楠ヶ丘25P仲間の広場

みんなで楽しく参加ブログ

秋到来

2006年09月01日 | 近況
八月も終わり雨上がりの神戸です。
今夏の暑さは相当でしたが皆さんお変わりありませんか
ずーっとご無沙汰の齊賀です。便りの無いのは良い便りと言いますが、、、。
年明けは二人の息子の大学受験で始まりました。
結果は一人前期合格一人浪人となり、合格した子に祝杯をあげられず少し辛い春となりました。
5月はじめ兄は家から通いきれないので一人住まいを始めました。
私たちの親四人のうち三人が施設でお世話になっていると以前申し上げたと思いますが いつ誰に何が起こるかわからないからと無理やり夫婦25周年記念と旅に出ました。
織田さんのベルギーも考えましたが結局パック旅行に参加して,織田さんに会えなかったのは残念なことでしたが。
帰国後私の父が入院しました。二週間で退院と聞いていたのに三週間目で亡くなってしまいました。
元気な父でしたが母が調子悪く二人で自宅生活は無理とケアーマネに太鼓判を押され泣く泣く老健に入所したわけです。
病気はある父でしたが見守りさえあれば一人で過ごせる父を入所させあっという間にあの世に送った私は本当にすまなく辛く思っております。
同じく調子の悪い母をお通夜に連れ帰ったもののどうしようもなく無理だったので施設に送り届け急な喪主となりました。
一人っ子の上お葬式の経験もほとんど無く宗教土地柄と何も親任せだったもので年は取ってても何も分からないどうしようもないことを痛感させられました。
こんな風に年を取っていくのでしょうね
父の死後一週間目に母も入院して現在に至っております。
父の二の舞は踏むまいと一週間に二泊くらいで広島に通っています。
これからは皆さんも何か起こる年代となりつつあると思います。
どうぞお体には気をつけられて。夏の疲れもしっかりおとりください。
かく言う私は全然やせません。恐るべし中年。
           ではまた


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
色々大変でしたね (織田桂子)
2006-09-02 00:10:41
2月に神戸でお会いしてからご無沙汰していましたが、本当に色々大変でしたね。



お父様のこと、心よりご冥福をお祈り申し上げます。4人のお子様を育て、4人のご両親のお世話をされ、広島にも良く帰っておられた貴女は本当に立派です。お父様もそんなお嬢さんを誇りに思われていたでしょうし、きっととても感謝されていたと思いますよ。



25周年記念にご夫婦で旅をされた由、こちら方面だったのでしょうか?お会いできなかったのは残念でしたが、きっと素敵な時間を過ごされたことでしょう。チャンスという神様には前髪しかないそうですので、思い切って旅に出られて良かったですね。



今はお母様がご入院中とか・・・どうぞお大事に。そして、齊賀さんもどうぞお元気でね。
返信する
ご尊父様のご冥福を祈ります。 (世戸)
2006-09-02 00:59:19
斎賀さん、ご無沙汰です。



神戸での同窓会で、ご子息の教育に随分熱心に話をされておられたのを記憶しております。



阪神大震災で神戸の実家が全壊、癌で加療中の母も地震のために十分な治療が受けられないためにこちらに転院したもののその4ヵ月後には他界。その後一人残った父と数年間同居した日々が思い出されます。



少し時間がかかるでしょうが、斎賀さんの親孝行で、お母様はきっとお元気になられるでしょう。

返信する
ご無沙汰しています。 (今枝)
2006-09-04 12:18:34
お父様のこと、ご冥福をお祈りいたします。

いつもご両親、子供さん達を大事にされ、よくがんばってこられたんですね。

きっとそのお気持ち、天国のお父様に届いていますよ。

私達の親達の世代に迫ってくる死は避けようもありませんね。

私も昨日実家から帰ってきましたが、会っているときは楽しく、帰ってくると気分が落ち込みます。

義父もいよいよ老衰で、今日もヘルパーさんや私が励まし、リハビリへ行ってもらいました。夜中にブザーで起こされたり、(ベッドから落ちていたり、トイレで動けなくなっていたり)歩けない体を支えたり、洋服を着せたりしていたら、寝不足やらですっかり参ってしまいました。

みんなと相談したら、やはり一人ではお世話はできないということになり、やっと週2回のデイサービスに行ってくれるように本人に納得してもらいました。私のフラワーアレンジの教室通いを止めることが条件です。(意地悪!)今日はこれから施設めぐりです。
返信する
その時が近づいて (服部)
2006-09-06 16:08:43
斎賀さん、大変でしたね。

お父様のご冥福をお祈りします。



私の方も 義父〔87歳)が7月ごろから体調が悪くなり 7月には入院してしまいました。医者の意見はかなり悲観的でしたので ベルギー旅行も断念しかけたのです。義父は基礎体力のある人で その後薬の副作用もなく医者も驚く回復ぶりで退院しました。夫は一人っ子なので 家にもどれば 義母との二人暮しで 彼女が大変なわけですが 気丈な義母〔81歳)は「ぜひ行ってらっしゃい」と快く私たちを送り出してくれました。夫は一人っ子なので留守を頼む兄弟もありません。なにかあった時に義母が連絡を取りやすいようにと 海外で使える携帯電話をレンタルしてでかけました。さいわい一度も緊急連絡はなく 旅行中携帯はもっぱら家族や友達とのメールに使用して楽しみました。留守中ずっと元気でいてくれた義父ですが 病気は根本的な治療はもうできないものなのです。夫の両親がずっと元気で二人で暮らしてくれたおかげで 私ものんびり好きなことをしてこられましたが いよいよ「その時」が近づいてきたことを感じています。
返信する

コメントを投稿