気候も良くなってきて、桜を眺めながら散歩。久しぶりに長崎の寺社仏閣や史跡めぐりをしています。
こちらは中川町の「中川八幡神社」。
路面電車通りにあり、「蛍茶屋」と「新中川町」の間くらいの位置でしょうか。
「諏訪神社」「松森天満宮」「伊勢宮」「水神神社」と並ぶ長崎五社の一つ。
参道には桜が植えられ、この季節には晴れやかな気持ちで階段を上がることが出来ます。
本殿。
~引用~
正保3年(1646)、幕府の命で長崎に滞在していた豊後府内(現·大分県)の城主が自国の柞原八幡宮を勧誘し、開かれました。創建当時は聖福寺域内(現·筑後町)にありましたが、寛延元年(1748)現在地に移転しました。この神社の参道は、旧長崎街道に面しており、旧市街の玄関口にあたっていました。明治14年(1881)に国道が新設されたことに伴い、大正11年(1922)石段と鳥居一基を新設し、参拝口を国道に接するに至りました。祭神は息長足姫尊·おきながたらしひめのまみこと(神功皇后)、誉田別尊·ほんだのわけのみこと(応神天皇)、武内宿禰命·たけうちすくねのみことで三神ともに武道の神です。毎年9月15日には秋の大祭として、子ども相撲大会や奉納おどりが催されており、境内には、長崎奉行が寄進した石燈籠や当時の寺社奉行が寄進した御手水が現有しています。
正保3年(1646)、幕府の命で長崎に滞在していた豊後府内(現·大分県)の城主が自国の柞原八幡宮を勧誘し、開かれました。創建当時は聖福寺域内(現·筑後町)にありましたが、寛延元年(1748)現在地に移転しました。この神社の参道は、旧長崎街道に面しており、旧市街の玄関口にあたっていました。明治14年(1881)に国道が新設されたことに伴い、大正11年(1922)石段と鳥居一基を新設し、参拝口を国道に接するに至りました。祭神は息長足姫尊·おきながたらしひめのまみこと(神功皇后)、誉田別尊·ほんだのわけのみこと(応神天皇)、武内宿禰命·たけうちすくねのみことで三神ともに武道の神です。毎年9月15日には秋の大祭として、子ども相撲大会や奉納おどりが催されており、境内には、長崎奉行が寄進した石燈籠や当時の寺社奉行が寄進した御手水が現有しています。
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この説明の看板がある二の鳥居の前の通りが旧長崎街道。新大工町商店街を出た辺りからここを通り蛍茶屋、日見を通り矢上へ。昔の人はこの細い道を通って他の地と長崎を出入りしていたわけですね。
そして、今の電車通りのような大きな道が出来て、参道を作り足したという話。
日本最古の八幡神社とも言われ、坂本龍馬や勝海舟も旅を安全を祈願したと言われるそうです。
おみくじはいろんな種類のものがありますが、猫のものが多いですね。
この神社は御朱印も有名。めっちゃ可愛いですね。こちらも猫が描かれています。神功皇后は安産の神でもあり、猫も安産には縁の深い動物なので御朱印に書くことにしたそうです。
毎月デザインが変わる御朱印はその場で書いていただけます。
そして、花手水(神社やお寺にある手水舎にたる手水鉢に色鮮やかな花を浮かべること)もここは有名。参拝客の御運が花開くようにとの願いを込めて供えられた美しい花手水を観ることが出来ます。
そして、花手水(神社やお寺にある手水舎にたる手水鉢に色鮮やかな花を浮かべること)もここは有名。参拝客の御運が花開くようにとの願いを込めて供えられた美しい花手水を観ることが出来ます。
これは先日のもの。
こちら年明けすぐのもの。
長崎の歴史と、可愛い御朱印と美しい花手水に触れられる八幡神社です。
中川八幡神社
長崎市中川2丁目9-21
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