頭が悪いジャーナリストがオスプレイ問題について主張すると、こういう結論になるのか、という格好の社説が20日掲載された。読売新聞の社説『オスプレイ配備 抑止力と安全性の両立を図れ』のことである。
まずこの社説のタイトルが支離滅裂である。「両立」とは『広辞林』(三省堂)によれば、「二つが並び存すること。『家庭と職業を――させる』」とある。『広辞林』の例だけでなく、岩波書店の『現代用字辞典』には「学業とスポーツを――させる」と記載されているし、講談社の『正しい漢字表記と用例辞典』には「仕事と趣味の――」とある。今風に言えば「仕事と子育ての――」と言った用例が最も適切かもしれない。つまり「二兎を追う」の反意語で、相容れにくい二つの課題を100%ではなくとも、ある程度納得できる妥協点を見つけることが「両立」の意味である。二つの目的を両方とも実現できるようなケースには「両立」という言葉は使わない。この程度のことすらご存じないのが読売新聞の論説委員諸氏のようだ。
では読売新聞の論説委員諸氏(新聞社の社説は通常論説委員が書く。ただし個人の主張ではなく、社としての主張になるため、論説委員室内部での徹底的な議論を経て誰かが書く)は、オスプレイの「抑止力」と「安全性」の「両立」を主張するためには、それなりの妥協点を提案するのでなければ社説の体をなさない。また「二兎を追うものは一兎をも得ず」という格言もある。「二兎を追うことがいかに困難か」という戒めの格言であることをアドバイスしておこう。
そもそもオスプレイそのものが「ヘリコプター」と「飛行機」という相容れがたい「二兎を追った」まったく新しい航空機である。「二兎を追うことがいかに困難なことか」ということは、これまでの墜落事故の多さや、つい最近は計器に異常を知らせるランプが何度も点いて、墜落に至る前に不時着して難を免れたというケースも生じたことはよく知られている。
これらの事故について米国防総省はすべて「パイロットの操縦ミス」と主張し、日本側も一応オスプレイの安全性について「検証」したうえで、森本防衛相は「安全性が確認できた」としてオスプレイの普天間基地などへの配備や試験航空を認めた。
ところで日本側はどのような安全性確認作業を行って「安全性」を「確認」したのか、その詳細はまったく明らかにしていない。ジャーナリストであるならば、当然、日本側がどのような安全確認作業を行ったのかの情報公開を政府に要求すべきであろう。が、読売新聞がそうした取材を行った形跡は全く認められない。そのくせ社説では「政府は(中略)『安全性は十分確認された』と結論付ける安全宣言を発表し、国内飛行を容認した」「安全宣言は、4月のモロッコと6月の米フロリダ州の墜落事故に日本独自の原因分析に加えて、日米合同委員会で具体的な安全確保策に合意したことを踏まえたものだ。日本側として安全策を追及した成果と評価できる」と主張した。これでは戦時中の大本営発表を丸呑みして一切の検証抜きに報道してきた過去の報道姿勢とまったく変わらないではないか。
私は別にオスプレイの日本配置に絶対反対しているわけではない。本当にオスプレイの安全性が十分確認されたならば、日本への配備は日本にとっても大きな抑止力になるし、とくにきな臭くなりつつある尖閣諸島問題をめぐる中国との確執、竹島を実効支配されてしまった韓国との確執を巡り、中国や韓国にとっては大きな脅威になるだろう。そういう意味では自衛隊自体が(もしアメリカが呑めばだが)オスプレイを購入し、尖閣諸島や竹島周辺の領海域の監視に充てることも考えられる。
だが、安全性の確認作業がきちんと行われたか、私は極めて疑問に思っている。「日本独自の原因分析の結果」というが、どんな方法で原因分析をしたのか、政府はまったく明らかにしていないのに、読売新聞の論説委員は政府発表を鵜呑みにして、オスプレイの安全性を裏付け保証してしまった。戦時中ではあるまいし、そんな新聞が存在すること自体、私はひょっとしたら夢を見ているのではないかとわが目を疑ったほどである。
国民のほとんどが疑っているように。度重なるオスプレイの墜落事故の原因は米国防省が主張しているように「パイロットの操縦ミス」などではない。もし本当に「パイロットの操縦ミス」が墜落事故の原因だったとしたら、その理由は二つしか考えられない。
ひとつはオスプレイのような複雑な航空機の操縦を素人に毛が生えた程度の新人パイロットに任せてきたという可能性。そうだったら墜落の原因が「操縦ミス」であってもおかしくない。しかしオスプレイの墜落事故は今年の4月(モロッコ)と6月(米フロリダ州)の2件だけではない。特に現行機種のⅤ22型ではないが、2000年12月には初代オスプレイ飛行大隊の大隊長になるはずだったキース・スウィーニー中佐(42歳)が操縦し、副操縦士にはクリントン大統領の専用ヘリコプターの操縦士を3年間にわたって務めてきたミッチェル・マーフィー少佐(38歳)を含む4人の乗員を乗せたオスプレイが「メーデー」を発信した直後に墜落し、全員が死亡するという悲劇も起こしている。スウィーニー中佐にせよマーフィー少佐にせよ、米軍としては絶対に事故死などさせてはならない最重要なパイロットであった。その二人の事故死もいまだ原因は解明されていない。原因が解明されていない以上墜落事故を起こした本当の原因が改善されないまま「まずオスプレイありき」で開発を進めてきたのが偽らざる事実である。
その程度の知識すら持たずにオスプレイの安全性にお墨付きを与えてしまった読売新聞の論説委員たちの頭の中をかち割って、脳神経がどうなっているか検査してみたいという衝動に駆られた脳神経外科医は山ほどいるのではないだろうか。
読売新聞論説委員たちの悪質さはそれだけではない。自らオスプレイの安全性にお墨付きを与えておきながら、ちゃっかり「米軍が今回の合意を順守し、安全性の確保に努めるよう求めたい」と白々しく「注文」をつけることでアリバイ作りをしていることだ。何の検証もせず、日本側がオスプレイの安全性についてどういう「日本独自の原因分析」を行ったのかの確認も行わず「日本側として安全策を追及した成果と評価できる」と結論を出したことと明らかに矛盾しているではないか。もっとも高校生程度の理解力さえ持っていないらしい読売新聞論説委員たちが、この自己矛盾すら自覚できないであろうことは、私にはよーく理解できるが……。
さらに読売新聞はいつから米国防総省の有料広報誌になったのかと思わせる記載もある。この一文を読んで私は呆れるのを通り越した。「そもそもオスプレイが極めて危険な航空機であるかのような見方は、誤解に基づく部分が多い。無論、航空機である以上、事故や故障は起こりうるが、最新の安全対策を講じており、老朽化したCH46輸送ヘリなど米軍の他の航空機より危ない、といった議論は合理的ではない」と。
これは完全な論理のすり替えである。いったい誰がそういった議論をしているのか。少なくとも私は寡聞にして聞いたことがない。「他の米海兵隊所有の航空機の中で事故率が一番低い」とオスプレイの欺瞞に満ちた安全性を強調してきたのは米国防総省ではなかったか。米国防総省が最初に公表した事故件数は米海兵隊所有の航空機が10万時間飛行した場合に生じた重大事故の平均値(乗員に死者が出た件数)であって、死者が出なかった事故件数は圧倒的にオスプレイが多いことは、後に米国防総省がやむを得ず明らかにしている。
その結果はっきりしたことは、オスプレイは墜落や不時着などの事故は他の航空機に比べ圧倒的に多いということと、オスプレイは墜落しても乗員が助かっているケースが他の航空機より圧倒的に多いという事実だけである。つまり乗員の安全性は高いが(オスプレイはヘリコプター機能も持っているため地面に激突して瞬時に炎上するケースが少ないことを意味している)、オスプレイの配置が予定されている沖縄県の人たちが心配しているのはオスプレイのアメリカ人乗員の安全性ではなく、もしオスプレイが地上に墜落した場合、事故に巻き込まれて大惨事を生じる可能性が高い沖縄県民の安全性についての不安感なのである。沖縄県民の安全性より、アメリカ人のオスプレイ乗員の安全性のほうが重要と考えている読売新聞は、もはや米国防総省の有料広報誌に成り下がったという以外言いようがない。
最後に読売新聞にとどめを刺しておこう。米国防総省が、8月9日になって結局公表せざるを得なくなった事故の3分類は、私はすでに8月15日に投稿したブログ記事『緊急告発! オスプレイ事故件数を公表した米国防総省の打算と欺瞞』で明らかにしたが、再度記載しておこう。
Aクラス(死者や200万ドル以上の損害を出したケース)
オスプレイ:1.93件 海兵隊平均(オスプレイを除く9機種):2.45件
Bクラス(負傷者に重い後遺症があるか損害額50~199万ドルのケース)
オスプレイ:2.8件 海兵隊平均:2.07件
Cクラス(軽傷者が出るか損害額5~50万ドルのケース)
オスプレイ:10.46件 海兵隊平均:4.58件
当然ながら、これらの事故の大半は墜落あるいは不時着を意味すると考えられる。が、これらの事故は具体的にどういう事故だったかは米国防総省は公表していない。このことを追及しなかった無能なジャーナリストは読売新聞だけではないので、読売新聞だけをことさらに批判するのはフェアではないので目をつむるが、最低マスコミはオスプレイの普天間配備について「訓練は原則海上のみで行うこと」と「やむを得ず地上を飛行せざるを得ない場合も、市街地はもちろん人が住んでいる場所の上空は絶対に飛行しないこと」の2点を米軍に約束させるべく、日本政府に対し、オスプレイ受け入れの絶対条件として要求すべきであった。ま、米国防総省の有料広報誌に堕した読売新聞にそういうことを求めるのは無理か……。
まずこの社説のタイトルが支離滅裂である。「両立」とは『広辞林』(三省堂)によれば、「二つが並び存すること。『家庭と職業を――させる』」とある。『広辞林』の例だけでなく、岩波書店の『現代用字辞典』には「学業とスポーツを――させる」と記載されているし、講談社の『正しい漢字表記と用例辞典』には「仕事と趣味の――」とある。今風に言えば「仕事と子育ての――」と言った用例が最も適切かもしれない。つまり「二兎を追う」の反意語で、相容れにくい二つの課題を100%ではなくとも、ある程度納得できる妥協点を見つけることが「両立」の意味である。二つの目的を両方とも実現できるようなケースには「両立」という言葉は使わない。この程度のことすらご存じないのが読売新聞の論説委員諸氏のようだ。
では読売新聞の論説委員諸氏(新聞社の社説は通常論説委員が書く。ただし個人の主張ではなく、社としての主張になるため、論説委員室内部での徹底的な議論を経て誰かが書く)は、オスプレイの「抑止力」と「安全性」の「両立」を主張するためには、それなりの妥協点を提案するのでなければ社説の体をなさない。また「二兎を追うものは一兎をも得ず」という格言もある。「二兎を追うことがいかに困難か」という戒めの格言であることをアドバイスしておこう。
そもそもオスプレイそのものが「ヘリコプター」と「飛行機」という相容れがたい「二兎を追った」まったく新しい航空機である。「二兎を追うことがいかに困難なことか」ということは、これまでの墜落事故の多さや、つい最近は計器に異常を知らせるランプが何度も点いて、墜落に至る前に不時着して難を免れたというケースも生じたことはよく知られている。
これらの事故について米国防総省はすべて「パイロットの操縦ミス」と主張し、日本側も一応オスプレイの安全性について「検証」したうえで、森本防衛相は「安全性が確認できた」としてオスプレイの普天間基地などへの配備や試験航空を認めた。
ところで日本側はどのような安全性確認作業を行って「安全性」を「確認」したのか、その詳細はまったく明らかにしていない。ジャーナリストであるならば、当然、日本側がどのような安全確認作業を行ったのかの情報公開を政府に要求すべきであろう。が、読売新聞がそうした取材を行った形跡は全く認められない。そのくせ社説では「政府は(中略)『安全性は十分確認された』と結論付ける安全宣言を発表し、国内飛行を容認した」「安全宣言は、4月のモロッコと6月の米フロリダ州の墜落事故に日本独自の原因分析に加えて、日米合同委員会で具体的な安全確保策に合意したことを踏まえたものだ。日本側として安全策を追及した成果と評価できる」と主張した。これでは戦時中の大本営発表を丸呑みして一切の検証抜きに報道してきた過去の報道姿勢とまったく変わらないではないか。
私は別にオスプレイの日本配置に絶対反対しているわけではない。本当にオスプレイの安全性が十分確認されたならば、日本への配備は日本にとっても大きな抑止力になるし、とくにきな臭くなりつつある尖閣諸島問題をめぐる中国との確執、竹島を実効支配されてしまった韓国との確執を巡り、中国や韓国にとっては大きな脅威になるだろう。そういう意味では自衛隊自体が(もしアメリカが呑めばだが)オスプレイを購入し、尖閣諸島や竹島周辺の領海域の監視に充てることも考えられる。
だが、安全性の確認作業がきちんと行われたか、私は極めて疑問に思っている。「日本独自の原因分析の結果」というが、どんな方法で原因分析をしたのか、政府はまったく明らかにしていないのに、読売新聞の論説委員は政府発表を鵜呑みにして、オスプレイの安全性を裏付け保証してしまった。戦時中ではあるまいし、そんな新聞が存在すること自体、私はひょっとしたら夢を見ているのではないかとわが目を疑ったほどである。
国民のほとんどが疑っているように。度重なるオスプレイの墜落事故の原因は米国防省が主張しているように「パイロットの操縦ミス」などではない。もし本当に「パイロットの操縦ミス」が墜落事故の原因だったとしたら、その理由は二つしか考えられない。
ひとつはオスプレイのような複雑な航空機の操縦を素人に毛が生えた程度の新人パイロットに任せてきたという可能性。そうだったら墜落の原因が「操縦ミス」であってもおかしくない。しかしオスプレイの墜落事故は今年の4月(モロッコ)と6月(米フロリダ州)の2件だけではない。特に現行機種のⅤ22型ではないが、2000年12月には初代オスプレイ飛行大隊の大隊長になるはずだったキース・スウィーニー中佐(42歳)が操縦し、副操縦士にはクリントン大統領の専用ヘリコプターの操縦士を3年間にわたって務めてきたミッチェル・マーフィー少佐(38歳)を含む4人の乗員を乗せたオスプレイが「メーデー」を発信した直後に墜落し、全員が死亡するという悲劇も起こしている。スウィーニー中佐にせよマーフィー少佐にせよ、米軍としては絶対に事故死などさせてはならない最重要なパイロットであった。その二人の事故死もいまだ原因は解明されていない。原因が解明されていない以上墜落事故を起こした本当の原因が改善されないまま「まずオスプレイありき」で開発を進めてきたのが偽らざる事実である。
その程度の知識すら持たずにオスプレイの安全性にお墨付きを与えてしまった読売新聞の論説委員たちの頭の中をかち割って、脳神経がどうなっているか検査してみたいという衝動に駆られた脳神経外科医は山ほどいるのではないだろうか。
読売新聞論説委員たちの悪質さはそれだけではない。自らオスプレイの安全性にお墨付きを与えておきながら、ちゃっかり「米軍が今回の合意を順守し、安全性の確保に努めるよう求めたい」と白々しく「注文」をつけることでアリバイ作りをしていることだ。何の検証もせず、日本側がオスプレイの安全性についてどういう「日本独自の原因分析」を行ったのかの確認も行わず「日本側として安全策を追及した成果と評価できる」と結論を出したことと明らかに矛盾しているではないか。もっとも高校生程度の理解力さえ持っていないらしい読売新聞論説委員たちが、この自己矛盾すら自覚できないであろうことは、私にはよーく理解できるが……。
さらに読売新聞はいつから米国防総省の有料広報誌になったのかと思わせる記載もある。この一文を読んで私は呆れるのを通り越した。「そもそもオスプレイが極めて危険な航空機であるかのような見方は、誤解に基づく部分が多い。無論、航空機である以上、事故や故障は起こりうるが、最新の安全対策を講じており、老朽化したCH46輸送ヘリなど米軍の他の航空機より危ない、といった議論は合理的ではない」と。
これは完全な論理のすり替えである。いったい誰がそういった議論をしているのか。少なくとも私は寡聞にして聞いたことがない。「他の米海兵隊所有の航空機の中で事故率が一番低い」とオスプレイの欺瞞に満ちた安全性を強調してきたのは米国防総省ではなかったか。米国防総省が最初に公表した事故件数は米海兵隊所有の航空機が10万時間飛行した場合に生じた重大事故の平均値(乗員に死者が出た件数)であって、死者が出なかった事故件数は圧倒的にオスプレイが多いことは、後に米国防総省がやむを得ず明らかにしている。
その結果はっきりしたことは、オスプレイは墜落や不時着などの事故は他の航空機に比べ圧倒的に多いということと、オスプレイは墜落しても乗員が助かっているケースが他の航空機より圧倒的に多いという事実だけである。つまり乗員の安全性は高いが(オスプレイはヘリコプター機能も持っているため地面に激突して瞬時に炎上するケースが少ないことを意味している)、オスプレイの配置が予定されている沖縄県の人たちが心配しているのはオスプレイのアメリカ人乗員の安全性ではなく、もしオスプレイが地上に墜落した場合、事故に巻き込まれて大惨事を生じる可能性が高い沖縄県民の安全性についての不安感なのである。沖縄県民の安全性より、アメリカ人のオスプレイ乗員の安全性のほうが重要と考えている読売新聞は、もはや米国防総省の有料広報誌に成り下がったという以外言いようがない。
最後に読売新聞にとどめを刺しておこう。米国防総省が、8月9日になって結局公表せざるを得なくなった事故の3分類は、私はすでに8月15日に投稿したブログ記事『緊急告発! オスプレイ事故件数を公表した米国防総省の打算と欺瞞』で明らかにしたが、再度記載しておこう。
Aクラス(死者や200万ドル以上の損害を出したケース)
オスプレイ:1.93件 海兵隊平均(オスプレイを除く9機種):2.45件
Bクラス(負傷者に重い後遺症があるか損害額50~199万ドルのケース)
オスプレイ:2.8件 海兵隊平均:2.07件
Cクラス(軽傷者が出るか損害額5~50万ドルのケース)
オスプレイ:10.46件 海兵隊平均:4.58件
当然ながら、これらの事故の大半は墜落あるいは不時着を意味すると考えられる。が、これらの事故は具体的にどういう事故だったかは米国防総省は公表していない。このことを追及しなかった無能なジャーナリストは読売新聞だけではないので、読売新聞だけをことさらに批判するのはフェアではないので目をつむるが、最低マスコミはオスプレイの普天間配備について「訓練は原則海上のみで行うこと」と「やむを得ず地上を飛行せざるを得ない場合も、市街地はもちろん人が住んでいる場所の上空は絶対に飛行しないこと」の2点を米軍に約束させるべく、日本政府に対し、オスプレイ受け入れの絶対条件として要求すべきであった。ま、米国防総省の有料広報誌に堕した読売新聞にそういうことを求めるのは無理か……。
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