素人には、よく分からない、分かりにくいけれど。
銀!おめでとう!!!
東京で開催されたからですね。
CMも出てる?声が掛かりますね。
ちらっと観ましたが、金の人は気迫というか勝っているのが分かりました
空手女子形 清水希容が銀メダルを獲得…決勝で世界1位・サンチェスに敗れ五輪女王の座は逃す(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
◆東京五輪 空手女子形(5日、東京・日本武道館) 女子形で、世界ランク2位の清水希容(ミキハウス)が銀メダルを獲得した。 【写真】清水希容、鮮やか振り袖で魅了 予選、準決勝ともに組の1位で決勝に進出。決勝では世界ランク1位のサンドラ・サンチェス(スペイン)と対戦した。空手は次回の24年パリ五輪では除外されることが決まっているため、現時点では、最初で最後の五輪実施となる可能性がある。 清水は「ここまで来るのにすごく…」と話すと感極まり、言葉が詰まった。そして「すごくしんどかったので、ここで勝ちたかったですけれど…。くやしいです」と涙をこらえながら答えた。 サンチェスの得点は28.06、清水は27.88だった。 ◆清水 希容(しみず・きよう)1993年12月7日、大阪・大阪市生まれ。27歳。ミキハウス所属。兄の影響で小学3年から「養秀館本部」で空手を始める。東大阪大敬愛高3年の高校総体で優勝。関大を経て、2016年4月にミキハウス入社。14、16年世界選手権を連覇。全日本選手権は13年に大会最年少優勝で、19年まで7連覇。糸東流。160センチ、56キロ。家族は両親と兄。 ◆形(かた) 相手と直接対決せず、仮想の敵を倒すことが目的。2人の選手が1人ずつ1分半~4分の演武を行い、5人の審判が旗判定で勝者を決める。国内大会では指定の形から選択するが、国際大会は自由。一大会では同じ形は一度しか使えない。技の正確性、力強さ、スピード、リズム、バランス、極め、表現力などを競う。評価基準を明確にするため、来年からフィギュアスケートのように採点形式になる見通し。トーナメント方式で行われ、試合前後の礼を怠る、演武中に道着の帯が外れる、事前申告した形と異なる形を行うなどは反則。決勝など大会終盤に運動量が多い形を選んでも評価に加味されず、一つの演武として審査される。
清水希容銀メダルの裏に「遅咲き」の苦悩 反対する母説得し受け継いだ系譜(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
空手の女子形で銀メダルを獲得した清水希容(27=ミキハウス)は、自らを「遅咲き」と自己分析する。全日本選手権初優勝は、大会期間中に20歳の誕生日を迎えた13年。前年度まで4連覇していた宇佐美里香(35=現全日本空手道連盟選手強化委員長)が現役引退し、全日本女王の座を勝ち取った。東京五輪で追加種目入りを果たした空手。銀メダルの裏には、歴代のライバルたちを追い続けた日々があった。 【写真】清水希容の力強い演武 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 元々は中学卒業で競技から離れるつもりだった。清水が9歳から始めた空手。地元大阪で通っていた道場は、形が盛んだった。「かっこいいな」「きれいだな」-。小学生時代は全国大会に縁がなく、先輩が演武する姿を、憧れのまなざしで見つめる少女だった。 転機は中学3年生の夏だった。初めて出場した全国中学生選手権は3回戦敗退。1~2年時は学年別の全国大会で、同い年の川崎衣美子(28=当時静岡・島田第一中)に屈した。優勝した川崎と対決する前に、中学最後の夏が終わった。 「私がふらついた演武になってしまって…。それが初めての挫折です。習い事だったので空手をやめて、高校に行って、一般的な感じで高校生を楽しみたかった。その悔しさで『敬愛に行きたい』と言いました」 強豪の東大阪大敬愛高に進学。「あんたが行って、伝統を崩したらどうすんの」と反対する母を「絶対に全国に出て、優勝するから行きたい」と説得した。朝は4時に起き、6時までには学校に着く毎日。上下関係における礼儀や、責任感を身につけた。3年で全国高校選手権初優勝。道場、高校の4学年先輩となる小出(旧姓梶川)凛美(31)の背中を追い、関大へと進んだ。小出は「小学生で道場に入ってきた時から、存在感があった訳ではないと思います。でも、人より努力していた」と振り返る。先輩はライバルになった。 道場ではそれぞれが自分の形と向き合い、磨き上げる日々。清水が大学2年となった13年、全日本で4連覇中の宇佐美が引退した。 「宇佐美先輩の世界大会を見て『いいなあ』と思っていました。そこからは(小出)先輩と争うようになって…。『先輩がずっと勝っているし、勝てる訳ない』と思っていたけれど、悔しさと負けたくない気持ちが出てきました。同じ道場の先輩と競い合っていたから伸びたんだと思います」 13年12月8日、全日本選手権決勝は小出が相手だった。清水は“勝負形”の「チャタンヤラ・クーサンクー」を用い、4-1で勝利。初優勝をつかんだ。自身と清水の母校である東大阪大敬愛高で現在コーチを務める小出は、こう言った。 「私も希容がいたから頑張れた。道場でもよく会って『希容、ずっと練習しているな』と思い、それが刺激になっていました。今もきれいな形を広めてくれているのが、うれしいです」 清水は翌14年に世界選手権初優勝。一気に頂へと駆け上がり、16年には東京五輪追加種目入りが決まった。五輪への挑戦の過程で、こう言ったことがあった。 「空手をやめずに続けていたから、今、五輪を目指せています。武道の聖地の日本武道館で五輪が開催される。演武するものなので、心に残る選手になるために日々、自分を磨いていくことが大事だと思います」 日本女子形の系譜を受け継ぎ、その全てを出し切った。(敬称略