能登半島地震で被災した人の情報が新聞やテレビ・ラジオで伝えられと、どの様に協力できるかを考えます。良かれと思って行動したことが逆になっては困ります。被災地への配慮が大切です。
例えば、被災地の観光地はコロナ禍で客が減って、やっとの思いで戻りつつある中での震災です。客を迎え入れるにはインフラ整備が急務でしょう。
東日本大震災では、民間賃貸住宅を応急仮設住宅として借り上げ、被災者の仮住まいとして提供する取組みがかつてない規模で実施されました。地方自治体も早急に被災者への仮住まいとして提供する取組みが望まれます。
被災地は戦後、私が経験したように、現在と比べて不都合な生活ばかりが強いられそうです。一番大切なことは健康管理で、冬の寒さとの戦いではないでしょうか。
終戦当時、住居を失った私の一家は、電気器具はラジオと電灯のみ、アイロンや掃除機、クーラーなどはなく、井戸水は簡易ポンプでくみ、風呂は薪(たきぎ)を燃し、炊事は消し炭を使って行い、洗濯は板とタライが活躍していました。
住む家は補修に補修を重ね、建て直しやリホームなど考えることすらしませんでした。今で言う「さとり世代」だったと思います。仮住まいは覚悟と忍耐が求められます。
家康の遺訓、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。・・・(中略)・・・おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」ではないかと耐えて暮らしてきました・・・・・。
今までの暮らしへ戻せるのは、我慢・忍耐と努力が必要でしょう。一時も早い復興を祈ります。