昨日、急用ができたためブログを休むとしたが、実は体調を崩して一日ベットでごろごろしていた。今日も体調は回復していないが、緊急告発しなければならない「事件」が二つ生じたので、ブログを書くことにした。
昨日(15日)、新潟市で日本新聞協会が主催する新聞大会が開かれた。この大会で、産経新聞の前ソウル支局長が韓国の検察に在宅起訴され、3か月間の出国禁止を命じられたことについて新聞協会として強く抗議し、「報道の自由と表現の自由は民主主義社会の根幹をなす原則であり、今回の起訴は、この原則に反して言論の自由を侵害し、人々の知る権利にこたえるための取材活動を委縮させる行為であり、速やかな処分の撤回を求める」とする決議を採択した。
この問題については、私はこれまでブログで何も書いてこなかったが、どうしても書いておかなければならないので短く書く。
産経新聞の前ソウル支局長が韓国の検察から弾圧を受けたのは、朴政権の意を受けた行為であることは疑いを容れない。
韓国政府はこの問題について少なくとも私が知る限り2度談話を発表している。最初は誰だったか記憶にないが、「日本は慰安婦問題について明確に謝罪すべきだ」という趣旨だったと思う。2度目は最近のことで韓国政府の報道官(日本で言えば官房長官、つまり政府のスポークスマン)が「韓国は世界で最も言論・報道の自由が保障されている国だ」と、産経新聞の前ソウル支局長在宅起訴問題について「弁解」した。
いずれも民主主義国家では異例のことだ。日本で政府が司法について正式に談話を発表したりしたら、そのこと自体が大問題になる。単に一人の政治家が個人の資格で検察の判断や裁判の行方について発言したとしても、大問題になる。まして政府のスポークスマンである官房長官が口出しをするようなことをしたら、間違いなく更迭される。おそらくアメリカでも報道官が司法に口出しをしたら、直ちに更迭されるだろう。
この問題は韓国の検察の在り方ではなく、韓国は司法が政治によって左右される国だということを明らかにした事件であり、メディアはそのことをまず追求すべきではないか。
この問題の本質は、在宅起訴されたのが慰安婦問題について一貫して「事実無根」と主張してきた産経新聞が、韓国政府にとって極めて目障りな存在だったために生じた問題である。もし、朝日新聞の記者が朝鮮日報の記事を参考に電子版で報道していたとしても、韓国政府は検察に朝日新聞の記者に対する弾圧を命じたりはしなかったと思う。そのことを日本のメディアははっきりさせるべきだ。単純に「言論の自由を侵害する行為」で済まされる問題ではない。
新聞大会では、もう一つ大きな「事件」があった。
朝日新聞社の木村伊量社長が、座談会のパネリストとして発言した内容だ。この報道をしたNHKニュース7をそっくり引用する(NHKオンラインより)。
(木村社長が)東京電力・福島第一原子力発電所の元所長のいわゆる「吉田証言」を巡る記事を取り消したことなどについて、「いわゆる『吉田調書』を巡る報道の取り消しや謝罪をはじめ、一連の混乱が生じる事態を招いた。読者の信頼を大きく損ねたばかりか、新聞業界全体の信頼を大きく損なわせる結果となり、深くおわびしたい」と、改めて謝罪しました。
木村発言について今日(16日)の朝日新聞朝刊はこう報じた。
「吉田調書を巡る報道をはじめ、一連の混乱を招き、新聞業界全体の信頼を大きく損ねる結果となり、深くおわび申し上げたい」と陳謝した。
言っておくが、NHKはニュースで木村社長の発言部分を映像で流している。発言内容をねつ造できる余地はまったくない。私自身が、ニュースを見た直後にNHKふれあいセンターの上席責任者に電話をして木村社長の発言のごまかしを指摘したくらいで、NHKオンラインでニュース原稿は今朝確認したばかりだ。また朝日新聞のお客様オフィスにも昨日電話をして不適切発言について指摘した。木村社長の発言の報道について、NHKと朝日新聞に違いに読者は気付かれたであろうか。改めて、肝心の個所を対比する。
「いわゆる『吉田調書』を巡る報道の取り消しや謝罪をはじめ、…」(NHK)
「吉田調書を巡る報道をはじめ、…」(朝日新聞)
朝日新聞の記事から抜けている木村社長の発言が2カ所ある。吉田調書について「いわゆる」とした部分と「取り消しや謝罪」とした部分である。後のほうは目くじらを立てるほどのねつ造とは言えない。実際朝日新聞は記事の取り消しを明らかにしているし、謝罪もしているから、その「取り消しや謝罪」を再度「取り消した」わけではないから、「はしょった」でいいだろう。問題は吉田調書について「いわゆる」という枕詞を付けたことだ。
「いわゆる」という枕詞は、どういう場合にジャーナリストが使用するか。たとえば、スンニ派のイスラム過激派の一部(「一部」とは言えないほどの大勢力になってはいるが)が勝手に国家を名乗っている「イスラム国」について、国際社会が認めていないため「いわゆる」という枕詞を付けるのは正確な表現(あるいは表記)である。
これからブログで書く予定でいる香港での学生と政府の対立についてNHKの『クローズアップ現代』は反政府勢力について「香港人」と位置付けた。明らかな間違いである。『クローズアップ現代』の制作担当者に、なぜ「香港人」としたのか聞いたところ、世論調査会社が「あなたは中国人ですか、香港人で
すか」というアンケートをとった結果に基づいて「香港人」としたとの説明を受けた。で、私は「では、あなたたちが『親ロシア派』と位置付けている人たちについて、なぜ彼らに『あなたはウクライナ人ですか、ロシア人ですか』という世論調査をしないで『親ロシア派』と位置付けているのか」と再度質問した。それに対する明確な返答はなかったが、私の質問はNHKにとって今後かなりの影響を与えると思う。
新聞大会で木村社長が「いわゆる吉田調書」としたのは、「吉田調書」について朝日新聞が信憑性を問題にしているということを意味する。であるならば、「吉田調書」のどこに問題があるのかを朝日新聞は明確にすべきだ。
少なくとも9月11日午後7時30分から木村社長が急きょ記者会見を開いて事実上の引責辞任を発表したとき、こう説明した。
「社内の精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、多くの東電社員がその場から逃げ出したかのような印象を与え、間違った記事だと判断した」
木村社長の事実上の引責辞任表明を始め、その後処分を発表した報道局長や編集局長の解任に至る問題の記事は、5月20日付朝刊1面トップの記事である。その記事はこうだった。
「福島第1原発にいた東電社員らの9割に当たる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発に撤退した」
この記事のどこが問題だったのか。朝日新聞は依然として明らかにしていない。また他のメディアも気付いていないのか、分かっていても指摘するとまずいという政治的判断をしたのか分からないが、慰安婦問題についての報道の誤りと記事の取り消しが遅きに失したことに原因があるかのような報道をしたり、読売新聞など一生懸命朝日新聞の慰安婦報道についての誤りの検証記事を連載したり、「問題のすり替え」に「協力」してきた。
すでに何度も私はブログで書いてきたが、朝日新聞のねつ造記事は「吉田所長の待機命令に違反」したかどうかではなく、「第1原発の社員の9割、約650人が(職場放棄して)第2原発に撤退(逃げ出した)」という個所である。そんなことは吉田調書のどこにも書かれていない。しかも朝日新聞は東電社員が移動する手段として第1原発の(通勤送迎用?)バスや通勤用自家用車を利用したとまで仔細に報道した。そうした事実が本当にあったのかどうか。
9月11日の唐突な木村社長の記者会見は、当日の菅官房長官の記者会見が決定的な引き金になったことは間違いない。菅官房長官は通常記者会見はノーネクタイで行う。昨日の記者会見もノーネクタイだった。少なくとも私がニュースで、菅官房長官のネクタイを締めた記者会見を見たのは9月11日だけである。それも私の記憶では、非常に目立つ真っ赤なネクタイだった。菅官房長官の発表は「吉田調書の全文をホームページ(たぶん首相官邸か内閣官房の)で公表
する」というものだった。
私は政府が、目障りな朝日新聞を潰しにかかったのか、と感じた。もちろん、そんなことはできっこないのだが、朝日新聞社はこの記者会見に異常なまでに反応してしまった。それが9月11日の朝日新聞社・木村社長の緊急記者会見の真相だと思っている。
朝日新聞は、週刊誌などの朝日新聞バッシングに対抗するためにも、5月20日の記事で行ったねつ造の真実を一刻も早く明らかにすべきである。故吉田所長が所員に待機命令を明確に出したかどうかは、そう読み取れる部分もあるので、実際に全所員に「待機支持」が正確に伝わったかどうかは別にしても、本当に所員の9割が第1原発から逃げ出したとしたら、重大な職場放棄であり、被害の拡大につながった可能性も否定できない。朝日新聞が信頼を回復するためには、何が被害の拡大につながったのかの事実に基づく検証作業を、いかなる権力にも屈せずに行うことだろう。
それを回避するために、新聞大会で木村社長が吉田調書の信ぴょう性を傷つけるために「いわゆる」という枕詞を冠したのか…。朝日新聞は今日の朝刊で、なぜ「いわゆる」を削除したのか…。
朝日新聞はこういう狡(こす)いやり方をすることで、読者の信頼をますます損ねることに、そろそろ気付いてもいいころだと思うのだが。
昨日(15日)、新潟市で日本新聞協会が主催する新聞大会が開かれた。この大会で、産経新聞の前ソウル支局長が韓国の検察に在宅起訴され、3か月間の出国禁止を命じられたことについて新聞協会として強く抗議し、「報道の自由と表現の自由は民主主義社会の根幹をなす原則であり、今回の起訴は、この原則に反して言論の自由を侵害し、人々の知る権利にこたえるための取材活動を委縮させる行為であり、速やかな処分の撤回を求める」とする決議を採択した。
この問題については、私はこれまでブログで何も書いてこなかったが、どうしても書いておかなければならないので短く書く。
産経新聞の前ソウル支局長が韓国の検察から弾圧を受けたのは、朴政権の意を受けた行為であることは疑いを容れない。
韓国政府はこの問題について少なくとも私が知る限り2度談話を発表している。最初は誰だったか記憶にないが、「日本は慰安婦問題について明確に謝罪すべきだ」という趣旨だったと思う。2度目は最近のことで韓国政府の報道官(日本で言えば官房長官、つまり政府のスポークスマン)が「韓国は世界で最も言論・報道の自由が保障されている国だ」と、産経新聞の前ソウル支局長在宅起訴問題について「弁解」した。
いずれも民主主義国家では異例のことだ。日本で政府が司法について正式に談話を発表したりしたら、そのこと自体が大問題になる。単に一人の政治家が個人の資格で検察の判断や裁判の行方について発言したとしても、大問題になる。まして政府のスポークスマンである官房長官が口出しをするようなことをしたら、間違いなく更迭される。おそらくアメリカでも報道官が司法に口出しをしたら、直ちに更迭されるだろう。
この問題は韓国の検察の在り方ではなく、韓国は司法が政治によって左右される国だということを明らかにした事件であり、メディアはそのことをまず追求すべきではないか。
この問題の本質は、在宅起訴されたのが慰安婦問題について一貫して「事実無根」と主張してきた産経新聞が、韓国政府にとって極めて目障りな存在だったために生じた問題である。もし、朝日新聞の記者が朝鮮日報の記事を参考に電子版で報道していたとしても、韓国政府は検察に朝日新聞の記者に対する弾圧を命じたりはしなかったと思う。そのことを日本のメディアははっきりさせるべきだ。単純に「言論の自由を侵害する行為」で済まされる問題ではない。
新聞大会では、もう一つ大きな「事件」があった。
朝日新聞社の木村伊量社長が、座談会のパネリストとして発言した内容だ。この報道をしたNHKニュース7をそっくり引用する(NHKオンラインより)。
(木村社長が)東京電力・福島第一原子力発電所の元所長のいわゆる「吉田証言」を巡る記事を取り消したことなどについて、「いわゆる『吉田調書』を巡る報道の取り消しや謝罪をはじめ、一連の混乱が生じる事態を招いた。読者の信頼を大きく損ねたばかりか、新聞業界全体の信頼を大きく損なわせる結果となり、深くおわびしたい」と、改めて謝罪しました。
木村発言について今日(16日)の朝日新聞朝刊はこう報じた。
「吉田調書を巡る報道をはじめ、一連の混乱を招き、新聞業界全体の信頼を大きく損ねる結果となり、深くおわび申し上げたい」と陳謝した。
言っておくが、NHKはニュースで木村社長の発言部分を映像で流している。発言内容をねつ造できる余地はまったくない。私自身が、ニュースを見た直後にNHKふれあいセンターの上席責任者に電話をして木村社長の発言のごまかしを指摘したくらいで、NHKオンラインでニュース原稿は今朝確認したばかりだ。また朝日新聞のお客様オフィスにも昨日電話をして不適切発言について指摘した。木村社長の発言の報道について、NHKと朝日新聞に違いに読者は気付かれたであろうか。改めて、肝心の個所を対比する。
「いわゆる『吉田調書』を巡る報道の取り消しや謝罪をはじめ、…」(NHK)
「吉田調書を巡る報道をはじめ、…」(朝日新聞)
朝日新聞の記事から抜けている木村社長の発言が2カ所ある。吉田調書について「いわゆる」とした部分と「取り消しや謝罪」とした部分である。後のほうは目くじらを立てるほどのねつ造とは言えない。実際朝日新聞は記事の取り消しを明らかにしているし、謝罪もしているから、その「取り消しや謝罪」を再度「取り消した」わけではないから、「はしょった」でいいだろう。問題は吉田調書について「いわゆる」という枕詞を付けたことだ。
「いわゆる」という枕詞は、どういう場合にジャーナリストが使用するか。たとえば、スンニ派のイスラム過激派の一部(「一部」とは言えないほどの大勢力になってはいるが)が勝手に国家を名乗っている「イスラム国」について、国際社会が認めていないため「いわゆる」という枕詞を付けるのは正確な表現(あるいは表記)である。
これからブログで書く予定でいる香港での学生と政府の対立についてNHKの『クローズアップ現代』は反政府勢力について「香港人」と位置付けた。明らかな間違いである。『クローズアップ現代』の制作担当者に、なぜ「香港人」としたのか聞いたところ、世論調査会社が「あなたは中国人ですか、香港人で
すか」というアンケートをとった結果に基づいて「香港人」としたとの説明を受けた。で、私は「では、あなたたちが『親ロシア派』と位置付けている人たちについて、なぜ彼らに『あなたはウクライナ人ですか、ロシア人ですか』という世論調査をしないで『親ロシア派』と位置付けているのか」と再度質問した。それに対する明確な返答はなかったが、私の質問はNHKにとって今後かなりの影響を与えると思う。
新聞大会で木村社長が「いわゆる吉田調書」としたのは、「吉田調書」について朝日新聞が信憑性を問題にしているということを意味する。であるならば、「吉田調書」のどこに問題があるのかを朝日新聞は明確にすべきだ。
少なくとも9月11日午後7時30分から木村社長が急きょ記者会見を開いて事実上の引責辞任を発表したとき、こう説明した。
「社内の精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、多くの東電社員がその場から逃げ出したかのような印象を与え、間違った記事だと判断した」
木村社長の事実上の引責辞任表明を始め、その後処分を発表した報道局長や編集局長の解任に至る問題の記事は、5月20日付朝刊1面トップの記事である。その記事はこうだった。
「福島第1原発にいた東電社員らの9割に当たる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発に撤退した」
この記事のどこが問題だったのか。朝日新聞は依然として明らかにしていない。また他のメディアも気付いていないのか、分かっていても指摘するとまずいという政治的判断をしたのか分からないが、慰安婦問題についての報道の誤りと記事の取り消しが遅きに失したことに原因があるかのような報道をしたり、読売新聞など一生懸命朝日新聞の慰安婦報道についての誤りの検証記事を連載したり、「問題のすり替え」に「協力」してきた。
すでに何度も私はブログで書いてきたが、朝日新聞のねつ造記事は「吉田所長の待機命令に違反」したかどうかではなく、「第1原発の社員の9割、約650人が(職場放棄して)第2原発に撤退(逃げ出した)」という個所である。そんなことは吉田調書のどこにも書かれていない。しかも朝日新聞は東電社員が移動する手段として第1原発の(通勤送迎用?)バスや通勤用自家用車を利用したとまで仔細に報道した。そうした事実が本当にあったのかどうか。
9月11日の唐突な木村社長の記者会見は、当日の菅官房長官の記者会見が決定的な引き金になったことは間違いない。菅官房長官は通常記者会見はノーネクタイで行う。昨日の記者会見もノーネクタイだった。少なくとも私がニュースで、菅官房長官のネクタイを締めた記者会見を見たのは9月11日だけである。それも私の記憶では、非常に目立つ真っ赤なネクタイだった。菅官房長官の発表は「吉田調書の全文をホームページ(たぶん首相官邸か内閣官房の)で公表
する」というものだった。
私は政府が、目障りな朝日新聞を潰しにかかったのか、と感じた。もちろん、そんなことはできっこないのだが、朝日新聞社はこの記者会見に異常なまでに反応してしまった。それが9月11日の朝日新聞社・木村社長の緊急記者会見の真相だと思っている。
朝日新聞は、週刊誌などの朝日新聞バッシングに対抗するためにも、5月20日の記事で行ったねつ造の真実を一刻も早く明らかにすべきである。故吉田所長が所員に待機命令を明確に出したかどうかは、そう読み取れる部分もあるので、実際に全所員に「待機支持」が正確に伝わったかどうかは別にしても、本当に所員の9割が第1原発から逃げ出したとしたら、重大な職場放棄であり、被害の拡大につながった可能性も否定できない。朝日新聞が信頼を回復するためには、何が被害の拡大につながったのかの事実に基づく検証作業を、いかなる権力にも屈せずに行うことだろう。
それを回避するために、新聞大会で木村社長が吉田調書の信ぴょう性を傷つけるために「いわゆる」という枕詞を冠したのか…。朝日新聞は今日の朝刊で、なぜ「いわゆる」を削除したのか…。
朝日新聞はこういう狡(こす)いやり方をすることで、読者の信頼をますます損ねることに、そろそろ気付いてもいいころだと思うのだが。
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