きょうから新年度が始まります。年を重ねるごとに気持ちも新たにし、自らの立ち位置を考えてみました。
高齢者はやがて死にます。死の経験がないので詳しいことは分りませんが、死んだ人の話も聴いたことがないので、真相はどの様なことか知りません。したがって、身内の死を通じて自分の死はどの様なものか想像しています。
年齢を重ねると、自分の死を単純に思う様になり、思う存分酒でも飲んで、気持ちを大きくもって「ポックリ」逝きたいと思っています。
若い人たちは、長生きしている高齢者に対して、どの様に接してくるか考えてみました。超高齢社会となり、若い人が高齢者を扶養する力が弱くなって、年金支給年齢を引き上げ、支給金額を引き下げねば勘定が合わなくなったと思うのです。
しかし、儒教の流れをくむ東洋思想の敬老精神に甘え、自立自助の精神が欠如している今の高齢者は、年金制度で若い人の扶養負担が大きくなっている状況を、どのように理解しているのでしょうか。
高齢者は、健康、金、生きがいの三種の神業(かみわざ)が必要とか、寿命が延びて時間を持て余す人が増え、自分がなぜ生きているか、生きる目的は一体何だろうと考え、生きがいや、やりがいを何にどの様に求めているのでしょうか。
それらの究極は、居場所を作ることかもしれません。どうやら、ぜいたくな悩みです。ただ生きているだけでは人としての価値はなく、面白くも何ともありません。
子育て時代は、子供を育てることが生きがいでした。しかし、孫はそうはいきません。せっかく育てた子の生きがいを邪魔することになりかねません。まず、責任がありません。孫のお守りはホドホドでなければ・・・。
医療が進歩し、平和が続けば長生きの人が増えます。生きる価値を高めようでは・・・。
蒲郡市の竹島から市内を望む 2023.3.29 撮影