前回(→こちら)の続き。
競争相手の青野照市八段に完敗し、最終戦に負けるとほぼ降級が決まってしまうことになった、1990年のA級順位戦を戦う大山康晴十五世名人(第1回は→こちらから)。
「A級から落ちたら引退」
を公言する大山であるから、もしかしたらこれが
「現役最後の一局」
になるかもしれず、ファンのみならず棋士からも注目を集め、控室から大盤解説室まで超満員にふくれ上がったそう。
対戦相手は桐山清澄九段だが、こちらのほうもここまで大山と同じく3勝5敗。
桐山と言えば、棋王と棋聖のタイトル4期にA級14期。
1981年の第39期名人戦では、挑戦者にもなっている一流棋士である。
そんな桐山でも40歳を超すと、さすがに下り坂で、この後はA級に返り咲けなかったのだから、今さらながら大山の息の長さは驚嘆しかない。
またこの将棋は熱戦を期待されながらも、途中から大山がリードし、一方的な大差になってしまった。
この最終戦の一斉対局を、若手時代の先崎学九段が誌上でレポートしており(今は配信で見られて本当にいい時代だなあ)、桐山の拙戦をこう表現している。
「震えている感じではなく、なにか催眠術にかけられているような雰囲気」
この一説からも、独特の空気感が伝わってくる。
少なくとも桐山は、すでにまともな状態を通り越した、不思議な場所で戦っていたようなのだ。
もちろんそれは、大山が仕組んだことであり、そこで取り上げられていたのがこの局面。
桐山が▲69桂と受けたところ。
私の棋力では正確なところまではわからないが、まだ10代だった自分がこの場面を一目見て感じたことは、
「ダメだこりゃ!」
という、いかりやの長さん的ガッカリ感だった。
後手の陣形が、高美濃囲いに△64角の高射砲も設置して、ほれぼれするような美しさなのに、先手の囲いは寒々しいこと、この上ない。
なにより、この▲69桂という手が元気がなさすぎで、先手がとても勝てる気がしないではないか。
事実、先崎四段もこの手を見て、
「ここでどう指すべきかはわからない。だが、この▲69桂というのは将棋にない手である。あんまりである」
解説によれば、後手は△95歩の端攻めや、舟囲いの弱点である▲87の地点をねらって、△85歩から△86歩とせまってくるのが見え見えなのに、そこを自ら退路を断つ桂打ちは、理屈から言ってもおかしい。
という説明以上に、もう見ただけで、気持ちが押されているのがわかる。
だから先崎も、「将棋にない手」と言ったのだ。
ただ逆に言えば、桐山清澄ほどの一流どころに「将棋にない手」を指させた大山の威圧感(催眠術?)が、すさまじかったともいえる。
そう、まさに大山康晴はこれまで二上達也、加藤一二三、内藤國雄、米長邦雄といった幾多の名棋士に、そのオーラや念力によって、
「将棋にない手」
を指させ、ただ勝つだけでなく、相手に精神的禍根を残させ、苦しめてきた。
河口俊彦八段によれば、
チャンスで打席に入れば、だれだってヒットを打とうとする。
だが、大山はそうではない。
内野を見渡し、固くなり、頼むからボールが飛んでこないでくれ、と祈っている選手を見つけて、そこにゴロを打つのだ。
大山の勝負術を、これほど的確に示す表現を、私は他に知らない。
なんという意地悪で、かつ人の心というものを、知り尽くした手管だろう。
それで一度エラーをさせれば、もう後は、まともな状態でプレーなどできない。
この試合だけではない、この次の試合も、その次も、ずっと。
この大修羅場では桐山が、その犠牲になったのだ。
△56銀に▲85金と打ったのが、どこまでも桐山が普通でなかったことを表す手となった。
△65銀と竜をボロッとタダで取られてしまっては「全駒」である。あまりにヒドイ。
負ければおしまいの将棋を、第46期の森雞二戦に続いて、またも圧勝で飾った大山康晴。
その心の強さには「まいりました」と頭を下げるしかないが、では大山が実際に余裕をもってピンチをしのいだのかと言えば、そうではないようなのだ。
のちの取材で、大山はこのリーグで1勝4敗になったときは、さすがに引退をリアルに考えたと語っている。
そこで出たのが有名なセリフで、
「落ちると思うと委縮する、それならBクラスにいると仮定して、勝てばA級に上がれるんだと思うほうが気楽にやれると、結論を出した」
一見すごい切り替え方で、「さすがは大名人」と感心されることも多いが、私はどうも、ピンとこないところがある。
この言葉は『大山康晴名局集』に掲載された自戦記でもふれているのだが、大山の書くものというのは、たいていが優等生的でアクがなく、どうも本音を語っているようには見えないから、というのがひとつ。
現に『現代に生きる大山振り飛車』という本で、鈴木宏彦さんは、
(大山は)自身の本音が活字になることについては周りの想像以上に警戒していた気がする。
と書いており、その本音や手の内を明かさないことこそが、大山流「勝負術」の大きなファクターだったと分析している。
それに、そもそものことを言えば、仮にBクラスから上がると思えたとて、ふつうの棋士はそこで負けても、泣くほどつらいにしろ引退しなくていいし、また来年以降もチャンスはある。
一方、将棋をやめなければならない大山の立場は「昇級」だろうが「降級」だろうが変わらないわけで、論理として、つながってない。
ハッキリ言ってしまえば、ほとんど意味のない考え方なんである。
「どっちにしても負けたら引退やから、気楽になれるわけないですやん」
もちろん大名人にそんな、ガサツなつっこみなど入れられるわけもないが、なんにしろ、さすがの大山も、負ければ将棋をやめなければならいプレッシャーが、皆無では絶対になかったはず。
たとえば、1983年の第41期A級順位戦。
二上達也九段相手に、負けると落ちるという一番をしのいだあと、数日後に競争相手が次々敗れて残留が決まったのを知ったとき、パッと顔色が変わったとか。
また先述の森戦では終盤で、万に一つも負けることのない「全駒」のド必勝になりながらも、トドメを刺すときには「えい!」と気合を入れ、観戦していた河口俊彦七段に、
「普通ならとっくに終わってるんだが。こういう将棋はなかなか指せないよ」
と言って笑ったそうだ。
鉄のようにタフな大山といえど、人生がかかった将棋では恐れ、惑うものだ。
これは別に、大名人のことを
「なんか名言っぽいこと言って、カッコつけてる」
「大山ビビってる、ヘイヘイへイ!」
とバカにしたいわけではない。
むしろ、逆だ。
引退の危機にさらされ、決して平常心ではいられない中、それでも、その究極の場面でこそ普段の、いやそれ以上の力を発揮し、結果を残し、圧などなかったと、うそぶける。
そここそが、「巨人」大山康晴の、本当のすごみなのではあるまいか。
だからそんな、B1から昇級だと思えばうんぬん、みたいな話は、体外的に口当たりの良い、オフィシャル発言みたいなもんではないかと、どうしても感じてしまうわけだ。
私が世の「名言」のようなものを、あまり額面通り受け止めないのは、大山ほどの偉人だって、そういうもんではないか、と思うから。
いやむしろ、そこを素直に感心するよりも、
「名言とか言われてるけど、言ったオレだって、そんな風にはなかなかいかないよ」
という部分こそが、人間のおもしろさであり、本当に「感動」すべきところではないか、とも感じたわけなのだ。
万にひとつも、負けることなどありえない局面でも、「えい!」と声にしないと、手が出なかった大山の姿にこそ、私は勝負の世界のリアルを見る。
将棋の魅力は盤上のそれだけでなく、そういった人間くさい「心のブレ」にこそあるのだから。
そしてそれは「巨人」と呼ばれた男ですら、避けることはできないのだ。
「大山勝利」の報を受けたときの様子を、先崎四段が描いている。
それにしても大山−桐山戦の結果が伝えられたときの大盤解説場は凄かった。
物凄い拍手だった。野次が飛びかっていた。廊下では、壮年のオジサンが、ハンカチに目を当てていた。びっくりした。
(続く→こちら)