下に、「言わない」「答えない」などのように打ち消しの表現を伴って用いられ、“いくら話しかけたり働きかけたりしても、まったく反応がないさま”を言います。
この言葉の由来については、「ウン」の語呂合わせとして「スン」が使われたという説が有力ですが、ポルトガル語由来説というのもあります。
<imidas>などに拠ると、
「すん」は、返事の言葉である「うん」に語呂(ごろ)を合わせて用いた語という説のほかに、「ウンスンカルタ(しだいに博打(ばくち)化して天正カルタが禁じられたのに代わって、元禄(げんろく)のころに考案されたもの)」が語源であるという説がある。ポルトガル語でウンは1、スンは最高点の意で、ウン札・スン札は共に高位の札。このカルタがやがて廃れて「うんともすんともいわなくなった」ということから、という。
「ウンスンカルタ」というものは全く知らなかったので少し調べてみました。(<WIKIPEDIA>などを参照)
・カルタとは、ポルトガルから伝えられたカードゲームで、
ポルトガル語の「carta」の音に「加留多」、「賀留多」、「骨牌」などの漢字が当てられた。
・室町時代末期にポルトガルの貿易船の船員によって日本へ伝えられたカードゲームが、1573年から1592年までの天正年間以降に国産化され、天正かるた(てんしょうかるた)と呼ばれ江戸時代初期の時点において、一般庶民はもとより、大名、僧侶、公家、上皇にまで、天正かるたは広く日本国内に浸透していった。
・この為、1648年(慶安元年)から1655年(明暦元年)にかけて、「博奕諸勝負堅御法度」というように博奕カルタを禁止する町触が江戸で繰り返し出されるなどしたようですが、元禄時代(1688~1704年)になりより多人数で遊べるようにカード枚数を拡張した「ウンスンかるた」というものが作られたものの、幕府の取り締まり強化で禁止に追い込まれた様です
1770年(明和7年)、浮世絵師の橘岷江による『彩画職人部類』の「賀留多」の項目には、カルタを手彩色している様子と回転ロールに札を通過させて厚みを均等にしながら艶出しする作業の様子が描かれている中に、「加宇(カヴ)宇牟須牟(ウンスン)などいふあり すべて南蛮國のことばなり」と書いう記述もあるようです。
(まさ)
<今日の夕食>
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湯豆腐/ブリ大根/メカブ
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ブリ大根 先日の残りです 味が良く沁みて美味しかったです
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少し足りなかったので、スパゲッティ・ボンゴレを追加 (市販のスープに、買っておいたアサリとキノコを追加)
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