Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

夏の日

2013-08-12 17:54:46 | その他
五年間を過ごした日向薬師の夏で、もっとも爽快だった夏の風物情景がいくつかある。段々の田んぼの際を走る水路に野生化したニジマスの魚影が走るのを目撃したとき。日向川を覆う針葉樹林の繁みに営巣する「青鷺」のつがいが舞飛ぶ様子。そして底抜けの夏空を何度も往復する肥えた「オニヤンマ」の飛翔である。カメラ好きな売店のご隠居さんの鋭敏な観察によれば、「オニヤンマ」の繁殖は日向薬師の霊山寺境内にある池が繁殖元になっているらしい。ここで育ったヤゴがあの大きな雄姿に変身するとそのご隠居さんから聞いたことがある。この「オニヤンマ」はバス停の広場とか、道路のような人間臭い場所が好きなようだ。一度現れると何度も行ったり来たり付近を旋回して大抵単独行である。引っ越しをした為に今年はもう見ることができないと思っていたら、今度は夏季休業に入った工場の一角で「オニヤンマ」と再会する。羽を休めている至近の場所へ忍びの術みたいに息を殺して近づいて撮影に成功する。


工場というまさかの場所にハヤブサ類の「チョウゲンボウ」が出没したり「アライ熊」まで目撃することがあるのだから、「オニヤンマ」が現れても不思議はない。工場に近接する川沿いの炎天を歩いて白や紅の夾竹桃の夏花を愛でていたら、またもや夏の印というより、しのびよる秋の徴にもであう。山クワの大木にツルを絡ませていたアケビだ。春のただなかにモウブ色の三弁の花を可憐に咲かせていた「アケビ」がすでに大きな実を垂らしているではないか。未だグリーンの保護色をまとっているが、秋めいた時期の色彩の変化はこれまた小さくて大きな楽しみが待っている。



工場のフェンスは朝顔が咲き誇っている。遅く植えてしまった我が家の庭ではまだ朝顔の出番が巡ってこない。ようやく蕾が顔をのぞかせて来た。朝顔の水遣りの為に用意してある昭和46年製の手桶はこの前に古道具店で買ったばかりである。手持無沙汰のこの木桶もあと10日もしたら活躍の日々がやってきそうだ。

雑談から口論へ

2013-08-06 20:36:56 | その他
元町・中華街駅で下車して休日の昼食を中華街でとることになった。鳳林飯店の安いランチメニューから「モヤシ炒め焼きそば、杏仁豆腐付」700円を選んで正解だった。もやしを多めに他の野菜は少しという構成がいい。餡かけに酢をまぶして硬い蒸し麺をほぐして食べるのだが、火加減が効いていてモヤシのしゃきっとした歯応えに新鮮な持続性がある。ひところのデフレピーク時よりも各店のランチ呼び込み値段は少し高くなったみたいで、700円から900円というのが横浜・中華街の激戦ゾーンになっている。派手な目くらましパウチ仕上げしたメニューをベタ貼りしている店よりも、「鳳林飯店」みたいな間口の狭い店の写真抜き手書きメニューの方が体験的に味はアタリのことが多い。香りのよい杏仁豆腐ともども正統広東料理の気軽な片鱗を味わってから、徒歩で加賀町警察の脇を抜けて横浜公園、関内へと食後の1キロ程度の散策をする。


しばらくぶりのヨットカフェでは客がいない隙間で店主のNさんと雑談を交わす。参院選の結果に関する床屋政談程度まではよかったが、Nさん恒例になるお客批判の過剰呪詛独演会に珍しく虫酸が走って口論となる。口論の発端は話の途中にあった。日本固有のモラリズムを礼賛するNさんへの部分的共鳴を補足するために、ラフカディオ・ハーンの「心 日本の内面生活の暗示と影響」を読むように勧めてみた。ところがNさんは独演会に酔っていて、そんな西洋経由の日本論などにオーソライズされている貴方が馬鹿で未熟といった決めつけを始めた。それもきちんと読んだうえでの断定ではない。

日ごろ、ラフカディオ・ハーンの「門つけ」「旅日記」などに最良質の日本論を見出している自分としては聞き捨てならない言葉である。ワイドショー的TV知識で日本を慨嘆するお前みたいなのを広告業界崩れの俗物というのだ!といつもNさんから感じられる庶民イデオロギーに辟易としていた自分としては即座の反撃に転じてしまった。60代のいい年をした親父が口角泡を飛ばす構図というのは格好よくないものだが、Nさんの男気モラリズム、半端な知識、自分以外はみんな汚れた晩節を送っているという客批判の構図を苦々しく感じて一度懲らしめてやろうと思っていたので、口論の後はややスッキリとした気分になったようだ。

琵琶湖付近の旅

2013-08-02 08:34:46 | 旅行
一泊二日という駆け足みたいな旅行に出かけた。天気予報どおり新幹線が米原へ近づくにしたがって雨脚が強まってきた。いつもなら遠望できるあの清々しい伊吹山麓はボーっと霞んでしまっている。京都駅の八条口で新型トヨタビッツを借りる。銀閣寺のある北白川付近から山中越の旧道を経由して比叡山へ向かう。比叡山は大雨のせいでまさしく五里霧中という在り様だ。気の早いラグジュアリーカーで先を急ぐ背後のクルマを一瞬だけ路肩でやりすごして、そのクルマの尾灯を頼りに追従する狡猾安全走法を選ぶ。霧深き、北軽井沢、箱根峠など夏の山越えに霧はつきものだが、奥比叡の横川(よかわ)近辺は視界悪化であきらめることにした。比叡山は夏休みに入っているのに、この悪天のせいで人影はまばらだ。

メインの根本中堂とその周りの厳かな原生林が吐き出すアルファ波をたっぷりと吸い込む。それにしても比叡の法難を乗り越えて今日の礎石を築いたお偉い諸僧を讃えた参詣路の絵看板はいただけない。絵画の中の力みが北朝鮮や旧ソ連のスターリン主義的なプロガバンダアートと同じ効用性重視に直結する拙劣を感じてならない。この絵をみれば比叡が天台宗の本山だけでなく諸派宗教の母山だということが分かるが、もっと東山魁夷風の山容図でもガラスに嵌めて芸術の為の芸術然としていれば山を汚さないのにと思う。

奥比叡を諦めた時間を山裾の湖畔にある坂本の町で過ごす。比叡の守り神が全国から参集したという噂の日吉大社も訪問する。周りに散在する比叡の里坊(隠居僧の住まい)も眺める。穴太衆(あのうしゅう)という伝統石積み集団の立派な仕事は、この付近の河畔、寺社の石垣、至るところでその素晴らしさにめぐり会える。

比叡の山裾に位置する日吉大社の杜は日本の健やかな夏が健在だった。蝉時雨の圧倒音量の凄いこと。幾つかの拝殿や斎宮を蝉時雨に打たれて巡回していると古代人にタイムスリップしたようだ。


浜大津の宿泊が明けた二日目は米原付近から長浜、湖北を訪ねることにした。旧中山道の醒ヶ井宿、丹生川上流にある滋賀県醒ヶ井養鱒場、長浜市街、高月町、渡岸寺(どうがんじ)宝物の十一面観音像、大日如来などの見物がお目当てだ。晴れ渡って夏日が戻った京都への帰路は木之元付近から湖西バイパスというルートを選んで琵琶湖の沿岸景色が堪能できた。蝉の声を聞いたり、野鳥が遊ぶ小景は都会に隣接する自宅周辺でも慣れ親しむことができるが、醒ヶ井の地蔵川周辺の人里には我々が遺失してきた夏が大きく転がっていて、懐かしい昭和30年代風情緒にも浸ることができた。




味覚の方ではかねてからの琵琶湖特産「二ゴロ鮒」による鮒ずしの冷やし茶漬けと長浜の某料理店にて対面、「名物に美味いものなし」との感想を思い出すことになる。自分で作った渋めの煎茶に紅鮭でもほぐした茶漬けに高菜の刻んだものでも乗せて食べる方が優っていると思った。なにか上品という方向の捉えどころを失った味という印象である。