前回(→こちら)の続き。
1989年開幕の第47期A級順位戦で、スタートダッシュに失敗し、降級の危機にさらされた大山康晴十五世名人。
8回戦の相手は、同じく降級の目がある青野照市八段だが、この勝負は大山有利に見えて、実は青野の「勝負強さ」を見せつける将棋となった。
青野という棋士は理論派で、決して派手さがあるタイプではないが、その分というわけでもなかろうが、異様なほど地に足をつけた一面があった
それは「他力を頼まない」という思想。
将棋のリーグ戦には、もっといえば順位戦には「自力」「他力」というアヤがあり、それが数多くのドラマを呼んできた。
自分の勝ち負けだけでなく
「自分が勝っても、競争相手も勝てば昇級できない」
「自分が負けても、競争相手も負けてくれれば降級しないですむ」
といった「相手ありき」の戦いだ。
こういうとき、人のタイプが出て、そ知らぬふりをする人もいれば、露骨に気にする人もなど様々だが、青野はそういう「他力」をまったく意に介さない。
頭にあるのは、
「自分の将棋でベストを尽くす」
これのみ。
青野は昇級がかかっていようが、降級の危機だろうが、自分の結果が出れば、さっさと家に帰って寝てしまう。
これがどんなすごいことかは、わが身に照らし合わせれば理解できる。
受験の結果、就職が決まるか決まらないか、愛の告白に、大穴に張ったギャンブルの当たりはずれ。
そういう「人生が変わる」瞬間に、その「結果」を無視して布団にもぐって、おやすみなさいなんて、とてもできるはずがない。
その、いっそ鈍ともいえる豪胆さが、「理論派」の裏にあったのだ。
こういう性格は「順位戦向き」と言われ、青野の「信用」になっている。
なぜこれが「順位戦向き」かといえば、タイプ的に全く反対の石田和雄九段を見ればよく分かり、こちらのほうは、とにかく気持ちのブレがすなおに出てしまう。
自分が勝てば昇級の一番でも、競争相手が負けても上がれるとなると、どうしてもそっちに気が行ってしまう。
また、石田と言えば「ボヤき」が有名だが、不利になると、ところかわまず大声でそれをやってしまう。
それを耳にした競争相手は
「石田が困っている。ということは、自分が勝てばなにかが起こるぞ」
元気も出てくるわけで、どう考えたってこれは損なやり方だ。
こればっかりは性格だから変えられないのだろうし、こういった人間くさいところが石田を人気棋士にしたが(弟子たちが精鋭ぞろいなことから、それはよくわかる)、同時に「勝負弱い」とも見られていた。
それを裏返せば、青野の「勝負強さ」にうなずける。
青野のことをよく知る先崎学九段も、この次の最終局で田中寅彦八段と降級をかけて戦う決戦について(改行引用者)、
この一局、専門筋では青野のりが多かった。
実力に差があるというのではない。青野のほうが勝負強そうなのである。
青野には、首を洗って、人事を尽くして天命を待つ、という雰囲気がある。
A級順位戦「裏の華」といえる、命がけの落としあいとなった一戦で、青野はその通りの将棋を披露することになる。
序盤の機敏な仕掛けを食らい、角と桂馬がうわずって陣形も中途半端な大山が、すでに指しにくい。
先手は▲85の桂を助けなければならないが、▲86飛でも、▲86歩でも、△74歩や△84歩のような手で、駒損が必至どころか、下手すると角をタダで取られかねない。
大山は▲86角と引いて、△85飛に▲71飛成とすり抜けるが、そこで青野は△72歩と、冷静に竜を封印。
次に△74桂から、飛車に成りこまれる筋などがあるから、一回▲78金と辛抱するが、そこで△44角と出るのがピッタリの一着。
これが青野のねらい筋で、すでに大山がハマっている。
次に△54歩と突かれると、竜が死んでいるではないか!
仕掛けからここまで、完全に読み負けていた大山は▲73歩、△同歩、▲77角、△54歩に▲72歩(!)と、竜にヒモをつけねばる。
大山と言えば「忍の一手」がキャッチフレーズで、これぞまさに「順位戦の手」だが、これではどう見たって苦しい。
以下、飛車を好機に奪った青野が押し切った。
「順位戦向きの強さ」
をここぞとばかりに発揮して、値千金の金星を勝ち取った青野照市は、最終戦でも田中寅彦との
「負けたほうが落ちる」
という血戦(田中は他力で助かる目もあったが、結果的には負けたことによって落ちた)を制して残留を決める。
一方の大山は、またも危機におちいった。
これでもし最終戦の桐山清澄九段戦に敗れ、3勝6敗で青野か塚田泰明八段のどちらかに勝たれると(そして実際には2人とも勝った!)、降級が決定してしまうのだ。
またもや剣が峰に立たされた大山だが、どっこい、ここでもまた大名人は驚異的な精神力を発揮し、観戦者を驚嘆させるのだった。
(続く→こちら)