司馬遼太郎の「竜馬が行く」を読んでいる。
もう4回目だが、読むたびに新たな発見がある。
まだ10代のころ、
「自分はきっと幕末の志士のように
何か大きな使命があって生まれてきたに違いない」
というような思いを持っていた。
しかしその後の生活に
失敗が積み重なっていくうちに
いつまでたっても道が開けないということは
本当は使命などなかったのではないかと思い始めた。
時代にあって
端役であり、主役ではなかったのだと。
今にして思えば尊大な考え方だと思う。
もう、今はそんなことは考えないし、
しかるべき人物ならしかるべき道が用意されているが、
しかし自分はそういう人物ではなかったのだと
考えている。
でも、ひとつ残ったことは
「命の捨て場を考える」
ということだ。
いつか人は必ず死ぬ。
どれくらい生きるかではなく、何をなして死ぬのか。
できれば自分の生きた軌跡に何か人のためになることが
含まれていたい。
自分が生まれてきた意味だけは
感じて死にたいと、思っている。
もう4回目だが、読むたびに新たな発見がある。
まだ10代のころ、
「自分はきっと幕末の志士のように
何か大きな使命があって生まれてきたに違いない」
というような思いを持っていた。
しかしその後の生活に
失敗が積み重なっていくうちに
いつまでたっても道が開けないということは
本当は使命などなかったのではないかと思い始めた。
時代にあって
端役であり、主役ではなかったのだと。
今にして思えば尊大な考え方だと思う。
もう、今はそんなことは考えないし、
しかるべき人物ならしかるべき道が用意されているが、
しかし自分はそういう人物ではなかったのだと
考えている。
でも、ひとつ残ったことは
「命の捨て場を考える」
ということだ。
いつか人は必ず死ぬ。
どれくらい生きるかではなく、何をなして死ぬのか。
できれば自分の生きた軌跡に何か人のためになることが
含まれていたい。
自分が生まれてきた意味だけは
感じて死にたいと、思っている。