小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

安保法案成立の意味を改めて検証する。①

2015-09-21 09:19:22 | Weblog
 呆れ果てて物も言えない…とはこういうことを意味する慣用句なのか。言うまでもなく参院特別委での強行採決のことである。
 でも、私は物を言わせてもらう。
 私は先週、連日NHK総合テレビの「特別委ナマ中継」をかじりついて見ていた。NHKは新聞のラテ欄で発表していた放送予定番組を次々に中止して(それもテロップでのインフォメーションすら入れず)、特別委を延々ナマ中継した。NHKが独占放映権を持ち、中継を義務付けられている大相撲でさえ、16日には放送開始を17時05分という異例の放送開始にしたし、17日にはテロップで大相撲の放送についてのみ15時からBS1で、16時からはEテレで放送しているというインフォメーションを流した。しかも16日の放送では(17日は確認していない)テレビ画面に表示される「番組表」ボタンでは現在放送中の番組については「ニュース」と表示されていたが、ラテ欄の番組表示は残されたままで、ラテ欄で放送する予定にしていた時間(たとえば4時00分00秒)になるまで放送予定番組が表示されていた。そして4時ジャストになった瞬間、テレビ画面の「番組表」の表示を「ニュース」に変えるという、おおげさに言えば「クーデター」的手法で国会中継を続けた。17日に至っては、すでに述べたように大相撲放送はBS1やEテレで放送しているというテロップを流していたが、与党が16時半過ぎに私が「呆れ果てて物も言えない」ような強行「採決」に踏み切って可決したが、それでもNHKは17時10分までインタビューや記者の解説、「採決」瞬間のシーンの録画放送を繰り返し、17時10分になってようやく大相撲の中継を総合テレビに切り替えた。もし野党の追及が手厳しく強行採決がずれ込んでいたら、NHKはおそらく総合テレビでは大相撲中継をまったくしないという、前代未聞の放送体制をとっていたと思う。
 菅官房長官は5党が賛成したので強行採決ではない、と「採決の正当性」を強調しているが、これはひどいレトリック手法だ。いや、レトリックとも言えない屁理屈だ。菅氏の「採決」についての主張は「単独採決ではなかった=強行採決ではなかった」という中学生並みの思考によって導いたものにすぎない(中学生の諸君にゴメン。中学生なら、それほどバカではないよね)。
 改めて「強行採決」の意味を明らかにしておくが、「強行採決とは国会などで与野党による採決の合意が得られず、少数派の議員が審議の継続を求めている状況で、多数派の議員が審議を打ち切り、委員長や議長が裁決を行うことである」(ウィキペディアによる)というのがメディアや国民が等しく理解している「強行採決」の意味である。日本や欧米先進国などがいちおう言葉として共有している「民主主義」の概念も、実は各国によって、とくに支配層(政治の世界では政権与党)にとって都合よく解釈されており、国会での強行採決がしばしば行われるのは欧米先進国では日本だけである。日本を除く欧米先進国は国会での採決には議員に「党議拘束」をかけない。先週のブログでは米オバマ大統領がTPP交渉の権限の大幅拡大を可能にしたケースについて書いたが、もし日本のように党所属議員に党議拘束をかけていたら、TPP交渉は完全に暗礁に乗り上げる結果になっていただろう。

 私はこれまで数十回にわたり安保法制の意味を様々な角度から分析してきた。間接民主主義(代表制民主主義と言われているが、では代表制ではない「非代表制民主主義」という政治システムがあるのかという疑問があるので、私はあえて間接民主主義と定義してきた)である日本の政治システムでは、与党が衆参で多数を占める以上、安保法制が可決されることは間違いないとは思っていた。もし与党が参院での採決を行わず、60日ルールに踏み切らざるを得ない状況に追い込まれていたら、国内で「参院無用論」が一気に高まり、国民の反対運動はさらに激化し、法案は通っても安倍政権はその混乱の責任をとって内閣総辞職に追い込まれていた可能性がかなり高かったと思う。衆参両院で少数派の野党の戦いの目的は、ありとあらゆる手段を使って国内世論を盛り上げ、参院での採決を不可能にし、与党に60日ルールを使わざるを得ない状況に追い込むことだった。
 実はそうなったケースの前例がある。旧安保(吉田内閣が批准)を改定して新安保(現在の安保条約)を、安倍総理の祖父にあたる岸総理が参院での可決が不可能な状態になり、「自然承認」という60日ルールと同様なやり方で批准した結果、政界が大混乱に陥り、岸内閣が総辞職に追い込まれたことがある。
 私は先週投稿した長文のブログで、「日本型民主主義」はいびつだと決めつけた。民主主義についての解釈は国によってさまざまである。日本のメディアや政治家たちは「民主主義国家の普遍的概念」と錯覚しているようだが、では北朝鮮や中国も民主主義国と認めるのか。中国も一応選挙で立法府(全国人民代表大会=全人代)の議員を選出しており、北朝鮮に至っては正式な国名を「朝鮮人民民主主義共和国」としている。日本のメディアや政治家は、中国や北朝鮮も「民主主義国家」と認めるのか。

 いずれ、国会で採決された安保法制は法廷で「違憲」判決が出ることはほぼ間違いないと思われるが、その根拠について改めで総括的かつ論理的に検証してみよう。「違憲訴訟が受け付けられない可能性」も一部から指摘されているが、専門家である憲法学者や弁護士が訴訟を起こし、さらに元最高裁長官や判事までが「違憲法案」と断定している訴訟を裁判所が受け付けないということになると、日本の裁判制度そのものへの国民の信頼感が根底から崩壊しかねない。仮に地裁や高裁が「憲法問題はこの裁判所では扱えない」と訴訟を受理しなか
ったら、訴訟団は地裁、高裁を飛び越して最高裁に上告できるわけで、そうな
れば来年の参院選の前に最高裁の「違憲判決」が出る可能性が生じる。

 順次、安保法制成立の経緯と問題点を検証していく。
 まず安倍総理が私的懇談会の「安保法制懇」を再開(2013年2月)した目的は「日本を取り巻く安全保障環境が激変しており、抑止力を高めるために憲法解釈を変更して集団的自衛権行使ができるようにする」ということだった。ここで私が「再開」と書いたのは、第1次安倍内閣(2006年9月~2007年8月)のときすでに「安保法制懇」は首相官邸に設置されていたからで、この「第1次安保法制懇」が設置されてから相当の年月を経過している。いったい「第1次法制懇」のときの「日本を取り巻く安全保障環境」と「第2次安保法制懇」が報告書を提出した昨年と、どれだけ「日本を取り巻く安全保障環境」が変わったのか。そのことを追及しなかった野党もだらしがなかったと言わざるを得ない。(以下「第1次」、「第2次」と略す)
 実は「第1次」の目的も、「日本の安全保障環境の変化に対応して集団的自衛権行使が出来るよう憲法解釈の変更を行えるよう理論武装をすること」だった。「第1次」は2007年5月から8月までに会議を5回開いたが、安倍総理(当時の)が病で辞任して以降、後継内閣の福田内閣から野田民主党内閣に至るまで「第1次」は1回も会議をしていない。事実上の「解散」である。正式に内閣が設置した有識者会議であれば、内閣が代わっても継続されるはずだが、福田内閣以降継続されなかったこと自体、「第1次」は事実上消滅していたと考えるのが正しい文理的解釈であろう。
 が、第2次安倍内閣が成立した直後の2013年2月に安倍総理は「第2次法制懇」を再開した。そして「第1次」の目的も、そっくりそのまま「第2次」に引き継がれた。そのことを野党もメディアもすっかり忘れているようだ。前回のブログでも書いたが、政治家もメディアも一斉に健忘症症候群にかかっているようだ。ちなみに「第2次」について読売新聞や産経新聞は(NHKも一時期そう位置づけていたが)、「政府の有識者会議」とした。「政府の」という冠表現を付ける以上、閣議決定が必要だが、閣議決定が行われた形跡はないし、安倍総理自身「第2次」について公的な懇談会と主張したことはない。なお政府が正式な手続きを経て設置した有識者会議は内閣府に置かれるのが通常だが、「第2次」は内閣府ではなく首相官邸に設置された。ただ、安倍総理は事務方を(首相官邸のスタッフ不足のためだと思われるが)内閣官房に委ねた。そのことにより、「私的な懇談会」であるはずの「第2次」に多少の重みが加わったことは否定できないが、名称は「懇談会」のままであり、懇談会をまとめるトップの位置付けも「第1次」と同様「座長」を継承し、公的有識者会議のトップの位
置付けである「委員長」ではない。
 さらに「第2次」のメンバーは座長の柳井修二氏(元駐米大使)以下「第1次」と同じである。「再開」とされたのはそのためだ(つまり「第1次」は解散したことを意味する)。当初、「第2次」の報告書は13年10月には提出される予定だった。が、私が13年8月29日に『安倍首相は勘違いしている。日本はすでに集団的自衛権を保持している!!』と題するブログを投稿し、そのことを「第2次」が設置されている首相官邸に伝えた。そのときの私の主張を要約してあらためて述べる(同じ主張を私はブログで数十回してきたが…)。
 
 国際法上、集団的自衛権を国連加盟国に認めているのは国連憲章51条だけである。国連憲章は第2次世界大戦でドイツが無条件降伏(1945年5月7日)したことを受け、事実上日本の敗戦が免れなくなった(最後の地上戦となった壮絶極まる沖縄戦は4月)状況下の6月に、戦後世界秩序の安定化を目的に作られた。その国連憲章は、国際紛争を武力の行使によって解決することをすべての国連加盟国に禁じ、国際間の紛争解決のためのあらゆる手段をとる権能を安保理に与えた。が、安保理には米・英・仏・ソ・中の5大国に拒否権を認めたため、安保理が国際紛争を解決できないケースが生じうるとして、そういう場合には自衛権(武力による自衛)を認めることにした。
 自衛権(当初案では自国軍隊による反撃の権利とされていた)は認められても、弱小国が強国から攻撃された場合、自国の軍隊だけでは防衛できないというケースがラテン諸国などから指摘され、密接な関係にある国や同盟国に軍事的支援を要請して共同で防衛できる権利も認めることにした。つまり国連憲章51条にある「個別的又は集団的自衛の固有の権利」とした意味は、自国の軍事力(個別的)と自国防衛を他国に要請する権利(集団的)のことであり、日本の場合でいえば自衛隊(個別的軍事力)と在日米軍(集団的軍事力)による共同防衛権がすでに確立されている。

 このブログを読んだ「第2次」は大混乱に陥った。その結果、予定されていた13年10月には報告書を提出できず、暗中模索を重ねることになった。が、しびれを切らした安倍総理は報告書の提出を待ちきれずに、公明党を抱き込んで集団的自衛権行使容認のための閣議決定を急ぎだした。そして「第2次」に対して報告書の提出を急ぐよう命じた。その結果、「第2次」はようやく5月15日になって矛盾だらけの報告書を提出せざるを得ない羽目になった。これが、偽りのない事実の経緯である。
 そこであらためて安倍総理の安全保障政策を論理的に検証してみる。再度、確認しておくが、法制懇の目的は「第1次」も「第2次」も、まったく同じである。つまり「日本の安全保障環境が変化している」という認識に立ち、「抑止力を高めるために集団的自衛権を行使できるようにする」というものである。「第1次」が初会議をしたのは07年5月。「第2次」が報告書を提出したのは14年5月。その間7年の歳月を費やしている。「第2次」の報告書を受けて安倍内閣が強調しだした「日本を取り巻く安全保障環境の急激な変化」についての説明はこうである。
「中国は活発に海洋進出を行っており、北朝鮮は核武装など軍事力を強化している。いまはどの国も、1国だけで自国を防衛できない。日米同盟の強化によって抑止力を高める必要がある」
 すでに述べたように、日本が他国から攻撃された場合、我が国は自国の軍事力である自衛隊による防衛権(個別的自衛権の行使)と、日本政府が在日米軍に共同で日本を防衛することを要請する権利(集団的自衛権の行使)及び在日米軍の日本防衛義務(これはアメリカの集団的自衛権行使ではない)が現行の「新安保」によって定められている。
 が、60年「新安保」が多くのメディアや国民から誤解された事実も否定できない。とくに左翼思想集団がことさらに「日本がアメリカの戦争に巻き込まれる」といった虚偽の解釈を振りまいたことによって誤解が生じたのだが、なぜ「新安保」成立後の55年間もの間、自衛隊員の一人も戦場で命を失うことがなかった意味もフェアに検証しなければいけない。そうしないと安保法制が潜在的に持っているきわめて危険な要素が見えてこない。
 実は「旧安保」は、アメリカは日本に米軍基地を設置できる権利を日本政府は承認する一方、アメリカの日本防衛義務については何も書かれていなかった。サンフランシスコ講和によって日本は名目上主権を回復したことになっているが、朝鮮戦争が激しさを増すさなかにアメリカが、なぜ急いで日本を独立させようとしたのかの検証作業を、政治家も歴史学者(近現代史)も、さらにメディアもほとんど行っていないのではないだろうか。朝鮮戦争当時、在日米軍は根こそぎ朝鮮戦争に駆り出された。占領下にあって、すべての軍事機能を失っていた日本の安全と防衛を守ることは、国際法上占領国(GHQ)の義務である。そのため日本の軍事力を完全解体したアメリカが、日本防衛の義務を持っていたが(在日米軍はそのために駐留していたはず)、つねに国際法をご都合主義的に解釈してきたアメリカ(アメリカだけではないが、アメリカと旧ソ連にその傾向が顕著だったことは否定できない)が、朝鮮戦争で在日米軍を根こそぎ朝鮮に派兵した結果、日本は丸裸になってしまった。アメリカにとっては日本に自主防衛力を急速に回復させる必要が生じた。アメリカがサンフランシスコ講和を急いだ本当の理由はその1点にあった。だから、まだ独立国として一人歩きできるだけの要素が十分に整っていなかったにもかかわらず、吉田内閣は講和と同時に「旧安保」を締結したのである。
 吉田内閣は「独立回復」という言葉で国民を欺き、沖縄のアメリカによる占領状態の継続を承認した。国土の一部が占領下におかれたままの「独立」など、ありえない。国際法上の常識すら吉田内閣とアメリカは無視した。沖縄県民の普天間移設問題に対する政府への怒りの根源は、その1点にあることを国民は理解すべきだ。そうしないと、沖縄県民の思いを、他の46都道府県民は共有できない。
 実はそうした吉田内閣による「旧安保」の「片務性」とすらいえないような状態を解消しようとしたのが岸内閣だった。が、岸一族の遺伝子とも言える「強権体質」と、安保反対運動をリードした左翼勢力の「戦争に巻き込まれる」と言ったお粗末極まりないアジテーションが学生たちを動かしてしまった。が「新安保」は「日本は日本防衛だけでなく、極東の警察権(?)行使のための軍事基地をアメリカに提供する一方、在日米軍が自衛隊に協力して日本防衛の義務を負う」という片務的関係に変更したのが岸内閣による条約改正であった。これが、唯一論理的整合性を満たした検証結果と言えよう。
 そのことを基本的に理解していただかないと、安倍総理の「集団的自衛権行使容認のための憲法解釈変更」の本当の狙いが見えてこない。
 さて第1次安倍内閣が7年前に集団的自衛権行使に道を開こうとした時点で、中国の海洋進出がそれほど活発化していたか。また北朝鮮の核武装計画は7年前にはどの程度進んでいたのか。もし、「日本の安全保障環境」が7年間変わっていなかったとするなら、なぜ国民の理解が得られず、また違憲の疑いが極めて濃厚な現在、安保法制をそんなに急ぐ必要があったのか。「どういうケースで集団的自衛権を行使するつもりなのか」といった追求は、まったく無意味とまでは言わないが、ほとんど現実性がないケースまで俎上に載せて安倍内閣を追及するより、安倍総理が次の段階として想定している(安倍総理自身の手で行えるとは、さすがに思っていないだろうが)「新新安保改定」(つまり現行安保の片務性を解消して双務的な安保条約に再改定すること)がおぼろげながらでも見えてくるはずなのだが…。
 野党はまずその1点を追及すべきだった。今回のブログはここまでとする。現行安保の片務性に対する米国内での誤解や誤解に基づく「アメリカ人は日本のために血を流さなければならないのに、日本人はアメリカを防衛する義務を負っていないのはアンフェアだ」という米国内の反日感情などについても書きたいが、今日は時間的に無理だ。もっとも、そのことはこれまで何度もブログで書いてきたから、記憶力のいい方は覚えてくれていると思う。来週は、集団的自衛権解釈のデタラメさを再度検証する。

 なお言っておくが、中国が海洋進出を始めたのはフィリピン国民の「地位協定」に対する反発が強く、在フィリピン米軍基地が撤去されたのちである。中国の海洋進出に危機感を強めたフィリピンが、アメリカに「やっぱり戻ってください」と要請し、現在はフィリピンに米軍基地が復活している。また韓国でも「地位協定」に対する国民の反発が大きく、米軍基地はかなり減っている。日本国民も、基地近隣住民の「地位協定」に対する反発は強いが、直接被害を受けない国民は「見て見ぬふり」だし、政府も「知らん顔」を続けている。
 さらに言えば、北朝鮮の核武装は、イラクやイランと一緒に「悪の枢軸」(テロ支援国家の意味)とアメリカから名指しされて、アメリカの軍事力に脅威を抱いた金独裁政権が(実際核兵器も生物兵器も持っていなかったことが今では明らかになっているイラクを攻撃してフセイン政権を壊滅させたアメリカから、同じく「悪の枢軸」と指名手配された結果)、対米軍事抑止力として核武装を急いでいるのであって、日本に対する敵視政策など毛頭考えていない。だが、日本が日米軍事同盟を強化すれば、北朝鮮は日本も敵視せざるを得なくなる。
 さらに言えば、もし日本が他国から攻撃を受けたら、日本だけでは(つまり自衛対の軍事力だけでは)日本を防衛できないと政府は主張しているが、では日本に世界有数の基地を擁している米軍は、そうした事態が生じても「知らん顔」をしているということなのか。政府に説明してもらいたい。

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