最終決定のエンブレムを見たのは正式発表(7月24日)の1週間前だったという。「似て非なるもの」という言い方があるが、だれが見ても原案と最終決定のエンブレムは修正の範囲にとどまるものではなかった。多くの著名デザイナーが、「原案とエンブレムはまったく別のデザイン」と指摘している。審査委員会のメンバーもあきれ果てたのだろうか、あるいは長いものには巻かれた方がいいと判断したのか、1人の委員は「原案と違いすぎる」として認めなかったが、永井氏をはじめ他の7人は了承したという。拒否した1人を除き、他の審査委員には著名なデザイナーとしての見識も良識もなかったようだ。
また組織委員会の修正過程も、重要な問題を含んでいた。これはマスコミからもデザイン界からもまだ指摘されていないが、佐野氏が提出した最初の修正デザインが「鶴の一声」でボツになったいきさつだ。組織委員会の武藤専務理事によれば「最初の修正案は躍動感に欠けるという指摘があり、再度修正してもらった」ということだが、この「鶴の一声」を発したのはだれなのか。少なくともすでに明らかにしたように組織委員会の主要メンバー(会長以下常務理事までを含む5人)の中には、エンブレムのデザインについて一家言を持つほどの見識ある人物は誰もいない。いったい、この「鶴の一声」で第1修正案をボツに出来るような人物は、だれが考えても一人しかいないと思える。さて、この「鶴の一声」を発した門外漢の首に鈴をつけることが出来るのは、内部告発者かメディアか「鶴の一声」に屈した佐野氏しかいない。
が、問題はこれにとどまらなかった。ベルギーのデザイナー、オリビエ・ドビ氏が「このエンブレムは私がデザインしたベルギー・リエージェの劇場ロゴと似ている」と主張し、ベルギーの裁判所に使用中止の提訴を起こしたのだ。
この時点からネットで佐野氏への告発が爆発的に生じた。彼のデザインの多くがコピーだったり、模倣だったりしたことが指摘されだしたのだ。ネットでの指摘を受けてサントリーがキャンペーン用として制作していたノベルティ・バッグのうち8点を配布取りやめにした。
さらに佐野氏がプレゼンテーション用に作成した「エンブレムの使用イメージ」作品が、インターネットに投稿された写真を加工したことまで明らかになった。事ここに至って、組織委員会もさすがに佐野氏だけでなく永井氏も招集してエンブレムの扱いについて協議、佐野氏が自ら取り下げたいという要請をしたという形をとって新国立競技場と同様、白紙からのやり直しをすることにせざるを得なくなった。ただし、組織委員会の最高責任者の森会長も、実務上の最高責任者の武藤専務理事も自らの責任問題には口をつぐんだままだ。
組織委員会は改めてエンブレムのデザインを公募、選考過程も透明化するとしているが、最終決定前に応募デザインを公開すると第3者が商標登録してしまう可能性があるとの不安を抱いているようだ。が、そんな心配は無用だ。応募デザインをネット上で公開した時点で、それぞれの作品には著作権が成立しており、たとえ第3者が商標登録しようとも、そのデザインを著作権者に無断で使用することはできない。そんなことにも無知な人間が組織委員会を牛耳っていること自体、私には信じがたい思いがする。
新国立競技場建設計画の白紙撤回に続いてエンブレムも白紙撤回と、2度も不祥事を続けた組織委員会は会長以下常務理事まで含めた、トップ人事の解体的出直しが必要ではないだろうか。このままでは、東京オリンピックを目指して努力を続けているアスリートが気の毒だ。
2013年3月の国際オリンピック総会で、東京への招致活動のアンバサダー(親善大使)として滝川クリステル氏が、日本のオリンピック取組の精神を「おもてなし」と表明し、東京招致が決定した瞬間、日本中が喜びに沸き、「おもてなし」はその年の流行語大賞にも選ばれた。
が、いまやその喜びは失われ、日本人は東京オリンピック招致にしらけきっていると言っても過言ではないだろう。
そうなったそもそもの発端は、新国立競技場建設をめぐるごたごたに端を発した。オリンピック招致の計画を進めていた文科省のスポーツ・青少年局が新国立競技場の建設計画の中心になっていたこと自体に問題があった。オリンピック招致計画の推進はスポーツ・青少年局が担当してもいいのだが、国立競技場の建設となると明らかに専門外の分野である。本来は箱もの公共工事建設の専門家が多い国土交通省が担当すべきだった。結局、建築物に対しては素人集団が新国立競技場の建設計画を推し進めたことに大混乱の原因があった。官僚の縄張り意識、縦割り行政の欠陥がモロに現れた結果と言えよう。
が、当時のスポーツ・青少年局長の久保公人氏が、定年まで1年半を残して引責辞職することで文科省は幕引きを図ったが、肝心の下村文科相は「通常の人事だ」と自らの責任は回避したままだ。「通常の人事」であれば、久保氏は辞職する必要はなく、異動なり天下りなりの処置になるが、辞職つまり文科省を辞めるというのは「通常の人事」ではありえない。永田町では通用する論理ではあっても、一般国民には通用しない論理だ。「永田町の常識は一般社会の非常識」と言われる所以であろう。
また競技場の設計コンペもおかしかった。当初の予算は1300億円で、そのことはデザイン応募者にも伝えられていた。結果的にはコンペへの応募は46作品にとどまったが、選考委員会の委員長は現代日本の建築家として屈指の評価を得ている安藤忠雄氏がなぜ予算を大きくオーバーするような作品を選んだのか。英国在住の設計デザイン者であるザハ・ハディド氏の名はおそらく選考過程では伏せられていたと思うが、ハディド氏が設計した流線型の開閉式屋根のデザインを採用したら、工事費が1300億円の予算に収まらないのではないかという疑問が、選考委員の誰からも出なかったということも常識的には考えられない。選考過程で委員の誰かからそういう疑問が出され、決定デザインを公表する前に、国交省の専門家に1300億円で施工できるかどうかの調査をしてもらっていれば、その時点でハディド氏のデザインはボツになっていたはずだ。
実際には施工業者に決定後試算させたら予算額の2.6倍以上の3462億円に上ることが13年7月には分かっていたにもかかわらず、この予算オーバーの件は今年になるまで秘匿されていた。その段階でようやく東京オリンピック組織委
員会は東京都の舛添都知事に東京都への分担金の要請をした。が、都知事から
「都民の税金を説明できない建設計画に使うことはできない」と突っぱねられ、すったもんだの挙句今年7月17日に安倍総理の「鶴の一声」で白紙からゼロベースで建設計画を作り直すことになったが、そもそも13年7月に出された施工業者の試算自体がおかしかった。
この試算は文科省が競技場本体の施工は大成建設に、また開閉式屋根は竹中工務店への発注を決めており、その理由について「これほどの高度な工事は2社しか不可能」と勝手に判断していたようだ。日本では総合建設会社をゼネコンと総称しているが、なかでも売上高約1兆円に達するスーパーゼネコンは清水建設、竹中工務店、鹿島建設、大成建設、大林組(売上高順)の5社があり、なぜ大成と竹中に最初から絞ったのか、文科省にそれほどスーパーゼネコンの技術力に対する見極め能力があったのか、第三者委員会はそこまで検証して国民への説明責任を果たすべきだろう。
なお、東京オリンピック大会組織委員会はJOCと東京都が東京での開催決定後の1014年1月に一般法人として設立され、今年1月に正式に公益財団法人に格上げされている。会長は森喜朗元総理が就任したが、過去日本で開催された3回のオリンピック組織委員会の会長はいずれも財界出身者であり、政治家が組織委員会の会長に就いたのは森氏が初めてだ。また組織委員会の専務理事(事務総長)には大蔵省事務次官から日銀副総裁を経て大和総研理事長の地位に就いている武藤敏郎氏が就任し、常務理事は布村幸彦(元文科省スポーツ・青少年局長=久保氏の前任)、河野博文(JOC副会長)、佐藤広(元東京都副知事)の3氏である。「猫の首に鈴をつけるネズミはいない」と言われるが、森元総理の首に鈴をつけられる人がいなかったのかもしれない。
この新国立競技場建設問題が紛糾していたとき、またしても組織委員会のずさんさが発覚した。エンブレムの問題だ。
組織委員会はエンブレムのデザイン公募に際して、応募者を世界的なグラフィックデザインの賞を2回以上受賞したデザイナーに限定した。このときも審査委員を務めた8人の著名なグラフィックデザイナーには作品だけが明らかにされ、デザイナーの名前は伏せられた。選考委員会は最終的に4作品に絞り、その中から佐野研二郎氏のデザインを選定した。ここまではいい。
組織委員会は佐野氏のデザインをIOCに提出した。が、IOCから「類似したデザインが多数ある」と修正を求められたという。だが、だれの、どのデザインとの類似性がIOCから指摘されたのかは、いまだに明らかではない。
こうしたケースの場合、組織委員会は佐野氏のデザインの扱いについて審査委員会に差し戻し、原案のオリジナリティを損なわない範囲で微細な修正で他
のデザインとの類似性を解消できるのか、もしそれが不可能だと判断したら、最終選考に残った残りの3点から選び直すべきであった。
が、組織委員会は、そういう手続きをとらなかった。組織委員会は原案の修正が必要だということだけを審査委員会の代表者の永井一正氏に伝えたが、修正作業は組織委員会と佐野氏の間で行うことにした。組織委員会は、なぜ修正作業を審査委員会に差し戻さなかったのか。
組織委員会は、佐野氏のデザインが選ばれた時点でデザインの著作権は組織委員会に移ったとしたうえで、「外部に流出する恐れがあるため、きわめて高い秘匿性の中で修正を行う必要があった」として修正作業から審査委員会を排除した理由を正当化している。つまり、審査委員会のメンバーは情報の秘匿について信用されていなかったということだ。それなら、そんな連中をなぜ組織委員会は審査委員に選んだのかという疑問が生じる。
永井氏はNHKの単独インタビューに応じ、「修正の過程については見せて相談して欲しかったが、原案を決めた時点から審査委員会から離れていたし、どうするかは組織委員会の判断になる」と説明したが、その口調や表情からは不快感がありありだった。
結局、組織委員会は佐野氏に対して2度修正を求め、最終デザインを決定した後、審査委員会に伝えたという。永井氏が最終決定のエンブレムを見たのは正式発表(7月24日)の1週間前だったという。「似て非なるもの」という言い方があるが、だれが見ても原案と最終決定のエンブレムは修正の範囲にとどまるものではなかった。多くの著名デザイナーが、「原案とエンブレムはまったく別のデザイン」と指摘している。審査委員会のメンバーもあきれ果てたのだろうか、あるいは長いものには巻かれた方がいいと判断したのか、1人の委員は「原案と違いすぎる」として認めなかったが、永井氏をはじめ他の7人は了承したという。拒否した1人を除き、他の審査委員には著名なデザイナーとしての見識も良識もなかったようだ。
また組織委員会の修正過程も、重要な問題を含んでいた。これはマスコミからもデザイン界からもまだ指摘されていないが、佐野氏が提出した最初の修正デザインが「鶴の一声」でボツになったいきさつだ。組織委員会の武藤専務理事によれば「最初の修正案は躍動感に欠けるという指摘があり、再度修正してもらった」ということだが、この「鶴の一声」を発したのはだれなのか。少なくともすでに明らかにしたように組織委員会の主要メンバー(会長以下常務理事までを含む5人)の中には、エンブレムのデザインについて一家言を持つほどの見識ある人物は誰もいない。いったい、この「鶴の一声」で第1修正案をボツに出来るような人物は、だれが考えても一人しかいないと思える。さて、この「鶴の一声」を発した門外漢の首に鈴をつけることが出来るのは、内部告発者かメディアか「鶴の一声」に屈した佐野氏しかいない。
が、問題はこれにとどまらなかった。ベルギーのデザイナー、オリビエ・ドビ氏が「このエンブレムは私がデザインしたベルギー・リエージェの劇場ロゴと似ている」と主張し、ベルギーの裁判所に使用中止の提訴を起こしたのだ。
この時点からネットで佐野氏への告発が爆発的に生じた。彼のデザインの多くがコピーだったり、模倣だったりしたことが指摘されだしたのだ。ネットでの指摘を受けてサントリーがキャンペーン用として制作していたノベルティ・バッグのうち8点を配布取りやめにした。
さらに佐野氏がプレゼンテーション用に作成した「エンブレムの使用イメージ」作品が、インターネットに投稿された写真を加工したことまで明らかになった。事ここに至って、組織委員会もさすがに佐野氏だけでなく永井氏も招集してエンブレムの扱いについて協議、佐野氏が自ら取り下げたいという要請をしたという形をとって新国立競技場と同様、白紙からのやり直しをすることにせざるを得なくなった。ただし、組織委員会の最高責任者の森会長も、実務上の最高責任者の武藤専務理事も自らの責任問題には口をつぐんだままだ。
組織委員会は改めてエンブレムのデザインを公募、選考過程も透明化するとしているが、最終決定前に応募デザインを公開すると第3者が商標登録してしまう可能性があるとの不安を抱いているようだ。が、そんな心配は無用だ。応募デザインをネット上で公開した時点で、それぞれの作品には著作権が成立しており、たとえ第3者が商標登録しようとも、そのデザインを著作権者に無断で使用することはできない。そんなことにも無知な人間が組織委員会を牛耳っていること自体、私には信じがたい思いがする。
新国立競技場建設計画の白紙撤回に続いてエンブレムも白紙撤回と、2度も不祥事を続けた組織委員会は会長以下常務理事まで含めた、トップ人事の解体的出直しが必要ではないだろうか。このままでは、東京オリンピックを目指して努力を続けているアスリートが気の毒だ。
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