栃木県出身の大作曲家、船村徹さんが、突然亡くなられたことを数日前
テレビで知り、偉大な作曲家も亡くなってしまうんだ~~と、寂しい気持ちになりました。
奥様のお話しですと、亡くなる前日は、カレーうどんを丼いっぱい食べたとか。。。
あまりにも突然で、気持ちが整理できません・・と言われていましたね。
もう20年以上も前の事を、私は思い出されてしまいます。
娘が通っていた中学校で、講師として来てくださり、ご自身のお話を聴かせて下さいました。
所どころですが、未だに覚えています。
実家が、すごく貧乏で、向こうが透けてしまうようなパンを食べて、
水を飲んで飢えを凌いでいたことや、
数学が苦手で、学校があまり好きではなく、
雪の日や雨の日は、お母さんが、学校に行かなくていいから、、、
と言ったので、好きなギターを1日中弾いていた事とか・・・
(息子が不登校だったので、学校に行かないぐらいで、親がうろたえていてはダメだな~と、お話を聴きながら思いました)
その後、東洋音楽学校(現在の東京音大)に合格し、
茨城出身の作詞家、高野さん(26歳で亡くなってしまわれたのですが)との出会いがあった事。
高野さんは、お米のお弁当を持ってきたので、おにぎりをもらって食べた事が、終生忘れられない・・・と、言われていました。
その高野さん作詞、船村徹さん作曲の「別れの一本杉」で、デビュー 芸能界入り・・・
そんな話しをされたことを思い出します。
5000曲以上もの曲を次々と作り、本当にすごい人だな~と思います。
栃木県の日光(旧今市)に、船村徹記念館があり、
そこを訪れたことも思い出します。
日本のこころのうたミュージアム、思い出のあの歌この歌 に出会う事ができるので、また行きたくなりました。
船村徹記念館 のブログ記事は、 です。
心から、ご冥福をお祈り申し上げます。
アクセスありがとうございました。
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