服部和@「心は永遠の少女」です。
さてみなさん、6月20日に「赤毛のアン」の切手が発行されました。アンも切手も好きな私ですが義父の切手コレクションの処理に困ったこともあり、またこの切手の図案がアニメーションのアンから採られたものであることが気に入らなくて買わないつもりでした。でもこの日出先で あのアンの切手を貼って "kindred spirits" に手紙を出すというアイディアが頭から去らず、とうとう帰り道で郵便局に寄り、この切手を買ってきてしまいました。この"kindred spirits"というのはアンの言葉で「魂が響きあうような腹心の友」という意味です。
アンのシリーズの著者はカナダのプリンス・エドワード島に住んでいたルーシー・M・モンゴメリーです。彼女が書いた"Anne of Green Gables"の初版本は1908年に発行されました。今年はその100周年にあたるので 日本とカナダで同時に記念切手が発行されたわけです。この切手シートの左上の2枚はカナダで発行された切手の図案をそのまま日本の切手にしたものです。
カナダの切手の図案の方がずっといいですね。日本でもこの図案で切手を出してほしかったですね。でも今では本で読むより アニメでアンのファンになっている人の方が多いのかもしれません。
この本を訳して「赤毛のアン」として日本に紹介したのは村岡花子さん。東洋英和女学院に学びカナダ人宣教師と交流のあった彼女は1939年戦争のため帰国せざるを得なくなったカナダ人の友人からこの本をプレゼントされました。この本に感銘を受けた村岡さんは戦争中に敵性語の英語の本を訳すというリスクを冒し、空襲の時も防空壕にこの本と訳を持って避難したそうです。終戦の頃には訳し終えたものの、やっと出版することができたのは1952年のことでした。私が小学生のころに初めて読んだのも彼女の訳です。それ以来繰り返し繰り返し読んだので彼女の訳が頭にしみこんでしまい、のちに英語で読むようになった時もその訳文が自然に浮かんでくるのでした。
最近ではこの村岡訳について 誤訳や省略があるとか、出典をよく調べてないとかの批判があり 「完訳」と銘打って様々な本や研究書が出ています。時代の背景もあり、また村岡さんが1950年代の日本人の少女が理解できるようにと多少脚色された(意訳した)ところもあると思います。でも私はそれがほほえましくも思え、これはこれでいいのではないかと思っています。村岡さんの熱意がなければこの本がこんなに日本で読まれることはなかったでしょう。
このアンのシリーズは10冊あり、私の人生の中では何度も「もう今更アンでもあるまい」と思って引っ越しの時に処分したり差し上げたりしていますが 結局また読みたくなって買いなおすのが最初の2冊。
考えてみるともう40年以上の愛読書ということになりますね。自分が子供の時、成長していくアンと同じ年齢で読んだ時、親になってから読んだ時、、とそれぞれ感じること興味を持つ点も違ってきています。振り返れば様々な影響を受けたことを思わずにはいられません。今回はまた引っ越しなので本の整理をしています。今回も村岡花子訳の「赤毛のアン」は持って行くことでしょう。
今年は「赤毛のアン」出版100周年ということで日本でもあちこちで様々な展示やイヴェントが企画されています。近々私も名古屋の高島屋で開かれる「赤毛のアン」展に出かける予定。モンゴメリーの書いた原稿やグリーンゲイブルズの「薔薇の小枝模様のお客様用のティーセット」が見られるというので楽しみにしています。口の悪い妹は「少女趣味のおばさんばっかりが来るんでしょ!」と揶揄していますが、、そのとおりかもしれませんが、、、いいんです!年はとっても心は干からびずに「永遠の少女」で心は若くflexible でいたいですね。
さてみなさん、6月20日に「赤毛のアン」の切手が発行されました。アンも切手も好きな私ですが義父の切手コレクションの処理に困ったこともあり、またこの切手の図案がアニメーションのアンから採られたものであることが気に入らなくて買わないつもりでした。でもこの日出先で あのアンの切手を貼って "kindred spirits" に手紙を出すというアイディアが頭から去らず、とうとう帰り道で郵便局に寄り、この切手を買ってきてしまいました。この"kindred spirits"というのはアンの言葉で「魂が響きあうような腹心の友」という意味です。
アンのシリーズの著者はカナダのプリンス・エドワード島に住んでいたルーシー・M・モンゴメリーです。彼女が書いた"Anne of Green Gables"の初版本は1908年に発行されました。今年はその100周年にあたるので 日本とカナダで同時に記念切手が発行されたわけです。この切手シートの左上の2枚はカナダで発行された切手の図案をそのまま日本の切手にしたものです。
カナダの切手の図案の方がずっといいですね。日本でもこの図案で切手を出してほしかったですね。でも今では本で読むより アニメでアンのファンになっている人の方が多いのかもしれません。
この本を訳して「赤毛のアン」として日本に紹介したのは村岡花子さん。東洋英和女学院に学びカナダ人宣教師と交流のあった彼女は1939年戦争のため帰国せざるを得なくなったカナダ人の友人からこの本をプレゼントされました。この本に感銘を受けた村岡さんは戦争中に敵性語の英語の本を訳すというリスクを冒し、空襲の時も防空壕にこの本と訳を持って避難したそうです。終戦の頃には訳し終えたものの、やっと出版することができたのは1952年のことでした。私が小学生のころに初めて読んだのも彼女の訳です。それ以来繰り返し繰り返し読んだので彼女の訳が頭にしみこんでしまい、のちに英語で読むようになった時もその訳文が自然に浮かんでくるのでした。
最近ではこの村岡訳について 誤訳や省略があるとか、出典をよく調べてないとかの批判があり 「完訳」と銘打って様々な本や研究書が出ています。時代の背景もあり、また村岡さんが1950年代の日本人の少女が理解できるようにと多少脚色された(意訳した)ところもあると思います。でも私はそれがほほえましくも思え、これはこれでいいのではないかと思っています。村岡さんの熱意がなければこの本がこんなに日本で読まれることはなかったでしょう。
このアンのシリーズは10冊あり、私の人生の中では何度も「もう今更アンでもあるまい」と思って引っ越しの時に処分したり差し上げたりしていますが 結局また読みたくなって買いなおすのが最初の2冊。
考えてみるともう40年以上の愛読書ということになりますね。自分が子供の時、成長していくアンと同じ年齢で読んだ時、親になってから読んだ時、、とそれぞれ感じること興味を持つ点も違ってきています。振り返れば様々な影響を受けたことを思わずにはいられません。今回はまた引っ越しなので本の整理をしています。今回も村岡花子訳の「赤毛のアン」は持って行くことでしょう。
今年は「赤毛のアン」出版100周年ということで日本でもあちこちで様々な展示やイヴェントが企画されています。近々私も名古屋の高島屋で開かれる「赤毛のアン」展に出かける予定。モンゴメリーの書いた原稿やグリーンゲイブルズの「薔薇の小枝模様のお客様用のティーセット」が見られるというので楽しみにしています。口の悪い妹は「少女趣味のおばさんばっかりが来るんでしょ!」と揶揄していますが、、そのとおりかもしれませんが、、、いいんです!年はとっても心は干からびずに「永遠の少女」で心は若くflexible でいたいですね。
10巻あったのですか・・・ストーリーも忘れてしまいました。
大人になってからとか、英語でとか読まれるなんてすごいですね。
高島屋はいつからですか?
このあいだは「向田邦子」を見てきました。
カナダといえば、最近娘の友達が結婚されて行ったり、近所の高校生が修学旅行で行かれたりと話題が多いですね。
我が家も今年は国際交流協会のボランティアでホームステイグループに登録して、活動開始です。
来週末から3泊4日でカナダのレスリング・選抜高校生がやってきます。120キロ級のリーダーと50キロ級の一番小さい人の二人ですが、今受け入れ準備中です。カナダは移民の国なので、インド系の人もいるとか、ワクワクします。8月はモンゴルやウズベキスタンの人の募集もしているので、また申し込もうかな。
お客様への請求書の送付に使います。(もったいなぁぁ)
昨日は三田で郷の音ホールの1周年記念事業というのが開催されて、尺八の先生方と一幕 出演しました。七夕フェスティバルと銘うってあるので’星の舞曲’というのを弾きました。服部さんのお義母様もご存知かしら? きらきら星や’笹のはさらさら’とか の星にまつわるメロディのオンパレードです。浴衣を着て出ましたが、暑い!暑い!
高島屋の「赤毛のアン展」は17日から28日までです。お嬢様とごいっしょにどうぞ。できればその前にもう一度「赤毛のアン」だけでも読んでいらしては?きっといろいろ思い出しますよ。
英語はとてもシンプルで素敵な文です。今はネット上で読めますので一度このサイトをのぞいてみてください。
http://www.gutenberg.org/files/45/45.txt
「お話に出てくる素敵な言葉は原文ではどう書いてあるのだろう?」という興味から英語版を読むようになりました。
カナダ人でもアンのことを知らない人はけっこういるようですね。昔の英語の先生がカナダ人でしたがアルバータ州の人で「日本に来てカナダから来たというと 何とかのアンていう人のことを聞かれるんだけど誰のこと?」って質問されました。今度ホームステイするカナダの人にきいてみてくださいね。日本では間違いなく一番有名なカナダ人だと思うけど。
コメントありがとうございます!
お客様への請求書だけでなく そんな素敵な切手を貼って私にもお便りくださいな。
これは、と思う切手を買うと手紙が書きたくなる私。アンの切手のおかげで何通も手紙を出しました。この頃はすっかりメール魔になってしまって 手紙は書くのがめんどうです。でももらうとまたこれがメールとは違ううれしさなのよね!
義母は娘時代にお琴を習っていて長いブランクの後 70歳代になって再開、その時は習いたい曲だけ習う、おさらい会には出ない、という二つの条件をつけて先生を探したといっておりました。ところが先生が次第に新しい曲を選んで教えるようになってしまったらしくて 自分の習いたい昔の曲が弾けないと不満を漏らしています。現代曲とは和音が違うんですってね。出ないはずのおさらい会は出てみたら楽しいのか、先生についている以上出ないというわけにもいかないのか 毎年出演しています。いくつになっても何か目標を持って精進するということは人生の励みになると思うし、きりりしゃんと着物を着て舞台に出る緊張感と達成感を味わうのもいいことですよね。夫は「どうせ学芸会だろっ!」なんてデリカシーのないことを言いますが 私は毎年応援に行っています。
娘はバーゲンあさりに夢中で、私一人で見てきました。
記憶が少しよみがえりました。
英語はむずかしそうですが、また日本語の本を読んでみたいですね。
カナダの男の子達に聞いてみましたが、「??」って感じでした。
絵葉書を買って帰りましたが、あのターシャ・チューダーの住んでる風景によく似ていますね。近いからでしょうね。ターシャも6月に92歳で亡くなられたとか・・・
6月22日に外大東海支部同窓会で講演をさせていただきましたが、幹事さん達の薦めで今度の楠ヶ丘誌に投稿します。楠ヶ丘サロンですので、原稿用紙5枚に書き直して。事務局の山下さんという先輩の方と何度か電話で打ち合わせがありましたが、山下さんは70歳位で、昔5年位カナダのトロントへ赴任されていて、奥様や娘さん達とプリンス・エドワード島へ行かれたそうです。観光地なんですね。
カナダの高校生達はバンクーバーからで、インド人とフィリピン人でした。山下さんの話によると、バンクーバーやトロントは人種のるつぼで、主に中国(?)・香港・インド人が多いとか。レスリング協会主催の歓迎会に招待されましたが、司会は香港出身のカナダ人の国際交流員でした。