今日は硬いもの特集といいますか、「石碑」などをご紹介します。

橋の欄干、何という橋なのでしょう?勉強不足です。

「上野町元標」もずいぶん埋まってしまったものですね。
きっと昔は最後の字まで読めたでしょうに。
江戸時代この辺りに高札場があったことから、「札の辻」と呼ばれていたそうです。

大和街道と伊賀街道の追分道標。農人町集議所裏庭に移設されていたものが再びお目見え。

この灯篭をアップで見ると…

実は「蛾」と「桑の葉」その下は「繭」???
昔、伊賀は「養蚕」が盛んだったことは筆者も聞いたことがあります。
その昔「第103銀行」があった頃、その銀行の「蔵」は「繭」でいっぱいだったとか。今なら「現金」がいっぱい!ということでしょうが、昔は「繭」だったそうな。
ではまた

橋の欄干、何という橋なのでしょう?勉強不足です。

「上野町元標」もずいぶん埋まってしまったものですね。
きっと昔は最後の字まで読めたでしょうに。
江戸時代この辺りに高札場があったことから、「札の辻」と呼ばれていたそうです。

大和街道と伊賀街道の追分道標。農人町集議所裏庭に移設されていたものが再びお目見え。

この灯篭をアップで見ると…

実は「蛾」と「桑の葉」その下は「繭」???
昔、伊賀は「養蚕」が盛んだったことは筆者も聞いたことがあります。
その昔「第103銀行」があった頃、その銀行の「蔵」は「繭」でいっぱいだったとか。今なら「現金」がいっぱい!ということでしょうが、昔は「繭」だったそうな。
ではまた