小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

学術会議問題にフタを閉めさせるな――内閣法制局の悪だくみをついに暴いた。

2020-12-07 01:27:57 | Weblog
 5日、政府与党は野党の延長要請を無視して臨時国会を閉会した。どさくさ紛れにGo Toトラベルを6月まで延長することを決めて、早すぎる「冬休み」に入った。
本来、国会議員にとって「冬休み」と「夏休み」はのんびり休養してはいられない「稼ぎ時」である。稼ぐといっても金だけではない。金稼ぎのためのパーティを地元の一流ホテルなどで行ったりもするが、忘年会・新年会と、支持者たちの小さな集会にも顔つなぎをして「票稼ぎ」をしなければならない重要な時期になるはずだ。が、今年だけはコロナ禍のせいで、そうは問屋が卸さない。「政治資金」という名目の金稼ぎパーティなど企画しようものなら、「俺たちをコロナ・リスクにさらしてまで金が欲しいのか」と、古くからの支持者たちからもソッポを向かれかねないからだ。まして忘年会や新年会も、今年はほとんど出来ないだろう。
実際、そろそろ私にも友人たちやちょっと関係している団体から忘年会や新年会の通知がある時期だが、「今年は中止」という案内はあっても開催の案内はまったくない。私は別にあいさつ回りをしなければならないような立場ではないから、のんびり過ごそうと思う。が、政治家はそうはいかない。忘年会や新年会が無くなった分、ちょっとした町や村の「顔役」の家に戸別訪問して顔つなぎしておく必要がある。いつもより、かえって忙しい「冬休み」になるかもしれない。
この臨時国会は、私は「学術会議国会」になると思っていたし、ブログでもそう書いた。実際、出だしはそういう感じだったが、「桜を見る会」問題が再び噴火したり、コロナ禍(いわゆる「第3波」)が再燃したりで、いつの間にか学術会議問題は下火になってしまった。「学問の自由」を侵すつもりなど全くなかった菅総理は、思わぬ展開に「杉田(※事実上、6名を除外した元警察官僚)の野郎、余計なことをしやがって」とほぞを噛んでいたところだけに、ある意味、総理として初めての国会を何とか乗り切ったとほっとしているだろう。
学術会議問題については与党の一部から「いっそのこと、学術会議を政府機関から外して民間化してしまえば」という声も上がっているが、私も大賛成だ。アメリカやイギリスのアカデミーを見習って「かねは出すけど口は出さない」研究者組織にした方がいいと思う。「政府が出す金は必ずひも付き」という二本の政治の貧しさの突破口になれば、災い転じて福となる。
実は11月5日、私は首相官邸に学術会議問題について5項目からなる質問状を出した。回答期限は11月20日ころまでとしたが、回答はなかった。有象無象の1国民になんかにいちいち対応していられるかと考えたのか、答えに窮したのかは不明だが、とりあえず私の質問状を公開する。



●首相官邸への質問状
1 まず日本学術会議会員の任命権が総理にあるとした場合、日本学術会議法7条の規定による「選考権」はどう解釈すればいいのでしょうか。通常「任命権」は「選考権」と同一と解されています。たとえば中央省庁の大臣・長官は総理が選考し任命します。日本学術会議法7条によれば、会員は「日本学術会議が選考して推薦する」することになっています。総理大臣の「任命権」の中に、日本学術会議法7条に認められている日本学術会議の「選考権」を侵害あるいは超越する権利まで含まれるのでしょうか。だとすると、憲法6条によって、天皇は総理大臣を選考し任命する政治権力を有することになりませんか。法治国家においては、法文解釈の整合性は極めて重要であり、適当に解釈することはあってはならないと思います。

2 次に日本学術会議会員の選考基準について菅総理は国会で「総合的・俯瞰的な活動、すなわち専門分野にとらわれない広い視野に立ってバランスの取れた活動を行い、国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべきということ、さらに言えば、例えば民間出身者や若手が少なく、出身者や大学にも偏りがみられることも踏まえて、多様性を念頭に私が任命権者として判断を行った」と答弁されました。私は会員の「偏り」については寡聞にして存じ上げませんが、会員に求められる要件として総理のご指摘には賛成します。が、会員の選考基準については日本学術会議法17条で定められており、その選定基準が不十分ということであれば、まず17条を法律改正したうえで、「任命権」を行使されるべきではないでしょうか。少なくとも、現時点で「任命権」を行使することは脱法行為に当たりませんか。

3 さらに、総理は憲法15条を法的根拠として「必ず(学術会議の)推薦通りに任命しなければならないわけではないという点について内閣法制局の確認を得ている」と6名の推薦者を任命しなかった理由を述べておられますが、憲法15条には「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と明記されています。従って総理がこの条文に記された「国民固有の権利」を行使したということであれば、総理はいったん(日本学術会議が推薦した)105名の会員を自ら「選定」し、特別職の公務員の職を与えたうえで、そのうち6名を「罷免」したことになります。そういう事実があったのでしょうか。(排除した6名について)もし総理が「選定」せず「任命」もしていなかったとしたら、その6名はまだ公務員になっていない「民間人」のままですから、総理は民間人を「罷免」したことになります。憲法15条は公務員に対する選定・罷免についての国民の権利を認めた条文であり、公務員ではない6名の推薦者に対して適用することはできません。このケースにおいては、なぜ憲法15条の適用を内閣法制局が認めたのか、説明してください。

4 任命しなかった理由の開示について、総理は「人事のことだから説明を控えさせていただく」と答弁されていますが、これは民間人の人事ではありません。安倍政権時代に何人もの閣僚が不祥事を起こし、安倍総理は「私に任命責任がある」として事実上更迭してきました(表向きは本人の自主的「辞任」という形式をとりましたが)。菅総理は「任命権者」として「罷免権」を行使したのであれば、菅総理は任命責任があるわけですから、「罷免」した理由を開示して「任命責任」を取るべきだと考えます。

5 憲法15条の規定によって公務員の任命権が総理にあるとしたら、当然すべての公務員に対して菅総理は任命責任をおとりになる覚悟がおありなのでしょうね。安倍前総理の場合、閣僚が不祥事を起こして辞任に追い込まれた場合、国会で常に「任命責任は私にあり、申し訳なかった」と謝罪されています。この「任命責任」を菅総理は日本中の一般及び特別職の国家公務員についてお取りになるという理解でよろしいのでしょうか。その場合、どうやって「任命責任」をおとりになるのでしょうか。
 たとえば自衛官が不祥事を起こしたら、その都度国会を開いて「任命責任は私にある。申し訳なかった」と国民に謝罪されるのでしょうか。

●内閣法制局の憲法15条の解釈はデタラメだった
 この質問状を首相官邸に提出してから、もう一度「総理の任命権」の法的裏付けとして、内閣法制局が政府説明を擁護するために持ち出した憲法15条をもう一度チェックしてみた。その結果、とんでもないでたらめ解釈であることが分かり、私は『政府答弁の欺瞞性を暴いた――内閣法制局の憲法解釈はデタラメだ』と題するブログを11月14日にアップした。詳細はそのブログを読んでいただければ、いかなる法学者も私の主張に抗弁できない。
 実は昨6日のBSテレ朝の討論番組『田原総一朗の激論クロスファイアー』で自民党の片山氏と新立憲の長妻氏が学術会議の任命問題でもバトルを繰り広げた。その中で片山氏が「内閣法制局の判断でも総理の任命権は憲法15条によって確認されている」と述べたのに対して長妻氏は「2年前には違う判断をしていた」と述べるにとどまり、憲法15条は総理の任命権を認めてなどいないと反論できなかった。
 いまだに自民党議員が内閣法制局の誤解釈を信じていることに、私はびっくりした。で、簡単に内閣法制局のデタラメ解釈ぶりを再度明らかにしておく。
 まず、憲法15条の全文を見てみよう。憲法15条には「公務員」についての位置づけが3か所出てくるが、もちろんこの条文に書かれている「公務員」はすべて同じである。そのことをあらかじめ念頭に置いて読んでほしい。
  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、 その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
この憲法15条の条文に書かれている「公務員」とはすべて同一の職を示している。が、政府が「総理の任命権」の裏付けとしているのは最初の行に出てくる「公務員」の選定・罷免権について「総理大臣は国民の代表であるから『国民固有の権利』を行使できる」という、こじつけにもならない解釈である。
憲法15条が意味している「公務員」とは3行目に明らかにされているように、国会や地方議会の議員のことを指していることは疑う余地もない。だから1行目の「公務員」の選定や罷免(リコールのこと)が「国民固有の権利」として憲法が保障しているのである。
一方、日本学術会議法7条には学術会議会員は「学術会議の推薦に基づいて、総理大臣が任命する」とあり、「基づいて」の解釈も極めて明確である。政府はその後に続く「総理大臣が任命する」という表現を過大に解釈して総理に任命権があるかのように主張しているが、もし、そのような解釈が成り立つとしたら、「基づかない任命が総理にはできる」ということになる。
国のトップが、そういう大きな権利を持っているケースもある。中国や北朝鮮のような共産圏の国だけではなく、独裁国家はすべて独裁者に権限が集中している。アメリカは独裁国家ではないが、大統領の人事権の大きさはトランプ前大統領が行った人事を見ればわかる。
だいいち、「国民固有の権利」とは主権在民を意味した言葉で、「総理大臣は国民の代表だから」という論理がこの条文解釈から導けるとしたら、「総理大臣は国民の代表だから、総理大臣に憲法改正の権利がある」という解釈だって成り立つことになる。そんな馬鹿なことはいくらなんでもありえないだろう。
野党議員の皆さんもメディアも、「国民固有の権利」と憲法で定められていることを、「総理大臣は国民の代表だから国民固有の権利を国民に代わって代理行使できる」という論理構成をなぜ打ち破れないのか。

●憲法の表現を勝手に現代用語で解釈した内閣法制局の悪だくみ
現行憲法は戦争終結直後からGHQの監督下で作成過程に入り、最終的には衆議院で成立、1946年11月3日に公布、翌47年5月3日から施行された。実は、このあわただしい作成過程において、現行憲法で使用されている用語も現代語感覚からすると、多少違和感を覚えることもある。
憲法15条で使用された「公務員」という用語も、現在の感覚とは違う意味で使われているようだ。現在は「公務員」と言えば通常、国家公務員や地方公務員を意味するが、現行憲法制定時にはまだ戦時中までの一般的な呼称である「官吏」という言い方が定着していた。現代用語としての公務員という呼称がいつごろ定着したかは不明だが、例えば現行憲法においても73条が定めた内閣の職務について次のような規定がある。

73条4項 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。

内閣は言うまでもなく「行政府」であり、各省庁は内閣の指示に従って行政事務を担当する「行政機関」である。そういう内閣と省庁との関係を前提に考えると、憲法73条4項でいう「官吏」は現代用語としては「国家公務員」を意味することは明白である。つまり日本学術会議会員も、憲法上は「公務員」ではなく、「官吏」なのである。
憲法73条の呼称を考慮すると、憲法15条で使用されている「公務員」が現代用語である国家公務員や地方公務員を意味していないことも明白になる。政府が憲法15条を、学術会議会員の任命権が総理にあることの法的裏付けにするというなら、学術会議会員は憲法上の用語としては「公務員」ではなく「官吏」でなければならない。だから内閣は、この憲法の規定によって日本学術会議に様々な問題についての諮問を行う義務があり、学術会議はまた独自に研究成果を政府に提言する権利が生じるのだ。
現行憲法については前文と9条くらいしか記憶にない(全文を読んだこともない)私ですら、ネットを活用すれば、内閣法制局の悪だくみを見抜くことができる。ただ、ネットを活用するにはちっとばかり頭がいるがね…。
かつて新人の新聞記者は「記事は足で書け」と先輩記者から教えられてきたという。「新聞記事のネタは机の上には転がっていない」という意味らしいが、時代は大きく変わった。足で稼げるネタはたかが知れているが、インターネットには「宝の山」と言えるほどネタ材料が転がっている。ふと疑問に思ったら、とりあえずネットで調べてみる。ネットで得た知識を武器に取材をかける。そういう姿勢がこれからの記者には求められると思う。

【別件追記】Go Toトラベルで感染拡大を最小限にとどめる唯一の方法
政府は何を考えているのか、さっぱりわからない。菅総理は「Go Toトラベルが感染拡大を招いたというエビデンスはない」ことを唯一の口実としてGo Toトラベルの見直しをまったく考えていない。
だが、実はGo Toトラベルが感染拡大と無関係だというエビデンスもない。頭が悪いのか、それとも極めてご都合主義的な考え方が身についてしまっているからなのかはわからないが、私はGo Toトラベルには一定の理解を示している人間として、いまの時期は規模ややり方を見直すべきだと考えている。
政府がGo Toトラベルを6月まで延期した理由は、ひょっとしたら経済活性化対策というより、Go Toトラベルの利用客が正月休みやゴールデンウィークに集中することを避けるためかもしれない(最大限、好意的に解釈して)。
が、政府の都合でGo Toトラベルの利用客がばらけることを期待するのは甘い。それより、正月休みやゴールデンウィーク、大型連休はGo Toトラベルの適用外にした方が効果は大きい。ただでさえ観光地の旅館やホテルの宿泊料金は観光客が殺到する時期は特別料金にしている。それでも客は来るからだ。
一方、ビジネス客の利用がほとんどなくなる都心のホテルは集客のために正月などは格安料金を設定している。そういう下々の事情をまったく分析せずに、机上の計算でGo Toトラベルの期間を延長したら利用客がばらけるだろうと考えること自体、政治家の発想は中学生並みとしか言いようがない。
Go TOトラベルが感染を拡大を招かないようにする方法はたった一つしかない。部屋を複数予約する団体旅行をキャンペーンの対象から外すことだ。東京都の65歳以上や基礎疾患の持ち主を除外するといった姑息な方法は、感染防止に何の意味も持たない。私自身の経験からも、ちょうどそのくらいの年齢の時は孫がまだ小さくて、3世帯(孫は世帯主ではないが)での家族旅行を楽しんだ。小池氏は孫がいないから、そうした利用客のことを考えることができないのだろう。高齢者を除外するより、大騒ぎをしかねない団体客をGo Toトラベルの対象から外すことが、感染拡大を水際で食い止める唯一の方策だ。(7日11:30)





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