先月、富士電車区での画像を投稿した際、画像では見切れていた右端の機関車・・
EF15の7号機。
福米帰りの重装備で決して嫌いな機関車ではなかったのですが、
この時は停まっていた位置が最悪で・・・
前年までたくさん居たEF10が停まっているべき場所に、
”のほほん”と居座っているように見えてしまったのでした。
そんなこともあり、機関車単体ではとても撮る気になれなかったのでした。
1978年3月26日、富士電車区にて。
先月、富士電車区での画像を投稿した際、画像では見切れていた右端の機関車・・
EF15の7号機。
福米帰りの重装備で決して嫌いな機関車ではなかったのですが、
この時は停まっていた位置が最悪で・・・
前年までたくさん居たEF10が停まっているべき場所に、
”のほほん”と居座っているように見えてしまったのでした。
そんなこともあり、機関車単体ではとても撮る気になれなかったのでした。
1978年3月26日、富士電車区にて。
前回のお写真の謎が解けました(^^
僭越ながら、お気持ちが分かるように思います。
でもEF15の若番、それも一桁をご覧になっているのはやはり羨ましいです。私など「切り抜き文字の3桁」が殆どだったので(苦笑
やるせ無い気持ちを汲んで下さいましてありがとうございます^^
ただ、考えてみると自分でも一桁機との出会いはこの7号機だけでした。
この画像からも各部の特徴が見られますので、もう少ししっかり撮っておけば・・
と、いつにも増して後悔しております^^;
自分は新鶴見時代の同機を東大宮~蓮田間で1度だけ見ただけです。
総勢202両の同形式中、福米形は12両だけなので貴重です。
でもEF10と比べたら、やっぱりEF10のほうがいいかな~
前年の同じ日に身延線を乗り通し時にはEF10ばかりでしたので、
いかに福米形とはいえ、EF10を駆逐した”怨み”は相当だったようです(苦笑)
甲府へ転じた福米形は数両いたようですが、いずれも活躍期間は短かったようですね。