1月1日のこのブログ「有難い」で少し触れましたが、「盲亀浮木(もうきふぼく)」(或いは「盲亀の浮木」、「盲亀浮木の譬え」とも)という言葉があります。
現在では差別用語だと言われるか知れない表現ですが、仏教由来の言葉で、昔から<出会うことが非常にむずかしいことのたとえ。めったにないことのたとえ>として使用されていますが、雑阿含経など多くの仏典で説かれている寓話を由来としたようです。
この寓話の筋は、下記のようです
釈迦は、阿難(あなん)という弟子に問います
「大海に100年に1度だけ海面に顔を出す盲目の亀がいる。この盲亀が海面に顔を出した拍子に、たまたま漂っていた丸太のたまたま空いていた小さな穴に盲亀の頭が入ることがあるか??」
驚いて阿南は答えます
「何兆年も時間を掛ければありえるかも知れませんが、無いと言って差し支えないほどありえないことです」
釈迦は答えます
「阿南よ、この盲亀がたまたま漂っていた丸太のたまたま空いていた穴に頭が入ってしまうことが有るよりも私たち人間が生まれてくることは難しいことだ、有り難いことなんだよ」と・・・
これくらい人間が人間として生まれ、存在していることは「滅多に無いこと」「有り難いこと」ということで、「有難い」という言葉の説明の際に、良く用いられるようです。
そして、この『有り難い』という釈迦の教えから、『ありがとう』が生まれたとされています。
また、この「盲亀浮木」という言葉によく似た言葉として、下記があります。
千載一遇(せんざい-いちぐう):千年に一度偶然訪れるくらいの機会という意味。
曇華一現(どんげいちげん):めったに起こらないはずのことが身に起きたときの喜び。心配事が突然解決したときのうれしさ。
この項は<仏教辞典><goo辞書>などを参考にさせて頂きました。
今日は昼間の天気は良かったのですが、夕方から風が強く冷え込みが強くなってきました。こんな日には温かいものが一番という事で今日の夕食の紹介です。
今日の夕食 いつもの湯豆腐ではなくスンドゥブ/肉野菜炒め/カマスゴ
スンドゥブ 韓国版麻婆豆腐という感じで、良く温まりました
豚バラとホウレンソウ/エリンギのオイスターソース炒め
カマスゴ(別名、新子)イカナゴの釜揚げをオリーブオイルで炒めて、ポン酢で
口に中に春が広がりました。
(まさ)