あるくみるきく_瀬戸内シーカヤック日記

瀬戸内を中心とした、『旅するシーカヤック』の記録

瀬戸内シーカヤック日記: あるくみるきく_とびしま海道キャンプツーリング(3)

2009年06月27日 | 旅するシーカヤック
大浜の海水浴場にある公園で、地元のおじいさんから、大浜や御手洗の昔の生活の事を伺ったあとは、教えていただいた神社に行き、もう数十年使われていないという櫂伝馬を見せていただいた。
(今回私は、浜で偶然出会ったおじいさんに教えられて倉庫に保管されている櫂伝馬を見に行ったのだが、家に帰ってから先行事例をネットで調べてみると、この大浜に保存されている櫂伝馬の写真は、シール0000さんのブログにも記載されている様子)
 
『うーん、これは確かにかなり劣化しているなあ』 一目見れば分かるひどい朽ち方。 長期間、海に出す事もなく、手入れもされず、ここに放置されていた事が見てとれる。 これではとてもじゃないが、海に浮かべる事はできないだろう。
***
写真を撮り、神社から駐車場まで戻る途中、ふと見ると家の窓を開けて座り、外を眺めているおじいさんが居られた。
『こんにちは。 今、あそこの神社の横にある倉庫を見せていただいたんですが、櫂伝馬があるんですね』 『おお、そうよ。 もう何十年も使ってないけどなあ』

『昔は、この前の海で櫂伝馬を漕いでいたそうですね』 『祭りの時には、この前で漕ぎよったもんよ。 あの櫂伝馬はな、競漕用じゃないんよ。 どっちかというと、今で言う救助艇みたいな役割の船が元じゃ。 じゃけえ、船が大きいじゃろう。 大崎上島のような競漕用の船とは違う』  『なるほど。 競漕用じゃないんですね。 道理で、あの櫂伝馬は大きいと思いました』

『あの神社は、海の方を向いて、鳥居も海側にありますが、やっぱり海の神様なんですか?』 『いやあの、あれは氏神様よ。 海の神様は、向こうにある。 昔の祭りの時は、向こうの神社とこっちの神社の間を、櫂伝馬で行き来したんじゃ』

私とおじいちゃんが話していると、奥からおばあちゃんも出てこられた。
『昔はねえ、祭りの時にはほんとうに賑やかじゃったよお。 向こうの神社とこっちの神社の間で、櫂伝馬を漕ぎよった。 二艘の櫂伝馬を並べて、その間に木の柱を組んで繋げよったよ』

『あれはいつ頃まで使いよったんですか』 『戦後、何回か祭りに使うて、それからは若いもんも居らんようになって、もう数十年使うとらんよ。 もう、釘も錆びて、朽ちて、ぜんぜん駄目じゃね』 『ええ、私も見たら分かりました。 もったいないですねえ』
***
『ところで、この辺はみかん農家の人が多くて、漁師さんは少なかった言う事ですが、漁をやりよっちゃったんですか?』
『ほうよ。 うちは漁師じゃった』 『漁師じゃ言うても、豊島の人らが遠くに行くじゃろう。 壱岐や五島、対馬、長崎、大分』 『ええ、聞いとります。 前は、長崎や対馬、和歌山の方まで行かれよったいうことですね』
『ほうよ。 私らも主人と一緒に豊島の船に乗って行きよった。 でもあまり遠くまでじゃのうて、せいぜい壱岐までじゃったけどね』 『豊島の人らはいろいろと商売をされるが、私らは釣るだけよ。 あの人らは半年、一年いうて居られるが、私らは3ヶ月して仕事に区切りがついたら戻ってきよった。 そして、次の仕事が入ったらそこに行くんよ』

『3ヶ月言うけど、子供を残して行くんじゃけえ、そりゃあ寂しいもんよ。 早う帰りたい思いよったねえ』 『四国沖にも行きよったよ。 地名を言われてもよう分からんかったけど、あそこの方へ行ったら船があるけえ分かる、いうて、自分らの船で四国まで行って、烏賊を釣る仕事をしよったねえ』

『台風。 そりゃあ、大西が吹いたときは大変よ。 神社の所に波が上がるじゃろう。 そうしたら逃げる所がないけえ、この前の道を流れて行くんよ。 もう、川のようじゃったよ』
***
話しを聞かせて下さるおじいさんの椅子の下には、双眼鏡が置かれていた。 おそらく毎日、海を眺めながら、気になるものがあれば双眼鏡で確認しておられるのだろう。 さすが、元漁師さんである。 また、お話しを聞かせていただいたおばあちゃんも、明るくてしっかり者で、いかにも漁師の女将さんといった風情。

そうこうしているうちに、ワンボックスカーがやってきた。 『あれ、来たよう』 どうやら、デイサービスの送迎をするクルマが、おじいちゃんを迎えにきたようだ。 『すみません、お忙しいのにいろいろ話しを聞かせていただいて』 『なに、ぜんぜん忙しい事なんかないんじゃけん』
『ありがとうございました!』
***
大浜地区では少ないという、元漁師さんご夫婦に昔の漁のお話を伺うことができた。 それも、隣にある家船で有名な豊島の漁師さんと一緒に仕事をされていたという、貴重な話。 『あるくみるきく_旅するシーカヤック』 じゃあ、そろそろクルマに戻るとするか。

地元在住のお二人の方から、貴重なお話を伺うことができ、最高の気分で歩いていると、ある光景が目に入ってきた。
『えー、なんじゃこりゃあ!』
***

* 大崎下島の大浜で、櫂作りの職人さんに出会う *

***

目に入ってきた光景は、なんと『櫂』を作っておられる作業場。
 
震えるようなうれしさを感じながら、『こんにちは。 これは櫂ですよね。 ちょっと拝見していいですか?』と伺うと、『ええですよ』と快諾していただいた。

『先日、大崎上島に行って、櫂伝馬を漕がせてもろうた事があるんです。 いやあ、ここで櫂を作っておられるとは驚きました。 さっきも、あそこにある神社で、昔使っとったという櫂伝馬を見てきたんです』 『そうね。 ここらじゃあ、もう当分舟は出しよらんねえ。 大崎上島で漕いだ』 『はい。 でもあそこの櫂伝馬は競漕用なんで、ここにある櫂に比べると、幅が広かったです』

『そうよ。 場所場所によって櫂伝馬の形も大きさも違うけえ、櫂の長さも幅も違うんよ。 これは、豊島の人に頼まれて作りよる分。 大崎上島のは、これより幅は広うて短いな』 『はい、そうです』
『こっちのは大櫂ですよね』 『そう』 『大崎上島のは、もっと大きかったですね』

『この、一番、二番いうて番号が書いてありますが』 『そりゃあのう、櫂伝馬は漕ぐ場所によって舟の幅も、海面までの距離も違おう。 じゃけえ、長さが変えてあるんよ』 『なるほど、じゃけえ、あの番号には意味があるんですね』
***
あまりに興味深いので、『すみません。 上がらせてもろうてええですか?』と聞くと、『ええよ』との事。
じゃあというので、サンダルを脱ごうとすると、『ええ、ええ。 ここは作業場じゃけえ、そのまま上がりんさい』

『こりゃあ、いつからやられよるんですか?』 『わしは二代目じゃ。 わしももう、50年くらいになるかのう』
 
『昔はな、押し舟もあったし、舵もステンレスじゃなかったから忙しかったが、今はだめよ』 『押し舟ってなんですか?』
『押し舟言うたら、櫓漕ぎ舟よ。 櫂伝馬なんかは、一番後ろの大櫂が船頭みたいなもんじゃが、押し舟じゃあ、一番前の人が船頭なんで』 『え、そうなんですか! それは知らんかったです』
『前は梶も木で作りよったが、ステンレスが出てきてからは、強度も上がって錆びんようになって、もう木の梶は駄目になってしもうた。 あの頃から、どんどん仕事が減ったよの』

『これだけじゃのうて、大工仕事もしよったよ。 天井を張り替えてくれ言われたらしよったし。 でも今思うたら、宮大工の仕事を覚えりゃあ良かった思いよる』

『昔はなあ、広島県だけでもこういう仕事をしようんが、十何人おったよ。 今じゃあ、わしと尾道の人くらいじゃなかろうか』 『今でも、九州に材を買い付けに行きよるんで。 ここの櫂の注文があったけえ、3月に九州に行ってきたんよ』
『その頃はなあ、順番に当番が回ってきて、材を買い付けに行きよった。 一度行ったら、向こうに一週間くらい。 あの頃は、ええ材も入りよったし、良かったよ』

『でもなあ、最近はええ材も少ないし、材を買うても、挽いてくれる所がない。 この材も、山口で挽いてもろうたんじゃ』 『材もな、種類によって堅さや重さが違う。 樫、椎、桧。 それぞれ特徴があるんよ。』
 
『この材を見てみ。 昔はこがあな風に、断面を三角に挽いてもらいよったんよ。 こんな三角に挽いたら、材は曲がったり歪んだりせんのじゃが、最近はコンピューターで制御するけえ言うて、儲けにならん三角の挽き方はしてくれん。 じゃけえ、平たい板に挽くんじゃが、見てみい、櫂に削って置いといたら、こんなに歪むんじゃけえ』 『こんなに歪んだらよ、買うてくれいうて渡す訳にもいかんし、大損よ。 そんなけえ、最近は商売も難しいよのう』

『鉋? うん、今は電動鉋ができてだいぶ楽になったよ。 昔はこれで削り出しよったんじゃけのう。 前は、一日に二本くらい作りよったが、今は日に一本くらいかのう。』
 
『櫓ものう、修理してくれいうて、毎年くるんよ。 ここが結わえてあるじゃろう。 使いよったらここが緩んで駄目になる。 そうじゃけえ、前はボルトを通して絞めるようにしたんじゃが、そうしたら櫓を引き揚げる時に舟に引っ掛かるいうんよ。 じゃあいうて、ボルトを埋め込むように穴を空けて出っ張らんようにしたら、そこが弱くなって、折れてしもうた』 『なるほど、やっぱり紐で結わえるんが引っ掛からんし、応力も集中せんし、一番ええ言う事なんですね。』 『そうなんよ』

『またの、前はFRPがはやってから、櫓もこげにFRPを巻いた事があるんじゃが、これは駄目じゃいうて、すぐにやめた』 『これは、FRPで巻くと硬すぎるんでしょう。 私もシーカヤックを漕ぐんですが、パドルは硬すぎると漕ぎにくい。 少しひわるくらいが、長時間漕いでも疲れんですよ』 『それそれ、それと一緒よ』
『でも舵の方は、FRPで巻くのがえかったねえ』 『そうですね。 舵は、硬くても問題ないですもんね』
***
『あんたは、カヌーを漕ぎよるんか?』 『はい、カヌーにキャンプ道具を積んで、島に渡る旅をするんが好きなんです』
『昨日も、蒲刈から出て、御手洗まで漕いで行ってキャンプしたんですよ。 年に50日位は海に出よりますし、これまでも、兵庫県の家島から下関まで瀬戸内横断したり、下関から日御碕まで日本海を北上したりしとるんです』
『おー、そりゃあすごいのう。 恐ろしゅうないんか?』 『ええ、風が吹いたりしたら、泣きそうになりながら漕ぐ事もあるんですが、やっぱり海を旅するのは楽しいですよ』
『人と一緒に行くんか?』 『いやあ、ほとんど一人ですね。 一人が気楽でええです。 行きたい時にフラリと出られるし、自分が出とうない天気じゃ思うたら出んでもええ。 ええ所がありゃあ、好きに上がって休んだり、早めに切り上げてキャンプしたり。 ホンマ、一人じゃったら全部自分の思うように決められるんじゃけえ、そりゃあ楽しいですよ』
『ほうかいの。 それにしてもすごいのお。 まあ、命あってのものだねじゃけえね。 気をつけんさいよ』 『はい、ありがとうございます』

『ここは、いつもやっとられるんですか?』 『いやあ、最近はあまり開けとらんのよ。 今日はたまたま、あの頼まれとる櫂がほぼ終わって、櫓の修理が入って来る準備をしよるけえ、開けとった』 『じゃあ、ええ時に来たんですね』

『今日は、ほんまにええものを見せてもろうて、ええ話しを聞かせてもろうて、うれしかったです。 ほんまにありがとうございました』 『あんたあ、どこの人かいのお』 『はい、呉の阿賀です』 『ほうか。 まあほんま、海では気をつけんさいよ』 『ありがとうございます!』
***
櫂作りをされているおじいさんに見送られ、豊島へと向かった。 時間が余ったので、偶然立ち寄った大崎下島の大浜。
話しを聞いた方からの偶然の縁で、想いもかけぬ次の出合いが生まれ、2時間弱の間に3組/4人の方の貴重なお話を伺うことができた。
これも、いつもと違うOne Wayの旅にしたおかげだなあ。 まさに、『あるくみるきく_旅するシーカヤック』の醍醐味。 今でも心が奮えている。

家船が今でも現役の島、豊島。 弓祈祷の祭りが残る岡村島(豊島、大崎下島にも残っている)。 風待ち潮待ちの御手洗や、櫂を制作する現役の職人さんが残る大崎下島。 日本の櫂伝馬の1/3が現存するという大崎上島。
いやはや、地元『とびしま海道』はこんなにも奥が深いのか。 感涙!

さあ、豊島へおいしいお好み焼きを食べに行くか。
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