少年朴竜11歳、小太り坊ちゃん刈りの小学校5年生。
新し担任は「溝口先生(仮称)」は49歳の厳ついおばさん先生でした。
自分の母よりずっと年上、現在の朴竜とさ程違いのない年齢です。
独身、満州からの引揚者で自ら「満州ゴジラ」と名乗る、筋金入りの共産党員でした。小学生の教え子を前に宣言するくらいの勢いで、今なら教育委員会やPTAから吊るし上げ、連日、古館さんがネタに困らないくらいのことの連発。
資本主義は悪。故に室蘭市に多大な税金を納めていて、それがなければ市政が破綻するにも関わらず、新日鉄室蘭工場の支店長をはじめ取締役クラスは搾取の代表とみなし、その子女も同類と括り糾弾的な態度を露わにする一方で、工場で勤める所謂「工員さん」は勤勉な労働者として同朋と括り、その子女はこれからの日本を背負って立つ金の卵と考えているように感じました。
要は教育者でありながら、自らの教義により子供と関係のない背景によって「依怙贔屓」をしているように思えました。
いや。実はそうじゃなかったのかもしれませんが、小学校5年生ではどうにもそのようにしか考えられなかったのです。
では私は依怙贔屓されたのか?
答えは「ニュートラル」。
何故なら朴竜父は工員でもなければ資本家でもなく貨物船の船乗りであったため、溝口先生は線引きできなかったのです。
溝口先生はバリバリの共産党員です。
「共産党=善」VS「自民党=悪」と分かりやすい構図を当時小学生の我々に教え込むのでした。とはいえ、田舎の子供でもそりゃないっしょと簡単に見抜けるほどヒステリックだったんです。
そして市議会や道議会の選挙のたびに、「お父さんお母さんに共産党に投票してもらって!」と教え子に頼むわ、はたまた可愛がっている児童の親に直接電話して、日本は大変な事態に陥り潰れてしまうとか、
ソ連が攻めてくると幼気な朴竜達や無学な親たちを脅すのでした。
おおらかな時代だったと言えばそれまでですが、僕らの親たちは全員が大学教育を受けていない時代、先生の言うことは絶対的と信じる卑屈な親がいたのも事実ではあります。
教え子に政治的思想信条を語る教育者に対し、意義を訴える一部のきちんとした保護者もいたものの、その子女はそれが理由で不公平な扱いをされていたように覚えています。
新し担任は「溝口先生(仮称)」は49歳の厳ついおばさん先生でした。
自分の母よりずっと年上、現在の朴竜とさ程違いのない年齢です。
独身、満州からの引揚者で自ら「満州ゴジラ」と名乗る、筋金入りの共産党員でした。小学生の教え子を前に宣言するくらいの勢いで、今なら教育委員会やPTAから吊るし上げ、連日、古館さんがネタに困らないくらいのことの連発。
資本主義は悪。故に室蘭市に多大な税金を納めていて、それがなければ市政が破綻するにも関わらず、新日鉄室蘭工場の支店長をはじめ取締役クラスは搾取の代表とみなし、その子女も同類と括り糾弾的な態度を露わにする一方で、工場で勤める所謂「工員さん」は勤勉な労働者として同朋と括り、その子女はこれからの日本を背負って立つ金の卵と考えているように感じました。
要は教育者でありながら、自らの教義により子供と関係のない背景によって「依怙贔屓」をしているように思えました。
いや。実はそうじゃなかったのかもしれませんが、小学校5年生ではどうにもそのようにしか考えられなかったのです。
では私は依怙贔屓されたのか?
答えは「ニュートラル」。
何故なら朴竜父は工員でもなければ資本家でもなく貨物船の船乗りであったため、溝口先生は線引きできなかったのです。
溝口先生はバリバリの共産党員です。
「共産党=善」VS「自民党=悪」と分かりやすい構図を当時小学生の我々に教え込むのでした。とはいえ、田舎の子供でもそりゃないっしょと簡単に見抜けるほどヒステリックだったんです。
そして市議会や道議会の選挙のたびに、「お父さんお母さんに共産党に投票してもらって!」と教え子に頼むわ、はたまた可愛がっている児童の親に直接電話して、日本は大変な事態に陥り潰れてしまうとか、
ソ連が攻めてくると幼気な朴竜達や無学な親たちを脅すのでした。
おおらかな時代だったと言えばそれまでですが、僕らの親たちは全員が大学教育を受けていない時代、先生の言うことは絶対的と信じる卑屈な親がいたのも事実ではあります。
教え子に政治的思想信条を語る教育者に対し、意義を訴える一部のきちんとした保護者もいたものの、その子女はそれが理由で不公平な扱いをされていたように覚えています。