故郷は、鹿児島県の大隈半島の町、今過疎の町でその中でも限界集落近くなっているで、小学生 中学生時代を過ごしました。
鹿児島県のシンボル 桜島
昭和20年代前半の6年間が小学生です。
物資不足の時代で学用品も満足に買ってもらえません。
自宅から学校まで3キロ超あり登り下りがあり1時間ぐらいかかりました。バスなど🚌ありません。
95%以上が農家の子弟で、田植え 稲刈りの時期になると休みになりました。
子守や農作業の手伝いの為、休む子が多くなるので一斉休校にしたのだと思います。
5から6年までの2年間担任の竹之下先生が、農家の子であっても数少ない図書室の本を読む事、勉強をしっかりしていれば、都会に出て働く仕事につける。
とにかく勉強については厳しい指導でした。当時は嫌でしたが、今考えると影響を受けた事は事実です。
今考えると、次男 三男は、貧しい農家暮らしから脱出す方法を示唆してくれたのだと思います。
物資不足の時代、今考えると良く耐えていたものだと思います。
現在の若い人には、理解出来ない小学生時代です。
鹿児島県のシンボル 桜島
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