68回目の敗戦記念日が近づいてきた。迷い込んできたトカゲが水槽の中であがいている様子でも眺めながら、珍しく朝日新聞や東京新聞に載った戦争体験に関連する記事を暇にまかせて精読する。先日の東京新聞では戦記作家で名高い伊藤桂一さんを特集した全段記事に目を奪われる。いま95歳で戦時中は中国戦線における下級士官での従軍体験に裏打ちされた反戦と平和への思いに敬服する。東京での生活を引き払って、神戸の老人ホームで暮らしている伊藤さんの容貌は下手な青年よりも眼光も鋭く、認識のフォーカスの曇りないこと。そしてまとっているエジプト綿調のシャツ等の身だしなみも風格的にまことに立派だ。
95歳の伊藤さんも朝日新聞に登場して子供達を啓蒙する100歳を超えた日野原重明医師も、最近の政治家主導の改憲論調の騙し打ち風な政治風潮には危惧感を抱いている様子である。その根拠は両氏の戦時下における計り知れない労苦と今の自民的体質を同根とした往時の権力支配層が多くの無辜の民に犬死を強いた戦争への痛恨から由来していることは歴然である。
超高齢な両氏ともおちおち隠棲などしている暇もないようで、今後も警世への気骨溢れる行動で活躍を続けていただきたいものである。戦時中は多くの翼賛記事で軍国体制に順応した朝日新聞だが、その贖罪意識に遠因しているのだろうか?時節を迎えるとちょくちょく「声 語りつぐ戦争」という特集で一般市民の経験した戦争体験記を積極的に採用している。
13日の記事にも胸を打つ体験記があった。岡山在住の72歳になるTさんという方の北朝鮮における終戦時の出来事である。Tさんは当時5歳だったらしい。父が敗戦による引き上げ事務の為、日本内地へ赴任している最中の事件を記している。母親は結核で病身、小さな二人の妹(3歳と1歳)と本人だけの食べることにも窮した敗戦に伴う植民地における飢餓状況だ。8月9日に参戦してきた駐留ソ連兵にいやがらせを受けても気丈に対応した5歳のTさんである。北朝鮮(咸興ハムフン)の道端で食べられる野草の藜(あかざ)を探して迷い込んだ現地の民家で思いもかけぬ温情に巡り合わせた。
今だったら見向きもしない藜(あかざ)の葉は食用にも供されたと「野の草の手帖」(1989年小学館刊行)には夏の項目に記されている。付近では日本の憲兵や警官が見せしめの意味で土下座したまま殺害されて顔には蛆などが湧いている光景も目の当たりにしている。食糧探しをしている敵国の子供に対して忌避したげな朝鮮人の家族を諫めてその家の老婆が数回にわたって飯を恵んでくれたらしい。二年後に父親が現地へ迎えにやってきてようやく母国の土を踏むことが叶ったようだが、このTさんにとって北朝鮮のチョゴリを纏った老婆の稀有なヒューマニズムは一生涯の宝ものになったようである。Tさんは体験記の最後をこう結んでいる。「恨みに情愛で応えてくれた咸興(ハムフン)の老人に謝す」金一族のアジア的専制支配下であえいでいる北朝鮮の民衆にもこうした優しい老婆のような血脈が流れていることを思うと、こうした記事から流れるアンチ排外主義のまなざしを大切にせねばと東アジアのキナ臭さが突出してきた昨今を顧みての思いが強まる。
95歳の伊藤さんも朝日新聞に登場して子供達を啓蒙する100歳を超えた日野原重明医師も、最近の政治家主導の改憲論調の騙し打ち風な政治風潮には危惧感を抱いている様子である。その根拠は両氏の戦時下における計り知れない労苦と今の自民的体質を同根とした往時の権力支配層が多くの無辜の民に犬死を強いた戦争への痛恨から由来していることは歴然である。
超高齢な両氏ともおちおち隠棲などしている暇もないようで、今後も警世への気骨溢れる行動で活躍を続けていただきたいものである。戦時中は多くの翼賛記事で軍国体制に順応した朝日新聞だが、その贖罪意識に遠因しているのだろうか?時節を迎えるとちょくちょく「声 語りつぐ戦争」という特集で一般市民の経験した戦争体験記を積極的に採用している。
13日の記事にも胸を打つ体験記があった。岡山在住の72歳になるTさんという方の北朝鮮における終戦時の出来事である。Tさんは当時5歳だったらしい。父が敗戦による引き上げ事務の為、日本内地へ赴任している最中の事件を記している。母親は結核で病身、小さな二人の妹(3歳と1歳)と本人だけの食べることにも窮した敗戦に伴う植民地における飢餓状況だ。8月9日に参戦してきた駐留ソ連兵にいやがらせを受けても気丈に対応した5歳のTさんである。北朝鮮(咸興ハムフン)の道端で食べられる野草の藜(あかざ)を探して迷い込んだ現地の民家で思いもかけぬ温情に巡り合わせた。
今だったら見向きもしない藜(あかざ)の葉は食用にも供されたと「野の草の手帖」(1989年小学館刊行)には夏の項目に記されている。付近では日本の憲兵や警官が見せしめの意味で土下座したまま殺害されて顔には蛆などが湧いている光景も目の当たりにしている。食糧探しをしている敵国の子供に対して忌避したげな朝鮮人の家族を諫めてその家の老婆が数回にわたって飯を恵んでくれたらしい。二年後に父親が現地へ迎えにやってきてようやく母国の土を踏むことが叶ったようだが、このTさんにとって北朝鮮のチョゴリを纏った老婆の稀有なヒューマニズムは一生涯の宝ものになったようである。Tさんは体験記の最後をこう結んでいる。「恨みに情愛で応えてくれた咸興(ハムフン)の老人に謝す」金一族のアジア的専制支配下であえいでいる北朝鮮の民衆にもこうした優しい老婆のような血脈が流れていることを思うと、こうした記事から流れるアンチ排外主義のまなざしを大切にせねばと東アジアのキナ臭さが突出してきた昨今を顧みての思いが強まる。