老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

備中松山城と高梁市へ   その①  ~備中松山城~

2020年08月30日 19時57分03秒 | 旅行/色々な風景
 8月28日に予てから行きたかった、岡山県高梁市にある有名な山城の備中松山城と、高梁市内を巡るツアーに参加。

 この備中松山城は鎌倉時代の1240年にこの地の地頭に命じられた秋葉氏が臥牛山の大松山に砦を築いたのが始まりとされていて、その後城の縄張りが変化し、現在天守が残っている小松山に中心が移ってきたようですが、現存する天守は標高430mの所にあり、天守が残存する山城としては一番高い所にあるようです。

 畿内と山陽/山陰を結ぶ要衝地として、この城の城主は色々と替わりますが、この天守は象徴的な存在で、歴代の城主はこの城ではなく麓にある現在の高梁市内に住んでいたようです。また、現在の天守は1682年に時の城主であった水谷氏により改修されたもののようです。


 暑さが少しも収まる気配のない大阪を8時に出発し、中国道―山陽道―岡山道を経由し、賀陽インターからは山の中の一般道でしたが、この周囲の見事な段々畑では、早くも稲が黄金色に実っていて、稲刈りが間もなく始まりそうな気配でした。

 11時ごろに高梁市の観光センターに着き、松山城に行くために専用のバスに乗りかえ。
20分弱で、鞴(ふいご)峠というところに着き、ここからは山道を歩いて登ります。

 岡山の暑さも大阪同様に厳しく、一気に汗が吹き出し、厳しい登りの坂道や石段は相当に厳しかったです。
 最初は大阪では聞けないニイニイゼミ/ツクツクボウシ/ヒグラシなどの鳴き声を楽しむ余裕があったのですが、ツレアイの様子が段々とおかしくなり、休憩を度々入れたものの、ついに大手門跡が見え始めた所でダウン。

 道端にあったベンチに座らせたのですが、顔色も悪く目も虚ろで熱中症の症状で、“こりゃヤバイ”とベンチに横にならせ、持っていたアイスノンなどで冷やしたり、水分をタップリ取らせました。
また、ツアー参加の人が、手持ちの岩塩を口に含ませたりしてくれたお陰で徐々に回復。
30分もすると、顔色も戻り、弁当も食べられるほどになりなりました。

 救急車も呼べない山中で、どうなることやらとびっくりしましたが、本当に助かりました。
やはり山間部などに行く場合は、個人ではなく、できるだけツアーなどに参加する方が安心なこともよく判りました。


 ツレアイが回復してホッとしたものの、まだ無理をさせられる状態ではなく、暫くは風通しの良い日陰にあるベンチで休ませ、私単独で大急ぎで大手門から城内に入り、天守の見える場所まで行って写真だけを撮って慌てて引き返し。
お目当ての天守とその奥にある二重櫓に行けずに残念でしたが、ツレアイが無事回復し、他の人に迷惑を掛けずに歩いて降りてこれただけで充分としましょう。

 その後、集合時間まで十分な時間を確認してから、早めに坂道をゆっくりと下り、鞴(ふいご)峠のバス乗り場まに着きましたが、ここには小さな売店もあり冷たいアイスキャンデーを口にして、本当に生き返った気持ちで無事を実感しました。(まさ)


鞴峠から散策路に入ると、上り坂の連続

急な石段もあります

中太鼓丸跡の石垣

またもや急な石段の連続です

大手門跡。 ツレアイはこの近くでダウン

樟の大木

大手門より三の丸とその上にある厩曲輪(うまやぐるま)跡の石垣

大手門から三の丸への石段と土塀

土塀

二の丸への石段

本丸と天守

城碑

展望台から高梁市内を望む