小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

米カリフォルニア州で分離・独立運動が盛んだ。「民主主義とは何か」がいま問われている。④

2014-08-08 08:36:11 | Weblog
 長々とマイケル・サンデル氏のディベート・テクニックについての論評をしたのには、当然それなりのわけがある。サンデル氏は、日本型民主主義について『日本人が苦手な議論。あるいは、いかにして民主主義は死に至るか』という主題にあるように、ご親切にも日本の民主主義が危機的状態にあると憂い、民主主義を守るための議論のやり方を日本人に教えることが、サンデル氏の目的だったからだ。
 つまり、民主主義とは「構成員の権利が平等な共同体」において多数の支持を得るための弁論テクニックをアメリカ型ディベートから学びなさい、と言っているわけだ。サンデル氏はウィキペディアによれば「共同体主義の代表的論客」のようだが、共同体といっても「構成員の権利が平等な共同体」と「平等ではない共同体」さらに「見かけ上の平等的共同体」と、中身は様々であることをご存じないようだ。
 その違いは、必ずしも共同体の種類と合致しているわけではない。たとえば株式会社。株主総会では株主の所有株数に応じて割り当てられる議決権は完全に平等である。つまり100株の株主は1株の株主の100倍の議決権を持つ。そのことには誰も疑問を挟む余地はない。が、株主総会で選出された役員(経営者)は、本来平等な権限を持っているはずだが、そうではない。役員会で権力者の序列が決められ、ピラミッド型の権力構造ができる。
 こうしていったん出来上がった権力構造を破壊できるのは株主総会ではなく、役員会におけるクーデターである。ピラミッド型権力構造が強固であればあるほど、最高の権力者は「ワンマン」と呼ばれる存在になる。なかには勘違いして権力構造が強固だと思い込んでワンマン経営に走り、クーデターによって失脚するケースもある。このような「見かけ上の共同体」では、民主主義のルールがある程度適用される。経営方針を決定するのは役員会での多数決によることになっているからである。が、その経営方針が、株主総会で覆されることも理論的には可能だ。もし、そういうケースが生じれば、民主主義のルールが完全に適用されたことになる。
 次に「平等ではない共同体」とはどういう組織か。典型的なのは共産主義体制の国家である。前にもブログで書いたように、マルクスの思想そのものがピラミッド型権力構造の基本的理念を作ってしまったうえに、レーニンが「プロレタリア独裁論」を接ぎ木して一党独裁の権力構造を正当化してしまった。そのため共産主義体制の国家では、権力の交代は禅譲方式(北朝鮮のような父子間の禅譲も含む)か、さもなければ共産主義体制の崩壊を意味しかねないクーデターによるしかない。中国や北朝鮮では、権力者が一番恐れているのはクーデターによる権力からの転落である。
 そのため権力者の地位についてまだ日が浅い中国や北朝鮮では、権力者に対
する絶対的忠誠心に疑問を持たれた実力者は排除される運命にある。もちろん
実力者を排除するには、いくら権力者といっても権力構造組織のルールを無視するわけにはいかないから、なんだかんだと粛清のための理由をつけることは必要だ。中国はいま国内外に様々な問題を抱えており、習近平主席の権力はまだ完全に固まったとは言えない。通常国民の政府に対する不満のはけ口は対外関係に求めるケースが多いが、習近平氏は「虎もハエも叩く」と、国内の汚職の一掃にはけ口を求めようとしている。
 問題は「構成員の権利が平等な(はずの)共同体」のケースである。すでに述べたように、アメリカの大統領選挙は国民の意志がダイレクトに反映されていないし、日本の自民党総裁選挙も自民党員の意思が反映されているとは言い難い。自民党員が党に納める党費がいくらかは知らないが、たぶん国会議員である党員も、地方議員の党員も、はたまた一般党員も同額の党費を収めているはずだ。だから、自民党の権力構造を決定する制度そのものが非民主的なのだが、サンデル氏はそうした制度疲労は問題にせず、多数の支持を得るための議論のテクニックのほうを重要視する。おそらくNHKの討論番組の司会を何回もした経験から、日本人はレトリックの使い方が下手だ、あるいはレトリックという議論テクニックを知らないのではないかと考えたに違いない。要するにサンデル氏の結論は、レトリック手法に習熟しないと「民主主義は死に至る」ということである。
 そうした考えの上でサンデル氏は「民主主義の具体的な実現方法」としてデモや集会を重要視する。彼はこう主張している。
「政治を変えるには、大きく二つの方法がある。一つは権力者と個人的なつながりを作り、取引と交渉によって行動を変えさせる方法。もう一つは大衆の賛同者を増やして、数の圧力で権力者を動かす方法だ。歴史上、民主主義は後者の方法で実現されてきた。しかし今の日本では、デモや集会に強烈な嫌悪感を抱く人が珍しくないようだ。ネット上では、とくにそれを感じる。2chにせよtwitterにせよ、デモや集会は基本的に反社会的で犯罪的な行為として糾弾されているのをよく見かける」
 やっぱり、そうか。サンデル氏は日本社会にネットが果たしている役割をご存じないようだ。いや、そもそもサンデル氏が日本語の2chやtwitterを読めるくらいなら、なぜNHKの討論の司会を日本語でやらないのか。多分NHKの関係者だと思うが、日本人の誰かから日本でのSNSの影響力について一知半解な「知識」を仕入れ、それを鵜呑みにして日本人の価値観について誤った認識を持っていることがよく分かった。
 明治維新についてもサンデル氏は「市民革命ではなくクーデターだった」という歴史認識を示している。明治維新にクーデター的要素があったことは事実だが、なぜサンデル氏の思考はそこでストップしてしまったのか。そもそも「市民革命」ではなかったはずの明治維新によって、日本が市民社会を実現できたのはどうしてかという疑問を、「市民革命ではない」と決めつけたサンデル氏は、なぜ持たなかったのだろうか。
 クーデターというのは、権力の交代のための手段の一つである。それが権力
組織に対抗する反権力組織による軍事クーデターという形をとることもあれば、権力組織の内部で密かに権力者に批判的なグループを作って賛同者を増やし、そのグループが過半数を占めたとき組織のルールに従って一気に権力者を権力の座から引きずり落とすという「民主的」クーデターもある。
 そうした一般的な意味のクーデターでは、明治維新はなかった。そもそも明治維新の発端は、外圧に押されてアメリカをはじめ西欧列強に開国し、しかも不平等条約を結ばざるを得なくなった幕府の中枢部に対する保守的な攘夷運動であった。その攘夷運動の先駆けとなったのが、権力構造の一翼を担っていた徳川御三家の水戸藩士だった。たまたま水戸藩は勤王(尊王ではない)の志が強い藩で、そうした水戸藩の権威もあって攘夷運動が日本全国に燎原の火のごとく広まったという経緯がある。
 一方徳川幕府の権力構造に「金属疲労」が生じ、権力そのものにひずみが生じつつあったのを見て、倒幕の好機にしようと考えたのが長州藩の若手藩士グループだった。彼らは討幕運動の正当化を図るため朝廷の有力公家たちに攘夷思想を吹き込み、朝廷を攘夷派で固めることに成功した。が、バカげたことに長州藩の若手藩士たちは単独で軍事クーデターを起こそうとした。それがいわゆる禁門の変(蛤御門の変ともいう)である。
 結果は長州藩の惨敗に終わったが、幕府の権威も失墜したことが全国に知れ渡ってしまった。もう少し前の幕府だったら、長州藩は即取り潰しの目にあっていたのだが、幕府は長州藩を1枚の紙切れで取り潰すことができず、第1次長州征伐でも幕府軍は勝利しながら長州藩を取り潰せなかった。この時期、日本は事実上無政府状態に陥っていたと言えよう。そうした混乱状況の中で浮上したのが軍事クーデターによらない政権交代を意味する「大政奉還」思想である。幕府も権力を維持するだけの政治的軍事的能力を失っていることに気付き、幕府内でも大政奉還派が大勢を占めるようになった。
 だから長州藩が「討幕」から「大政奉還」に方針転換していれば、スムーズに政権交代は成功していた。長州藩があくまで「討幕」にこだわった理由については、関ヶ原の戦い以来の徳川家に対する恨みが、遺伝子的に継承されてきたという説が有力なようだが、私は歴史家ではないので、そのあたりの事情は分からない。ひょっとすると、平和的に大政奉還が行われていたら、新政権に占める長州藩の地位が保証されないと考えたのかもしれない。
 ただ明治維新の七不思議、というより最大の謎がいまだ解明されていない。
歴史家もこの政権交代のエネルギーをいまだに「尊王攘夷」という四字熟語で説明しているが、明治維新が実現したとたん、なぜ「攘夷思想」が煙のように消えてしまい、むしろ積極的に海外との関係を強める方針に方向転換したのかという、パラドックスの解明をしようという歴史家が現れていないことだ。これは歴史認識の方法論にかかわることであり、明治維新のパラドックスを解明しない限り、歴史認識の方法論を確立することはできない。
 明治維新の歴史認識に深入りしすぎたが、明治維新によって実現した市民社会という認識をしないサンデル氏は、「日本は歴史上、デモや集会で政治が変わった経験に乏しい。日本史の教科書では、一揆はテロ行為として描かれる」と、歴史の偽造までしている。「テロ」はある政治目的を達成するための、小さな犠牲で大きな効果を果たす暴力的手段であり、民主主義的手法ではないが、「一揆」は権力者の圧政に対して集団で政治目的を達成するための行為であり、テロと一揆を混同した教科書などあるはずがない。
 サンデル氏は一揆をテロと見なすことによって「こうした歴史的経験から、多くの日本人にデモや集会に対する生理的嫌悪感が植えつけられた」とまで断定する。こういう誤った日本に対する認識をサンデル氏に持たせてしまった責任は、たぶんNHKにあるのではないかと私は思う。
 サンデル氏の日本の歴史認識はさておき、アメリカと違って日本の政治権力者が強権を発動したケースは、戦後に限って言えば岸信介首相くらいだろう。このときの国民が示した激しい怒りをサンデル氏はご存じないようだ。岸首相の強権発動に国民が示した怒りを教訓にした日本政府は、それ以降強権の発動を慎むようにしてきた。日本におけるデモ時代の終焉は、その結果であって、サンデル氏が強調する「デモや集会は政治を変える効果的な手段の一つだ。が、日本人は自らその手段を封じた」という認識は、日本人と日本社会に対する誤解も甚だしいと言わざるを得ない。(続く)
 

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