映画ファンの友人より、ミッションを課せられる。
以前、星野博美さんの『みんな彗星を見ていた』をすすめた人だ。
「遠藤周作の『沈黙』、映画化!」
「監督は、マーティン・スコセッシ!」
観に行く前にまず、某BSで放送される対談を観よ。
英雄たちの選択「悲劇のキリシタン弾圧~大人になった天正遣欧使節団
星野さんも出ているから。
(それをみて、時代背景を思い出してから映画観ろ、とのことですわね)
律儀にこなす自分もどうしたもんだかとは思うけれども…
先日のケルティック能の際
「キリスト教は少々征服感が…」
なんていう話をしちゃって、
でもそれほど詳しくはキリスト教のことも知らないし、
不用意なこといったかも…という気持ちもあって
長崎のキリシタンへの弾圧の話だから、きっと重いぞ…と思いながら
いや、これは日本人の歴史でもあるから、やっぱりみておこうか…と思い、
観に行くんだったら、情報は仕入れてから、がいいわね。
監督:マーティン・スコセッシ
出演:アンドリュー・ガーフィールド
アダム・ドライヴァー
浅野忠信
窪塚洋介
2016年
踏み絵をしろ、と言うその言葉が、なんとも言えない。
「ちょっとだけでいい、形だけでいい」
お前たちが大切にしているのはわかる、だからちょっとでいい、そしたら見逃す、とささやきながら
とてつもなく大切なものを捨てよ、それくらい大したことないだろう、
(そしてそれは、そんなに大切でもないんじゃないか?
すくなくとも私にとってはどうでもいいことだ…)
と言葉巧みに誘っている気がする。
キリスト教の根付かない日本は「泥沼」だ、という言葉。
それ以上に、ひどく残忍なことをしていたのだ、ということにも気づく。
キチジローは汚い、というようなことをスコセッシ監督が語っているのを聞いた気がするけど
私は、キチジローの心境は理解はできる気がした。
自分がああいう態度をとるか、というと、それは、そうでないといいなと思うけれども。
「生きる」「生き延びる」を最大の目的、またはそこまで考えてなくても
「生き抜こう」と思ったら、ああいう道を選ぶ人がいても、非難はできない気がする。
その道を選んだことで、きっとキチジローの人生も相当きついものになっただろう。
「お前はよそのもんだから、代わりに行ってくれないか」
と頼んだ村人たちの、その気持ちもわかる。
でもそれが=「死んでくれ」となる「行ってくれ」の理由になるだろうか。
…ならないよね。
すごーーく重くて、深ーーく考える映画でした。
そのあと読んだのが『世界がもし100人の村だったら』。
現代日本に生まれて、住んでいるだけで、
健康、安全、裕福さの上位1ケタに入っちゃうんじゃなかろうか。
これもまた、考えさせられる。
すすめてくれた友人が
「アンドリュー・ガーフィールドとアダム・ドライヴァーにいつか会ったら
『あ、パードレ!』とひざまづいてしまいそう」と言っていた。
(笑)
ちょっとわかるけど
カイロ・レンにひざまずくのは…
アンドリューは主演男優賞とれなくて残念でしたね。(ハクソー・リッジ)
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