歴史をフェアに検証することのむずかしさを、つくづく感じた。もちろん、8月14日午後6時から記者会見で公表された安倍総理の『戦後70年談話』(以降、安倍談話と記す)についてである。
そもそも20年前の村山談話、10年前の小泉談話は第2次世界大戦(いわゆる「先の大戦」)における日本政府の国策が誤りであったこと、またアジア諸国とそれらの国民に多大な犠牲をもたらしたことを謝罪することが目的だった。
実際、関東軍の謀略であることがいまでは明確に証明されている満州事変(南満州鉄道爆破事件=1931年9月18日)を口実に、日本政府が事実上の対中攻撃を開始し、関東軍がわずか5か月で満州全土を占領するという紛れもない侵略行為を行ったことは否定できない歴史上の事実である。本格的な日中戦争の開始は1937年7月7日に勃発した盧溝橋事件とされているが、安倍談話の「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」という件にある「事変」とは関東軍が大陸への進出のきっかけとした満州事変を指していることは明らかである。
ただし安倍談話が村山談話、小泉談話と大きく異なる一点は、単に先の大戦における日本政府の国策の誤りによる「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫び」という四つのキーワードを盛り込んだというだけでなく、なぜ日本が国策を誤るに至ったのかという歴史認識の原点を「先の大戦」ではなく、私が昨年から使い出した「先の不幸な時代」に置いたことにある。その結果、安倍談話にも盛り込まれた「反省」や「お詫び」が自身の言葉として語られず、「歴代内閣の継承」という「間接」的な表現にとどまったという批判が生じた。が、それは、歴史認識の原点を安倍総理が「先の大戦」に置かず、いわゆる「植民地時代」にさかのぼったことによるためであり、そういう意味では安倍談話の歴史認識における新たな試みは、私としては共感するものがある。ただその新たな試みがフェアなものだったかどうかは別であり、私の安倍談話検証の視点もその一点に絞ることにする。
ただお断りしておかなければならないことは、このブログでは全国紙5紙の社説の検証を通じて安倍談話の読み方を書く予定だったが(そのことは8月10日のブログで読者にお約束していた)、夏休みをいただいた間に軽度の熱中症にかかり、入院するほどではなかったが医師から自宅休養を命じられ、17日に投稿する予定だったブログでの全国紙の社説検証は今となっては賞味期限切れになってしまったので、今回の私自身の安倍談話検証をもって当初の目的に変えさせていただくことにする。
安倍談話は冒頭でこう述べている。
「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術的優位(※この表記は外交的配慮によると考えられるが、実際は「圧倒的な軍事力」と表記するのが正しい)を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力になったことは、間違いありません。(日本は)アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました」
この日本近代化についての歴史認識には大きな誤りがある。日本が僥倖だったのは、日本が置かれていた地勢的条件によるところが大きい。日本はアジアの東端に位置し、かつ四方を海に囲まれ、ヨーロッパ列強が日本での利権争いを始めたときは、すでにアジア諸国は「早いうもの勝ち」で列強による分割支配が終わっており(アフリカ諸国も同様)、しかもヨーロッパ列強がアジア諸国の分割植民地支配が終わったころになって、遅れてアメリカが対日利権獲得競争に乗り出し、いわば米欧列強(ロシアも含む)が横一線に並んでしまい、互いに牽制をし合う事態になったことが日本にとっては植民地化されずに済んだ最大の要因だった。日本が自主的に立憲政治に移行し、独立を守り抜いたわけではない。ご都合主義的な歴史解釈は止めた方がいい。
実際、日本がかつて一度も他国による侵略攻撃を受けず(元寇による侵略の試みはあったが、そのときだけである)、他国からの干渉も受けず、徳川幕府が鎖国制度を貫き通せたのも、そうした日本の地勢的条件による。
それでも列強は日本の内乱(幕府勢力vs反幕府勢力)に乗じて、日本の植民地支配は諦めたものの、内乱収拾後の新政権への影響力を強めるための様々な画策を行っていた。実際、列強のうち1か国でも「一抜けた」と攻撃してきたときに、「アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜く」だけの国力は、当時の日本にはなかった。自国の歴史に誇りを持つことは決して悪いことではないが、幕末時の日本が独力で列強の植民地支配政策を排除したなどと考えるのは自画自賛もいいところだ。
実際、この視点で幕末史を分析した歴史家は皆無だと思うが、実は「一抜けた」で1,853年6月にペリー提督率いる米艦隊が浦賀に強行入港し、幕府に和親条約の締結を強要し、幕府がアメリカの要求に屈服したことで鎖国体制が崩壊し、その事件をきっかけに日本国内に尊王攘夷運動が燎原の火のごとく燃え広がり明治維新の原動力になったのだが、この時アメリカがヨーロッパ列強と戦火を交えても対日利権の独占を確保しようとしていたら(それだけの力が当時のアメリカにはなかったと思うが)、日本の近代史はまったく様相を変えていたはずだ。また、幕府がアメリカに続いて他の列強とも通商条約を結ぶのだが、日本にとって一方的な不平等条約を押し付けられていなかったら、日本の近代化への歩みは相当遅くなっていたと考えるのが合理的だ。
私はかつて『忠臣蔵と西部劇』(1992年、祥伝社から上梓)の中で「石油ショックは日本産業界にとって神風だった」と分析したが、その理由は石油ショ
ックによって世界の先進国の中で日本が最も打撃を受けた国だったからこそ、日本は産業界を挙げて「省エネ省力」の技術開発に取り組み、日本ほどの危機感を持たなかったアメリカを一気に追い抜いて世界の技術大国になりえたという事実もある。明治維新以降の日本が、「富国強兵・殖産興業」を旗印に急速に近代化を進めることができたのは、列強との不平等条約がかえって神風になったためなのである。「ピンチの後にチャンスが来る」というのは、スポーツの世界だけではないのである。ただピンチの後にチャンスが自動的にやってくるわけではなく、日本がピンチに屈することなく、その危機感を逆に飛躍へのきっかけにしてきたことへの誇りを、私たち日本人は持ってもいいだろうとは思う。
安倍談話に戻る。安倍談話にある「日露戦争は、植民地支配にあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」も結果解釈にすぎない。確かにそういう要素がまったくなかったとまでは言わないが、そもそもなぜ日本が世界の大国ロシアを相手に勝利できたのか、冷静に検証しなければならない。
そもそも韓国は日本が日清戦争のどさくさに紛れて朝鮮を植民地化(日韓併合)したと主張しているが、これは明らかに歴史のねつ造である。
日清戦争は1894年8月1日に始まり、翌95年4月17日に講和条約を結んでいる。日本はこの勝利により清国から遼東半島割譲などの権益を得たが、英露仏の三国干渉により返還を余儀なくされている。一方清国の属国だった大韓帝国は清からの独立を果たしたが、その結果、清に代わって日本とロシアが朝鮮の権益をめぐって対立する。これが日露戦争の原因となった。日本には英米がつき、ロシアには仏独がつく、いわば第ゼロ次世界大戦と言えなくもない。肝心の大韓帝国も国内が二分し、親日派と親ロ派が対立した。清は露側につく密約を交わしていたが、1902年に日英同盟が成立し、日本がロシアだけでなく二国以上と戦争状態になったときは英が参戦することを約したため、清も仏独もロシアへの戦争協力ができなくなった。第ゼロ次世界大戦が回避できたのはそのためだ。
正直言って日本が日露戦争で勝ったのは奇跡と言ってもよかった。アメリカによる仲介でロシアが折れなかったら、最終的には日本は敗戦に追い込まれていただろう。ロシアがアメリカの仲介に飛びついたのは、当時国内で燃え広がっていた共産主義革命運動に手を焼いていたからであった。実際日露戦争は1904年2月6日に始まり、翌05年9月5日に集結しているが、ロシア国内では日露戦争をきっかけに革命運動が各地で勃発し、05年6月には有名なロシア戦艦ポチョムキン号の反乱も生じている。日露戦争は、日本が勝ったというよ
り、ロシアが勝手に転んでくれたおかげと言っても過言ではない。なお日韓併
合が実現したのは、さらにその5年後の1910年8月29日であり、1914年7月28日には第一次世界大戦が勃発した。朝鮮の植民地化(日韓併合)は、はっきり言って「先の大戦」とは何の関係もない。
安倍談話には、そうした歴史認識の誤りはあるにせよ、村山談話や小泉談話
には触れられていなかった、「なぜ日本が国策を誤るに至ったのか」という問題
提起をしたことは評価されるべきであると私は考える。安倍談話にはこうある。
「世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は『平和』を強く願い、国際連盟を創設
し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮
流が生まれました。
当初は日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムはその歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失って行きました」
それはその通りだが、なぜ当時の日本の「国内の政治システムはその歯止めたりえなく」なってしまったのか。そして今の政治システムは、そうした事態が生じたときの歯止めができる健全な機能を確保できるようになっているのか。そのことについて、私は深い危惧を抱かざるを得ない。
安倍談話が模索されていた時期の今年6月25日、自民党本部の会議室で安倍総裁に近い若手議員ら37人が集まり、『文化芸術懇談会』なる「勉強会」を開いた。官邸からは加藤勝信官房副長官が出席し、総理と親しい作家の百田尚樹氏が招かれたという。
この「勉強会」で、百田氏は「沖縄の地元紙は潰すべきだ」と主張し、多くの参加者が賛同したという。あまつさえ出席議員から「広告を出す企業やテレビ番組のスポンサーに働きかけて、メディア規制をすべきだ」「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけて欲しい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」などという意見も出たという。
安倍総理は談話で「外交的、経済的行き詰まりを、力の行使によって解決しようという試み」に対して「国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」と述べている。
6月下旬と言えば、公明党の支持母体である創価学会員が安保法制への反対姿
勢を強めたり、普天間基地の移設問題をめぐって沖縄県民が国の方針に対して強固な反対姿勢を鮮明にし、あまつさえ東京オリンピック競技施設計画のずさんさが明るみに出て、あらゆるメディアの世論調査で内閣支持率が急落し始めた時期だ。そうした時期に、安倍総裁の足元から民主主義の根幹である「報道の自由、言論の自由」を力によって封殺しようという動きが表面化したのである。安倍総裁は、この「勉強会」に参加して、力で民主主義をねじ伏せようとした若手自民党議員や加藤官房副長官を党からの除名処分にしようともせず、ただ「今後はいい子にしていなさい」と優しくお叱りになっただけだった。
もちろん国会議員は有権者から選挙で選ばれた地位が保証されており、彼らの政治生命を奪うことができるのは、次の選挙における地元の有権者だけだ。が、こうした自民党議員の党籍を除することは、党の最高責任者である安倍総裁の責任であり、義務でもある。総裁としての、この重要な責任と義務を放棄していながら、「国内の政治システムは(先の大戦に対する)歯止めたりえなかった」とは、いくら何でもしらじらしすぎるのではないか。これを言い換えれば、「もはや自民党の党内システムは、民主主義の破壊活動に対する歯止めたりえなくなった」として、自民党を解党したほうがいいのではないか。歴史から学ぶということは、それだけの重みを持っているはずなのだが…。
安倍談話には村山談話より多くの文字を割いて日本国民への追悼の念も盛り込まれた。その部分は多少評価できなくもないのだが、安倍談話が私には他人事のように聞こえてならない。
村山談話には「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機の陥れ」とある。
一方安倍談話はこう述べている。
「先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、極寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました」
社説については検証しないと書いたが、先の大戦における日本国民の犠牲者への思いは、二つの談話には隔絶の差があり、その差異を指摘した社説は一つもなかった。確かに安倍談話には、この文に先立ち「戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます」とはある。だが、この一文にも、何かよそよそしさを感じるのは私だけだろうか。
村山談話は短いながら「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機の陥れ」と国策の誤りが国民を存亡の危機に陥れたことを率直に指摘しているが、安倍談話はただの歴史家のように、「命が失われました」「無残にも犠牲となりました」と、単に事実を述べているにすぎない。三百万余の民間人も含む、世界戦争史上空前の犠牲者を生んだのは、だれか。国策を誤った当時の政府であり、誤った国策を賛美し続けたメディアではなかったか。そのことへの痛切な悔悟の念が、安倍談話にはひとかけらも感じられない。
村山元総理は、談話を発表した年の8月15日に、特別の意味を込めて靖国神
社に行っていただきたかった。もちろん「今日の日本があるのはあなたたちのおかげです」などと感謝の念を捧げるためではなく、「国策の誤りによって、あたら将来のある若い人たちを無意味な戦場で無駄死にさせたことに深い謝罪」を示すためだ。A級戦犯が合祀されていようがいまいが、そんなことは関係ない。自分がどういう気持ちで靖国に行くかが問われている。国策の誤りによって無駄死にした若人への謝罪をした後、合祀されたA級戦犯に対しては神殿に向かってつばを吐きかければいいだけの話だ。それが戦死者に対する謝罪と、A級戦犯を合祀した靖国神社への抗議の現し方ではないだろうか。そういう信念を持って靖国へ行くのであれば、政治家の靖国参拝は政治問題化しない。
もちろん政治家だけではない。誤った国策を賛美したメディアが、敗戦と同時に自分たちが生き残るために主張を180度転換した責任をとるためにも、メディアの幹部は8月15日に靖国に謝罪のために行くべきだ。「靖国に行く」という行為が、そういう形になれば遺族の方たちも納得するだろうし、中韓も歓迎してくれるはずだ。
もっとはっきり言えば、戦後の日本経済の復興と繁栄を担ってきたのは、「靖国参拝」をする政治家たちが口をそろえて言うように、国策の誤りによって無駄死にさせられた戦死者たちではない。幸いにして無駄死にから免れて戦後も生き残った明治後半から大正、そして昭和半ばまでに生まれた人たちだ。かく言う私たち世代も、捕虜生活から帰還した父親も含め、生き残ることができた戦争被害者たちが、必死になって働き、日本経済をけん引してきたことが今日の日本を築いてきたはずだ。戦死者たちが、日本の戦後経済の復興を担ってきたわけではない。戦死者たちには謝罪はすべきだとは思うが、感謝する筋合いではない。「靖国参拝」をする政治家たちは、戦死者のおかげで自分たちがぜいたくな生活ができるようになったと本当に思っているのか。アホも、いい加減にしろと言いたい。
ただ安倍談話の中には共感できる個所もある。その一文がこれだ。
「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人一人に、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません」
この一文だけで終えていればよかった。が、安倍総理が本当にそう思うなら、総理自身が靖国神社の神殿の前の砂利道でひざまずき、深く戦死者に対して断腸の念を伝えるべきだろう。が、安倍総理はこの一文の後にこう続けた。
「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります」
あくまで私は論理的に考察する。もし本当に「尊い犠牲の上に、現在の平和
がある」のであれば、先の大戦における国策は誤っていなかったことになる。戦争犠牲者のおかげで現在の平和があるのであれば、日本はいっさいの軍事力を必要としない。ただひたすら戦争犠牲者の魂を慰めるための追悼行事を年中行っていれば、日本の平和は保たれるはずだ。こんなレトリックは屁理屈にもならない。さらに安倍総理はこう続ける。
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念とともに、我が国は、そう誓いました(以下略)」
もしそうなら、自衛隊など必要ないではないか(※誤解を招くといけないので強調しておくが、私は自衛のための戦力の保持を否定しているわけではない。むしろ憲法を改正して、国際社会とりわけアジア太平洋地域の平和と安全のために、日本が国際社会のなかで占めている地位にふさわしい貢献をすべきだとさえ考えている)。はっきり言って安倍談話は、その内容の論理的整合性において高校生以下のレベルでしかないことを明らかにしたまでだ。
最後に安倍談話の中核をなすとも言える、問題の一文について検証してみたい。安倍談話にはこうある。
「日本では、戦後生まれの世代が、いまや、人口の8割を超えています。あの戦争には何らかかわりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
論理的には、この主張は間違っていない。「私たちの子や孫」だけではなく、安倍総理自身が戦後の生まれだ。先の大戦について何ら責任を負うべき世代ではない。20歳で終戦を迎えた方たちも、現在90歳になる。赤紙1枚で戦場に駆り出された旧日本兵士も、先の大戦についての責任を負うべき立場にはない。先の大戦における何らかの責任を負うべき年代と言えば、終戦時には若くても
40代半ばになっていたはずだ。つまり現在は110代半ばの生存者ということに
なる。少なくとも国際法上においても、先の大戦における国策の誤りについて責任を負うべき日本人はおそらく現存していない。
が、それぞれの国の国民の心の底には、遺伝子的に過去のしいたげられた民族の怒りが継承されている。韓国の朴大統領にしても中国の習近平主席にしても、戦後の生まれであり、先の大戦の直接の被害者ではない。さらに言えば、韓国においても中国においても先の大戦における直接の被害者で現存している方はきわめて少なくなっている。にもかかわらず、韓国や中国の国民の多くに、先の大戦の被害者が受けた傷が国民共通の遺伝子として引き継がれていることに、なぜ安倍総理は心を致すことが出来ないのか。
他国の人の気持ちまでは分からないというのであれば、日本で広島・長崎での原爆被害者で現在も生存している方は毎年減少している。にもかかわらず、原爆被害者が受けた心身の傷は、日本人共通の遺伝子として若い人たちにも引き継がれている。
先の大戦における責任ある加害者の立場にあった人たちは、おそらく誰一人として現存していないだろう。にもかかわらず、政治はつねに過去に国が犯した誤りに正面から向かい合うことが求められる。直接の戦争責任がない世代が、被害国の方たちがいつまでも抱き続ける憎しみを解消するのは、現代の政治の責任である。どうしたら被害国の国民感情から「憎しみの遺伝子」が自然消滅するかは、被害国の国民感情に政治がどう誠意を持って向き合うかにかかっている。いまの安倍内閣の政策、とりわけ安全保障政策はかえって被害国の国民感情を逆なでしているようにしか思えない。
かつて現行憲法を制定した吉田総理は、憲法改正議論を行った通常国会(1946年)において自衛権をも否定した。「戦争には侵略戦争と正しい戦争たる防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなく、侵略戦争放棄とすべきだ」と批判した野坂議員(共産党)に対しては、「国家正当防衛のための戦争は正当なりとせられるようであるが、そのような考え方は有害である。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実だ」(6月28日)と答弁している。
現在安倍内閣が強行しようとしている安保法制は、「抑止力を高めることによって戦争のリスクを低めることが出来る」と説明されているが、中国や韓国はそう考えていない。近隣の国、とりわけ先の大戦における被害感情を持ち続けている国にとっては、「日本の軍国主義復活」に見える。安倍総理が軍国主義の復活をもくろんでいるとは私も思わないが、近隣の国々からそういう危惧を持たれるような安保法制を強行する以上、私たちの子孫は安倍総理がのこすかもしれない「負の遺産」をいつまでも負い続けざるを得ない。
先の大戦において日本が侵略したアジアの国々が、すべて安保法制について「日本の軍国主義復活」を危惧しているわけではない。が、そういう危惧を抱いている国が、特に近隣にある以上、そうした国々の危惧を解消するためのあらゆる手段を尽くしたうえで、法制化を図るべきではないだろうか。
今回のブログも長くなってしまった。とりあえず安倍談話の問題点についての私の検証作業はこれで終える。来週は安保法制が、だれもまだ指摘していない、とんでもない問題を抱えていることを明らかにする。
そもそも20年前の村山談話、10年前の小泉談話は第2次世界大戦(いわゆる「先の大戦」)における日本政府の国策が誤りであったこと、またアジア諸国とそれらの国民に多大な犠牲をもたらしたことを謝罪することが目的だった。
実際、関東軍の謀略であることがいまでは明確に証明されている満州事変(南満州鉄道爆破事件=1931年9月18日)を口実に、日本政府が事実上の対中攻撃を開始し、関東軍がわずか5か月で満州全土を占領するという紛れもない侵略行為を行ったことは否定できない歴史上の事実である。本格的な日中戦争の開始は1937年7月7日に勃発した盧溝橋事件とされているが、安倍談話の「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」という件にある「事変」とは関東軍が大陸への進出のきっかけとした満州事変を指していることは明らかである。
ただし安倍談話が村山談話、小泉談話と大きく異なる一点は、単に先の大戦における日本政府の国策の誤りによる「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫び」という四つのキーワードを盛り込んだというだけでなく、なぜ日本が国策を誤るに至ったのかという歴史認識の原点を「先の大戦」ではなく、私が昨年から使い出した「先の不幸な時代」に置いたことにある。その結果、安倍談話にも盛り込まれた「反省」や「お詫び」が自身の言葉として語られず、「歴代内閣の継承」という「間接」的な表現にとどまったという批判が生じた。が、それは、歴史認識の原点を安倍総理が「先の大戦」に置かず、いわゆる「植民地時代」にさかのぼったことによるためであり、そういう意味では安倍談話の歴史認識における新たな試みは、私としては共感するものがある。ただその新たな試みがフェアなものだったかどうかは別であり、私の安倍談話検証の視点もその一点に絞ることにする。
ただお断りしておかなければならないことは、このブログでは全国紙5紙の社説の検証を通じて安倍談話の読み方を書く予定だったが(そのことは8月10日のブログで読者にお約束していた)、夏休みをいただいた間に軽度の熱中症にかかり、入院するほどではなかったが医師から自宅休養を命じられ、17日に投稿する予定だったブログでの全国紙の社説検証は今となっては賞味期限切れになってしまったので、今回の私自身の安倍談話検証をもって当初の目的に変えさせていただくことにする。
安倍談話は冒頭でこう述べている。
「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術的優位(※この表記は外交的配慮によると考えられるが、実際は「圧倒的な軍事力」と表記するのが正しい)を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力になったことは、間違いありません。(日本は)アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました」
この日本近代化についての歴史認識には大きな誤りがある。日本が僥倖だったのは、日本が置かれていた地勢的条件によるところが大きい。日本はアジアの東端に位置し、かつ四方を海に囲まれ、ヨーロッパ列強が日本での利権争いを始めたときは、すでにアジア諸国は「早いうもの勝ち」で列強による分割支配が終わっており(アフリカ諸国も同様)、しかもヨーロッパ列強がアジア諸国の分割植民地支配が終わったころになって、遅れてアメリカが対日利権獲得競争に乗り出し、いわば米欧列強(ロシアも含む)が横一線に並んでしまい、互いに牽制をし合う事態になったことが日本にとっては植民地化されずに済んだ最大の要因だった。日本が自主的に立憲政治に移行し、独立を守り抜いたわけではない。ご都合主義的な歴史解釈は止めた方がいい。
実際、日本がかつて一度も他国による侵略攻撃を受けず(元寇による侵略の試みはあったが、そのときだけである)、他国からの干渉も受けず、徳川幕府が鎖国制度を貫き通せたのも、そうした日本の地勢的条件による。
それでも列強は日本の内乱(幕府勢力vs反幕府勢力)に乗じて、日本の植民地支配は諦めたものの、内乱収拾後の新政権への影響力を強めるための様々な画策を行っていた。実際、列強のうち1か国でも「一抜けた」と攻撃してきたときに、「アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜く」だけの国力は、当時の日本にはなかった。自国の歴史に誇りを持つことは決して悪いことではないが、幕末時の日本が独力で列強の植民地支配政策を排除したなどと考えるのは自画自賛もいいところだ。
実際、この視点で幕末史を分析した歴史家は皆無だと思うが、実は「一抜けた」で1,853年6月にペリー提督率いる米艦隊が浦賀に強行入港し、幕府に和親条約の締結を強要し、幕府がアメリカの要求に屈服したことで鎖国体制が崩壊し、その事件をきっかけに日本国内に尊王攘夷運動が燎原の火のごとく燃え広がり明治維新の原動力になったのだが、この時アメリカがヨーロッパ列強と戦火を交えても対日利権の独占を確保しようとしていたら(それだけの力が当時のアメリカにはなかったと思うが)、日本の近代史はまったく様相を変えていたはずだ。また、幕府がアメリカに続いて他の列強とも通商条約を結ぶのだが、日本にとって一方的な不平等条約を押し付けられていなかったら、日本の近代化への歩みは相当遅くなっていたと考えるのが合理的だ。
私はかつて『忠臣蔵と西部劇』(1992年、祥伝社から上梓)の中で「石油ショックは日本産業界にとって神風だった」と分析したが、その理由は石油ショ
ックによって世界の先進国の中で日本が最も打撃を受けた国だったからこそ、日本は産業界を挙げて「省エネ省力」の技術開発に取り組み、日本ほどの危機感を持たなかったアメリカを一気に追い抜いて世界の技術大国になりえたという事実もある。明治維新以降の日本が、「富国強兵・殖産興業」を旗印に急速に近代化を進めることができたのは、列強との不平等条約がかえって神風になったためなのである。「ピンチの後にチャンスが来る」というのは、スポーツの世界だけではないのである。ただピンチの後にチャンスが自動的にやってくるわけではなく、日本がピンチに屈することなく、その危機感を逆に飛躍へのきっかけにしてきたことへの誇りを、私たち日本人は持ってもいいだろうとは思う。
安倍談話に戻る。安倍談話にある「日露戦争は、植民地支配にあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」も結果解釈にすぎない。確かにそういう要素がまったくなかったとまでは言わないが、そもそもなぜ日本が世界の大国ロシアを相手に勝利できたのか、冷静に検証しなければならない。
そもそも韓国は日本が日清戦争のどさくさに紛れて朝鮮を植民地化(日韓併合)したと主張しているが、これは明らかに歴史のねつ造である。
日清戦争は1894年8月1日に始まり、翌95年4月17日に講和条約を結んでいる。日本はこの勝利により清国から遼東半島割譲などの権益を得たが、英露仏の三国干渉により返還を余儀なくされている。一方清国の属国だった大韓帝国は清からの独立を果たしたが、その結果、清に代わって日本とロシアが朝鮮の権益をめぐって対立する。これが日露戦争の原因となった。日本には英米がつき、ロシアには仏独がつく、いわば第ゼロ次世界大戦と言えなくもない。肝心の大韓帝国も国内が二分し、親日派と親ロ派が対立した。清は露側につく密約を交わしていたが、1902年に日英同盟が成立し、日本がロシアだけでなく二国以上と戦争状態になったときは英が参戦することを約したため、清も仏独もロシアへの戦争協力ができなくなった。第ゼロ次世界大戦が回避できたのはそのためだ。
正直言って日本が日露戦争で勝ったのは奇跡と言ってもよかった。アメリカによる仲介でロシアが折れなかったら、最終的には日本は敗戦に追い込まれていただろう。ロシアがアメリカの仲介に飛びついたのは、当時国内で燃え広がっていた共産主義革命運動に手を焼いていたからであった。実際日露戦争は1904年2月6日に始まり、翌05年9月5日に集結しているが、ロシア国内では日露戦争をきっかけに革命運動が各地で勃発し、05年6月には有名なロシア戦艦ポチョムキン号の反乱も生じている。日露戦争は、日本が勝ったというよ
り、ロシアが勝手に転んでくれたおかげと言っても過言ではない。なお日韓併
合が実現したのは、さらにその5年後の1910年8月29日であり、1914年7月28日には第一次世界大戦が勃発した。朝鮮の植民地化(日韓併合)は、はっきり言って「先の大戦」とは何の関係もない。
安倍談話には、そうした歴史認識の誤りはあるにせよ、村山談話や小泉談話
には触れられていなかった、「なぜ日本が国策を誤るに至ったのか」という問題
提起をしたことは評価されるべきであると私は考える。安倍談話にはこうある。
「世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は『平和』を強く願い、国際連盟を創設
し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮
流が生まれました。
当初は日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムはその歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失って行きました」
それはその通りだが、なぜ当時の日本の「国内の政治システムはその歯止めたりえなく」なってしまったのか。そして今の政治システムは、そうした事態が生じたときの歯止めができる健全な機能を確保できるようになっているのか。そのことについて、私は深い危惧を抱かざるを得ない。
安倍談話が模索されていた時期の今年6月25日、自民党本部の会議室で安倍総裁に近い若手議員ら37人が集まり、『文化芸術懇談会』なる「勉強会」を開いた。官邸からは加藤勝信官房副長官が出席し、総理と親しい作家の百田尚樹氏が招かれたという。
この「勉強会」で、百田氏は「沖縄の地元紙は潰すべきだ」と主張し、多くの参加者が賛同したという。あまつさえ出席議員から「広告を出す企業やテレビ番組のスポンサーに働きかけて、メディア規制をすべきだ」「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけて欲しい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」などという意見も出たという。
安倍総理は談話で「外交的、経済的行き詰まりを、力の行使によって解決しようという試み」に対して「国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」と述べている。
6月下旬と言えば、公明党の支持母体である創価学会員が安保法制への反対姿
勢を強めたり、普天間基地の移設問題をめぐって沖縄県民が国の方針に対して強固な反対姿勢を鮮明にし、あまつさえ東京オリンピック競技施設計画のずさんさが明るみに出て、あらゆるメディアの世論調査で内閣支持率が急落し始めた時期だ。そうした時期に、安倍総裁の足元から民主主義の根幹である「報道の自由、言論の自由」を力によって封殺しようという動きが表面化したのである。安倍総裁は、この「勉強会」に参加して、力で民主主義をねじ伏せようとした若手自民党議員や加藤官房副長官を党からの除名処分にしようともせず、ただ「今後はいい子にしていなさい」と優しくお叱りになっただけだった。
もちろん国会議員は有権者から選挙で選ばれた地位が保証されており、彼らの政治生命を奪うことができるのは、次の選挙における地元の有権者だけだ。が、こうした自民党議員の党籍を除することは、党の最高責任者である安倍総裁の責任であり、義務でもある。総裁としての、この重要な責任と義務を放棄していながら、「国内の政治システムは(先の大戦に対する)歯止めたりえなかった」とは、いくら何でもしらじらしすぎるのではないか。これを言い換えれば、「もはや自民党の党内システムは、民主主義の破壊活動に対する歯止めたりえなくなった」として、自民党を解党したほうがいいのではないか。歴史から学ぶということは、それだけの重みを持っているはずなのだが…。
安倍談話には村山談話より多くの文字を割いて日本国民への追悼の念も盛り込まれた。その部分は多少評価できなくもないのだが、安倍談話が私には他人事のように聞こえてならない。
村山談話には「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機の陥れ」とある。
一方安倍談話はこう述べている。
「先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、極寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました」
社説については検証しないと書いたが、先の大戦における日本国民の犠牲者への思いは、二つの談話には隔絶の差があり、その差異を指摘した社説は一つもなかった。確かに安倍談話には、この文に先立ち「戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます」とはある。だが、この一文にも、何かよそよそしさを感じるのは私だけだろうか。
村山談話は短いながら「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機の陥れ」と国策の誤りが国民を存亡の危機に陥れたことを率直に指摘しているが、安倍談話はただの歴史家のように、「命が失われました」「無残にも犠牲となりました」と、単に事実を述べているにすぎない。三百万余の民間人も含む、世界戦争史上空前の犠牲者を生んだのは、だれか。国策を誤った当時の政府であり、誤った国策を賛美し続けたメディアではなかったか。そのことへの痛切な悔悟の念が、安倍談話にはひとかけらも感じられない。
村山元総理は、談話を発表した年の8月15日に、特別の意味を込めて靖国神
社に行っていただきたかった。もちろん「今日の日本があるのはあなたたちのおかげです」などと感謝の念を捧げるためではなく、「国策の誤りによって、あたら将来のある若い人たちを無意味な戦場で無駄死にさせたことに深い謝罪」を示すためだ。A級戦犯が合祀されていようがいまいが、そんなことは関係ない。自分がどういう気持ちで靖国に行くかが問われている。国策の誤りによって無駄死にした若人への謝罪をした後、合祀されたA級戦犯に対しては神殿に向かってつばを吐きかければいいだけの話だ。それが戦死者に対する謝罪と、A級戦犯を合祀した靖国神社への抗議の現し方ではないだろうか。そういう信念を持って靖国へ行くのであれば、政治家の靖国参拝は政治問題化しない。
もちろん政治家だけではない。誤った国策を賛美したメディアが、敗戦と同時に自分たちが生き残るために主張を180度転換した責任をとるためにも、メディアの幹部は8月15日に靖国に謝罪のために行くべきだ。「靖国に行く」という行為が、そういう形になれば遺族の方たちも納得するだろうし、中韓も歓迎してくれるはずだ。
もっとはっきり言えば、戦後の日本経済の復興と繁栄を担ってきたのは、「靖国参拝」をする政治家たちが口をそろえて言うように、国策の誤りによって無駄死にさせられた戦死者たちではない。幸いにして無駄死にから免れて戦後も生き残った明治後半から大正、そして昭和半ばまでに生まれた人たちだ。かく言う私たち世代も、捕虜生活から帰還した父親も含め、生き残ることができた戦争被害者たちが、必死になって働き、日本経済をけん引してきたことが今日の日本を築いてきたはずだ。戦死者たちが、日本の戦後経済の復興を担ってきたわけではない。戦死者たちには謝罪はすべきだとは思うが、感謝する筋合いではない。「靖国参拝」をする政治家たちは、戦死者のおかげで自分たちがぜいたくな生活ができるようになったと本当に思っているのか。アホも、いい加減にしろと言いたい。
ただ安倍談話の中には共感できる個所もある。その一文がこれだ。
「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人一人に、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません」
この一文だけで終えていればよかった。が、安倍総理が本当にそう思うなら、総理自身が靖国神社の神殿の前の砂利道でひざまずき、深く戦死者に対して断腸の念を伝えるべきだろう。が、安倍総理はこの一文の後にこう続けた。
「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります」
あくまで私は論理的に考察する。もし本当に「尊い犠牲の上に、現在の平和
がある」のであれば、先の大戦における国策は誤っていなかったことになる。戦争犠牲者のおかげで現在の平和があるのであれば、日本はいっさいの軍事力を必要としない。ただひたすら戦争犠牲者の魂を慰めるための追悼行事を年中行っていれば、日本の平和は保たれるはずだ。こんなレトリックは屁理屈にもならない。さらに安倍総理はこう続ける。
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念とともに、我が国は、そう誓いました(以下略)」
もしそうなら、自衛隊など必要ないではないか(※誤解を招くといけないので強調しておくが、私は自衛のための戦力の保持を否定しているわけではない。むしろ憲法を改正して、国際社会とりわけアジア太平洋地域の平和と安全のために、日本が国際社会のなかで占めている地位にふさわしい貢献をすべきだとさえ考えている)。はっきり言って安倍談話は、その内容の論理的整合性において高校生以下のレベルでしかないことを明らかにしたまでだ。
最後に安倍談話の中核をなすとも言える、問題の一文について検証してみたい。安倍談話にはこうある。
「日本では、戦後生まれの世代が、いまや、人口の8割を超えています。あの戦争には何らかかわりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
論理的には、この主張は間違っていない。「私たちの子や孫」だけではなく、安倍総理自身が戦後の生まれだ。先の大戦について何ら責任を負うべき世代ではない。20歳で終戦を迎えた方たちも、現在90歳になる。赤紙1枚で戦場に駆り出された旧日本兵士も、先の大戦についての責任を負うべき立場にはない。先の大戦における何らかの責任を負うべき年代と言えば、終戦時には若くても
40代半ばになっていたはずだ。つまり現在は110代半ばの生存者ということに
なる。少なくとも国際法上においても、先の大戦における国策の誤りについて責任を負うべき日本人はおそらく現存していない。
が、それぞれの国の国民の心の底には、遺伝子的に過去のしいたげられた民族の怒りが継承されている。韓国の朴大統領にしても中国の習近平主席にしても、戦後の生まれであり、先の大戦の直接の被害者ではない。さらに言えば、韓国においても中国においても先の大戦における直接の被害者で現存している方はきわめて少なくなっている。にもかかわらず、韓国や中国の国民の多くに、先の大戦の被害者が受けた傷が国民共通の遺伝子として引き継がれていることに、なぜ安倍総理は心を致すことが出来ないのか。
他国の人の気持ちまでは分からないというのであれば、日本で広島・長崎での原爆被害者で現在も生存している方は毎年減少している。にもかかわらず、原爆被害者が受けた心身の傷は、日本人共通の遺伝子として若い人たちにも引き継がれている。
先の大戦における責任ある加害者の立場にあった人たちは、おそらく誰一人として現存していないだろう。にもかかわらず、政治はつねに過去に国が犯した誤りに正面から向かい合うことが求められる。直接の戦争責任がない世代が、被害国の方たちがいつまでも抱き続ける憎しみを解消するのは、現代の政治の責任である。どうしたら被害国の国民感情から「憎しみの遺伝子」が自然消滅するかは、被害国の国民感情に政治がどう誠意を持って向き合うかにかかっている。いまの安倍内閣の政策、とりわけ安全保障政策はかえって被害国の国民感情を逆なでしているようにしか思えない。
かつて現行憲法を制定した吉田総理は、憲法改正議論を行った通常国会(1946年)において自衛権をも否定した。「戦争には侵略戦争と正しい戦争たる防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなく、侵略戦争放棄とすべきだ」と批判した野坂議員(共産党)に対しては、「国家正当防衛のための戦争は正当なりとせられるようであるが、そのような考え方は有害である。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実だ」(6月28日)と答弁している。
現在安倍内閣が強行しようとしている安保法制は、「抑止力を高めることによって戦争のリスクを低めることが出来る」と説明されているが、中国や韓国はそう考えていない。近隣の国、とりわけ先の大戦における被害感情を持ち続けている国にとっては、「日本の軍国主義復活」に見える。安倍総理が軍国主義の復活をもくろんでいるとは私も思わないが、近隣の国々からそういう危惧を持たれるような安保法制を強行する以上、私たちの子孫は安倍総理がのこすかもしれない「負の遺産」をいつまでも負い続けざるを得ない。
先の大戦において日本が侵略したアジアの国々が、すべて安保法制について「日本の軍国主義復活」を危惧しているわけではない。が、そういう危惧を抱いている国が、特に近隣にある以上、そうした国々の危惧を解消するためのあらゆる手段を尽くしたうえで、法制化を図るべきではないだろうか。
今回のブログも長くなってしまった。とりあえず安倍談話の問題点についての私の検証作業はこれで終える。来週は安保法制が、だれもまだ指摘していない、とんでもない問題を抱えていることを明らかにする。
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