店の付近には竹の丸、鷺山という町名の区画がある。横浜特有の坂を上り下りする丘陵地に住宅が密集している地域だ。その辺りに住んでいる同年輩に見える方がひょっこり現れた。ラヂオ亭が山元町から麦田へ移転した5年前頃、毎日のように寄られた方だが、久しく顔を見なかった。独居と聞いていたので病気でもして身動きが取れないのか?と時々思い出す人だが、以前受けていた病み上がり感は消えていて安心する。コーヒーを美味そうに啜るとせいぜい20分くらいで帰ってしまう。しかし時折交わす雑談は床屋政談やメディア受け売り風時局話にならない程度に面白い。昨日もカフェは定休日なのにドアを半開きにして夕方の読書タイムをしている時だった。そこへ先週に引き続いて寄って頂いた。
昨日のチョッピリ雑談はコロナウイルスの世界的流行の原因説について。彼の珍見解では中国道教の呪術が齎した収拾がつかない事態ということである。これがコロナ流行の初期に流された武漢研究所漏洩説に結びつく話なのか?確かめることはできなかった。彼によれば日本の古代史に登場する卑弥呼、須佐之男命のような人物もこの中国道教とは無縁ではないらしい。記紀神話に登場する人物の係累図は生齧りの自分などでは到底理解できない。しかし彼の中では神道と仏教を含めた相関図は透明に仕上がっている様子である。後年の天台、真言について語る口調、各地の社寺についてのフィールドワークで鍛えられた独自の神仏論を溜めている様子は端々に散見されている。
昨年に、私が嵯峨野を散策ついでに「松尾大社」に寄ったことに触れたら、彼は「あなたから以前に感じたクロい異物感が消えている」と松尾を祀っている神へのポジティブな評価をチラッと伺わせていた。彼流の魔術、魔界神仏と善良神仏を隔てる仕分け基準がどのように成されているのか、もう少し知ってみたい気分になっている
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