アングル:五輪迎えた原宿駅、7年越しの大改良 そして無観客に(ロイター) - Yahoo!ニュース
東京五輪・パラリンピックを前に、東京の街並みは変わった。その1つが東京・渋谷にあるJR山手線の原宿駅。国立代々木競技場や明治神宮の玄関口は、訪日外国人をはじめ多くの人が訪れることを見込み、木造の駅舎を建て替え、ホームを拡張した。 普段から乗降客が多い同駅の改良は難航を極めたが、特に利用客が急増する初詣の対策など工夫を重ねて工期を短縮した。駅改良プロジェクトに携わった関係者は無観客で五輪を迎えたことに複雑な思いを抱きつつも、東京の新たなランドマークを後世に残せたことは誇りだと話す。 <五輪で大混雑は明白> 「難産だった」──。2020年東京五輪を目指して一新された原宿駅。JR東日本東京工事事務所の竹内美礼課長と中村英和課長はこれまで複数の駅改良工事を手掛けてきたが、原宿駅はとりわけ思い出深いものとなった。 山手線の多くの駅は平日の通勤時間帯が混雑するが、原宿駅は平日よりも休日の利用者数が多い。原宿や表参道には全国から若者が集まり、近年は外国人観光客もたくさん訪れる。イベントやライブが頻繁にある国立代々木競技場や花見でにぎわう代々木公園も近く、特に休日は入場規制が常態化していた。 五輪が開催されれば、代々木競技場は競技会場となり、駅が大混雑することは目に見えていた。100年近く前に建てられた木造の旧駅舎は耐火性が弱く、災害時の不安もあった。 「なんとかしないといけない。このままでは海外のお客様をとてもお迎えできない」。土木工事を担当した竹内氏は当時の思いを振り返る。 とはいえ、駅の工事にはかなりの勇気がいる。電車を止めずに工事を行わなければならず、作業時間は最終電車が出た後の午前1時から始発電車が出る前の午前4時までの実質1日約3時間しかないからだ。 しかし、駅は利用者の数に比べてあまりにも小さかった。幅の狭い1本しかないホームに乗降客があふれ、危ない思いをした人も少なくないだろう。20年7月の五輪に間に合わせるには判断を先送りできなかった。 「国家的行事の五輪までに絶対に間に合わせなくてはいけない」。建築工事担当の中村氏も覚悟を決めた。 東京開催が決まった約2カ月後の13年11月に駅改良プロジェクトは始動。東京五輪開催前の開業をめざし、16年9月に着工した。 <最大の難問は明治神宮の初詣> 工事は当初から非常にタイトな工程が見込まれていた。着工直前から「工程厳守会議」が始まり、毎月第4水曜の月1回ペースで開業直前の20年3月まで必ず開催された。中村氏は「胃が痛くなるような名前の会議。そのくらい追い込まれていた」と言う。 最大の課題は、日本一の参拝客数を誇る明治神宮の初詣対策だった。旧駅舎は1924年に参拝客用に建てられ、その役目は今も変わらない。しかし、年始だけ使う臨時ホームは外回り専用ホームに改良工事中で、初詣客のために正月は工事を中断しなくてはならない。 竹内氏は「間に合わないのではないか」と途方に暮れた。工期を短縮する方法はないか考えあぐねた結果、大晦日深夜から19年の正月三が日は臨時ホームを使わなくても明治神宮へ初詣に行けるよう仮通路となる3日間限りの跨線橋を設置した。橋を架けるのに1週間、取り壊すのに1週間かかったが、工事の中断は回避できた。 ほかにも工夫を重ねた。ホームの屋根は、従来は鉄骨を組み上げて重機やクレーンで重い鉄板を釣り上げていたが、これでは時間がかかるため、人の力だけで持ち上げることができ強度もあるアルミ製の屋根を山手線の駅では初めて採用し、工期を1カ月ほど短縮させた。 <明治神宮と調和、五輪仕様に> 新駅舎は2020年3月21日、予定通り開業した。駅舎の西側は明治神宮、東側は表参道や竹下通り。コンコースの東側の壁を一面ガラス張りにしたのが特徴で、晴れた日は太陽の光が差し込み、夜は街の灯で彩られる、開放感ある通路に仕上げた。 ホームから改札に向かう階段を上がると、コンコースの西側は神宮の緑という「非日常」、東側は原宿の街の「日常」が広がる。中村氏は、非日常と日常の間に線路が走り、「まったく違う雰囲気の両側を駅舎がつなぐ。ガラス面の通路でそんな仕掛けをつくった」と話す。 出入口も明治神宮方面の西口を新たに設け、代々木競技場にアクセスしやすくした。新設エレベーター3基も五輪仕様だ。鉄道は15人乗りが標準だが、パラリンピック基準の24人乗りにし、車いす利用者やスーツケースを持ち歩く旅行客も使いやすくした。 <五輪延期、無観客に> 開業から3日後、当時の安倍晋三首相が五輪の1年延期を正式に表明した。竹内氏と中村氏は安堵した。五輪で訪れる人たちにもぜひ利用してもらいたかったが、もともと五輪後も使えるような改良を目指しており、延期になっても「間に合わせたことは良かった」(中村氏)。 ところが1年たっても新型コロナウイルスの感染状況は改善せず、今年3月には海外からの観客受け入れ断念を決定。さらに、ほとんどの会場の競技が無観客で開催されることも決まった。「できればたくさんの人に使っていただきたかったという率直に残念な気持ちはある」と、竹内氏は語る。 だが、竹内氏も中村氏も、原宿駅の改良に関われて「誇らしい」と口をそろえる。この駅は「ずっと今後も残っていくんだよ」。一人娘にもそう言えると中村氏ははにかむ。 三角屋根に風見鶏の付いた尖塔。「ハーフティンバー」と呼ばれる西欧の建築様式が人々に愛され、街のシンボルとして親しまれた旧駅舎も近い将来、新駅舎に並ぶ形で復元される予定だ。