本当にこの国はどこに行こうとしているのか?
最近の政治の貧困さと傲慢さは、ここに極まれりという感じです。
いつの間にか、防衛費がGDPの2%に設定され、財源確保のために何と東日本大震災復興を願って導入された復興特別所得税を準用したり、自衛隊施設の整備のために建設国債を充てることを決めるなど、もう滅茶苦茶です
政治は、選挙で多数を確保し政権維持を図ることが最大の目的となり、そのために礼節を忘れたさもしいバラマキ政策が優先されます。
その結果が、国の借金は1,100兆円を超えて膨らむ一方で、減額の目途もつかないまま子供・孫世代への負の遺産となっているのです。
最近は「選良」という言葉は殆ど死語となり、国会議員などに対しては「厚顔無恥」という言葉の方が代名詞になったように感じるのは私だけではないでしょう。
<四字熟語辞典>によると、「厚顔無恥(こうがんむち)」については、「厚顔」は厚かましいこと、「無恥」は恥知らずなことで、これが合わさり‟厚かましく、恥知らずなこと“を意味します。
由来については、中国最古の詩集『詩経』に「巧言くわうの如く、顔の厚きや」とあり、「厚顔」は言葉巧みに乗り切り外面を良く見せ、内面の恥を隠すことを意味しています。
日本には平安時代頃、漢文を通して「厚顔」が伝わり、内面の醜さをさす言葉として用いられ、明治時代以降には、日常語として「厚顔」が用いられるようになりました。
やがて、知識や知恵がないことを意味する「無知」が付いて、「厚顔無知」という四字熟語の形での使用となりましたが、更に「無知」が同じ発音の「無恥」に変わり“知識や知恵がないのではなく、知っていながら恥ずかしげもなく行う”との意味を持つ言葉になっていったようです。
従って、「厚顔無恥」の結果として起こったことは、確信犯として政治責任を問われるべき事柄なのです。
正に「厚顔無恥」とは、国民に選ばれ国家の将来を論ずるはずが、党利をカモフラージュにして私利私欲を最優先させ、「政治屋」としての家業継続を図る一部の国会議員を象徴するような言葉でしょう。
しかし、最近同じような言葉に「顔厚忸怩(がんこうじくじ)」があるのを知りました。
「顔厚」は「厚顔」と同じく‟厚かましいこと“を意味しますが、これに「忸怩」が付くと全く意味が変わるのです。
「忸怩」は「忸怩たる思い」のような使われ方をしますが、“自分の行いを恥ずかしいと感じること”で、これが合わさって、「顔厚にして忸怩たる有り」(書経)を略した言葉で、“どれだけ厚かましい人でも恥かしいと感じる”という意味になります。
少しでもこのような気持ちがあり、「厚顔」を自粛するようになれば、もう少しは「選良」に近づくかも知れませんね。
こんな希望は、「詮なきこと」なのでしょうか・・・(まさ)