希望の党と民進党で、トップの責任が党内で問われている。
希望の党を立ち上げた小池氏は「私は創業者。創業者としての責任を全うするためにも代表は辞めない」としながらも、「国会での対応は党議員たちで代表を選出して共同代表制にしたい」と党内の権力にしがみついている。
一方民進党の前原代表は「政治は結果責任の世界。与党に3分の2以上の議席を与えてしまった責任をとり、一定の方針を定めたうえで代表を辞任する」と述べた。「一定の方針」とは民進党を解党せず存続させるということのようだ。
国民はおそらく、「前原は潔いが、小池はみじめったらしい」と思っているのではないか。だが、二人に共通しているのは、肝心の説明責任を果たしていないということだ。つまり、9月25日の3者会談で、何が話し合われ、なぜ民進党or民進党前議員・立候補予定者が希望の党に「合流」することになったのか、また小池氏は「合流」が決まった後で、大多数の民進党議員が戸惑うことになった踏み絵を「合流」の条件にしたのか。これは「後出しじゃんけん」なのか。私たち国民には納得がいかないことが多すぎるのだ。
3者会談としたのは、小池・前原会談に連合の神津会長が参加していたようなのだが、神津会長の責任論は連合内部で発生していないのか。実際、連合は衆院選挙で組合ごとに分裂支援(希望の党・立憲民主党・無所属の前民進党系)することになった。そうなら、連合も希望の党系、立憲民主党系、旧民進党系の三つに分かれたほうがわかりやすい。
連合のことはさておき、「小が大を呑む」ことは確かにありえないことではないのだが、希望の党と民進党とでは、あまりにも規模の差が大きすぎた。片っ方は生まれたばかりの国会議員数名の、風が吹かなくても飛んでしまうような小政党。もう一方は痩せても枯れても国会議員数100人を超える野党第1党の大政党。なぜこの両党の間で「小が大を呑む」ような「合流」が3者会談で合意されたのか。
前原氏が28日の両院議員総会で説明したのは、「民進党からボロボロこぼれていく状態で、党の将来に非常な危機感を持っていた」「自公と闘うには1対1の構図にする必要があった」ということだけだ。もともと前原氏は民進党の代表に選出された時点から、野党共闘についてぐらついていた。当初は「基本的政策が一致しない共産党とは共闘できない」と主張していたが、市民連合が推進してきた「政策合意抜きの、安倍一強打倒のための野党共闘」に少しずつ立ち位置を変えだした。そうした矢先に、突然出現したのが希望の党だった。
ここから先は私の推測である。事実は小池・前原両氏が明らかにすべきである。彼らが説明責任を果たそうとしないから、私が可能な限り論理的な推測をしてみる。
まず3者会談だが、お膳立てをしたのは細野氏か長島氏(あるいは二人)ではないか。小池氏を担いで希望の党を立ち上げたものの、二人に続く民進党からの離党者が出てきそうにない。で、民進党と希望の党との連携を実現する方法を模索して、前原氏と小池氏にトップ会談を持ちかけたのではないか。
前原氏と小池氏にとっても、この提案は渡りに舟だったはずだ。ひょっとしたら、前原氏か小池氏が、会談のセッティングを細野氏(または長島氏)に依頼したのかもしれない。連合の神津氏を会談に立ち合わせたのは前原氏であろう。小池氏には連合との接点がないからだ。神津氏を巻き込んだのは、言うまでもないことだが、「どういう連携なら連合が組織的な支援体制をとれるか」を探るためだったと思う。連合は民進党の有力な支持勢力であり、連合がソッポを向くような連携は難しいからだ。
前原氏が希望の党との連携に前のめりになったのは、もともと共産党との選挙協力には否定的だった立ち位置からしても、「選挙の顔」あるいは「人寄せパンダ」としても利用価値が大きい小池氏と組んだほうが選挙に有利だと考えたからだと思う。
そう考えると大が自ら小に呑み込まれた理由も納得できる。連携には選挙協力(つまり共闘)という方法もあるのだが、選挙協力では「選挙の顔」あるいは「人寄せパンダ」として小池氏を利用するのも限界がある。で、前原氏は民進党と希望の党との合併を構想していたのではないだろうか。
が、小池氏はそうした前原・民進党の足元を完全に見透かしていた。「対等合併なんかとんでもない。民進党が解党して希望の党に合流しなさい」と、連携の条件を突き付けたのではないか。連合の神津氏も、連合内部の複雑な事情を抱えており、選挙協力より二つの党が一緒になるほうが支援体制を整えやすいと考えたと思う。
問題はこの時点で希望の党が民進党を丸抱えするか否かの話がどの程度出ていたかである。小池氏は「最初から全員を受け入れるつもりはないと言っている」と主張し、前原氏は「ボタンのかけ違いがあった」としか言っていない。
少なくとも、この時点では小池氏は民進党からの受け入れについて、「安保法制容認」「憲法改正支持」という2枚の踏み絵は突き付けていなかった。もしこの時点で「合流」の条件として2枚の踏み絵を提示されていたら、いくら前原氏でも(彼自身の個人的考えは別としても)受け入れなかったであろう。民進党が完全に分裂することは目に見えているからだ。
では、なぜ「排除」「踏み絵」問題が生じたのか。ここではっきりしておくが、時系列的には「排除」問題が先で、「踏み絵」が後である。小池氏が民進党の特定の議員を「排除」するために、あとから設定したのが「踏み絵」を踏ませるという条件である。
さて「ボタンの掛け違い」のキーワードは、希望の党への「合流」について説明した民進党両院議員総会での前原発言にあった。
「名を捨てて実をとる」
この言葉にカチンときたのが小池氏。「私を“選挙の顔”“人寄せパンダ”として利用するだけ利用して、希望の党を丸ごと乗っ取る気なのか、と態度を硬化させたのではないか。それが「踏み絵」作戦につながったのではないか。そう考えれば、すべてつじつまが合う。
そもそも民進党の両院議員総会で、一部の議員から「全員が受け入れられるのか」という質問は出たようだが、前原氏の「排除されることはない。私に一任してもらいたい」という説明でシャンシャン拍手になったという。が、その翌日29日の定例記者会見の場で、日頃から小池氏に厳しいというフリージャーナリストから前原発言について問われ、小池氏が「排除しないことはない。排除する」と答えたことで、いっきょに「排除」問題が噴出した。なお「安保法制容認」「憲法改正支持」を含む政策協定書(踏み絵)の内容が明らかになったのは10月2日である。
もし両院議員総会の前に小池氏の口から安保法制容認や憲法改正支持の「踏み絵」を踏むことが条件として提示されていたら、前原氏の「合流」提案は総会で当然否決されていたはずだ。そもそも前原氏自身も3者会談での合意を白紙撤回していたであろう。
小池氏も、「名を捨てて実をとる」という前原発言がなければ、民進党が完全分裂するような「踏み絵」は条件にしていなかったのではないかと思う。最初から「安保法制容認」「憲法改正支持」を条件にすることを考えていたとしたら、完全なだまし討ちであり、卑怯卑劣極まりない政治家ならぬ「政治屋」でしかないことになる。そこまであくどい人とは思いたくない。
ただこれだけは間違いなく言えることは、小池氏と前原氏の「ボタンのかけ違い」(?)によって、国民の政治不信はかつてないほど高まったであろうということだ。とくに「踏み絵」を踏んで希望の党に入った人たちは地元の選挙区で有権者から「うそつき」呼ばわりされ、言い訳に困ったという。当たり前の話で、私は9月29日に投稿したブログ『争点が煙のように消えた総選挙――前回記録した戦後最低投票率更新の可能性も大に…』でこう書いている。
(民進党から希望の党に「合流」した立候補者が)安保法制を容認するということは憲法が定めた「日本という国の在り方」に関するポリシーを180度転換するということを意味し、そんなことが許されるなら国民の間に政治不信が沸騰することは間違いない。「名を捨てて実をとる」という範疇をはるかに超えた「転向」「変節」であり、選挙で当選するためなら悪魔とでも手を組む行為に等しい。
国民もバカではない。早晩、前原・民進党議員に対する愛想尽かしが急速に進むことは必至だ。また実際に、民進党議員が希望に公認要請した場合、「安保法制を容認するか」と踏み絵を突き付けられたとき、「はい、あの採決のときは党議拘束がかかっていたため、やむを得ず体を張って抵抗したけど、実は本意ではなかった」と胸を張って言える人がどれだけいるか。仮にいたとしても、地元の有権者にその変節をどう説明するのか。「実は本意ではなかった」などと言い訳をしたら、「この人は当選しても本意ではないことを平気でやる人だ」という烙印を押されること必至だ。
前原・民進党の「合流」方針は、国民の政治不信を極限まで高めるだろう。これは日本の政治に取り返しのつかない傷跡を刻むことを意味する。
このブログを投稿した日の午後、小池氏の「排除」発言が飛び出した。
希望の党を立ち上げた小池氏は「私は創業者。創業者としての責任を全うするためにも代表は辞めない」としながらも、「国会での対応は党議員たちで代表を選出して共同代表制にしたい」と党内の権力にしがみついている。
一方民進党の前原代表は「政治は結果責任の世界。与党に3分の2以上の議席を与えてしまった責任をとり、一定の方針を定めたうえで代表を辞任する」と述べた。「一定の方針」とは民進党を解党せず存続させるということのようだ。
国民はおそらく、「前原は潔いが、小池はみじめったらしい」と思っているのではないか。だが、二人に共通しているのは、肝心の説明責任を果たしていないということだ。つまり、9月25日の3者会談で、何が話し合われ、なぜ民進党or民進党前議員・立候補予定者が希望の党に「合流」することになったのか、また小池氏は「合流」が決まった後で、大多数の民進党議員が戸惑うことになった踏み絵を「合流」の条件にしたのか。これは「後出しじゃんけん」なのか。私たち国民には納得がいかないことが多すぎるのだ。
3者会談としたのは、小池・前原会談に連合の神津会長が参加していたようなのだが、神津会長の責任論は連合内部で発生していないのか。実際、連合は衆院選挙で組合ごとに分裂支援(希望の党・立憲民主党・無所属の前民進党系)することになった。そうなら、連合も希望の党系、立憲民主党系、旧民進党系の三つに分かれたほうがわかりやすい。
連合のことはさておき、「小が大を呑む」ことは確かにありえないことではないのだが、希望の党と民進党とでは、あまりにも規模の差が大きすぎた。片っ方は生まれたばかりの国会議員数名の、風が吹かなくても飛んでしまうような小政党。もう一方は痩せても枯れても国会議員数100人を超える野党第1党の大政党。なぜこの両党の間で「小が大を呑む」ような「合流」が3者会談で合意されたのか。
前原氏が28日の両院議員総会で説明したのは、「民進党からボロボロこぼれていく状態で、党の将来に非常な危機感を持っていた」「自公と闘うには1対1の構図にする必要があった」ということだけだ。もともと前原氏は民進党の代表に選出された時点から、野党共闘についてぐらついていた。当初は「基本的政策が一致しない共産党とは共闘できない」と主張していたが、市民連合が推進してきた「政策合意抜きの、安倍一強打倒のための野党共闘」に少しずつ立ち位置を変えだした。そうした矢先に、突然出現したのが希望の党だった。
ここから先は私の推測である。事実は小池・前原両氏が明らかにすべきである。彼らが説明責任を果たそうとしないから、私が可能な限り論理的な推測をしてみる。
まず3者会談だが、お膳立てをしたのは細野氏か長島氏(あるいは二人)ではないか。小池氏を担いで希望の党を立ち上げたものの、二人に続く民進党からの離党者が出てきそうにない。で、民進党と希望の党との連携を実現する方法を模索して、前原氏と小池氏にトップ会談を持ちかけたのではないか。
前原氏と小池氏にとっても、この提案は渡りに舟だったはずだ。ひょっとしたら、前原氏か小池氏が、会談のセッティングを細野氏(または長島氏)に依頼したのかもしれない。連合の神津氏を会談に立ち合わせたのは前原氏であろう。小池氏には連合との接点がないからだ。神津氏を巻き込んだのは、言うまでもないことだが、「どういう連携なら連合が組織的な支援体制をとれるか」を探るためだったと思う。連合は民進党の有力な支持勢力であり、連合がソッポを向くような連携は難しいからだ。
前原氏が希望の党との連携に前のめりになったのは、もともと共産党との選挙協力には否定的だった立ち位置からしても、「選挙の顔」あるいは「人寄せパンダ」としても利用価値が大きい小池氏と組んだほうが選挙に有利だと考えたからだと思う。
そう考えると大が自ら小に呑み込まれた理由も納得できる。連携には選挙協力(つまり共闘)という方法もあるのだが、選挙協力では「選挙の顔」あるいは「人寄せパンダ」として小池氏を利用するのも限界がある。で、前原氏は民進党と希望の党との合併を構想していたのではないだろうか。
が、小池氏はそうした前原・民進党の足元を完全に見透かしていた。「対等合併なんかとんでもない。民進党が解党して希望の党に合流しなさい」と、連携の条件を突き付けたのではないか。連合の神津氏も、連合内部の複雑な事情を抱えており、選挙協力より二つの党が一緒になるほうが支援体制を整えやすいと考えたと思う。
問題はこの時点で希望の党が民進党を丸抱えするか否かの話がどの程度出ていたかである。小池氏は「最初から全員を受け入れるつもりはないと言っている」と主張し、前原氏は「ボタンのかけ違いがあった」としか言っていない。
少なくとも、この時点では小池氏は民進党からの受け入れについて、「安保法制容認」「憲法改正支持」という2枚の踏み絵は突き付けていなかった。もしこの時点で「合流」の条件として2枚の踏み絵を提示されていたら、いくら前原氏でも(彼自身の個人的考えは別としても)受け入れなかったであろう。民進党が完全に分裂することは目に見えているからだ。
では、なぜ「排除」「踏み絵」問題が生じたのか。ここではっきりしておくが、時系列的には「排除」問題が先で、「踏み絵」が後である。小池氏が民進党の特定の議員を「排除」するために、あとから設定したのが「踏み絵」を踏ませるという条件である。
さて「ボタンの掛け違い」のキーワードは、希望の党への「合流」について説明した民進党両院議員総会での前原発言にあった。
「名を捨てて実をとる」
この言葉にカチンときたのが小池氏。「私を“選挙の顔”“人寄せパンダ”として利用するだけ利用して、希望の党を丸ごと乗っ取る気なのか、と態度を硬化させたのではないか。それが「踏み絵」作戦につながったのではないか。そう考えれば、すべてつじつまが合う。
そもそも民進党の両院議員総会で、一部の議員から「全員が受け入れられるのか」という質問は出たようだが、前原氏の「排除されることはない。私に一任してもらいたい」という説明でシャンシャン拍手になったという。が、その翌日29日の定例記者会見の場で、日頃から小池氏に厳しいというフリージャーナリストから前原発言について問われ、小池氏が「排除しないことはない。排除する」と答えたことで、いっきょに「排除」問題が噴出した。なお「安保法制容認」「憲法改正支持」を含む政策協定書(踏み絵)の内容が明らかになったのは10月2日である。
もし両院議員総会の前に小池氏の口から安保法制容認や憲法改正支持の「踏み絵」を踏むことが条件として提示されていたら、前原氏の「合流」提案は総会で当然否決されていたはずだ。そもそも前原氏自身も3者会談での合意を白紙撤回していたであろう。
小池氏も、「名を捨てて実をとる」という前原発言がなければ、民進党が完全分裂するような「踏み絵」は条件にしていなかったのではないかと思う。最初から「安保法制容認」「憲法改正支持」を条件にすることを考えていたとしたら、完全なだまし討ちであり、卑怯卑劣極まりない政治家ならぬ「政治屋」でしかないことになる。そこまであくどい人とは思いたくない。
ただこれだけは間違いなく言えることは、小池氏と前原氏の「ボタンのかけ違い」(?)によって、国民の政治不信はかつてないほど高まったであろうということだ。とくに「踏み絵」を踏んで希望の党に入った人たちは地元の選挙区で有権者から「うそつき」呼ばわりされ、言い訳に困ったという。当たり前の話で、私は9月29日に投稿したブログ『争点が煙のように消えた総選挙――前回記録した戦後最低投票率更新の可能性も大に…』でこう書いている。
(民進党から希望の党に「合流」した立候補者が)安保法制を容認するということは憲法が定めた「日本という国の在り方」に関するポリシーを180度転換するということを意味し、そんなことが許されるなら国民の間に政治不信が沸騰することは間違いない。「名を捨てて実をとる」という範疇をはるかに超えた「転向」「変節」であり、選挙で当選するためなら悪魔とでも手を組む行為に等しい。
国民もバカではない。早晩、前原・民進党議員に対する愛想尽かしが急速に進むことは必至だ。また実際に、民進党議員が希望に公認要請した場合、「安保法制を容認するか」と踏み絵を突き付けられたとき、「はい、あの採決のときは党議拘束がかかっていたため、やむを得ず体を張って抵抗したけど、実は本意ではなかった」と胸を張って言える人がどれだけいるか。仮にいたとしても、地元の有権者にその変節をどう説明するのか。「実は本意ではなかった」などと言い訳をしたら、「この人は当選しても本意ではないことを平気でやる人だ」という烙印を押されること必至だ。
前原・民進党の「合流」方針は、国民の政治不信を極限まで高めるだろう。これは日本の政治に取り返しのつかない傷跡を刻むことを意味する。
このブログを投稿した日の午後、小池氏の「排除」発言が飛び出した。
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