なかなか去らない猛暑を嘆きながら、中村川沿い吉浜町の緑地公園で真っ赤な木槿や房なりの百日紅の一向に衰えぬ夏花を眺めていたのが三日前。9月の声を聞いて二日目、ようやく秋雨前線の影響で照り返しが弱まったせいか、今日の寒暖計はお昼になっても22・5℃で上がる気配がない。
中区にある福祉施設、ギッフェリが販売している一個90円のイタリアパンのカパナという簡素な白パンと豊水梨、ホットコーヒーという組み合わせにも違和感が湧かない、永く続いたこの夏の休日素麺の季節も終わりかなと感じる一瞬だ。
店開け前の自転車散歩は恒例の本牧埠頭へ向かう千代崎川の暗渠裏通りを辿る。小港付近の海側の倉庫街に面した河口の無聊な景色が好きだ。
飛び交っている磯鵯、潜り名手な単独行の川鵜、繰り返し水面を飛び跳ねる鰡(ボラ)の煌めきのフォームを飽きずに眺めている。そんな光景を見ていると大昔に読んだことのある昭和初期のモダニズム詩人の流派、「ノイエザッハリヒカイト(新即物主義)」に属していた村野四郎の「体操詩集」などを思い出すから記憶というものは不思議である。そこで思いついた河口に佇んでのノイエザッハリヒカイト風心象一句。
「 汽水には 鰡の跳躍 鰯雲 」
本牧小港付近には漁業の盛運に因んだ昔の信仰の旧跡がある。「本牧十二天」もそんな一つだが付近は人っ気がしないトラックが横づけする無味な倉庫街が続いている。肝心の十二天は非公開の敷地になっているらしい。比叡の東山麓にある日枝大社の杜みたいに人々を静謐に癒すような公開緑地にでもしたらさぞかし良いだろうと思いながら自転車を漕いでいたら既に早目な秋を見つけた。街路樹の銀杏が舗道に実を落とし始めている。つい数日前に出会った座間の「野葡萄」の色付き変化も然りである。
中区にある福祉施設、ギッフェリが販売している一個90円のイタリアパンのカパナという簡素な白パンと豊水梨、ホットコーヒーという組み合わせにも違和感が湧かない、永く続いたこの夏の休日素麺の季節も終わりかなと感じる一瞬だ。
店開け前の自転車散歩は恒例の本牧埠頭へ向かう千代崎川の暗渠裏通りを辿る。小港付近の海側の倉庫街に面した河口の無聊な景色が好きだ。
飛び交っている磯鵯、潜り名手な単独行の川鵜、繰り返し水面を飛び跳ねる鰡(ボラ)の煌めきのフォームを飽きずに眺めている。そんな光景を見ていると大昔に読んだことのある昭和初期のモダニズム詩人の流派、「ノイエザッハリヒカイト(新即物主義)」に属していた村野四郎の「体操詩集」などを思い出すから記憶というものは不思議である。そこで思いついた河口に佇んでのノイエザッハリヒカイト風心象一句。
「 汽水には 鰡の跳躍 鰯雲 」
本牧小港付近には漁業の盛運に因んだ昔の信仰の旧跡がある。「本牧十二天」もそんな一つだが付近は人っ気がしないトラックが横づけする無味な倉庫街が続いている。肝心の十二天は非公開の敷地になっているらしい。比叡の東山麓にある日枝大社の杜みたいに人々を静謐に癒すような公開緑地にでもしたらさぞかし良いだろうと思いながら自転車を漕いでいたら既に早目な秋を見つけた。街路樹の銀杏が舗道に実を落とし始めている。つい数日前に出会った座間の「野葡萄」の色付き変化も然りである。
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