自公政権与党が3分の2を超える議席を維持し、立憲民主党が予想以上の大躍進を遂げる一方、希望の党と共産党が大敗北を喫した選挙となった。ほぼ事前のメディアの情勢調査を裏付ける結果となった。
投票日翌日のNHK『ニュース7』で政治部の岩田記者が「自民は逆風の中での選挙だった」と解説したが、「NHKのがん」と言われている、東京都知事と同姓の報道局長の指示だったのかどうかは分からないが、私に言わせればとんでもない解説である。一方朝日の記者は「安倍さんはいいブレーンがついているのか、本当に選挙上手だ」と私に個人的感想を述べた。
私は今回の選挙について最初は「自己都合解散」と位置付けていたが、途中から「たなぼた解散」と改名した。「自己都合解散」としたのは、前回14年の総選挙もそうだったが、「いまなら勝てる」という判断で解散を決めたからだ。が、解散するにはそれなりの「大義名分」が必要になる。それは戦争も同じで、日本も先の戦争で「八紘一宇」とか「大東亜共栄圏」といった「大義名分」を立ててアジアへの侵略を行ってきた。
安倍総理にとっては、なぜこの時期が絶好の解散タイミングになったのか。北朝鮮が8月29日、事前通告なしに北海道・襟裳岬上空を通過するミサイルを発射し、だれの指示によるかは知らないがJアラートを東北地方一帯にまで流して国民を恐怖感に煽り立て、NHKをはじめメディアも一斉に追随した。この事件でほとんど「死に体」に近くなっていた安倍政権が一気に息を吹き返す。
メディアの内閣支持率調査によると、「モリカケ疑惑」や稲田防衛相の国会答弁問題で今春以降内閣支持率は下落の一途をたどり、7月にはとうとう不支持率が支持率を上回る事態となった。そうした状況の中で安倍総理は8月に内閣改造を行い、多少支持率は回復したが、再逆転には至らなかった。自民党内でも、それまでの「安倍一強体制」下で沈黙を余儀なくされていた反安倍派議員が公然と反旗を翻すようになり、事実上「安倍一強」は崩壊の瀬戸際に陥った。
そうした中で一気に攻勢に出たのが野党。モリカケ疑惑や稲田答弁を巡って閉会中審査を要求、数度にわたって開催されたが、肝心の安倍総理が出席しなかったり、出席しても疑惑についての説明責任を果たさず、業を煮やした野党側が憲法53条の規定に従って臨時国会の開催を要求したにもかかわらず、憲法53条には開催時期の規定がないことから安倍政権は開催に応じず、メディアも世論も安倍政権への批判を強めていた。
そんな時に安倍総理に、「たなぼた」的なプレゼントが北朝鮮から届いた。ミサイル発射という「朗報」である。というより、メディアが「朗報」にしてくれた。その結果、9月の内閣支持率はどうなったか。安倍政権始まって以来と言えるほどの空前のV字回復を遂げ、支持率が不支持率を再逆転したのである。安倍総理が解散を決断したのは、この瞬間だった。こうして永田町で解散風が一気に吹き出したというわけだ。
結果的に、今回の選挙は野党側の足並みの乱れもあって自民が圧勝した。「無理が通れば道理引っ込む」選挙だったと言えよう。いま安倍総理をはじめ自民党幹部は合言葉のように「謙虚に」を連発している。「謙虚に」という言葉は、言葉遣いや顔つきを意味することではない。国民の声に本当に真摯に耳を傾けることでなければならない。そういう意味では、モリカケ疑惑の解明にどれだけ真剣に取り組むかが、まず安倍新内閣に問われる。その問題から逃げ回り続けたら、国民からのしっぺ返しが必ず来る。
今回の選挙は政治家にとっても、国民にとっても、考えようによっては有意義な面もあったと私は思っている。とくに野党側の政治家にとっては、自らの立ち位置が今回ほど有権者から厳しく問われた選挙はなかったと言えるからだ。
メディアの多くは、希望の党の代表である小池氏が、記者会見の場で「踏み絵を踏むことを拒否した民進党議員は排除するのか」と質問したのに対して、思わず「排除します」と応じてしまったことで、「排除」という言葉に有権者が拒否反応を示した結果だと報じた。
小池氏自身は「確かにきつい言葉ではあったが、『排除』という言葉だけが独り歩きしてしまった」と悔いたが、有権者はそれほど単純思考で希望の党への拒否感を示したわけではない。「排除」であろうと「選別」であろうと、意味するところは同じで、希望の党への「合流」を認めなかった民進党議員を、メディアが一派ひとからげで「リベラル系」と位置付けたことが、有権者心理に大きく作用したと考えられる。
小池氏が「排除」するために用意したのが「安保法制容認」と「憲法改正」という二つの「踏み絵」だった。小池氏は希望の党への合流条件としたのだが、有権者にとっては自らの投票行動への「踏み絵」になったのである。つまり安保法制を容認し、憲法改正を支持しない人は、希望の党に投票しなくていい、という意味だと多くの有権者は受け取った。
そうなると、国民の目には希望の党は維新と同様「第2自民党」ではないかとしか見えない。都知事選や都議選では「都議会はブラックボックス」という小池マジックが都民の心をとらえた。だが、大勝利した都民ファーストから、小池都政実現の大功労者だった音喜多氏らが離党するなど、小池マジックの種が少しずつ見えてきた。
そもそも、希望の党と自民党との違いは、安保法制容認や憲法改正で同一歩調をとる限り、どこにあるのかということになる。小池氏の口から出た言葉では「しがらみのない政治」しかない。「しがらみのない政治」を志すなら、別に自民党を離党しなくても、自民党の中で自らが実践して支持を集めればいいだけの話だ。言葉は、それなりに力を持つことはあるが、実践で裏付けなければ空疎なものになる。いま自民党は「謙虚に」を合言葉にしているが、本当に謙虚な姿勢で政権が抱えている諸問題に正面から取り組まなければ、国民から手ひどいしっぺ返しを食う。いま小池氏は、そういう局面に直面している。
同様のことは、野党で独り勝ちした立憲民主党の枝野氏についても言える。枝野氏自身はリベラリストというより、リアリストという評価のほうが高かった。だから小池・前原会談で民進党の希望の党への合流計画にも、政権与党に対して1対1の対立構図に持ち込まないと選挙に勝てないという前原氏の主張を支持したくらいだった。
が、小池氏側から踏み絵の条件を示され、そこまで屈辱的な姿勢は潔しとせずと、当初は無所属で立候補するつもりだったようだ。なぜ枝野氏が新党結成に踏み切ったのかは私の憶測だが、無所属でも勝てる大物ならいざ知らず(実際、岡田氏や野田氏などの大物は無所属で立候補して勝利している)、まだキャリアも浅く知名度も低い民進党議員から「枝野新党を立ち上げてほしい」という要請があったのではないかと思っている。
そういう経緯で立憲民主党を結成したのだと思うが、選挙に際しては小池マジックと同様の枝野マジックを使った。立憲民主党の政策を訴えるより「枝野立て、という国民の声に背中を押された」という殺し文句がそれだ。これが、国民の声にそっぽを向き続けた安倍総理への反発を強めていた有権者の心を打った。立憲民主党の最大の勝因は、この殺し文句にあった。
が、枝野氏が小池氏と違ったのは、選挙用に使った殺し文句を裏切ったら、立憲民主党に票を投じてくれた有権者はすぐに離れていくだろうことに気付いたことだった。国民の小池離れを目の前で見てきたから、その轍を踏んではならないという思いを強くしたのかもしれない。
ある意味では、枝野氏が今回の選挙で一番多くのことを学んだのではないだろうか。メディアは無責任に立憲民主党を軸にした野党連携の可能性を論じているが、肝心の枝野氏は立憲民主党の両院議員総会でも「永田町の数合わせの論理にくみした途端、私たちの党は国民から見捨てられるだろう」と、野合を拒否する姿勢を明確にしている。
ただ立憲民主党が現在の規模のうちはそうした姿勢を貫くべきだが、自公と政権の座を争うような事態が到来した場合は、きれいごとだけでは政権を獲得し、維持することはできない。自民党も極論すれば右から左まで包含した野合政党である。が、55年体制以降の長い歴史の中で、派閥が足の引っ張り合いをしながらも切磋琢磨して党としての一体性を維持してきた。そうした「大人の政党」への道も志向していく必要があるだろう。長く続いた自公政権に対する「受け皿」にとどまらず、国民が積極的に立憲民主党に政権をゆだねてみたいと思えるような政党に、これからどうやって育てていくかが、枝野氏の双肩にかかっている。
とりわけ、臨時国会が始まれば、ただちに憲法改正問題と取り組まなければならなくなる。安倍総理は9条の1項、2項を残して3項に自衛隊を明記するという「加憲論」を提示しているが、それは公明党の支持を得るための方便に過ぎない。
だが、肝心の公明党は「9条はいじる必要はない」としており、希望の党や維新の出方次第では改憲の方向性を「2項を書き換えて自衛隊を明記する」に変更する可能性もある。実際その方が、自民党内部はまとまりやすい。
もし安倍政権が正面突破で改憲を打ち出してきた場合、公明党はおそらく「賛成も出来ず、かといって自公連立が誤和算になりかねない反対も出来ず」の板挟み状態になる。そうした時、立憲民主党がどういう論理で憲法改正問題に取り組むのか、国民はかたずをのんで見守っている。
投票日翌日のNHK『ニュース7』で政治部の岩田記者が「自民は逆風の中での選挙だった」と解説したが、「NHKのがん」と言われている、東京都知事と同姓の報道局長の指示だったのかどうかは分からないが、私に言わせればとんでもない解説である。一方朝日の記者は「安倍さんはいいブレーンがついているのか、本当に選挙上手だ」と私に個人的感想を述べた。
私は今回の選挙について最初は「自己都合解散」と位置付けていたが、途中から「たなぼた解散」と改名した。「自己都合解散」としたのは、前回14年の総選挙もそうだったが、「いまなら勝てる」という判断で解散を決めたからだ。が、解散するにはそれなりの「大義名分」が必要になる。それは戦争も同じで、日本も先の戦争で「八紘一宇」とか「大東亜共栄圏」といった「大義名分」を立ててアジアへの侵略を行ってきた。
安倍総理にとっては、なぜこの時期が絶好の解散タイミングになったのか。北朝鮮が8月29日、事前通告なしに北海道・襟裳岬上空を通過するミサイルを発射し、だれの指示によるかは知らないがJアラートを東北地方一帯にまで流して国民を恐怖感に煽り立て、NHKをはじめメディアも一斉に追随した。この事件でほとんど「死に体」に近くなっていた安倍政権が一気に息を吹き返す。
メディアの内閣支持率調査によると、「モリカケ疑惑」や稲田防衛相の国会答弁問題で今春以降内閣支持率は下落の一途をたどり、7月にはとうとう不支持率が支持率を上回る事態となった。そうした状況の中で安倍総理は8月に内閣改造を行い、多少支持率は回復したが、再逆転には至らなかった。自民党内でも、それまでの「安倍一強体制」下で沈黙を余儀なくされていた反安倍派議員が公然と反旗を翻すようになり、事実上「安倍一強」は崩壊の瀬戸際に陥った。
そうした中で一気に攻勢に出たのが野党。モリカケ疑惑や稲田答弁を巡って閉会中審査を要求、数度にわたって開催されたが、肝心の安倍総理が出席しなかったり、出席しても疑惑についての説明責任を果たさず、業を煮やした野党側が憲法53条の規定に従って臨時国会の開催を要求したにもかかわらず、憲法53条には開催時期の規定がないことから安倍政権は開催に応じず、メディアも世論も安倍政権への批判を強めていた。
そんな時に安倍総理に、「たなぼた」的なプレゼントが北朝鮮から届いた。ミサイル発射という「朗報」である。というより、メディアが「朗報」にしてくれた。その結果、9月の内閣支持率はどうなったか。安倍政権始まって以来と言えるほどの空前のV字回復を遂げ、支持率が不支持率を再逆転したのである。安倍総理が解散を決断したのは、この瞬間だった。こうして永田町で解散風が一気に吹き出したというわけだ。
結果的に、今回の選挙は野党側の足並みの乱れもあって自民が圧勝した。「無理が通れば道理引っ込む」選挙だったと言えよう。いま安倍総理をはじめ自民党幹部は合言葉のように「謙虚に」を連発している。「謙虚に」という言葉は、言葉遣いや顔つきを意味することではない。国民の声に本当に真摯に耳を傾けることでなければならない。そういう意味では、モリカケ疑惑の解明にどれだけ真剣に取り組むかが、まず安倍新内閣に問われる。その問題から逃げ回り続けたら、国民からのしっぺ返しが必ず来る。
今回の選挙は政治家にとっても、国民にとっても、考えようによっては有意義な面もあったと私は思っている。とくに野党側の政治家にとっては、自らの立ち位置が今回ほど有権者から厳しく問われた選挙はなかったと言えるからだ。
メディアの多くは、希望の党の代表である小池氏が、記者会見の場で「踏み絵を踏むことを拒否した民進党議員は排除するのか」と質問したのに対して、思わず「排除します」と応じてしまったことで、「排除」という言葉に有権者が拒否反応を示した結果だと報じた。
小池氏自身は「確かにきつい言葉ではあったが、『排除』という言葉だけが独り歩きしてしまった」と悔いたが、有権者はそれほど単純思考で希望の党への拒否感を示したわけではない。「排除」であろうと「選別」であろうと、意味するところは同じで、希望の党への「合流」を認めなかった民進党議員を、メディアが一派ひとからげで「リベラル系」と位置付けたことが、有権者心理に大きく作用したと考えられる。
小池氏が「排除」するために用意したのが「安保法制容認」と「憲法改正」という二つの「踏み絵」だった。小池氏は希望の党への合流条件としたのだが、有権者にとっては自らの投票行動への「踏み絵」になったのである。つまり安保法制を容認し、憲法改正を支持しない人は、希望の党に投票しなくていい、という意味だと多くの有権者は受け取った。
そうなると、国民の目には希望の党は維新と同様「第2自民党」ではないかとしか見えない。都知事選や都議選では「都議会はブラックボックス」という小池マジックが都民の心をとらえた。だが、大勝利した都民ファーストから、小池都政実現の大功労者だった音喜多氏らが離党するなど、小池マジックの種が少しずつ見えてきた。
そもそも、希望の党と自民党との違いは、安保法制容認や憲法改正で同一歩調をとる限り、どこにあるのかということになる。小池氏の口から出た言葉では「しがらみのない政治」しかない。「しがらみのない政治」を志すなら、別に自民党を離党しなくても、自民党の中で自らが実践して支持を集めればいいだけの話だ。言葉は、それなりに力を持つことはあるが、実践で裏付けなければ空疎なものになる。いま自民党は「謙虚に」を合言葉にしているが、本当に謙虚な姿勢で政権が抱えている諸問題に正面から取り組まなければ、国民から手ひどいしっぺ返しを食う。いま小池氏は、そういう局面に直面している。
同様のことは、野党で独り勝ちした立憲民主党の枝野氏についても言える。枝野氏自身はリベラリストというより、リアリストという評価のほうが高かった。だから小池・前原会談で民進党の希望の党への合流計画にも、政権与党に対して1対1の対立構図に持ち込まないと選挙に勝てないという前原氏の主張を支持したくらいだった。
が、小池氏側から踏み絵の条件を示され、そこまで屈辱的な姿勢は潔しとせずと、当初は無所属で立候補するつもりだったようだ。なぜ枝野氏が新党結成に踏み切ったのかは私の憶測だが、無所属でも勝てる大物ならいざ知らず(実際、岡田氏や野田氏などの大物は無所属で立候補して勝利している)、まだキャリアも浅く知名度も低い民進党議員から「枝野新党を立ち上げてほしい」という要請があったのではないかと思っている。
そういう経緯で立憲民主党を結成したのだと思うが、選挙に際しては小池マジックと同様の枝野マジックを使った。立憲民主党の政策を訴えるより「枝野立て、という国民の声に背中を押された」という殺し文句がそれだ。これが、国民の声にそっぽを向き続けた安倍総理への反発を強めていた有権者の心を打った。立憲民主党の最大の勝因は、この殺し文句にあった。
が、枝野氏が小池氏と違ったのは、選挙用に使った殺し文句を裏切ったら、立憲民主党に票を投じてくれた有権者はすぐに離れていくだろうことに気付いたことだった。国民の小池離れを目の前で見てきたから、その轍を踏んではならないという思いを強くしたのかもしれない。
ある意味では、枝野氏が今回の選挙で一番多くのことを学んだのではないだろうか。メディアは無責任に立憲民主党を軸にした野党連携の可能性を論じているが、肝心の枝野氏は立憲民主党の両院議員総会でも「永田町の数合わせの論理にくみした途端、私たちの党は国民から見捨てられるだろう」と、野合を拒否する姿勢を明確にしている。
ただ立憲民主党が現在の規模のうちはそうした姿勢を貫くべきだが、自公と政権の座を争うような事態が到来した場合は、きれいごとだけでは政権を獲得し、維持することはできない。自民党も極論すれば右から左まで包含した野合政党である。が、55年体制以降の長い歴史の中で、派閥が足の引っ張り合いをしながらも切磋琢磨して党としての一体性を維持してきた。そうした「大人の政党」への道も志向していく必要があるだろう。長く続いた自公政権に対する「受け皿」にとどまらず、国民が積極的に立憲民主党に政権をゆだねてみたいと思えるような政党に、これからどうやって育てていくかが、枝野氏の双肩にかかっている。
とりわけ、臨時国会が始まれば、ただちに憲法改正問題と取り組まなければならなくなる。安倍総理は9条の1項、2項を残して3項に自衛隊を明記するという「加憲論」を提示しているが、それは公明党の支持を得るための方便に過ぎない。
だが、肝心の公明党は「9条はいじる必要はない」としており、希望の党や維新の出方次第では改憲の方向性を「2項を書き換えて自衛隊を明記する」に変更する可能性もある。実際その方が、自民党内部はまとまりやすい。
もし安倍政権が正面突破で改憲を打ち出してきた場合、公明党はおそらく「賛成も出来ず、かといって自公連立が誤和算になりかねない反対も出来ず」の板挟み状態になる。そうした時、立憲民主党がどういう論理で憲法改正問題に取り組むのか、国民はかたずをのんで見守っている。
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